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黙示録の結末  作者: 瀬川弘毅
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後編

 イズミが中本を連れて廃工場へ戻ると、元社員たちから歓声が上がった。中には万歳を始める者もいる。

「ミスター・タカミネ!」

 欧米から来日した同志たちは口々にそう言い、破顔した。高峰頂一郎はワールドオーバー社の元代表取締役であり、その優れたカリスマ性で部下たちを惹きつけてきた。彼への信頼は、いまだ全くと言っていいほど失われていなかった。

 当の高峰は、心なしかぎこちない笑みを浮かべて歓待に応えている。数十分前までは、終身刑を言い渡され鉄格子の中で余生を送ることになるはずだったのだ。本拠地へ急ぐ道中にイズミが現状を簡単に説明してはいたが、急激な変化にすぐに慣れるはずもない。彼の反応はある意味当然だった。

 イズミは彼を、廃工場の中で一番広い部屋へ通した。かつてユーダ・レーボのリーダー門屋慎一が使っていた部屋だが、あの後警察の捜査が入り彼の私有物は全て撤去されている。今あるのは、イズミたちが用意した簡易な造りの椅子とテーブルだけだった。

「高峰様にお召し物を用意してくださイ」

 そこで待機していた数名の男たちにそう頼むと、イズミはそそくさと退出した。彼女に男性の着替えを覗くような趣味はない。

 これで準備は大方整った。あとは中本と松浦が帰るのを待つのみである。

 手持無沙汰になったイズミは、すぐ隣の部屋の様子を見ることにした。扉の前に立つ黒人の男性に軽く頷き、解錠してもらう。室内に入ると、背後でドアが閉まった。出る時には、内側からドアをノックすれば開けてもらえることになっている。

「…調子はどうかしラ?」

 イズミは無感情に森下葉月を見下ろして言った。

「…決まってるじゃない。最悪よ」

 手足を縄できつく縛られ、冷たい床に転がされた格好で森下は言い返した。その声からは、台詞に反し活力というものが決定的に欠如している。薄暗く空気のこもった部屋に長時間拘束され、食事もろくに与えられていないのだから当然だ。

「それもそうネ」

 イズミは底意地の悪い表情を浮かべて言った。体を屈め、目線を森下に合わせてやる。

「でも、悪く思わないデ。私はただ、中本様の命令を実行しているだけだかラ」

 尊敬する人物の言葉になら、たとえそれが人道に反したものでも従う。そんな狂信的な忠誠心を垣間見せたイズミに、人間らしい心がどれだけ残っているのか、森下には計り知れなかった。

「…今日の晩御飯でス」

 不意にイズミが腰を上げ、ポケットから取り出した携帯食料を無造作に放る。バー状の栄養機能食品だ。森下は床に落ちたそれへ向かい必死で這って進み、どうにか齧ることに成功した。

「それでハ」

 やるべきことはもう済んだとばかりに立ち去ろうとしたイズミの背に、森下が悲痛な面持ちで訴える。

「待って…お願い、もうちょっと食事の量を増やして。私、もう限界で…」

 その言葉はイズミを苛つかせた。彼女は森下へ向き直るとまた腰を屈め、森下の首元を掴み上げた。

「二本じゃ足りないって言うノ」

「…お願いします。これ以上は体がもちません」

 威圧するように言ったイズミに、森下は怯えた様子で懇願した。

「―ふざけないデ」

 イズミは森下の首元を掴み上げたまま立ち上がると、その腹部に一切の容赦なく蹴りを喰らわせた。森下が声にならない悲鳴を上げ、うずくまる。

「…人質の立場で、よくそんな生意気な口がきけたわネ」

抵抗できない彼女を、イズミは感情に任せ何度も何度も蹴りつけた。最後に、黒い革靴のつま先が森下の頬を蹴り飛ばし、その体を転がした。

「貴方は、有能なパワードスーツ装着者である松浦虎次郎を利用するための餌に過ぎなイ。貴方にそこまでしてやる義理はなイ。まあ、栄養失調で死にそうになったら少しは考えてあげるけド」

 体を折って痛みに呻き、目に涙さえ浮かべている森下は、体を震わせながらイズミの残酷な言葉を聞いていた。

「主導権はこっちにあるってことを忘れないデ…貴方は中本様の寛大な措置で生かされているんだかラ。反抗的な態度を続けるなら、部下の男たちの慰みものにしたっていいんですヨ。貴方の命が保証されることを条件に、松浦は私たちに従っていル…裏を返せば、死なない程度のことなら何をやってもいいわけですシ」

 後半の脅しは半分以上ハッタリだ。第一、そんなことを許せば怒りを爆発させた松浦が何をしでかすか分かったものではない。それでも、森下の表情から血の気を失わせるには十分だったようだ。胸の内でほくそ笑みつつ、イズミは部屋を後にした。ブラックジョークですよ、と付け足すこともせずに。


「うう…っ、あ、ぐ…っ」

 腹部と胸部を襲う激痛に、森下は一人部屋の中で悶えていた。視界が涙で霞む。口の中は血の味がし、さっき一口食べた果実バーの味が分からなくなっていた。

(痛い…苦しいよ……っ)

 何日か前―正確な日にちは分からない―アーマーソルジャーの部隊が、松浦と二人で住んでいたアパートに突如侵入してきた。彼らは自分を人質に取り、松浦に命令に従うよう要求したのだ。彼に選択肢はなかった。あの時から、幸せな日々の全てが暗転してしまった。

(誰か助けて…私をここから出して)

 断続的にやってくる痺れるような痛みに、森下はもう耐え切れなかった。

「……松浦……っ!」

 愛しい人の名前を掠れた声で叫んでも、彼が現れるはずはなかった。

森下は果てしない絶望の中で、ぐったりと身を横たえていた。やがて、意識が曖昧になっていった。


「高峰様」

 入室した中本はうやうやしく一礼した。スーツに着替えた高峰は、彼を見て驚いたような表情を浮かべていた。

「…中本君じゃないか」

「お久しぶりです、社長。…またお会いできるのを楽しみにしておりました」

 中本は心からの笑みを浮かべ、部下たちを一旦下がらせて高峰へ近づいた。松浦やイズミ、その他大勢の元社員らは部屋の壁際に立ち、静かに二人の様子を見ていた。

「早速ですが、お渡ししたいものがあります」

「…何かな、それは」

 右手に提げたスーツケースをテーブルに置いた中本に、高峰は訝しげに問うた。しかし中本は即答せず、見れば分かるというように蓋を開いた。

 カチャリと小さな音がして、鍵が外される。

 鞄の中に鎮座していたのは、全く同じ大きさの二つのバイザーだった。

「まさか」

 息を呑む高峰に、中本が笑いかける。

「ええ、おそらくご想像通りです。トラゼシオンのバイザーですよ」

 かつて高峰が装着し、被験者たちが使用していた六機のパワードスーツを圧倒した最強のモデル。最終決戦時にクレアシオンによって破壊されたはずのそのバイザーが、目の前に存在していた。

「…もちろん、高峰様が継続的にお使いになっていたものとは違います。あくまでプロトタイプですから、性能は多少劣りますね」

 続けられた中本の言葉を聞いて、高峰はようやく合点がいった。

 トラゼシオンの初陣のとき、あの時使われていたのは正規のバイザーではなかった。ハイパーモデルの大群に対抗するには被験者らだけでは力不足との判断から、まだ開発途中であったトラゼシオンの投入が急遽決定されたのだ。

 あの時高峰が使用したのが、このプロトタイプである。

未完成だったトラゼシオンを戦場に派遣するのには反対意見も多かった。ワールドオーバーの計画の実行段階において、あらゆる抵抗勢力を鎮圧する切り札となる最強の兵器―それが万が一にも戦いの中で失われる危険を冒すのはまずい、というのである。

高峰も彼らと同意見で、結局はトラゼシオンの開発段階で作られた試作機を使うことで意見の一致を得た。

 ハイパーモデルの殲滅には成功した。さらには、戦闘中に応用コードの開発にも成功した。トラゼシオンにはケルビムのシステムと連動した自動学習機能が組み込まれており、バイザー内に既存のデータ―六機のパワードスーツのコードの構成プログラムだ―を戦況に合わせて組み合わせることで最適なコードを構築できるようになっている。ハイパーモデルの駆逐に最も適していると判断された「神魔威刀」の威力を拡張、上位のコードとして完成したのが「オーバーツイスター」だというわけだ。

 その後、プロトタイプのバイザーが使用されることはなかった。ユーダ・レーボが壊滅しワールドオーバー社への敵対勢力が消滅すると、開発部はトラゼシオンの開発に勤しんだ。具体的には試作機で採取したデータをトラゼシオンの正規のバイザーへ転送し、立体映像を使った戦闘シミュレーションを行って他の応用コードも開発を進めた。試作機は用済みとなり、再び保管庫へしまいこまれた。

 その試作機は政府によるバイザー回収の手を逃れることに成功したらしく、今スーツケースの中で黒い輝きを放っている。

 中本は高峰に笑顔を向け、語りかけた。

「高峰様こそ、やはり我々のリーダーに相応しい…。私のアーマーエンペラーと貴方のトラゼシオンの力が合わされば、もはや敵はいません。今こそ立ち上がり、もう一度世界に革命を起こしましょう!」

 高峰は何かを考え込むように、しばし瞑目していた。中本がやや戸惑ったように返答を待つ。やがて目を見開いた高峰は、まっすぐに中本を見据えて言った。

「…君は、まだそんなことを考えているのかね」

 あまりにも意外な反応に、中本は何と返せばいいか分からなかった。その刹那に、高峰がスーツケースの中のバイザーを素早く掴み取る。

「……どういう意味でしょうか、それは」

 笑みを消した中本が、用心深く尋ねた。

「文字通りの意味だよ」

 対して高峰は、彼に厳しい眼差しを向けた。

「私はあの若者に教えられた…。人間の負の側面にばかり目を向け、人類という存在に絶望を感じていた私は、間違っていたと。私は自分の犯した罪を償い、彼らにこの世界を託そうと考えていた…」

