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英雄の懺悔

 質素な自宅のリビングで、ディカイオスは淡々とトレーニングに励んでいた。家具が邪魔で激しい運動は出来ないが、それでも体を動かすことは出来る。如何に魔法の腕が優れていようとも体が衰えば死ぬ、それが彼の確信する真理だった。故に彼は肉体を鍛える事に余念がない。ディカイオスの歳に似合わぬ体格は、吹雪の魔女を討伐するという死と隣り合わせの目的を果たす為に得た努力の賜物である。

 日課を終えるや否や、汗にまみれた体をシャワーで洗い流し、一歩間違えば火傷を負いそうな熱い湯で体を温める。それから外出用の服に着替えると、ディカイオスはまだ昼食をとっていない事を思い出し、床下に保存しておいた干し肉を適当に口に押し込んで家を出た。朝食は多く、昼は少なく、そして夜は一番多く。それが彼の持つ食事のルールだった。

「あの化物、昨日あれだけの雪狼を呼び出したんだ。今は万全とは言えないはず……何が気に食わなかったのかは知らんが、墓穴を掘ったな」

 昨晩の襲撃を受けたその時から、彼は既に反撃の計画を練っていた。吹雪の魔女が呼び出す雪狼は野生のものではなく、彼女が氷人としての力と魔法を組み合わせて生み出している傀儡のような存在である。故にその使役には手間を取らないものの、作り出すことで消費する魔力の量は少なくない。百体は下らないであろう数の雪狼を町に向かわせた今、彼女の魔力は目に見えて消耗している筈である。

 ディカイオスは駅前広場の掲示板に、討伐隊の隊員に向けた集合令を貼り付けた。行動を急ぐのであれば、今すぐにでも一人で氷の城へ向かうのが一番である。しかし、彼はそうしない。討伐隊を集めて明日の朝から吹雪の魔女を強襲する選択を取ったのだ。

「仮に弱ってるとしても俺一人で相手するには面倒だ。敵が一人なら数で押すに限る、それが人間が魔族と戦う為に編み出してきたやり方なんだからな」

 自嘲気味にそう独り言ちて、ディカイオスは広場を後にした。集合の予定時間は今日の午後八時。そこで氷の城へ向かう人員を募り、残りの隊員には万が一の際に備えて町の防衛を任せるつもりである。そして当然、その集合場所は――

「そう言えば、あの余所者魔法使いさんは基地に行ったのかね。ラクスちゃんに今夜の事を伝えがてら、覗いてみるか……」

 家に帰ろうとしていた足を止め、西の方角へと体を向ける。太陽はまだ南の空で輝いており、ディカイオスは冷たい風と暖かな日の光に包まれながら葡萄館へ向かって歩き出した。

「ディカイオスさん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 すれ違う人々と挨拶を交わしながら緩慢なペースで歩を進め、今日も町は平和だと心の中で満足気に呟く。彼にとって町が平和であることは、自身の貢献を最も分かりやすく讃えてくれる無言の賛美だった。直接誰かに感謝の言葉を贈られなくとも、アステイルの住民が安心して暮らせている、それだけでディカイオスは満たされている。ただ一つ、吹雪の魔女がまだ生きているという事実を忘れれば。

「……あの化物が生きてる限り、この町に真の平和なんぞありゃしねぇ。だがそれも明日で終わらせてやるぜ、吹雪の魔女」

 そう呟く彼の表情は、憤りを感じている様子でありながら笑みが浮かんでいる。いずれ吹雪の魔女を自分の手で倒すのだという強い渇望が、彼に生きる活力を与えていた。

 駅前から歩いて十五分。葡萄館の前まで辿り着き、ディカイオスは門をくぐって入口に歩み寄る。昨日の夜にもプロクスの件を伝える為に訪ねたため、ラクスが今日一日はずっとここに居ると知っていた。

