下山、しばしの別れ
昼間も見たような料理が並ぶテーブルを前に、プロクスは促されるがままに椅子へと腰を下ろす。クリスタロスも彼の正面にテーブルを挟んで座り、食事の開始を告げた。
「すまないな、レパートリーに乏しくて。この城にこもって手に入れられる食材というのは限られているから、どうしても同じものが続いてしまうんだ」
「いや、構わないよ。というか、火を扱うなら俺も手伝った方が良かったかもな」
「そういえば、君の扱う魔法は火の魔法だったか。いや、しかし、君はあくまで客人だからな。手間を取らせる訳にはいかないさ」
それに、と言いかけてクリスタロスは口を閉じた。狭い調理場で二人になるのは直前の事もあって気が引けた、というのが彼女の本音ではあったが、そんな事を言えばプロクスの告白に動揺しているのが丸分かりである。
プロクスは「気を遣わなくて良いのに」と一言呟くと、焼いたじゃがいもを丸々一つ手に取ってかじりつく。穀物の手に入りにくい雪山では貴重な炭水化物である。クリスタロスの作る料理の中で、じゃがいもは肉に並んで腹を満たすのに適していた。
「よく考えてみれば、私も君も、お互いに出来る事というのを明かしていなかったな」
スプーンを片手に、ふとクリスタロスがそんな事を言い出す。プロクスは一瞬その言葉の意味が分からなかったが、すぐにそれが魔法や能力の話だという事に気がついた。
「そうか、そうだな。じゃあ、俺から説明しようか。俺が使える魔法は操炎魔法だけだ。火種さえあれば、火力を加減するだけじゃなく、炎そのものを操作する事が出来る。但し、火を発生させる魔法じゃあない。必ず操る為の火が必要な点が欠点かな」
「成程、だから君はライターを持っていた訳だ。火の魔法を扱うにしてはおかしいと思っていたんだが、そういう理由だったとはね」
「クリスタロスの方は……ああ、でも君は氷人だからな。魔法って括りじゃあないのか」
「そうだな、例えば私がこの部屋の室温を上下させたり、氷の柱や壁を作ったり、冷気を操ったり出来るのは私が氷人だからだ。人間が適した魔法を使えば同じことは出来るだろうが、前も言った通り氷人は成長すれば八歳前後でこれらの事が普通に出来るようになる」
そう言いながら、クリスタロスはスプーンを持っていない左手をテーブルの上に出し、掌を天井へ向けて広げる。直後、手の上で段々と氷の塊が形成されていき、それは一分足らずで錠前の形になってテーブルの上へと放り投げられた。
「時間をかければもう少し複雑な形も作れるが、まあ、これは本人の造形センスも関わってくるからな。幼少期の経験を振り返るに、私はあまり向いていない方だと思う。絵を描くのも得意ではないしな」
「絵は、俺もからっきしだな。ところでクリスタロス、君が討伐隊との戦いで使ったあの空間転送魔法、あれはどこで覚えたんだ?」
「何年前からか、ディカイオスは討伐隊を撤退させるのにあの魔法をよく使っていた。毎回ではないが、負傷者が多いとやむを得ず使っていたような様子だった気がする。その魔法陣を毎回見ていたから、いつか使えるだろうと思って記憶しておいたんだ。まあ、今回はおおよそ私の予想とは違った用途だったがな」
「あれを覚えたのか? 見ただけで?」
高難度魔法である空間転送魔法の発動に必要な魔法陣は、転送先の座標によって細部の記述が変動するだけでなく、全体的に複雑な描画を要する陣である。それを見ただけで、ましてや命のやり取りをする中で記憶するなんて芸当は、操炎魔法を習得するだけでやっとだったプロクスには到底出来るとは思えないものだった。
「こう言うのもどうかと思うけど、流石は魔女と呼ばれるだけの実力者だな……」
「覚えたと言っても、ディカイオスの使うものをそのまま覚えただけだからな。あの魔法で一体どこに転送出来ているのかを私は知らないし、別の場所へ飛ばそうとしても魔法陣のどこを書き換えれば良いのか分からない。それに加えて魔力の消費も馬鹿にならないしで、あの魔法を正しく使えているとは言えないさ」
プロクスが自分に対して畏敬に近い気持ちを向けている事に気がついたのか、クリスタロスは謙遜するように苦笑する。だがそれでも、やっていることが常人離れしている事には変わりない。普通なら、そもそも魔法陣を物理的に描かずに展開できる時点で超人の所業である。