 二つのバイザーを順番に両腕に押し当てる。固定バンドが伸び、五角形の黒い石板のようなそれがしっかりと装着される。

「だが君は違う。君は以前の私と同じく、幻の理想郷を追い求め、罪のない人々に多大な犠牲を課そうとしている。そんな真似は、私が絶対に許さない!」

 決意と怒りに満ちた視線を正面から受け止め、中本は芝居がかった動作でため息をついた。

「…非常に残念です。貴方は私たちの理解者だと思っていたのですが」

 そして、左腕に専用のバイザーを押し当て装着する。

「ギャラリーはどいていなさい。これは、非常に個人的な種類の戦いですから」

 中本は振り向かずにそう言い捨て、高峰と対峙した。

「―『トラゼシオン』」

「『インストール』、『オールフォーワン』!」

 灰色と黒を基調とした、稲妻のごとき紋様が体に刻まれた、大剣を携えた帝王。頭部からは角ばった四本の角が伸び、下部の突き出たハート形の漆黒のアイレンズが相手を睨みつける。全身に平行四辺形の黒い制御チップが埋め込まれており、蝙蝠の翼のように広がった肩のアーマーからは威厳が溢れ出ていた。

 十字架や、隆起した筋肉を思わせる紋様が体に刻まれた、戦斧を握る処刑人。背には、白のマントが吹き込む微かな風になびいている。

 トラゼシオンとアーマーエンペラーは静寂の中で武器を構え、一瞬間が空いたのち両者は激突した。


「―『ノアシステム』!」

 高峰が高らかに発声する。トラゼシオンとケルビムのデータベースが接続され、無限の知識への扉が開かれる。斧を水平に振るい斬りかかってきたアーマーエンペラーを、最小限のバックステップでこともなげに躱す。大振りな攻撃を放ち隙ができた中本へ、トラゼシオンは大剣オーバーソードを突き出した。

 ケルビムの演算機能により、相手の防御が間に合わないことは証明済みである。突き出された刃が腹部の装甲にクリーンヒットし、アーマーエンペラーは後退した。鎧の脇腹部分から、少量のスパークが散っている。

「たとえ莫大な量のエナジーを行使できても、攻撃が当たらないのでは意味がないのではないかね」

 高峰は皮肉を言い、戦斧を構え直した中本が忌々しげに首を振って言い返す。

「ならば命中させてみせますよ。…私の攻撃の軌道を読めても、回避するだけの時間がなければそれこそ無意味!」

 言うが早いか、アーマーエンペラーは全身に白いエナジーの光を漲らせた。続いて囁くように「クイック」を唱え、黒の処刑人は砲弾のごとく一直線に飛び出した。

「『テレポート』」

 しかしそれよりも早く、アーマーエンペラーの死角に瞬間移動したトラゼシオンが斬撃を叩き込んだ。背に強烈な一撃を受けたアーマーエンペラーが大きく吹き飛ばされ、壁に体を打ちつけられる。コンクリートの表面に、幾筋もの亀裂が入った。

 全エネルギーを高速移動の強化に充てていたため、中本にはアーマーをエナジーで覆い防御する余裕がなかった。すぐには体勢を立て直せない中本へ、高峰が悠然と迫る。

「ちっ…」

 中本は悪態を吐き、今度は全身の装甲へエナジーの光を巡らせた。ダークカラーのアーマーを修復すると同時に耐久度を極限まで引き上げ、追撃に備える。

「しぶといものだね」

 面倒臭そうに呟いた高峰は、もう一度アーマーエンペラーに斬りかかった。再度瞬間移動を発動し、中本の視界の範囲外から大剣を斬り下ろす。だが肩の装甲に傷は残らず、奇襲攻撃は決定打にはなり得なかった。

「…さあ、どうします?」

 素早く振り向き、ジャッジアックスで剣を撥ね退けた中本は、後ろに跳び距離を取ってから言った。

「貴方よりも私のバイザーの方が多くのエネルギーを行使できるということは、このまま戦いが長引いた場合、バイザーの機能停止に至るのは貴方の方が早いということですよ」

 彼の台詞は、基本コードを活用し手数で相手を圧倒しようとする高峰を暗に挑発するものだった。その程度の攻撃では勝敗を決するほどにはならないから、勝負に出てこいというのである。

 だがその誘いに乗っては勝機はないということを、高峰は理解していた。戦いの中で、アーマーエンペラーが以前より強さを増していることは実感している。保有しているアーマーソルジャーのバイザー全てからエナジーを吸収し使用できるアーマーエンペラーが、応用コードの威力でトラゼシオンに劣るはずがない。大技をかけようとすれば、それを逆用されて手痛い反撃を喰らうのがオチだ。

 かと言って、このまま細々とした一進一退の攻防を繰り広げても、不利になるのは自分の方だ。中本は痛いところを突いてきていた。

(…少しずつダメージを蓄積させ、一瞬の隙に応用コードで仕留める。それしかないようだ)

 プロトタイプゆえに、使用できる応用コードはたった一種類。それも、飛び抜けて強力なものではない。遠距離から繰り出したのでは、敵の応用コードに跳ね返されてしまうだろう。至近距離から放ち、その一撃で装着解除に追い込むより他になかった。

「…さて、どうしようか」

 高峰は心中を全く窺わせない声音で言うと、剣の切っ先をアーマーエンペラーへ向けた。


「鈴村さん!」

 研究所員の男が息を切らせて小会議室へ駈け込んで来たとき、鈴村は瀬川たちと浮かない顔で作戦を練っていたところだった―作戦といっても、高峰が解放された今奴らが次にどう動くだろうか、という極めて悲観的な予測を立てていただけではあったのだが。

「…何か?」

 顔を上げ聞き返した彼女に、男は緩みかけていたネクタイを直すのも忘れ、早口で伝えた。

「何者かがケルビムのデータにアクセスしています!」

「ケルビムのデータに……?」

 傍で聞いていた瀬川らも、「まさか」という表情を浮かべた。それをかつて容易に可能にし、自分たちを苦しめた最強の敵を知っていたからだ。

「…まさか、トラゼシオンですか?」

 恐る恐る、藤田がその名を口にする。

「分かりません。しかし、仮にそうでないとしても、他のパワードスーツが類似のコードを使っている可能性もあります」

 男の返答を聞き、鈴村はすぐに立ち上がった。

「…いずれにせよ、悪意を持っているかもしれない第三者にケルビムのデータを利用されたらたまらないわ。アクセスが途絶えるまで、ケルビムを再凍結させるわよ」

 男の後について鈴村が部屋を出ていく。ドアが静かに閉まり、はあーと今田がため息をついた。

「どうやってかは知らないけどよ、トラゼシオンまで出て来たんだとしたら世界は終わりだな」

「諦めるの早いよ!」

 二宮にツッコミを入れられてぶつぶつ言い始めている今田を横目でちらりと見ると、瀬川もおもむろに口を開いた。

「…一応、作戦がないこともないんだ。ただ、これで勝てるってわけじゃない。アーマーエンペラーは驚異的な修復能力を持ってる…あいつの再生速度を上回る勢いで攻撃を与え続けないと、全員で戦っても難しいかもしれない」

 瀬川は皆に、自分の考えを話した。次に奴らがどういう行動に出るであろうかということ、そしてその時にどう対処するかということを。

「なるほど…瀬川君頭いいね!」

「や、そんなことねえよ…」

 にっこり笑って二宮にそう言われると、やっぱり照れ臭い。一瞬だけ微妙なムードが流れたのち、今田は藤田の方を向いて思い出したように言った。

「そういえば前に言ってたよな、強化アイテムができるかもしれないとかなんとか」

「うん」

 それを聞き、瀬川は相棒の方へばっと向き直った。

「そういうことは早く言ってくれよ…」

「ごめん、完成してから言おうかと思ってたんだ」

 藤田は苦笑し、瀬川と二宮にもその強化アイテムの全貌を話して聞かせた。アーマーエンペラーとの戦闘データを分析し、その仕組みを自分たちのパワードスーツに応用できないか検討している最中だということも。

「そうか…ありがとな。それができたら、中本を倒す切り札になるかもしれない」

 話が終わると、瀬川は相棒に微笑んで言った。

「俺も手伝うからさ」

「私も!」

「俺もだ」

 二宮と今田も彼に続き、協力の意を表明する。皆は笑い合い、なんとしてでも彼らを止めることを改めて心に誓った。


 視界に表示されていた、予測される敵の攻撃パターンが突然消える。

(…何⁉)

 高峰は戸惑いを隠せなかった。

「……、『テレポート』!」

 斜め上から振り下ろされた斧の一撃がショルダーアーマーに命中する直前、トラゼシオンは基本コードを唱え終わった。まさに間一髪だった。ジャッジアックスが空を切り、トラゼシオンは十メートル後方の地点へ瞬間移動する。

「…おや、どうしました?急に動きのキレがなくなりましたね」

 中本はわざとらしく首を傾げ、馬鹿にするように言った。

「まさかとは思いますが…『ノアシステム』が機能しなくなったのではないでしょうね?」

 核心を衝かれ、高峰は咄嗟に言い返せなかった。この男は勘が鋭い―自分の秘書であったときもそうだった。

二人には知る由もなかったが、鈴村と彼女の同僚がケルビムを再び機能停止させたため、そのデータを利用して発動される「ノアシステム」も効力を失ったのだった。

「どうだろうね」

 曖昧な答えを返すのが精一杯だったが、それは相手の失笑を買うだけの結果に終わった。

 中本は仮面の下で不敵に笑い、全身に白い光を集め、迸らせた。地面を蹴り飛ばしたアーマーエンペラーが、グレーの鎧を纏いし皇帝へ挑みかかる。

 攻撃予測という最大のアドバンテージを失ったトラゼシオンは、一転して防戦一方となった。エナジーの出力を上げ、一撃の破壊力と俊敏性を最大まで高めた黒い騎士が、猛然と斧を振るい高峰を攻め立てる。