「失礼するぞ。なんだ、妙に暖かいな」

 扉を開け、中へ入る。そしてディカイオスが見たものは、黙々とサンドイッチを食べ続ける余所者と、それを満足気に眺める知人の姿だった。

「……これは、どういう状況だ?」

「あ、ディカイオスさん。お疲れ様です、何か御用ですか?」

「ん、ああ、今夜ここを使わせてもらうから知らせておこうと思ってな。で、アンタ、なにやってるんだ?」

「サンドイッチ食べてます」

「いや、それは見りゃ分かるが」

 呆れるディカイオスを尻目に、プロクスは頬張っていたサンドイッチを飲み込んで息を吐いた。その腹は目に見えて張っていて、彼が満腹であることは明らかである。

「うふふ、プロクスさんの食べっぷりが気持ち良くてずっと見てられそう~」

「美味しいですよ、このサンドイッチ。本当、研究所のサンドイッチもこのくらい美味しければ多少高くても不満は無いんだけどな……」

「何かよく分からんが、仲良くなったようでなによりだ」

「ディカイオスさんも食べていきますか?」

「いや、いい。遠慮しておく」

 バスケットを持って近づいてくるラクスを制止し、ディカイオスはプロクスの顔に目を向ける。本人は少し食べすぎたか、とやや後悔している最中だったが、ディカイオスが読み取った彼の変化はもっと別のものだった。

「プロクス、アンタの知りたかった事は分かったのか?」

「はい、ほぼ全て」

「で、どうするつもりだ?」

「まだ分かりません。どうすれば良いか、その方法までは。でも、やりたいことは……欲しい結果ははっきりしました」

「そうかい。ならもう少し悩むが良いさ。俺は明日の朝から討伐隊の連中を集めて氷の城へ向かうつもりだ。もちろん、吹雪の魔女を殺すつもりでな」

「っ! それを、どうして俺に?」

「知る権利があるからだ。もちろん、アンタは参加しなくても良い。いや、参加するな。アンタが吹雪の魔女に好意を持っていてあの化物をどうにかしたいと考えてるのは分かってるが、俺たち討伐隊には討伐隊の考えがある。吹雪の魔女は人間じゃあない、魔族だ。アンタはあいつと分かり合えると思ってるんだろうが、氷人を人間の常識で考えてると痛い目を見るぞ」

 資料を見たならそれは知ってるだろうが。そう言い放つと、ディカイオスは今夜葡萄館を討伐隊の集まりに使うことをもう一度ラクスに告げ、再び冷え切った屋外へと戻っていく。その後ろ姿を見送りながらプロクスは、砕けそうなほどに奥歯を噛みしめる事しか出来なかった。

「……止めてやる、こんな対立も」

 クリスタロスが負けるとは思っていない。だが万が一の可能性を考えて彼はそれを恐れた。

「俺は嫌だ、クリスタロスが死ぬなんて結末は。当然、この町を吹雪の魔女が滅ぼすなんて結末もだ。絶対に見つけてやる、アステイルの人たちも、クリスタロスも、お互いに戦わなくても済む方法を……ッ!」

 それは、あまりに漠然とした目的。しかし彼が思い描く理想の未来は、これ以上ないほどにはっきりとしていた。

「吹雪の魔女……クリスタロスの襲撃を止めることさえ出来れば、時間はかかるかもしれないけど、きっとアステイルの人たちにも分かってもらえる筈だ。その為には、やっぱり」

 もう一度、クリスタロスと会う必要がある。

 プロクスは再び山を登ることを決意した。ディカイオスに止められた以上、彼らと一緒に行くことは出来ない。しかし、昨日と同じように一人で向かう分には問題ない筈である。無論、次は死ぬかもしれないというディカイオスの忠告を無視すればの話だが。

 当然、そんなお節介は止まる理由にはならない。そんな当たり前の結論は、昨日の夕方、この町に戻ってきた直後にはもう分かりきっていた話だ。

 問題は、いつ出発するか、という話だった。討伐隊よりも先に氷の城へ向かいたいという気持ちはあったが、その為には今日中に出発する必要がある。しかし、最初からクリスタロスに会うことが目的だった昨日と違い、今のプロクスには彼女と会う為の準備が何もない。今から準備を始めたとしても、夜の雪山を難なく登れるという自信を登山素人の彼は持っていなかった。

「今からでも、準備を始めるべきか……?」

「あのぉ、プロクスさん、ちょっと質問しても良いですか?」

 どうしたものかと迷うプロクスに、ラクスがふと背後から声をかけた。

「はい、なんですか?」

「えーっと、さっきの話を聞いてると、私が昨日ディカイオスさんから聞いた話とはなんだか微妙に事情が違うような……プロクスさんは、どうして吹雪の魔女について調べてるんですか?」

「えっ」

「え?」

 これはどういうことか。プロクスが聞き返すと、どうやらディカイオスはラクスに対し「吹雪の魔女について調べている都会の魔法使い」としかプロクスの事を説明しなかったらしい。本当の事情を問われたプロクスは説明する事を少し躊躇したが、既にフレデリックやディカイオスに話してしまった分、無理に隠しておこうという気持ちにもならなかった。