「まあしかし、私は氷人だからな。使える魔法は人間ほど多くない。というより、その点に関しては人間の方が特殊だぞ。火も水も風も土も、この世のあらゆる元素や属性に手を出してどれも扱えるなど、そんな生き物は人間くらいだ」
「……俺は火しか扱えないけどな」
「選択肢が多いということはそれだけで利点だろう? 君だって、その操炎魔法を習得するのに費やした時間を別の魔法に使っていれば、そっちの魔法だってよく使えただろうさ」
そう言って微笑むと、クリスタロスはグラスに入った水を口に運んだ。それを見てプロクスも、自分たちが食事中だということを思い出し、冷めかかったスープに手を伸ばす。会話が一段落した事で食事に本腰を入れた二人は、二十分も経った頃には両者ともにすっかり料理を完食していた。
「さて、それじゃあ私は食器を片付けるとしよう。君は少しここで待っていてくれ、見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
「まあ、あまり期待されても困るが……君は都会暮らしだろう? なら、きっと損はさせないと思う」
食器の載ったトレーを持って食堂を出る彼女を見送り、プロクスは首を傾げる。彼には、クリスタロスの言う見せたいものが何なのか見当がつかなかった。
しばらくして食堂に戻ってきたクリスタロスは、出入り口のすぐ傍から手招きをしてプロクスを廊下へ誘い出した。見たところ何かを持ってきたという様子はない。プロクスがますます疑問を膨らませていると、クリスタロスは彼を連れて二階へと向かっていった。
「こっちだ。少し冷えるだろうから、先に君の部屋に立ち寄って防寒具を持ってきた方が良いかもしれないな」
「防寒具……ってことは、外に出るのか?」
「そうだな、バルコニーだ」
プロクスは彼女の助言通り部屋で防寒具を着込むと、案内に従って城の三階から突き出した広いバルコニーへと出た。辺りは一面が夜の闇に包まれており、微かに銀色の雪が眼科に光っている。だが地上を見下ろすプロクスの肩を軽く叩くと、クリスタロスは頭上を指差して空を見るように促した。
「雲が晴れると、この山の空は綺麗なんだ」
そこに広がっていたのは、満天の星空だった。
「凄い、こんな量の星を見たのは久しぶり……いや、初めてかもしれない」
「人間の住む場所はいつも光が満ちているからな。こうして少し離れるだけで星がよく見えるだろう? この山には私の住む城しかないから、星を邪魔する光がない」
城の内部で灯されている明かりは、クリスタロスが初歩的な発光魔法で作り出した光を氷の中に閉じ込めたものである。建物の内部を照らすには十分な光量だが、星の輝きを妨げるほど強力なものではない。プロクスが見上げた空には、無数の星がただただどこまでも広がっていた。
「プロクス」
空に目を向けながら、クリスタロスが彼の名を呼ぶ。プロクスが反応して彼女の方へ視線を移すと、クリスタロスは彼のことをじっと見つめていた。
「私の名前は、私の父がつけたものだそうだ。クリスタロス、意味は氷。実のところ、私はあまり好きじゃないんだ、この名前。氷人らしくあれ、と強制されているみたいでね」
「そう、なのか」
「だからプロクス、私のことはステラと呼んでくれないか。私の母は私の事をそう呼んでいた。遠い国の言葉で星という意味らしい。ちょうど、私の名前を略した形になるんだ」
「……ステラ、か」
「もちろん、クリスタロスという名前も父から貰った大切な名前には違いない。だが、君に呼ばれるならステラが良い。君が、私の事を大事に想ってくれているのならね」
頭上に輝く星の光は二人を照らすには小さく、プロクスにはクリスタロスの表情がはっきりとは見えていない。だが彼女の僅かに震えた声の調子が、緊張を表に見せまいとする彼女の装いをプロクスに知らせていた。
「プロクス、私はまだ君の好意に応えられるほどの準備が出来ていない。だから、君が私の為に命を賭すと言うのなら、私が君を愛する為の時間が欲しい。どのくらいの時間がかかるかは分からないが、その、待っていてくれるか?」
「っ……ああ、当然! これまで十五年間も追い求めてきたんだ、ここから多少待とうが大差はないさ。それと、君も俺のことはロックって呼んでくれよ。仲の良い友人はそう呼ぶんだ、俺はステラにもそう呼んでほしい」
「ロックか、良い呼び名だな。これからはそう呼ばせてもらおう。ふふ、それにしても……慣れないことはするものじゃないな。顔が熱くて、今にも溶けて消えてしまいそうだ」