 高峰は適宜「テレポート」を使用して斬撃から逃れ、大きなダメージを負うことなく立ち回る。

「―そこだ!」

 エナジーをアーマーに蓄積し、高速移動を発動しているのと同じ状態にまで到達しているアーマーエンペラー。その装着者の五感は加速され、敵の動きに一早く対応できるようになっていた。斜め後ろにワープしたトラゼシオンへ、アーマーエンペラーはぱっと体の向きを変えて迫った。

(…避け切れない)

 戦斧を構え弾丸のように突進してくる敵を睨み、高峰は瞬時にそう判断した。この速さで接近されれば、コードを唱え終わるより先に攻撃を喰らってしまう。

 ゆえにトラゼシオンはオーバーソードを体の前に水平に掲げ、相手の繰り出した斬撃を受け止めようとした。

 多量の光を帯びたアックスの一撃が、大剣の刃へ激突する。あまりの衝撃に、剣を支える高峰の腕が震えた。押し負け、体勢を崩されないように必死で足を踏ん張る。

「笑止!」

 中本が、ジャッジアックスにさらにエナジーを注ぎ込む。光輝く戦斧はついにトラゼシオンの大剣を薙ぎ払い、がら空きとなった胴に鋭い斬撃を見舞った。

「……ぐっ」

 渾身の袈裟懸けをまともに受け、トラゼシオンのアーマーから火花が迸った。よろめき、後ずさる高峰に、アーマーエンペラーは容赦ない追撃を浴びせた。

「終わりです。―『カオスターミネート』!」

 白いエナジーの輝きと、対照的に死を象徴するような灰色のオーラを纏ったジャッジアックスが、力強く投擲される。二色の光を帯びた戦斧は高速回転しながら、トラゼシオンへと飛来した。

(あの技には追尾機能がある。たとえ瞬間移動を発動しても、避け切るのは困難か…)

 腹をくくった高峰は荒い息をつき、オーバーソードの柄を両手で握った。

「『オーバーツイスター』!」

 それは、プロトタイプが唯一使える応用コード。ハイパーモデルとの戦いの中、「ノアシステム」による連携機能で自動的に開発されたものだ。深緑の輝きが大剣の刃を包むと同時、トラゼシオンはオーバーソードを垂直に斬り下ろした。その動作と連動し、強力な真空の刃が生成され、撃ち出される。

 けれども、やはり破壊力でアーマーエンペラーを上回るのは叶わぬ望みだった。

 輝くジャッジアックスの刃が真空波と衝突し、一瞬でそれを弾き飛ばし霧散させる。回転しターゲットへ向かう戦斧の勢いは衰えることなく、変わらぬ速度で高峰へ迫った。

 防御する暇はなかった。

 唸りを上げて迫るアックスはトラゼシオンの胸部装甲を大きく切り裂き、内部機構を剥き出しにさせた。斬撃に沿ってスパークが飛び散る。

「無駄な足掻きでしたね」

 がくりと膝を突いた高峰を満足気に見下ろし、中本は手元に戻って来た斧を躊躇なく振り下ろした。

「―『テレポート』」

 しかし、その刃は空を切った。最後の力を振り絞るように、トラゼシオンが再度基本コードを発動したのだった。部屋の出入り口の前に現れたグレーの屈強なパワードスーツは、扉の前にいた元社員らを押しのけて脱出を試みた。

(私一人では敵わないか…ここは、一度退却すべきだろう)

 具体的に助けを求めるあてがあったわけではないが、かつて被験者だった若者たちなら自分のことを多少なりとも理解してくれるのではないか、という気がしていた。

「『ショックウェーブ』」

 右手を一振りして衝撃波を発生させ、裏切り者を通すまいと立ち塞がった男たちを吹き飛ばす。

 高峰が扉へ手を伸ばしたその時、プログシオンを装着したイズミがその背に斬りつけた。サーベルによる斬撃を受け、トラゼシオンがややよろめく。光学迷彩で気配を消していたためだろう、高峰は攻撃を察知できなかった。

「…行かせませン」

 ドアの前に回り込み、プログシオンが逃走経路を塞ぐ。サーベルの切っ先をこちらに向けている彼女を見て、高峰は焦燥に駆られた。

 「テレポート」は、視界に入っている範囲内にしか移動できない。したがって、プログシオンを無視し、視界に移らない「扉の向こう側」へと逃げることは不可能なのである。

 横からも迫る気配を感じ、高峰はそちらにも少し目を向けた。

「…君は」

 高峰はそれまで、元ワールドオーバー社員らの中に松浦が紛れていたことに気づいていなかった。松浦がコードを唱えアーマーを装着しつつ、こちらへ歩いてくるのを見て驚くのも当然の反応といえる。思わず、オーバーソードを構える手から力が抜けた。

「何故君がそちら側に…」

 エグザシオンは草薙之剣を両手で握り、静かに距離を詰めた。

「悪いが問答無用だ。『神魔威刀』!」

「…『ワイルドラッシュ』」

 強化アーマーを纏った二機のパワードスーツが、同時攻撃を放つ。真横から繰り出された真空波と、正面から放たれた紫の光の刃が灰色のアーマーを直撃した。

「ぐ、ああ……っ」

 近距離から放たれた連撃を回避する術はなく、大きく吹き飛ばされたトラゼシオンは背後の壁に強く全身を打ちつけた。

「うっ…がはっ」

 装甲越しにでも伝わる耐えがたい痛みに、高峰は呻いた。アーマーからは白煙が上がり、装着解除の一歩手前まで来ている。

「―二人とも、ご苦労様です」

 背を壁に擦りつけるようにして崩れ落ちたトラゼシオンの眼前に、ゆったりとした所作でアーマーエンペラーが屹立していた。エナジーを脚部に集中させることによる高速移動で、一瞬で間合いを詰めたのだろう。中本はイズミと松浦へ礼を言って下がらせると、フェイスアーマーの下で薄ら笑いを浮かべた。

「…『スマッシュ』」

 そして、出し抜けに基本コードを唱える。灰色の光に包まれたアーマーエンペラーの右足が蹴り上げられ、相手の腹部を捉えると、トラゼシオンの体は固い壁にめり込んだ。ついにアーマーの装着が強制解除され、トラゼシオンの装甲がエナジーへと還元される。

 中本が足を下ろすと、力尽きた高峰は床にうつ伏せに倒れ込んだ。細い指先を、ぴくぴくと震わせている。中本は先代のワールドオーバー社の指導者を憐れみをこめて数秒間眺め、おもむろに口を開いた。

「今の貴方は、私にとって不要な存在だ。…だが、かつての貴方は今の私をつくってくれた。それなりに感謝しています。…安心して下さい、命までは取りません」

 無感情に、素っ気なく処遇が言い渡される。中本は後ろを振り向き、部下へ呼びかけた。

「…イズミ、この人を拘束し、空いている部屋に放り込んでおきなさい」

「イエス」

「いいですか、丁重に扱うんですよ…人質の女と同じくらいには、ね」

 意地悪くイズミに笑いかけた中本を見て、松浦の瞳に激しい怒りの炎が宿りかけた。だがそれは刹那のことで、彼はすぐ負傷した社員の手当てへ回った。トラゼシオンが放った衝撃波を受け、軽傷を負った元社員が若干名いるのだ。

 中本はぐったりとしている高峰の両腕からバイザーを取り外して奪取すると、それらを再びスーツケースに収めようとした。その途中で手を止め、バイザーの黒い表面を見つめる。

 そのうちの一台は表面を深く抉られており、中のエナジーコアが損傷しているのが見て取れた。

「これでは使えないじゃないですか…もったいない」

 中本は残念そうに言うと、スーツケースを提げ、高峰をイズミに任せて歩き去った。以前社の技術部で働いていた者たちにバイザーの修復を頼んでみるつもりだったが、正直なところあまり期待はしていない。

 松浦はその後ろ姿に、しばし意味深な視線を向けていた。


「…私に、できなかったことを…彼らが、きっとやってくれる」

 後ろ手に縛りあげられている間、高峰はどこか遠くの一点を見つめ呟いた。

「…うるさイ」

 イズミは高峰の手足を縛り終えると彼の肩を掴み、舌打ちして思い切りその体を蹴り飛ばした。彼女は本気で腹を立てているように見えた。 


 三台の大型車は、エナジーコア平和利用研究所の真正面で停車した。コンクリート塀に囲まれた敷地内へ続く門へ、スーツ姿の多数の男女が無言で走り寄る。

 門の脇の詰め所に立っていた警備員は、彼らの姿を認めると不審そうに眉をひそめた。今日は、団体の訪問予定は入っていないはずだった。

「政府の許可のない立ち入りは禁じられています。許可証を提示願います」

 よく通る声でそう呼びかけると、先頭にいたショートヘアで色の白い女は彼を睨みつけた。射抜くような鋭い視線に、男はたじろいでしまった。

「…許可など必要なイ」

 イズミが吐き捨てるように言い、部下たちを振り向いて頷いた。それが合図だったのだろう。

「『インストール』」

 一斉にコードを唱え、元ワールドオーバー社員らの体が茶色の光に包まれる。迷彩柄のアーマーを装着した兵士へと変身した彼らは、腰から抜き放ったパワードガンを発砲した。

 放たれた焦げ茶の光弾が、鉄でできた門をあっけなく破壊し入り口をつくる。

 警備の男はあまりのことに数秒間硬直状態に陥っていたが、我に返り内線電話に手を伸ばした。ともかく、武装勢力の侵入を早く知らせなければならない。彼一人で対処できる事態ではないことは、火を見るよりも明らかだ。