「……十五年前の事なんですけど」

 昨晩ディカイオスに話したのと全く同じ内容をラクスに説明し、プロクスは改めて説明する事の恥ずかしさに耳を熱くしながら耐えた。長年周囲に明かさず過ごしてきた秘密を、まさかこうも短い期間に三回も話すことになろうとは。そんなふうにプロクスが考えている一方で、彼の説明を聞いたラクスはなにやら驚いたような表情で固まっていた。

「吹雪の魔女に、そんな過去が? だとしたら、討伐隊の人たちがしていることって……あれ、でも氷人は一人の王に従う種族で、でも今は吹雪の魔女しか居なくて……あれ?」

「アステイルの町が吹雪の魔女に襲われている事は事実ですし、それに対して討伐隊が抵抗したり反撃したりすることを俺は悪いと思いません。でも、クリスタロスが吹雪の魔女になってしまったのは、彼女に原因があったと思えないんです」

「……掃討作戦、ですか」

「氷人の王が人間に敵意を持っていたのだとしたら、掃討作戦を行ったことも間違いではないと思います。そうでなければ、滅ぼされていたのはアステイルの町だったかもしれない。だけど、だからこそ、吹雪の魔女が持ってる憎悪は簡単に癒せない。討伐隊が彼女の同胞を皆殺しにしたのは事実だから、その復讐心だって理不尽な悪意なんかじゃない……っ!」

 そう言いながらプロクスは血が滲むほど下唇を噛み締めると、拳を握りしめて苦悶の表情を浮かべた。そしてラクスもまた、泣きそうな顔をしながらプロクスの顔を見上げる。二人に共通していたのは、吹雪の魔女という災厄にならざるを得なかったクリスタロスという一人の女に対する同情だった。ラクスにとっては自身の生活を脅かす外敵とも言える相手だったが、それでもその境遇を知って悪と言い切れるほどラクスは冷酷ではない。

「決めましたっ」

 ラクスはそう宣言し、プロクスの両手を掴んで自身の両手で包み込む。他人の手に挟まれ胸の前へと持ち上げられたプロクスの手は、まるで祈るような形に合わさっていた。

「ら、ラクスさん?」

「私も探します、吹雪の魔女とアステイルの町が争わなくてもよくなる方法!」

「えっ。でも、ラクスさんは討伐隊の……」

「私はこの建物の管理人で、別に討伐隊の隊員じゃありませんよ。それに、仮にそうだとしてもやることは変わりません。だって、戦わなくてもいい方法があるならそれ一番良いに決まってます。私たちにとっても、吹雪の魔女……クリスタロス・ナイアトスにとっても」

 潤んだ瞳でプロクスを見上げ、ラクスは力強く言い切る。その姿に、プロクスは自分が重大な勘違いをしていた事実に気がついた。彼はずっと自分一人でクリスタロスを救わなければいけないと考えていたが、それは吹雪の魔女に怯えるアステイルの住民に協力は期待できないと最初から諦めていたからである。だがその考えは間違いだった。味方は確かに現れたのだ。

「よしっ。そうと決まれば、もっと詳しい情報があった方が良いですよね」

「……あるんですか? さっきまで見ていたものより、もっと詳しい資料が」

「え、えーっと……実はこの本棚に置いてある資料って、ここに保管されているものの中でも分かりやすいものだけなんです。で、それ以外はどこにあるかというと、地下室の書庫に置いてあって……誰も読まないので、全然、整理出来てないんですよね」

「その中に、もしかすると?」

「はい。全部を確認した訳ではないので断言は出来ませんけど、もしかすると、本棚の資料には書かれていない情報が見つかるかもしれません」

 そう言うと、ラクスは悪戯っぽい笑みを浮かべてプロクスの方を向いた。

「埃っぽいと思いますけど、探してみますか?」

「ええ、もちろん」

「よし決まり! じゃあ、付いてきてください」

「……あの、本棚の鍵は閉めなくても良いんですか?」

「はわぁ、忘れてました。……よし、施錠完了。では改めて」

「あ、結界を出るとまた冷えますよ」

「ああっ、上着を忘れるところでした」

「……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です! 来てください!」

 赤面して早口になるラクスに誘われるがまま、上着を着直したプロクスは隣の部屋へと移動した。二人の入ったその部屋には二階と地下にそれぞれ続く階段があるだけで、部屋というよりはさながら狭い廊下のようである。ラクスはその階段を下りていくと、スカートのポケットから取り出した鍵を使って扉を開け、後ろに続くプロクスを招き入れた。