二人のほかに誰も居ない、正真正銘二人だけの空間で、プロクスはクリスタロスと笑い合う。一度は誤解の中で殺し殺されるような局面を経た彼らだが、そんなことはもうどちらも気にしてはいなかった。十五年前に偶然のもとで出会った二人は、今この瞬間、プロクスという男の執念によってようやく結ばれたのである。
そして、火照ったクリスタロスの頬が普段の体温を取り戻した頃、プロクスは真剣な面持ちでクリスタロスにある提案を切り出した。それは彼女にとっては到底受け入れがたいものであり、ともすればこれまでの九年間を無駄にするかのようなものである。
だが、クリスタロスはしばし渋った後、プロクスの提案を受け入れた。それが現状を変える為に最善の方法だということを、彼女は自身の怒りや復讐心を抑え込んででも理解したのである。
プロクスの立てた計画は、彼にとっても実行が困難なものだった。だがそれでも、彼には実行する理由がある。全ては、クリスタロスとアステイルの人々に平穏を与える為に。
「俺は明日、夜が明けたら一度アステイルの町に戻る。ステラは城に残っていてくれ、説得は俺がなんとかする」
「……無茶はするなよ。君に居なくなられたら、困るんだ」
「分かってるさ」
彼の目には炎が燃えていた。自分が争いを止めてみせるという、決意の炎である。
実行は明朝。敵地と化したアステイルへ向かう覚悟を決めたプロクスの手には、決意の強さを示すかのように、彼が愛用するライターが力強く握りしめられていた。
討伐隊が乱入者の妨害を受けて討伐に失敗した、その翌朝。吹雪の魔女による襲撃に備えて監視塔から町の外を見張っていた討伐隊の隊員は、突如として空へ向かって伸びて消えた細い火柱を目撃した。
「あれは……!」
昨晩、既にディカイオスによって乱入者の正体は討伐隊に知らされていた。その名はプロクス・ヘリオ、炎を操る魔法使いである。その特徴を知る隊員が、目の前に現れた不自然な火柱を彼と結びつけるのは当然の事だった。
双眼鏡を手に取り、火柱の立った方へと目を凝らす。町からは少し距離が離れていたが、隊員はプロクスの姿を視界に収めることが出来た。そしてその直後、再び真っ直ぐにそそり立つ火の柱。それは、まるで自分の居場所を自ら知らせるような行動だった。
監視塔から笛の音が鳴り響き、吹雪の魔女による襲撃と同列の扱いで討伐隊に招集がかかる。拡声器から発せられた隊員の言葉はアステイルの住民ではなく、討伐隊と、そしてその隊長であるディカイオスに対しての報告だった。
「炎の魔法使いが町の西側に姿を見せました!」
プロクスが町の外れに到着する頃には、既にディカイオスをはじめとする討伐隊の面々が待ち構えていた。だが、互いに攻撃を始めるような様子はない。ひとまず問答無用で迎撃される事は無さそうだと安堵すると、プロクスは討伐隊とある程度の距離を置いて足を止めた。
「最初に言っておく、俺はこの町の人々と戦うつもりはない」
「じゃあなんだ、宿に置きっぱなしにした荷物でも取りに来たのか? プロクス」
小馬鹿にするような態度でディカイオスは言い放つが、表情には明らかな敵意が見え隠れしていた。しかしそれも、プロクスにしてみれば想定済みである。
「……それもあるが、本題はそうじゃない。俺は、交渉をしに来た」
彼は動揺することなく、自分が町へ戻ってきた目的を単刀直入に討伐隊へ告げる。それを聞いた討伐隊の隊員たちからは困惑するような、もしくは嘲笑するような声が漏れ出したが、そんな彼らの中でディカイオスだけは侮蔑するように眉をひそめていた。
「交渉だと? なんの為に。まさか俺たちに、吹雪の魔女に味方するお前との交渉を受け入れる利点があるとでも?」
「ある。こっちの要求を飲んでもらえるなら、今後一切、吹雪の魔女は二度とアステイルの町に危害を加えないと約束できる」
「なんだと?」
プロクスの放った突拍子もない言葉に、またしても討伐隊がざわつきを見せる。だがやはりディカイオスは険しい表情を崩さぬまま、まるで友人を騙そうとするペテン師を糾弾するかのような態度でプロクスに向かって叫んだ。
「どこの馬の骨とも知らないお前の言葉を、誰が信じると思うんだ? 吹雪の魔女がそう簡単に襲撃をやめるとでも? あの化物は、既に九年間もこの町を襲い続けているんだぞ!」