 その時、内側からロックをかけていた詰め所のドアをこじ開け、一機のアーマーソルジャーが中へ押し入ってきた。刹那、頭部に強い衝撃を受け、警備員は意識を失って倒れ込んだ。途中まで押した回線番号はどこへも繋がらず、ピー、ピーと虚しく鳴り続けるのみであった。


 ワールドオーバーの残党たちの侵入を知り、瀬川と今田はバイザーを片手に外へ飛び出した。敵勢力が今にも研究所内のビルへ侵攻しようとしていたとき、二人は正面入り口から姿を見せたのだった。

 白のパーカーを着た意志の強そうな青年と、ワインレッドのジャケットを羽織ったホスト風の若者。二人に気づくと、軍勢を率いていた中本、イズミ、そして松浦は足を止めた。アーマーソルジャーたちもそれに倣う。

「わざわざそっちから出向いてきてくれるとはな。潰しに行く手間が省けたぜ」

「…相変わらず、威勢だけはいいようですね」

 挑発するように言った今田を、中本は軽く受け流した。

「ところで、装着者の残りの二人はどこです?」

「ちょっと到着が遅れてるだけだ」

 少し気になっただけだが、といいたげな調子で尋ねる中本に、瀬川は何でもないように答えた。

「―なぜ研究所を狙った。残りのパワードスーツを奪うためか」

 静かに瀬川が問う。少しでも長く問答を続けて、時間を稼ぐ必要があったからだ。中本は首を横に振った。

「奪えるならそれに越したことはないですが、私たちの目的は他にあります」

 そして視線を上げ、二人を代わる代わる見て言った。

「ケルビムの制御権を譲り渡してもらいたい。そうしていただければ、貴方たちに危害を加えることはありません」

 おそらく、中本は勘づいているに違いなかった。自分たちの拠点が早い段階で発見されたのも、刑務所を襲撃した際に迅速な対応を取られたのも、ケルビムのデータベースによる支援があってこそ可能だったという事実に。

 また、瀬川たちにはこの時知る由もなかったが、プロトタイプのトラゼシオンが「ノアシステム」を発動できたことも、今現在ケルビムが凍結を解除され、使用されていることを示唆するものだった。

「貴方たちは監視機能のみを使っているようですが、もちろん兵器としての制御権もです」

 淡々と続ける中本に、今田は食って掛かった。

「冗談じゃねえ。あんな危険な代物を、お前らに渡すわけねえだろ!」

「……交渉決裂、ですか。嘆かわしいですね」

 中本は大して残念そうでもなく言い捨て、右手をさっと上げた。その背後でアーマーソルジャーたちが武装デバイスを掲げ、戦闘態勢を取る。

「では、力づくで奪ってみせましょう」

「…させるかよ」

 瀬川がバイザーを左腕に押し当て、装着する。今田もそれに続いた。

「愚かな…たった二人で私たちに挑むなど、無謀にも限度というものがある」

 嘲笑う中本を、瀬川はきっと睨んだ。

「お前たちの相手は、俺たち二人で十分だ!…『クレアシオン』、『クリムゾン』!」

「『アンビシオン』、『アグレッシヴ』!」

 瀬川の肉体が純白の光に包まれて白の戦士へと変化した次の瞬間、その全身を炎の如きオーラが包む。それが風に散り霧散するようにして、紅の強化アーマーを纏った姿が現れる。胸部にはⅤ字と赤い稲妻の紋様、肩のアーマーは鳥の翼を思わせる。召喚した専用武装、クリエイティヴ・ランスの柄は真っ赤な赤に変わり、クレアシオンはそれを両手で握り締めた。

 同時に今田も、赤紫のアーマーに身を包んだガンマンへと変身する。チェック模様を基本パターンとしたその装甲の上に、黒い刻印が刻まれ漆黒の強化アーマーが装着される。さらに、両腕両足から鋭い棘のようなカッターナイフが何本も伸びる。右手に構えた拳銃型武装デバイス、アンビシャス・ライフルの銃身が、夕日を反射してきらりと光った。

 向かってくる何人ものアーマーソルジャーへ、クレアシオンとアンビシオンは果敢に立ち向かっていった。


 連射される焦げ茶色の光弾の雨をかいくぐり、敵との距離を詰める。アーマーソルジャーの胴を、クレアシオンは十字槍で薙ぎ払った。アンビシオンは横に跳んで銃撃を躱すと、拳銃から紅の光弾を放ってカウンターを決める。

「きりがねえな。手っ取り早く終わらせるぞ、瀬川!」

「ああ!」

 マスク越しに目で頷き合い、二人同時に高速移動を発動する。クレアシオンが赤の、アンビシオンがワインレッドのオーラを体に纏わせ、敵陣へと疾走する。

「…『神殺』!」

「『ブレード』、『エンドカッティング』!」

 燃え上がる炎に包まれたランスが、一際その先端を真っ赤に輝かせる。

 銃剣の刃が赤紫の輝きを帯び、煌々と光る。

 瀬川と今田がアーマーソルジャーの軍団の中を風になって駆け抜け、すれ違いざまに槍を、銃剣を斬り払って一閃を浴びせていく。高速移動の効果が終了したとき、二人の背後で迷彩柄のアーマーを装着した兵士たちは次々と力なく倒れた。装甲からはスパークが散っており、一人、また一人とアーマーソルジャーの装着が解除されていく。

 全ての装着者が無力化されるまで、さほど時間はかからなかった。

「君たちでは時間稼ぎにもならないか…まあ、いいでしょう。多少なりとも相手にコードを使わせておけば、バイザーが機能停止に陥るのもそれだけ早くなりますし」

 中本は地に伏した仲間たちを見ても、特別残念に思ってはいないようだった。彼にとって部下とは利用すべきものではあっても、愛情を注ぐほどのものではないのだ。

「では、私たちも行きましょうか」

 クレアシオン、アンビシオンから十数メートル離れた位置で向かい合い、中本がバイザーを装着した左腕を前に突き出す。イズミは彼の右に、松浦は左に並び立ち、それぞれバイザーを腕に巻き付けた。

「『インストール』、『オールフォーワン』!」

 戦闘不能となった元ワールドオーバー社員が身に着けている、アーマーソルジャーのバイザーから、多量のエナジーの白い光が溢れ出る。それは中本が変身した迷彩柄の装甲の戦士へと吸収され、一瞬の後に黒の鎧を纏った騎士が顕現した。

「…『プログシオン』、『エヴォリュート』」

「―『エグザシオン』、『エヴォリュート』」

 紫とエメラルドグリーンの光にそれぞれが包まれ、五角形の紋様を全身に刻んだ剣士と、和服を想起させるデザインのアーマーを装着した若侍が姿を現す。直後、プログシオンは全身のアーマーが堅固な白銀のアーマーへとヴァージョンアップされ、エグザシオンは陣羽織のような形状をした銀の強化アーマーを、羽織るようにして纏った。

「…アーマーエンペラーは俺が何とかする。松浦たちは任せた」

「了解!」

 三機のパワードスーツを前にしても瀬川は怯まず、今田に冷静に指示を出すだけの余裕を保っていた。今田が軽く頷く。

「―『ウイング』!」

 クレアシオンの背から純白の翼が伸び、瀬川は空へ飛び上がった。研究所の屋上が見えるくらいまで上昇すると、空中で十字槍を構え、一気に急降下する。標的はもちろん、アーマーエンペラーだ。

 中本が、召喚したジャッジアックスにエナジーを集中させ、その一撃を受け止めようとする。しかし落下の勢いを乗せて放たれた渾身の打突の衝撃は容易には殺し切れず、数メートル後退した。すぐさま脚部にエナジーの光を集め高速移動を開始、反撃を繰り出そうとするが、振り回した戦斧が届くより先に、クレアシオンは再度翼を広げ飛翔していた。

「なるほど。機動力を活かし、ヒットアンドアウェイを繰り返してダメージを蓄積させるつもりですか」

 中本は斧を構え直し、上空を見上げて独りごちた。

「ですが残念です…私の回復力の方が貴方の攻撃力よりも上なのは自明。そんな作戦は意味をなしません」

 くっくっと笑うのとほぼ同じタイミングで、先刻斧の柄についた傷に光が集まって修復が行われていく。

「それに、アーマーエンペラーは遠距離戦に不向きだというわけではない…『カオスターミネート』!」

 再び降下し、ランスを突き出した姿勢のまま猛突進してくるクレアシオンへ、アーマーエンペラーはジャッジアックスを投擲した。灰色と白の光を帯びた戦斧が、高速回転しながら標的へ迫る。

「…何⁉」

 瀬川は反射的に翼で姿勢制御を行って体を捻り、直撃は免れた。だが、胸部装甲に一撃を喰らい、飛行ユニットの片翼を打ち砕かれる。片翼の天使はバランスを失い、垂直に地上に落下した。ふらつきながらも槍を支えにして立ち上がった瀬川に、中本がにやにやと笑いかける。

「貴方一人など、敵ではない!」

 そして、残酷な微笑みを浮かべたまま斧を引きずるようにして持ち、クレアシオンへ近づいた。


 アンビシオンは光弾を連射したが、「クイック」を唱えたプログシオン、エグザシオンはそれを回避して瞬時に今田に接近してきた。

 二対一での接近戦。しかも、アンビシオンの使う銃剣に比べて相手の使うサーベルや刀は圧倒的にリーチが長い。状況はかなり不利だった。

 プログシオン、エグザシオンの連携攻撃が、今田を苦しめる。一方が斬りかかり、アンビシオンがそれに応じた隙にもう一人が畳み掛ける。そんな攻防が数度繰り返され、アンビシオンの胸のアーマーからは白煙が立ち昇っていた。