「書庫はこっちです。地下室は私が住居にする為に結構改造しちゃってるんですけど、書庫になってる部分は別に保存してあるので」

「成程……って、うわ」

「……すみません、汚くて」

 案内に従ってプロクスが部屋に入ると、そこは本という本が極めて乱雑に積み上げられた、書庫と呼ぶのも躊躇われる物置きだった。照明は十分に明るかったが、窓の無い密室に放置された剥き出しの本が溢れているという状況だけで十分に息が詰まる。苦笑するプロクスの様子に気付いたのか、ラクスは慌てたように弁明を始める始末であった。

「わ、私が掃除を怠けている訳ではないんですよ? ここは討伐隊の方々に貸し出してる部屋で、私は時々申請があったときに管理人として鍵を開けてるだけですし……。ま、まあ、私もたまに読んで適当に放置しちゃったり、してますけど……」

「……とりあえずこんなに量がありますし、まずは手を付けましょう。片端から読むくらいしか方法はないと思うので」

「そ、そうですね! じゃあ、私はこの山から見ていきます」

 プロクスとラクスはそれぞれ近くの山に手を伸ばすと、その一番上に置かれた本を掴み取る。僅かに埃が舞った様子を目撃したが、プロクスは見なかった事にして本を開いた。

「これだけの量を読み終えるのに、どれだけ時間がかかるやら……」

 自分の泊まっている安宿の一室と大差ない広さの書庫と、その床一面埋め尽くすであろう本の山。その膨大な資料の数に溜息を吐きながら、プロクスはまだ見ぬ有益な情報の発見を願って本に意識を集中させた。

 だが、やはり数の暴力は甘くない。二人揃って無言になり黙々と資料を漁ること数時間、ラクスはふと腕時計に目を向けて突然叫びながら立ち上がった。

「ああっもう六時! お夕飯の材料、買いに行くの忘れてました! あの、プロクスさん。私これから出かけなきゃいけないので、戸締まりしなきゃいけなくて……」

 いくら町の英雄が紹介した客人とはいえ、家主が不在の状態で余所者を家に留めておくことは出来ない。至極真っ当な当然の理屈である。プロクスは結局半分も読むことが出来なかった本の山を一瞥すると、ラクスが促す通りに書庫を出た。

「すいません、追い出すみたいになっちゃって」

「いえ、こちらこそ、こんな時間まで付き合わせてしまってすいません。明日、また来ても平気ですか?」

「はい、大丈夫です。ただ、私が寝てるかもしれないので、余裕を持って十時くらいに来てもらえると助かります」

「分かりました。それじゃあ、今日は色々とありがとうございました。サンドイッチ、美味しかったです」

「いえいえ」

 まだ調べ物は中途半端だったが、プロクスはラクスに別れを告げると宿へと戻った。このままあの息苦しい書庫で本を読み漁っていても何かが得られるという保証はないが、しかし何も得られないという断言も出来ない。彼は明日もまた葡萄館を訪れ、情報収集を続けるつもりだった。

「信じよう、明日の討伐作戦もきっとクリスタロスは生き延びる。九年間彼女は討伐隊を退け続けているんだ、明日だってそうなる筈。だから俺は、その間に探し出してみせるさ。君の怒りを鎮めて、この町も同時に救う方法を。その為の情報を、君を救う為に役立てられる何かを……っ!」

 宿へ帰る道中、外気の冷たさを感じながらプロクスはそう意気込んだ。やはりまだ何をすればクリスタロスの事を救えるかは分からなかったが、それを考える行為すら諦めることはしたくなかった。吹雪の魔女も、アステイルの町も、どちらも救う方法があると強く信じていたからである。

 だが、しかし。その意気込みは、彼が予想もしなかった形で捨てることになってしまった。


 翌朝、九時頃に目を覚ましたプロクスは、あらかじめ買っておいた商店のパンを朝食にすると、ちょうど十時を過ぎた頃に葡萄館へ到着出来るよう時間を見計らって宿を出た。駅前広場の掲示板には、討伐隊が氷の城へと向かったことを伝える貼り紙が追加されている。どうやらディカイオスは今頃、雪山を登っている最中のようだった。

 今日も空は晴れている。プロクスはまっすぐ葡萄館へ向かうと、軽くノックをしてから入口の扉を開けた。

「おはようございま――」

「プロクスさんっ!」

 プロクスが挨拶を言い切るが早いか、ラクスが彼の言葉を遮り慌てた様子で駆け寄る。まるで自分が来るのを今か今かと待ち構えていたような反応速度に、プロクスは一歩二歩と後ずさった。