「こっちの要求は、アステイルの人々が今後一切、吹雪の魔女に対して攻撃を行わないことだ! 互いに攻撃をやめ、互いに無干渉を保とうと言っている! 殺し殺されるような血みどろの日々をこれからも続けたいならそうすれば良い。だが討伐隊が持つ最大の目的は、アステイルの町を守ることだろう? だったら、何も吹雪の魔女を殺す事に拘る必要はないだろうが!」
「いいや、あるね。氷人はただそこに居るだけで人間にとって脅威だ。お前の要求通りに互いが攻撃をやめたとして、吹雪の魔女が不意に襲撃を再開したりはしないと、どうして断言できる? この町にとって一番良いのは、あの化物を殺して疑いようのない平穏を取り戻すことだ! お前の戯言になんざ付き合ってる暇はねぇんだよ!」
「ディカイオス……ッ、元はと言えば、お前のせいでステラは……!」
憎悪が湧き上がるのを必死に抑えながら、プロクスはディカイオスを睨みつけた。この場において、少なくとも両者は自分自身の信じる正義に忠実である。どちらが正しくてどちらが間違っているという、単純な二元論ではない。それに加えて、ディカイオスの周囲には彼に守られてきたアステイルの人々が居る。文字通り余所者であるプロクス一人の証言で、彼らが吹雪の魔女として恐れるクリスタロスの攻撃中止を信じるとは思えなかった。
だが、討伐隊は良くも悪くも烏合の衆である。ディカイオスが居なければろくに雪狼の襲撃にも対処出来ず、吹雪の魔女との戦闘ではディカイオスが攻撃を仕掛ける為の囮としてしか動けていないような者たちだ。その中には、少なからずプロクスの言葉に心が揺れる者も居た。特に、彼を討伐の邪魔をした妨害者ではなく、自分の命を救った恩人として見る者の中には。
「炎の魔法使い……もしかしてアンタ、三日前に加勢してくれた魔法使いか!?」
集結した討伐隊の一人が一歩前に出て、プロクスに問いかける。彼の顔にプロクスは見覚えがなかったが、その口振りから雪狼の襲撃に対処した際に居合わせた討伐隊の誰かだろうと想像することが出来た。
「確かに俺は三日前、町の防衛に協力した」
「やっぱり……俺、あの時アンタに助けられたんだよ! アンタが居なきゃ、今頃病院か墓の下だ!」
「おい、ロイド! こいつと余計な話をするんじゃねえ、アステイルの敵だぞ」
「し、しかしディカイオスさん……」
「惑わされるんじゃねえ、こいつは吹雪の魔女と共謀している可能性の方が高いんだぞ」
ロイドと呼ばれた隊員は、ディカイオスに制止されてそれきり黙りこんで下がってしまった。だがプロクスは同時に、隊員の中に彼と同じような表情を浮かべている人間が数人居る事に気がつく。皆が皆、迷っている顔をしている。プロクスの事をはっきりと敵だと思えていない、そういう顔だった。
最初から、ディカイオスを説得出来るとは思っていない。説得すべきは、彼を信奉する周囲の人々である。プロクスは本来の目的を心の中でもう一度確認すると、討伐隊の方へと一歩近づいて背筋を伸ばした。
「否定はしない、俺は最初からずっとステラの……吹雪の魔女の味方だ。だが、同時に俺は人間だ。この町の人たちだって守りたい」
はっきりと、討伐隊の一人ひとりに届くような声で、プロクスは毅然とした態度を見せて宣言する。彼の言葉に、またも数人の隊員が表情を僅かに変えた。
「さっきも言った通り、吹雪の魔女は今後一切この町への襲撃を止める。これは既に彼女との交渉で決定した事だ。もし疑うなら、襲撃が来るのを好きなだけ待ってみると良い。討伐隊が彼女に対する攻撃を行わない限り、吹雪の魔女はこの町に干渉しない」
「……仮にそうだとして、この町の被害はそれだけじゃねぇ。氷人の村があった頃に比べれば落ち着いちゃいるが、それでもまだ異常な気温の低下は残ってるんだ。吹雪の魔女が影響を及ぼしている以上、見過ごすことは出来ないぞ」
「それに関しては、彼女自身の意思で押さえ込むのにも限度がある。だが俺なら、この町に影響が出るのを防ぐことは出来る」
「なに?」
「俺はイストラムの町で、魔法技術を人間の生活に利用する方法について研究している。操炎魔法を得意とする俺の担当は、もっぱら燃焼や温度に関する研究だ。だから、アステイルの町が正常な気温を保つ為の手助けは出来る筈だ」
プロクスの発言に、討伐隊の隊員たちは次々と耳を傾け始めた。もとよりディカイオスだけが吹雪の魔女と対抗できる戦力である以上、彼らにとって吹雪の魔女と戦わずに済む選択肢というのは魅力的なものだったのだ。最早、この期に及んで吹雪の魔女を殺す事に拘る者は討伐隊の中にも多くない。
