森の魔女
──災いの森には魔女が出る。
ありとあらゆる魔術を修め、かつて勇者と共に魔王に挑み──そして、勇者が死した後世捨て人のように暮らす魔女が出る。
その言い伝えは遥か千年の時の果てから伝わるおとぎ話であり、かつての勇者伝説の名残がである。
事実、災いの森には一人の魔女が住んでいる。しかし、この魔女。
とてつもなく、性格が悪かった。
「はー……湿気た世の中だねぇまったく!!この私のポーションが一つたったの銀貨三枚!!」
普通ポーション一つにつき銅貨四枚であることを考えるとぼったくりなのは魔女である。しかしそんなこと知ったことではないと言わんばかりにため息をつきながら黒い髪を翻し、いつまでたっても変わらない若々しい姿を維持する魔女は炉端の石を蹴っ飛ばす。
「はぁ~酒でも飲まなきゃやってけ……?」
ふと、石が飛んだ方向から魔獣たちの気配を感じた。思い通りの値段でポーションが売れなかった腹いせに何匹か焼き焦がそうかと足を向けて、簡単な火の魔術を抛り込む。──肉の焦げる臭いと、獣たちの断末魔、様子を見ようとして目に入ったのは、転がる魔獣たちの死体と、それらに囲まれた籠の中に捨てられた一人の赤子。
(……あーあ、死んだな、あれ。)
嫌なものを見た、と一つ舌打ちを魔女はする。ここ──災いの森では、珍しくとも決してないとは言い切れぬ現象であることを、彼女は嫌と言うほど知っていた。
災いの森、それはかつて魔王の城が建ち、人間達を脅かしていた魔の拠点であった森である。
千年前に勇者が魔王を倒して以来、魔王の配下であった魔物や魔獣、その子孫達が闊歩するだけの、日の差さない森。
昨年の不作による大飢饉から露骨に間引きとして子供を置いていく親が増えた、ただそれだけ。
(……やっぱり人間は碌でもない。)
魔女は人間が嫌いだった。中途半端な甘さも、命の危機が迫ったらすぐに他人を見捨てるところも、大嫌いだった。
知らなかったとはいえまあ自分がとどめを刺したような物だし、埋葬ぐらいはしてやるかと近づいて。
「うっそだろおい?」
傷一つなく健やかに寝息を立てる赤子に愕然とした。
(いや、え?こちらとら魔王を屠った森の魔女様だぞ??下級の術とは言えなんで生きてんの??)
呆然としていると、ようやく気がついたのか急に赤子はむずかりだし、大声で泣き喚きはじめる。大声で泣くなんて、この厳しくも平等な自然の中では自殺行為だ。なのに、魔女は更に目を大きく見開き赤子を抱きかかえた。
(…こいつ、異様に魔力が高い。下手すれば、この私と同レベル。なんで……。)
ふと、布にくるまれた赤子の髪色に目がとまる。鮮やかな、まるで千年前に見たのと同じ、海の色。
「……なんつーもん捨ててんだよ。」
はあ、とため息をついて魔女はきびすを返す。腕にかかえた赤子を抱き直し、拾ったもんは仕方がない──使えなければ豚の餌くらいには成るか──と考えながら。
「クソババア!!次は何すればいいんだよ!?」
「だぁれがクソババアだって!?このちんちくりんが!!客が来てるからティーセット!早く用意しな!!」
──森で赤子を拾ってから十年、 赤子は健やかに成長し、魔女の口の悪さもすっかり移っていた。
うるせぇ!と罵倒を口にしながらバタバタと言われたことを達成しようと下がる元赤子にくっくっくっ、と笑い声が響く。
音の発生源に目を向けると、黒い髪に瞳、肌を持つ男が肩をふるわせていた。
「なぁにがおかしいんだい。神父サマ。」
憮然とする魔女に一つ首を横に振り、男は謝罪を口にした。
「すまない、あの高名な森の魔女が子供一人に本気で怒ってるのを見て、つい。」
「相変わらず嫌味だね、おい。」