「ど、どうしたんですか、ラクスさん」

「それが、昨日、あの後、ディカイオスさん達が集まって、帰った後に、寝る前、一人で、書庫の本、読んでたんですけど、そしたら、本の中に、変なものがあって、時間も遅かったので、朝起きてから、開いてみたんですけど、そしたら、これが出てきて、それで、それで……っ!」

「落ち着いてください、落ち着いて」

「あ、す、すいません……あんまり、衝撃的だったもので」

 興奮気味のラクスを鎮め、プロクスは彼女が持つ封筒を受け取った。外側には宛名や執筆者についての情報が何も書かれておらず、全く無地の白い封筒である。少し黄ばんでいる様子だが、それ以外に気になる点は特に無い。

「これが、本の間に挟まっていたんですか?」

「違います、そうじゃないんです。その封筒は、本の中にあったんです。表紙の裏側に、上から紙を貼り付けて隠すように」

「……誰かが、意図的に隠していたってことですか?」

「中に入ってる手紙を見る限り、そうだと思います。だって、それを書いたのは……」

 既にラクスが読んだのだろう。丁寧に封が切られた封筒の中から、プロクスは折りたたまれた何枚かの便箋を取り出した。封筒と違ってこちらは綺麗な白色のままである。広げてみるとその一番上の行には、震えたような字で「アレクス・ヘイゲル」という名前が書かれていた。

「この名前は……ッ」

「アステイルの英雄と呼ばれる魔法使いの一人です。彼は去年の年始頃に亡くなっていますから、書かれたのはそれ以前……少なくとも、一年半ほど前だと思われます」

 プロクスは便箋に書かれた文面に視線を移した。先程ラクスが見せた取り乱し方を思えば、生半可な事が書かれているとは思えない。一体この手紙に何が書かれているのか、彼はごくりと喉を鳴らしてその内容を読み始めた。

 それは、今は亡き英雄の懺悔とも言える書き殴りの文章だった。


「 ああ、許してくれ。我々は正しかったと言ってくれ。我が神よ、我々は怖かったのだ。隣人を正しく愛する事が出来なかった。許してくれ、あれは正義でなければならないのだ。

 彼は言った、あの者たちは邪悪な者共であると。人類を敵とする王に市民は従い、王を崇める事で社会が構築されていると。だが私は知っていた。それは嘘なのだ。あの者たちは決して、王に服従する傀儡の集まりなどではない。我々と同じ、悪しき王に振り回される無力な市民だったのだ。だが私は、彼の話を真実だとして皆々に伝えた。ああ、私を許してくれ。そうすることがこの町の為だったのだ。

 私は英雄などではない。ただの嘘吐きだ。あの者たちから見れば邪悪な侵略者にほかならない。だからこそ、我々はあの者たちを根絶やしにしなければならなかった。語り継ぐ者は排除しなければならなかった。それが、我々にとっては、いや、私たちにとって不都合なことだったから。我々は正義でなければならなかった。

 ここに明かそう、私の罪を告白しよう。私は老いた、きっと地獄へ堕ちるだろう。ならばなおさら隠してはおけない。私がしたことを、そして彼がしたことを、私は明かさなければいけない。許してくれ、フィリップよ。君を巻き込むつもりはなかった。私は君があの化物に殺されないことを願う。知らないでくれ。知らずに死んでくれ、君にとってはそれが幸せなことだから。君はただ一人、私たちの中で正義だった。

 悪しき王は我々との交流を拒んだ。だがそれだけだった。あの者たちが我々と争うつもりだったという証拠は何もない。だが、争うつもりがなかったという証拠もない。そうだ、我々は怖かったのだ。だからあんな事をしでかした。彼もそうだろう、あの者たちが我々よりも遥かに強いことを知っていて、あの者たちがその気になれば我々に勝ち目がないことを知っていた。だからあんな嘘を吐いた、私もそれを嘘と知りながら皆々に広めた。全ては氷人を滅ぼす為に、我々が怯えて暮らす日々を捨てる為に。それが正義だったのだ、あの者たちが傍に居るだけで、か弱き我々は恐怖を味わわなければならないのだから。