「…はあっ!」

「ヤア!」

 松浦とイズミが同時に繰り出した縦に斬り下ろす斬撃が、アンビシオンにクリーンヒットする。装甲から火花を上げ、よろめいて後ずさる今田に、二人は容赦なく攻めかかった。

「『サイレント』」

 光学迷彩の効果を使用し、姿を消したプログシオンがアンビシオンの死角へ回り込む。そしてサーベルを握る右手に力を込め、連続で突きを繰り出した。

「…『ワイルドラッシュ』」

 イズミの華麗な動きと同期して、紫の光の刃が次々と撃ち出される。呻き、吹き飛ばされた今田へ、松浦は体勢を立て直す暇を与えず追撃を加えた。

「『サモン』。―『神魔威刀・閃』!」

 白龍之弓を召喚し、狙いを定めその弦を引き絞る。生成されたエメラルドグリーンの光の矢が幾つもの矢へと分裂し、アンビシオンのアーマーへと嵐のように叩きつけられる。

「ぐ…ああっ」

 直撃を受け、さらに後方に吹き飛ばされた数秒後、アンビシオンの装着が強制解除された。悔しそうに歯ぎしりし、力を振り絞って立ち上がろうとする今田へ、イズミは憐れむような視線を向けた。そして、いいことを思いついたという風に松浦の方を見た。

「とどめはお前が刺セ」

「…俺が?」

 彼女の言葉は今田を戦慄させた以上に、松浦の心を揺さぶった。

「忠誠の証を示すいい機会だと思ってナ。奴を殺し、バイザーを奪エ」

「俺たちの目的はバイザーを奪取することだ。何も殺す必要はないだろう」

 さすがに躊躇いを露わにした松浦だったが、イズミは構わずに続けた。

「…やらないのならそれでもいいが、その代わりに人質の女の処遇を少し改めル」

 無論、悪い方に、という意味だろう。松浦は怒りに拳を震わせつつも、イズミに懇願した。

「頼む、それだけはやめてくれ…頼む」

 頭を下げた松浦を一瞥し、イズミは乾いた笑い声を上げた。

「それじゃ、この男を殺すということでいいんだナ」

「…っ、それは……っ」

 松浦に、友を斬って捨てるなどという真似ができるはずもなかった。愛する人の命か、共に戦ったかけがえのない友の命か―究極の二択を迫られ。松浦は葛藤した。

「黙って聞いてれば…」

 肩で息をしつつ、辛うじて再起した今田がプログシオンに向かって怒鳴る。

「やり方が汚ねえんだよ…このクズが!」

 今田にとってイズミは、どちらかと言えばタイプな女性だった。イズミの容姿が整っていないとは思ったことはなかったし、それどころか異国風の美しい顔立ちは十分に美人の部類に入る。普通ならば罵ることはなかったろう。松浦の心を弄ぶ彼女に激怒し、その意識をこっちに向けようとして言ってみただけのことだった。

 けれどもその乱暴な言い方は、イズミの高いプライドを著しく傷つけた―激高し、松浦を試すことを思考から吹き飛ばすほどに。

「うるさイ…今すぐ、その減らず口を二度と叩けなくしてやル」

 イズミは松浦の手から弓型武装デバイスを奪い取り、その弦を引き絞った。松浦が何かを叫び、彼女から白龍之弓を奪い返そうとしたが既に遅かった。 

 放たれた一本の光の矢は緑に輝き、今田の喉元近くまで迫っていた。今田の両目が、恐怖に見開かれる。


「…させない!」

 その直後、今田の前に一陣の風となって現れた一人の戦士がいた。

「……藤田!」

 テリジェシオンがダガーナイフで光の矢を叩き落とし、事なきを得る。ほっとした表情で言った今田に、藤田は振り向いて仮面の下で笑顔を作った。

「遅くなってごめん。ギリギリ間に合ったみたいだね」

「ひやひやさせやがって…」

 苦しそうに呼吸をしながら、今田が苦笑する。一方のイズミは戸惑いを隠さなかったが、やがて落ち着きを取り戻して言った。

「奇襲のつもりかもしれないが、来るのが少し遅かったナ。アンビシオンの装着者は、既に戦闘を続行できる状態になイ。貴様一人で何ができル」

 エグザシオンに弓を返すと、プログシオンはサーベルを上段に構えテリジェシオンへ斬りかかろうとした。

「…『パラライズ』!」

 その背後に、背中から黒い翼を伸ばした小悪魔が瞬間移動して出現する。雷撃を帯びた橙の光弾を連射し、背にそれを受けたプログシオンがバランスを崩して前に倒れる。

「何だト…⁉」

 麻痺効果に顔を歪めながら振り返ったイズミの目は、大きく見開かれた。だがその理由は、飛行ユニットを展開したアフェクシオンが数メートル離れた位置に立っていたからではない。

 その右腕に半ばもたれかかるようにして、森下葉月がそこにいたからだった。

「松浦君!葉月ちゃんは無事だよ!」

 状況を吞み込めず硬直しているイズミをよそに、二宮はエグザシオンへ呼びかけた。

「お前たち…まさか、最初からそのために」

 はっとしたように言う松浦に、藤田が頷いて答えた。

「二人に時間を稼いでもらっている間に、人質になっている森下さんを救出するために敵の本拠地に乗り込んでいたのさ」

「…瀬川の読み通りだったな」

 今田が不敵に笑い、続ける。

「お前らは次に、目下のところの障害になっているケルビムの制御権を奪おうと研究所にやって来る。俺たちがパワードスーツを用意して待ち構えてるであろうことを予測して、ほぼ全戦力を投入してくるはずだ」

「そもそもアーマーエンペラー自体、起動するには大量のアーマーソルジャーのバイザーが必要になるしね。必然的に、本丸の警備は薄くなるって算段だよ」

 作戦が成功し、勝ち誇ったように言う藤田に、イズミは怒りの色を見せた。

「貴様ラ…小賢しい真似ヲ」

 サーベルの切っ先を、憎々しげにテリジェシオンの胸の黒い強化アーマーへ向ける。

「―よそ見をしている場合か」

 しかしその瞬間、今まで沈黙を保っていた松浦が動いた。弓を投げ捨て、草薙之剣で猛然とプログシオンへ斬りかかる。

 イズミは知らなかったが、あの時トラゼシオン試作機のバイザーが破損したのは、高峰に追撃を加えた松浦がわざとしたことだった。瀬川たちの側に着いて戦えないのなら、せめてワールドオーバーの残党が使える戦力を少しでも減らそうと、真空波をバイザーに命中させたのだ。

 つまり、松浦は最初から、本心から中本たちに従っていたのではない―反旗を翻す機会を常に窺っていたのだ。

かろうじてサーベルで斬撃を受け止めたイズミに、松浦は静かに言った。

「森下の身の安全が確認できた今…俺に、お前に従う理由はない!」

 そう、森下を助け出すことのみをこの作戦は目的にしていたのではない―彼女を無事に解放し、松浦を再び味方につけて戦力増強を図ることで、アーマーエンペラーに対抗するのが狙いだったのだ。

 エグザシオンが力任せに刀を振り払い、プログシオンを押しのける。松浦は後ずさるイズミを見、そしてアフェクシオンにもたれかかっている愛する人を見た。その表情はやつれていて、唇からは微かに血が滲んでいる。ワールドオーバーの残党たちに酷い仕打ちを受けていたことは想像に難くなかった。

「彼女を痛めつけた貴様だけは…絶対に許さない!『神魔威刀・連』!」

 草薙之剣の刃を、エメラルドグリーンの眩い光が溢れんばかりに満たす。縦に斬り下ろされ繰り出された斬撃のモーションと連動し、三本の強烈な真空の刃が撃ち出される。

「小癪ナ…『ワイルドラッシュ』!」

 イズミは吠え、対抗して応用コードを唱えた。素早くサーベルを突き出す動作に合わせ、紫の光の刃が放たれる。

 しかし、それらは皆真空波と激突し虚しく散った。

 エグザシオン最強の技の威力は、それしきで殺し切れるものではない。

 三筋の風の刃がプログシオンの装甲を捉え、切り裂き、何メートルも吹き飛ばす。研究所の外壁に強く体を打ちつけるのと同時に、プログシオンの装着が解けた。

 気を失っているイズミへ歩み寄り、エグザシオンはその左腕からそっとバイザーを取り外した。

 四人が装着を解除する。松浦は藤田、二宮、そして森下の方を振り向き、躊躇いがちに言った。

「皆、すまない。何と礼を言えばいいのか…」

「礼なんていいんだ」

 今田が首を振って言う。

「松浦は悪くねえ。悪いのはワールドオーバーの残党だ」

「だが、俺は森下を助けたいと思うあまりお前たちと敵対してしまった。…俺がもっと早くに何とかできていれば、こんなことには…」

「…松浦!」

 自嘲気味に語る彼に、不意に森下が呼びかける。

「私のことはいいの。松浦が一生懸命頑張ってくれたのは、私が一番よく知ってるから…それより、早く瀬川のところへ行ってあげて」

「―ああ、分かった」

 松浦はそう言うと、彼女の元へゆっくりと近づいた。森下の華奢な体をそっと抱き締め、背中に優しく手を回す。抱擁を解くと、彼は皆の方を向いて言った。

「森下を救出する作戦を立てたのは、瀬川だということだったな。ならば俺には当然、瀬川に報いる義務がある―もちろん、皆にもだ。俺は中本を倒す…そして、瀬川にも報いてみせる」

 力強く言い切った松浦に、今田、藤田、二宮、森下はうんうんと首肯した。

「私も戦う。せっかくプログシオンが戻ってきたんだし」

 疲労を隠せていないにもかかわらず決意を示した森下に、二宮は当然ともいえる気遣いを見せた。

「…葉月ちゃん、体は大丈夫なの?あんまり無理しないでね」

「大丈夫。ここまで来る途中、千咲から甘い物もらって元気出てきちゃった。短時間の戦闘ならいけるわ」

 にこっと森下が微笑み、束の間一同を安堵させた。

「よーし…行くよっ!」

 二宮が元気よく号令をかけ、残りの面々がそれに答えるように拳を掲げた。


 戦斧を引きずり、アーマーエンペラーがダメージを負ったクレアシオンへ迫る。

 そこへ駆けつけたのは、瀬川が最も信頼している四人の戦士だった。

「―『エグザシオン』、『エヴォリュート』!」

「『プログシオン』、『エヴォリュート』!」

「…『テリジェシオン』、『トゥルーナレッジ』!」

「『アンビシオン』、『アグレッシヴ』!」

「『アフェクシオン』!」

 エメラルドグリーン、紫、紺、ワインレッド、黄色と橙の光にそれぞれが包まれ、五人がパワードスーツの装着を完了した。瀬川の後ろに並び立ち、今田と二宮が光弾を連射して相手を牽制する。