「もしこちら側の要求を飲んでもらえるなら、俺は今すぐにでも気温の正常化に必要な仕掛けを作り始める。信用出来ないならいくらでも考えてくれ、俺が望んでいるのは吹雪の魔女とアステイルの町が共に平穏を取り戻すことだ」
「……ふん、おめでたい脳みそだな、プロクス。ああ良いぜ、考えてやるさ。だがお前の思い通りの返答になるとは思うなよ。氷人は悪だ、それをこの町の住民は知っている。あの化物は、殺した方がこの町の為になる」
「そう思ってるのはお前だけじゃないのか、ディカイオス」
「ッ……」
しばし睨み合った後、ディカイオスは踵を返してその場を去った。それを無言の撤収宣言と捉えたのか、討伐隊の面々も少しまた少しと町の方へと戻っていく。しかしその中で、何人かの隊員はプロクスの方へと駆け寄り、皆が一様に頭を下げた。
「先日は、ありがとうございました。お陰で、あの日の襲撃で町に被害は出ませんでした」
「それは良かった。頭を上げてください、俺はそんなに深々と感謝されるほどのことはしてませんから」
「いえ、貴方は恩人です。もしかすると、俺はあの夜に死んでたかもしれないんですから」
その言葉を聞いたプロクスは、少し胸が苦しくなり無意識に手を添えた。自分が誰かの命を救ったという実感を得たのと同時に、クリスタロスの手をこれ以上汚させずに済んだという安堵が僅かにあったからである。
「俺が……恩人、か」
「でも、どうして貴方は吹雪の魔女に味方するんですか?」
「……彼女は、同胞を殺されて復讐心に駆られているだけなんです。俺は彼女の怒りを鎮めてやりたい。誰も傷つく必要なんかないんです、なら誰も傷つかない方法を選んだ方が良い」
隊員の質問に答えながら、プロクスは表情を曇らせた。討伐隊の反応から手応えは感じていたが、ディカイオスの発言権が大きいことは彼らの様子を見ていれば明らかである。要求を却下される可能性も、現時点では大いにあり得た。
「ディカイオス……あの男は、どうしてステラを殺す事に拘るんだ?」
プロクスは、ディカイオスが九年前にアステイルの住民に対した吐いた嘘を暴くつもりがなかった。というのも、証拠となるものがアレクスの手紙とディカイオス本人の暴露しかなく、正確性に欠けるからである。だが理由はそれだけではない。この情報をディカイオスが知られたくないと考えていた場合、プロクスはその暴露をちらつかせる事で交渉の材料に出来る。そんな思惑もあって、彼は討伐隊に対して九年前の真実を伝える事をしなかった。
「そういえば、えっと……プロクス?」
プロクスが険しい表情で物思いに耽っていると、隊員の一人がおずおずと手を挙げて質問の意思を示した。
「はい、なんでしょうか」
「プロクスさんは、さっきディカイオスさんが言ってましたけど、この町の宿に荷物を置いたままなんですか?」
「え? あ、ああ、そうだった! まさか、捨てられたりしていなきゃ良いんですけど……」
「多分、大丈夫だと思いますよ。貴方の正体は討伐隊にしか伝えられていませんから」
「成程、それなら安心か……? じゃあ、俺はこのまま宿に戻ります。ディカイオスにも伝えておいてください。プロクスはこの町に残って良い返事を待っている、と」
そう言い残し、彼は荷物を置き去りにした宿へと向かって歩き出す。正直なところ自分がアステイルの町でどんな扱いを受けるのか怯えていた彼にとって、討伐隊以外の人間に情報が出回っていないこの状況は不幸中の幸いだった。
「しかし、どうしてディカイオスは俺のことを討伐隊だけに伝えたんだ? 町中に広めてしまえば、俺は身動きが取れなくなったのに……」
疑問を口にしながらも、なんとなく彼にはその理由が分かっていた。ディカイオスは自身の熟練した魔法には信頼を置いているが、実のところ、討伐隊の面々を見下しているのだろう。自分一人で戦える、自分一人で解決できる。そう信じているからこそ、そう思っている事を悟らせないために討伐隊という組織を率いて協力というポーズを取っているのだ。ほかの町民に伝えないのは、彼らに余計な手出しをさせない為だろう。
だからこそ、プロクスが付け込むのであればその点が最善だった。そしてその目論見は、彼の予想とは少し異なった形で功を奏する事になる。