 逃げ惑うあの者たちを殺した。きっと仲間たちはそれを、家族や友を守るための戦いとして挑んだであろう。だが違うのだ、あの戦いは一方的な襲撃だ。全ては悪しき王の独断だった。あの者たちに罪などないのだ。ただ、あの者たちは我々よりも強すぎた。それが、あの者たちを我々が殺さなければならなかった理由なのだ。魔女が現れたのも当然と言えるだろう。戦いを起こしたのは、我々の方なのだ。許してくれ、許してくれ。

 しかし、あの化物は強くなりすぎた。最早、老いた私の手に負える存在ではない。誰かあの化物を止めてくれ。あれは我々が生み出してしまったものだ。だから殺してくれ。私にはもう出来ない。これを見ている者が居るならば、私の願いを叶えてくれ。私はあの化物に殺されるだろう。それが、恐らくは最も分かりやすい報いであろう。

 許してくれ」


 手紙を持つ手が震えた。なんだこれは、どういうことなんだ。プロクスは、自分の呼吸がリズムを乱している事に気がついた。だが、息を整える余裕などない。これは、一体なんなんだ?

「アレクス……アステイルの英雄、彼が、この手紙を……?」

「ここに書いてる事が本当だとしたら、掃討作戦が起こるきっかけになったディカイオスさんの事前調査は、報告そのものが嘘、ってことですよね?」

「馬鹿な、そんな。どうしてそんな嘘を。だって、掃討作戦は町を守る為に起こしたものの筈。それが、この手紙が本当なら……氷人は、王以外の村人は……っ!」

 吐き気がこみ上げてくるような感覚に、プロクスは奥歯を噛みしめる。手紙の内容もさることながら、封筒が本の中に隠されていたという状況も、彼にとって気分が良いものではなかった。罪を告白し、懺悔を綴り、そんな手紙を何故こんなにも見つかりにくいところへ忍ばせたのか。まるで自分が死んだ後に発見されるのを狙ったかのようなその態度に、プロクスは顔も知らぬアレクスを卑劣だと決めつけた。

「なんなんだよ、なんなんだよこれはッ! 本当に氷人は滅びなきゃいけなかったのか!? なにがアステイルの英雄だ、ただの虐殺者じゃないか!」

「……私、ディカイオスさんたちのこと、ずっと尊敬してました。でも、今は何も信じられません。こんな……町を守る為とはいえ、敵意があるかどうかも分からない相手を、一方的に殺すだなんて、そんなひどいことを……っ」

「……そんな奴らの下らない嘘のせいで、クリスタロスはッ!」

 ずっと、プロクスは考えていた。クリスタロスを救い、アステイルの町も守り、互いが安らかに過ごせる方法を。だがそれは、現実に前提が大きく間違っていたのだ。

 どうしてアステイルの町には討伐隊が必要なのか。それは吹雪の魔女が居るからだ。

 どうして吹雪の魔女は町を襲うのか。それは彼女が同胞を殺されたからだ。

 どうして人々は氷人を皆殺しにしたのか。それは氷人が人々の脅威だったからだ。

 どうして氷人が人々の脅威だと分かったのか。それは――

「ディカイオス……ッ! あの男が、あいつがクリスタロスの家族を!」

 掃討作戦が行われる事が決定した、その最大の要因。それは、事前の調査を行ったディカイオスによる報告である。だがアレクスの手紙は、それがでっち上げであったと明かしていた。最初から、氷人に対する虐殺は彼らによって起こされていたのである。

「……ラクスさん。その手紙、誰にも見つからないように保管しておいてください。多分、ディカイオスには存在そのものを知られない方が良い」

「え? ちょ、プロクスさん! どこへ行くんですか!?」

「こんな所で待っていられない。あの男にクリスタロスを傷つけさせてたまるものか……!」

 プロクスは踵を返すように葡萄館を出ると、町の外へ向かって走り出した。目指す場所はただ一つ。討伐隊も目的地としている、氷の城である。

 防寒装備に心配はない。持ち物にも重大な不足はなく、武器であるライターもしっかりと持っている。準備という準備をしてきた訳ではないが、それが理由で引き返せるほどプロクスは既に冷静ではなかった。

「待っててくれ、クリスタロス。あの男に邪魔なんてさせない。話をさせてくれ。君ともう一度話す為になら、俺は……ディカイオスと殺し合うことになっても構わないから」

 真っ白な雪の上に、彼の足跡が続いていく。氷の城まで一時間はかかる予想だったが、たとえそれだけの時間を冷たい風に晒されても、プロクスの煮えたぎったディカイオスへの怒りは鎮まりそうになかった。

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