「プログシオンを奪還されただけでなく、貴方もそちら側に回るとは…これは少々想定外ですね」

 中本はバックステップで銃撃を躱すと、エグザシオンのアイマスクを一瞥して言った。が、興味がないというようにすぐに視線を外し、六機のパワードスーツを見回す。

「…決着をつけよう。お前を倒し、平和を取り戻す!」

 対して瀬川は、十字槍で体を支え、しっかりと足を踏みしめて、中本を挑むように見つめた。中本はそれを聞くや否や馬鹿にしたような笑い声を上げ、両手で斧の柄を強く握り締めた。

「…思い上がりも、いい加減にしてくれませんかね。貴方たちのような雑魚が……」

 アーマーエンペラーは天を仰ぎ、両腕を大きく広げた。離れた位置に倒れているワールドオーバーの元社員らのバイザーから、光が溢れ出てくる。それらは混ざり合い、一筋の白い光の奔流へと変化した。アーマーエンペラーの黒い装甲に、その莫大なエネルギーが吸い込まれ、蓄積されていく。

「…私に敵うわけがないでしょう!」

 全身の隅々までにエナジーを行き渡らせ、中本は獣のように咆哮した。白い輝きを纏った闇の騎士の叫びが轟き、辺り一帯の空気を振動させる。

 エネルギーをフルチャージしたアーマーエンペラーが、瀬川たち六人を迎え撃つ。

 真の最終決戦の火蓋が、今斬って落とされた。


 斧を振り上げ突進するアーマーエンペラーに、アンビシオン、アフェクシオンが光弾を浴びせる。中本はエナジーで装甲の強度を上げそれを無効化すると、二人へ迫った。

 そこに割り込むようにして、エグザシオンとプログシオンが立ちはだかる。草薙之剣、プルーブサーベルをそれぞれ掲げ、松浦と森下は中本の放った斬撃を受け止めた。

「…『神殺・槍投』!」

「『オートバイオレンス』!」

 そこに、アーマーエンペラーの死角に回り込んだ瀬川と藤田が同時攻撃を仕掛ける。蒼炎に包まれた十字槍が投擲され、浮遊し紺のオーラを纏った二本のダガーナイフが高速で飛行する。エグザシオン、プログシオンが素早く後ろに飛び退き、応用コードの効果範囲に巻き込まれるのを避ける。

「ちっ…」

 中本はエナジーを使い高速移動して躱そうとしたが、精密に照準された攻撃を躱し切ることなど不可能。投げつけられた蒼い十字架が胸部のアーマーを強く突き、刹那、宙を舞う短剣が全身の装甲に幾度も突き立てられた。アーマーエンペラーが数メートル後ろへ吹き飛ばされる。けれども、その装甲の抉られた部分には早くも白い光が集まり始めていた。

「『サンライズシュート』!」

「…『ジエンドバースト』!」

 敵に回復の隙を与えては、勝機はない。二宮と今田は、すかさず追撃を繰り出した。アフェクシオンのヒーリング・ハンドガンから太陽のように燃える灼熱の火球が、アンビシオンのアンビシャス・ライフルから紅の破壊光線が放たれる。エナジーをダメージの修復に充てていた中本は、すぐにその用途を脚力強化による回避に切り替えることができなかった。二人の拳銃型武装デバイスから撃ち出された、アフェクシオン、アンビシオン最強の技を、アーマーエンペラーはまともに喰らう形となった。

「小賢しい」

 中本は吐き捨て、体を打ちつけられた建物の外壁からゆっくりと身を起こした。超高熱の光弾が直撃したはずだが、漆黒の鎧はほとんど熱を発していない。

「貴方たちの使えるコードなど、既に分析済み…たとえアーマーを融解させるほどの高温でも、事前にエナジー操作で装甲を冷却しておけばいいだけです」

 ジャッジアックスを構え直し立ち上がったアーマーエンペラーに、松浦、森下は二人に続いて畳み掛けた。

「ならば…『神魔威刀・連』!」

「『ワイルドラッシュ』!」

 エグザシオンがエメラルドグリーンの輝きに満ちた刀を斜めに斬り下ろし、プログシオンがサーベルを素早い動作で前に数度突き出す。それらの動作に呼応して、三本の真空の刃、紫の光の刃が壮絶な勢いで撃ち出された。

「『デスブレイク』!」

 対するアーマーエンペラーも応用コードを唱え、灰色のオーラを戦斧に纏わせる。そこへ大量のエナジーを流し込み破壊力を極限まで高め、中本が斧を横一文字に振るう。アックスから放たれた莫大なエネルギーが二種の応用コードによる攻撃を薙ぎ払い、さらには余剰の衝撃波が二人を襲った。

「―『ガード』!」

 咄嗟に松浦が基本コードを唱え、緑に光るバリアを展開する。辛うじて衝撃に耐えたものの体勢が崩れ、隙が生じた二人へ、アーマーエンペラーは今度こそ引導を渡すべく疾駆した。中本はフェイスアーマーの下で狂気じみた笑みを浮かべ、ジャッジアックスを振り上げた。

「……『神殺・紅蓮』!」

 だが次の瞬間、アーマーエンペラーは無防備に天を仰ぐより他になかった。

 いつの間にか飛行ユニットを再展開し高く上昇していたクレアシオンが、一気に急降下して渾身の突きを放ったのだった。

 背中の真っ白な翼を大きく広げ、両手に握った炎の如きオーラを纏った十字槍の先端が一際赤く輝く。

 回避する間もなく、赤く燃えるランスが黒き騎士の胸に深々と突き立てられる。一点に破壊力を集中させるクレアシオンの応用コードは、局所的に絶大なダメージを与えることをも可能にする。さすがの中本もこれは無効化できず、アーマー越しに伝わる痛みに呻いた。

 瀬川が槍を引き抜き、アーマーエンペラーの体を蹴って後ろに跳び退る。背中から伸びる純白の翼が光の粒子へと還元され、クレアシオンが静かに着地するのと同時に、アーマーエンペラーは大爆発に包まれた。


「…やったか⁉」

 松浦は期待を隠さなかった。それは、その場の全員の心情をおそらく代弁していただろう。

 しかし、爆炎の中から姿を現したのは、装着を解除された中本ではなかった。もうもうと立ち昇る黒煙の外へ歩み出たアーマーエンペラーは、無傷と言っても過言ではなかった。

「…勝った、と思いましたか?無駄な期待を抱かせたのだとしたら、申し訳ありません」

 嫌味たっぷりに言い放ち、引きずっていた戦斧を両手で持つ。アーマーエンペラーの修復能力の高さに戦慄すら感じ、各々の武装を構えた瀬川たちに、中本は嘲笑うように言った。

「結局、貴方たちごときでは私には勝てない。いくら攻撃しようとも、無限に等しいエネルギーを行使できる私の再生速度の方が上ですからね。さて…」

 そこで一旦言葉を切り、アーマーエンペラーの黒い台形のアイマスクが舐めるように六人を見回した。

「あれだけ高威力のコードを連発したんですし、これ以上戦闘が長引けば、貴方たちのバイザーが機能停止に至るのももはや時間の問題のはず。私の勝ちだ…ははは…ははははは!」

 勝ち誇った笑い声を上げる中本に、着地した姿勢からすっくと立ちあがった瀬川が、俯き、静かに言った。

「そうだよな…やっぱり、これじゃあ削り切れねえよな」

 笑いを収め、中本が彼に怪訝な視線を向ける。瀬川はその漆黒のアイマスクを、闘志を露わにまっすぐ見返した。

「だったら…俺たちが創った切り札で、お前を倒す!」

 そう言い、瀬川は右腕に装着した小型のバイザーを前に突き出した。いや、小型という表現は適切ではない―中本はそれまで気づいていなかったが、それは通常のアーマーソルジャーのバイザーよりも一回りほど大きかった。元々クレアシオンが使用していたものを改良し、より大きなエナジーコアを搭載できるようにしたものだった。

「―『ダブルフォーワン』!」

 瀬川がコード名を高らかに唱える。

「まずは…『テリジェシオン』。相棒、力を借りるぜ」

「…ああ!」

 クレアシオンの後方で、藤田が頷く。次の瞬間、テリジェシオンの装着が解除された。光の粒子へと還元されたアーマーはしかし、装着者のバイザーへは吸収されず、クレアシオンの白と紅の装甲へと吸い込まれていく。クレアシオンの全身が徐々に、炎のように揺らめく紺色のオーラに包まれた。

 特殊コード「ダブルフォーワン」は、アーマーエンペラーの使う同種のコード「オールフォーワン」のデータを解析し、その仕組みを瀬川たちのパワードスーツへ応用したものだ。使用者は、任意のパワードスーツの力を自分のスーツに採り入れることが可能になる。

 紺の炎を纏ったクレアシオンを見ても、中本はさほど動じた様子を見せなかった。

「なるほど、アーマーエンペラーのコードを応用しましたか…ですが、そんな小細工は通用しない。一足す一が二になったところで、エネルギーの総量は同じ…所詮、私に敵うはずがない!」