──この男ついて、魔女はそれほど知っているわけではない。森にほど近い場所にある教会の神父をしていて、数年前からのお得意様で、とてつもなく嫌味な男だということくらいしか知らない。
「いやはや魔女殿には負ける。……さて、商品が来る前にこちらを。」
「大仰な男だねぇ……。」
呆れて首を振りながら魔女は出された物を確認する。注文したとおりの効果を発揮する魔術のスクロールであることを確認して一つ頷いた。
「まいど、まあこんな成りで申し訳ないけどゆっくりしてきな。」
「はは、言われなくとも。……ところで、魔女殿。」
「なんだい?」
ふう、と一息ついて魔女は目を細める。男の黒い瞳に映るのはかつてとはあまりにかけ離れた自分の姿。
「……あの弟子、『魔人族』で」
「それ以上言うならその首カッ斬るよ。」
──魔人族、それはかつて魔王を生み出した人類の敵である。海のような蒼の髪と、闇のような紫の髪を持つ彼等は千年の時が立った今でも迫害の対象であり、この上ない恐怖の偶像。
「……どうやら私の勘違いのようで。謝罪しよう。」
「……ふん、分かればいいんだよ。」
肩をすくめてわざとらしく頭を下げる男に鼻を鳴らして魔女は顔を背ける。そんな魔女の姿を見て男はやれやれ、と首をふり、立ち上がる。
「……後のことは、頼んだよ。」
帰ろうとする男に一言、ポツリと呟くと男はにっこりと微笑んで一度だけ振り返った。
「魔女殿の頼みを断れる人間なんて、勇者しかいませんな。」
「おいババア茶請けがないんだけど!?」
「もう必要ないよ。あんたがとろとろしてるから客が帰っちまった。」
「あ!?」
やっば、と顔を歪める元赤子──現弟子にニヤニヤと笑いながら手招きをする。嫌そうな顔をしながらも素直に来る様は昔共に旅をしていた使い魔の猫のようで口角が上がった。
「……ババアって、俺の髪の毛好きだよな。」
「馬鹿言え、猫代わりだよ。」
「猫飼えよ。」
「子供一人でいっぱいいっぱいだ。あと俺というのは止めな。立派な魔女になれないよ。」
ベッドの脇の櫛を取り出し、弟子の髪の毛を丁寧に解かす自分の姿を見たら、きっとかつての仲間達は目を白黒させるだろうと思いながら魔女は手を動かし続ける。
──気づかれないように、小さく魔力をのせて、守護の術を何年もかけて編む様を見たら、ではあるが。
かつて海の色をしていた髪は、魔女の手入れにより黒が混じった紺色に目に映るようになり、この分なら街に出ても変わった髪色だと思われるくらいですむだろう。
「おいちんちくりん。」
「なんだババア。」
「あの神父についてはどう思う?」
「……いい奴なんじゃねぇの?ババアにあいに来るぐらいなんだし。俺……私にも、絵本とか、くれるし。」
「絵本?」
「ん、『魔女の箒』って奴。」
確か魔女が箒に乗って旅をする本だった、と話す弟子にだから最近暇ができると箒で飛ぶ練習をしていたのかと腑に落ちる。
弟子の髪を解かすのを止めて自分の手をじっと見る。
十年前まで、白魚の如く美しかった腕はしわくちゃで、艶やかだった黒髪は白く乾燥し、美しかった顔も今や醜い皺で覆われている。
けれど、不思議と後悔はなかった。
「ババア?」
「一つ、教えてあげるよ。」
多分自分はもう長くはない。ふと、そんなことが頭を過ぎる。
──仲間をなくしたとき、あんなにも望んでいた、けれども呪いによって生き続けた自分の命が短いことになぜだか悔しい。
「魔女は、」
ぱちくりと目を見開いてこちらを見る弟子ににっこりと傲慢に微笑んで、魔女は嗤う。
もっと生きていたいだなんて、そんな都合のいいことを考える自分に、心の底から。
「箒で空なんて飛ばない。」