 アーマーエンペラーの全身に白い光が漲り、さらに中本が「クイック」を唱える。最大の移動速度を発揮した黒い処刑人は斧を掲げ、風を切り、クレアシオンへ猛突進した。

「『クイック』!」

 対して、瀬川も高速移動を発動する。大振りな動作で斬りかかったアーマーエンペラーの斧の柄を、クレアシオンは槍の先端で弾き飛ばし、攻撃を防いだ。

「何故だ…あり得ない!何故、私のスピードについてこれる⁉」

 中本が横に跳んで距離を取り、理解できないというように喚く。

「教えてやるよ。今の俺は藤田と一体…テリジェシオンの速度を、クレアシオンへ上乗せしているからだ!『ウイング』!」

 クレアシオンの背から白き翼が伸び、十字槍を構え直した瀬川が敵へと疾駆する。高速移動の効果時間は、まだ終わっていない。加えて、飛行ユニットの生み出す推進力がクレアシオンにさらなるスピードを与える。

中本はジャッジアックスでその打突を受け止めようとしたが、神速で迫るクレアシオンの攻撃を止めることはできなかった。ランスの先端が斧の刃を躱し、胸部装甲を強く突く。

「ぐっ…」

「―『チェンジ』!」

 続けて、瀬川はクリエイティヴ・ランスを短槍形態へ変化させた。リーチが短くなった分扱いやすくなった十字槍を巧みに扱い、突き、払い、振り上げ怒涛の連続攻撃を繰り出す。アーマーエンペラーはこれには対処できず、装甲から火花を散らして後退した。

「次は…『プログシオン』!」

 瀬川がコードを発声し、同時にクレアシオンの体から紺の光が離れ、テリジェシオンのバイザーへ戻っていく。代わりに、今度は森下の装着が解け、クレアシオンのアーマーを紫の光が包む。戦いで消耗し、ふらついた森下を、エグザシオンが優しく抱きとめる。

「…図に乗るな!」

 体勢を立て直したアーマーエンペラーが、戦斧を横に振るいクレアシオンへ斬撃を浴びせようとする。

「『サイレント』!」

 だがそれが命中する前に、瀬川はコードを唱え終えていた。光学迷彩が発動され、クレアシオンの姿がかき消える。

「何⁉」

 目標を失い、アックスが空を切る。中本は動揺を隠せず、辺りを素早く見回した。

「―『ワイルドラッシュ』!」

 けれども、見えない敵からの攻撃を防御するにはそれでは不十分だった。真横に現れたクレアシオンがランスを数度連続で突き出し、紫の光の刃が複数撃ち出される。中本は咄嗟に右腕で体を庇ったが、光の刃の直撃を受けて大きく吹き飛ばされた。そのアーマーからスパークが迸る。

(他のパワードスーツのコードをも使えるだと…⁉)

 中本は荒い息をつきながら、驚愕を露わに瀬川を見た。その瀬川はランスを横へ投げ捨て、次のコードを唱えたところだった。

「…『エグザシオン』、『サモン』!」

 クレアシオンの装甲をエメラルドグリーンの光が包み、その右手の中に草薙之剣が現れる。

「喰らえ!」

 アーマーエンペラーが左手にエナジーを集め、それを光弾として撃ち出す。クレアシオンは再度飛行ユニットを展開しそれを回避すると、空高く上昇した。

「森下を痛めつけ、松浦の思いを利用したお前を…俺は絶対に許さない!『神魔威刀・斬』!」

 緑色の輝きに満たされた草薙之剣の周りに真空空間が形成され、斬撃の破壊力が限界まで高められる。剣を構え急降下したクレアシオンは滑空し、すれ違いざまにアーマーエンペラーの胴へ斬りつけた。その一閃が黒き装甲へ亀裂を走らせたが、優れた修復能力がそれをカバーし、装着解除を免れる。

「馬鹿な…この私が押されているだと⁉」

 斬撃のダメージまでは無効化できず、中本が片膝を突く。回復が完了するより早く、瀬川はコードを発動した。

「『アンビシオン』、『サモン』!」

 赤紫の炎に覆われたクレアシオンが、アンビシャス・ライフルを召喚する。その銃口を相手へまっすぐに向け、瀬川は叫んだ。

「これが俺たちの絆の力…仲間を信じることを知らないお前には、手にできない力だ!『ジエンドバースト』!」

 拳銃型武装デバイスが火を噴き、ワインレッドの破壊光線が放射状に放たれる。効果範囲が広いため、回避は不可能。光線を喰らったアーマーエンペラーが、装甲から白煙を上げて吹き飛ぶ。

「…『アフェクシオン』!」

 瀬川が最後のコードを唱えた。クレアシオンのアーマーを、赤紫ではなくオレンジ色のオーラが包み込む。装着の解けた二宮は両手を体を前で組み、祈るように瀬川を見ていた。

(大丈夫だ…必ず勝つ)

 瀬川は横目で彼女を見て、軽く頷いた、それからすぐに相手へ向き直り、純白の翼を再び大きく広げる。

「これでフィニッシュだ…『クイック』、『スマッシュ』!」

 空高く舞い上がったクレアシオンの両足に、紅と黄色の光が纏わされる。さらに、体全体をも同色のオーラが包む。それはまさに、クレアシオンとアフェクシオンが一体となったことの象徴のようであった。やがてクレアシオンが上昇を止め、翼を広げアーマーエンペラー目がけて右足を突き出した姿勢で降下する。超高速で放たれた渾身の跳び蹴りを前に、中本は一歩も引かなかった。

「…『カオスターミネート』!」

 グレーとホワイトに彩られたジャッジアックスが勢いよく投擲され、回転してクレアシオンへと迫る。追尾機能を備えた必殺の一撃は、その胴体を間違いなく捉え致命傷を与えたはずだった―クレアシオンが、通常の装備であったのならば。

「―『ワープ』!」

 戦斧の刃が届く一瞬前に、瀬川がコードを発動し、刹那クレアシオンの姿が消える。アーマーエンペラーの右斜め上に現れた瀬川が、その胸にオーラを纏ったキックを叩き込む。中本がよろめき、アーマーにスパークが走る。

「『ワープ』!」

 すかさず瀬川が再度同じコードを唱え、今度は左斜め上から跳び蹴りをヒットさせる。同じ要領で何度も何度も瞬間移動し、右上から、横から、後ろからとあらゆる角度からキックを見舞った。赤と黄の火炎を纏いし両翼の天使が放った一撃が、次々に命中する。

 全ては、基本コードのほんの僅かしかない効果持続時間が切れるまで、そして、投げつけられた戦斧が虚しい金属音を立てて地に落ちるまでの一瞬の出来事だった。その刹那に、勝負は決した。

 「スマッシュ」の効果が終了したクレアシオンが、キックを繰り出した姿勢を保ったまま静かに着地する。

 その直後、アーマーエンペラーの全身から、収まりきらなかったエナジーがどっと溢れ出し、アーマーソルジャーのバイザーへと還元されていった。ついに蓄積されたダメージの大きさが回復速度を超え、エナジーによる修復が追い付かなくなったのだ。

 黒き処刑人の全身の鎧にスパークが走り、激しい爆発に包まれた。

 漆黒のアーマーが砕け散り、強制的に装着が解除される。それに伴って、ジャッジアックスも光となり消えた。アーマーエンペラーのバイザーが腕から外れ、ごとりと地に落ちる。

「こ、んな…はずでは……」

 中本は焦点の合わない目でどこかを見つめて呟き、膝から崩れ落ちた。警戒したまま近寄ってみると、気絶していると分かる。

 瀬川はふうと大きく息をつき、装着を解いた。クレアシオンのアーマーが白い光へと戻り、バイザーの中へ収納される。

 顔を上げると、仲間たちが笑顔で駆け寄ってくるのが見えた。二宮なんかは、両手をぶんぶん振って満面の笑みを見せている。

 瀬川も笑って彼らに手を振り、中本の側にあったアーマーエンペラーのバイザーを拾い上げた。研究所に厳重に保管されるべきものが、また一つ増えた。これが軍事目的でなく、科学の発展のために使われることを祈る。

(ようやく、終わったんだな…)

 あとはワールドオーバーの残党たちを拘束し、法の裁きを受けさせるのみだ。そこは瀬川の専門外だが、警察が上手くやってくれるだろう。この国の警察は、今も昔も優秀なのだ。

 やっと訪れた平和の味を、瀬川たちは目一杯噛みしめようとしていた。


 鈴村がすぐに警察に通報し、駆けつけた警察官たちが倒れたワールドオーバーの元社員らを引き立てて行った。中本ももちろん、その中に含まれていた。

 両脇から屈強な警官に支えられ、ぐったりした様子で頼りなく歩いていく後ろ姿を、瀬川たちは研究所の窓から見ていた。十中八九、彼にはより重い刑罰が科されることとなるだろう。彼には高峰の描いたような理想に囚われるのではなく、もっと大勢の人々を幸せにできるような方法で理想郷の実現を目指してほしい―瀬川はそう願った。 

「…よかったね、瀬川君」

 窓際から外の様子を眺めていた一同。小柄な二宮はててっと瀬川の傍へ歩み寄り、にこっと微笑んだ。二つに分けて結んだ髪が揺れ、可憐な表情で瀬川を見つめる。

「…ああ。これで一件落着だ」

 瀬川も笑みを返す。ケルビムを再び凍結したりと面倒な事務手続きはまだ残っているが、全ての戦いは終わった。ワールドオーバーの海外支店には、すぐにでも諸外国が捜査へ向かうとのことだ。万が一未回収のバイザーがあれば押収し、もう二度とエナジーコアが軍事利用されることがないようにしなければならない。

 護送車にワールドオーバーの残党たちを乗り込ませ、警察が立ち去っていったのはその約一時間後だった。

「皆、本当にご苦労様。そして、ありがとう」

 改めて協力に感謝した鈴村に、元被験者の面々は「どうってことないさ」などと口々に謙遜の言葉を述べた。

「仕事などの都合もあるのに無理に集まってもらって申し訳なかったわ。ささやかだけど、政府から感謝のしるしとして給付金が支給されるそうよ」

「よっしゃ!」

「…そこはポーズだけでも遠慮しろ」

 あからさまに喜んだ今田に、松浦が苦笑して言う。一時の対立はもう解決し、六人の絆は既に取り戻されていた。

「俺はいいよ。別に、見返りが欲しくて戦ってたわけじゃないし」

 空気を読んで辞退しようとした瀬川だったが、

「駄目だよ!瀬川君の書く本、売れたり売れなかったりでしょ?こういうのは、貰える時に貰っておかないと」

頬を膨らませて抗議する二宮には勝てず、すぐに折れた。苦笑いし、鈴村の差し出した契約書にサインする。やや辛辣な言いぐさには閉口するが、まだ一流の作家には程遠いのは事実だ。

 衰弱気味の森下は治療費としても受け取ると決め、結局は全員が僅かながらの報酬を受け取ることとなった。

(…今回の戦いも、今までと同じように記録に残しておこうか)

 サインするのに使ったボールペンをペンケースにしまい込みながら、瀬川はふと考えた。少し前にノンフィクション作品として発表したものはかなりのヒット作になり、結果として瀬川の作家としての知名度を上げてくれた。

 だが、売れることを狙って書いたのではない。そうするつもりはないのは、今回も同じだった。世界の命運を賭けて戦った自分たちを英雄として美化して描き、有名人になるつもりも毛頭なかった。

 ただ、「書かなければならない」という義務感に突き動かされて書くのだ。エナジーコアという未知の力と最初に遭遇した自分たちだからこそ、そのエネルギーの可能性と負の側面をどちらとも後世に伝えなければならない―ずっと昔、まだ自分が人工冬眠に入る前、第二次世界大戦を経験した人々が戦争の恐ろしさを語り継いでいこうとしていたように。

 

 ワールドオーバーの残党が本拠地として利用していた廃工場に、警官隊は突入してきた。先刻、テリジェシオンとアフェクシオンによって見張りは無力化されている。抵抗を受けることなく警察は中へ入り、十数名の残党を拘束した。

 密室に近い部屋に軟禁されていた高峰も、やがて扉が開けられ、外へ引きずり出された。

「ワールドオーバー社元代表取締役社長、高峰頂一郎だな」

 眉間にしわを寄せた中年の警部が、手足を縛られた彼を見て言った。何故指導者の立場にいるはずの高峰がこのような扱いを受けていたのか、警部には解せなかった。

(…まあ、取り調べを進めれば誰かが口を割るだろう)

 これだけ元社員がいれば、一人くらいはそれについて情報提供してくれるに違いない―彼はそう楽観した。部下に命じて高峰の手足を縛るロープを切らせ、代わりに手錠をかける。

「事情は署で聞こう。同行を願う」

 警部が低い声で言うと、高峰は無言で悠然と頷いた。また永遠に等しい獄中生活が幕を開けようとしていたが、高峰の表情は落胆しているように見えなかった。そのことも、警部には不思議だった。

(警察がここに来たということは…あの若者たちが、上手くやってくれたようだね)

 高峰自身は、今後完全に社会の表舞台からは身を引くこととなる。終身刑であるため、日の光を浴びることももしかするとほとんどないかもしれない。

 それでも、彼は未来に希望を持っていた。

(彼らに任せられるのなら、私には何の心配もない…未来を頼んだよ。君たちの力で、エナジーを正しい目的のために使ってくれ。そして、私にできなかったことを成し遂げてほしい…)

 警官に立たせられ、護送車へ向かい歩かされながらも、彼の表情はどこか晴れやかだった。

 

 研究所では、再び別れの時が近づいていた。名残を惜しみたいのはやまやまだが、それぞれの日常に帰らなければならない。それに明日は平日であり、各々のこなすべき仕事がある。遅くまで語らうわけにもいかなかった。

「…ま、無事に済んでよかったじゃねえか」

 今田は雑な感想を述べると、他の面々より一足先に自動ドアを抜けて出て行った。人と会う予定があるらしいが、大方デートの計画でも立ててあったのだろう。誰よりも早く集合し誰よりも早く帰っていく彼は、彼らしく人生を楽しんでいるように見えた。

「また、会えるといいね」

 藤田も、自宅が研究所から遠いため少し早めに帰ることとなった。瀬川と握手し、必ず再会することを誓うと、バス停への道を急いでいく。

「今回の件では、世話になった。感謝してもしきれない。いずれ、何らかの形でこの恩は返そう」

 松浦が森下の手をそっと取り、二人は連れ添って小会議室から退出した。廊下に出ると、森下は周りを見回して人目がないのを確認し、出し抜けに松浦にぎゅっと抱きついた。彼はやや驚いた様子だったが、すぐに森下の柔らかい肉体に腕を回し、抱き締め返した。

「よかった…もう、会えないかと思った」

 仲間たちの手前、堪えていた言葉が、涙が、ぽろぽろと零れだす。森下は抱き合ったまま、声を殺して泣いた。体が小刻みに震えている。

「辛い思いをさせて悪かった…もう、二度と離さない。葉月は、俺が必ず守ってみせる」

 松浦は背中を優しくさすり、耳元でそう囁いた。

 森下の震えが止まり、涙に濡れた頬が徐々に乾いていく。ゆっくりと抱擁を解き、潤んだ瞳で松浦を見つめて微笑んだ。松浦も微笑を返し、衰弱状態から回復しきっていない彼女の負担を少しでも減らそうと、手を差し出した。

 二人は手を取り合い、新しい生活への一歩を踏み出すべく階段を下り始めた。踊り場の壁に設けられた小さな窓から月明かりが差し込み、二人の未来を明るく照らしていた。


 結局、最後に部屋を出ることになったのは瀬川と二宮だった。六人の中では比較的家が近いこともあり、鈴村と少々思い出話に耽ってしまったのだ。

 その鈴村はもう少し研究所に残り、書類を片付けてから帰ると言う。

「いつか皆の都合が合うときに、食事にでも行きましょう。今回はどたばたしちゃって、余裕がなかったけれど」

 まだ急に召集をかけたことを申し訳なく思っているのか、鈴村はもじもじとそう提案した。

「…はい、是非誘ってください」

 瀬川はそれに笑顔で答え、軽く一礼して退出した。二宮もそれに倣い、後に続く。

 高く頑丈な塀に囲われた研究所を出て、バス停まで少し歩く。ちょうどやって来たバスに乗り込むと、瀬川と二宮は後方の座席に隣り合って座った。

「…ねえ、瀬川君」

「…どうした?」

 研究所が郊外にあることもあり、乗客はまばらだった。バスが発車して間もなく、二宮が右隣りの瀬川に話しかける。

「久しぶりに戦ったらおなか空いちゃった…何か甘い物食べたいな~」

「この前カフェに行ったばかりだろ」

 瀬川が苦笑して返す。二宮はむうと頬を膨らませた。

「臨時収入が入ることになったんだし、少しくらいはいいでしょ」

 抗議するような視線に耐えかね、瀬川は首を縦に振ることにした。

「…まあいいか。ささやかな祝杯を上げることにしよう」

「やったっ!」

 その言葉を聞いた瞬間、二宮は満面の笑みを浮かべ小さくガッツポーズした。瀬川は微笑し、それを眺めている。

「……瀬川君、今私のこと子供っぽいって思ったでしょ?思ったよね?」

 ガッツポーズをした右手を下ろし、二宮が微妙な表情でこちらを見つめてくる。

「―いや、可愛いなって思っただけだ」

 愛しくて、美しくて直視できない。照れ気味に視線を瀬川が落としたのとほぼ同時に、二宮は真っ赤になった。

「…も、もうっ、恥ずかしいこと言わないでっ」

 台詞とは裏腹に、嬉しさが隠せていない。思わず緩みそうになる口元を隠すのに、二宮は必死だった。


「いつものところでいいか?時間も少し遅いし、あんまり遠出はしたくないからさ」

「うん、いいよ」

 二人は、同棲しているアパートから徒歩十分くらいのところにある喫茶店へ入った。周りには個人経営の小規模な商店が立ち並んでいて、夜になると静かな一画である。この喫茶店は、二宮のお気に入りの店の一つだ。

 二人掛けの木のテーブルに着き、飲み物を注文する。壁や床、店内の装飾にも木材がふんだんに使われているこの店には、落ち着いた雰囲気が常にあった。瀬川の知らないクラシック音楽が流れている。多分、有名な音楽家の曲―瀬川たちが人工冬眠に入っていた間に書かれたものだろう。

 やがて、頼んだドリンクを若い女性店員が運んでくる。お盆がテーブルに置かれ、店員が下がると、二人は目で頷き合った。

「じゃあ、勝ち取った勝利と平和と…」

「私たちの未来に、乾杯!」

 瀬川がコーヒーの、二宮がカフェ・オレの入ったカップを手に取り、中身が零れないようそっと持ち上げる。二つのカップがかちんと爽快な音を立てて合わされ、二人はカップの中身の一口目を美味しそうに味わった。

 コーヒーとカフェ・オレで乾杯する風習は、瀬川の以前生きていた時代にも二宮の生きていた時代にもなかった。当然、現在にも存在しないだろう。傍から見れば、奇妙な行為だったかもしれない。

 けれども、瀬川も二宮も、そんなことは全く気にしていない様子だった。

 これから二人が共に生きていくことになる世界に、再び平穏がもたらされた。そして、これからは誰にも邪魔されることなく、大好きな人の傍にいることができる。そう思うだけで、体の芯が熱くなるほど嬉しく、心が満たされるようだった。

 瀬川がコーヒーをまた一口啜り、二宮もカフェ・オレを一口飲む。一度カップを置き、二人は幸せそうに見つめ合った。

 夜空には星が煌き、若い恋人たちの幸福を祝っているようだった。



 

 



最期までお読みいただき、ありがとうございました。「黙示録の結末」シリーズの続編を書いてみたいという思いはずっと私の中にあったのですが、それが今回ようやく形になりました。楽しんでいただけたのなら幸いです。

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