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消えた氷人の村

 望んでいた以上の収穫を得て宿に戻り、再び眠りに就いたプロクスが次に起きたのは、翌朝午前八時頃のこと。昨晩の帰りに宿の近くで商店を見つけていた彼は、そこでパンと牛乳を買って朝食にした。どうやらアステイルの町を含むこの地域は、一帯が小麦の産地らしい。友人が小麦農家だという店主による「パンは素晴らしい食べ物だ」という趣旨の演説を朝から聞かされたプロクスは、店選びを失敗したと後悔しながら店を出る羽目になった。

「……確かにパンは素晴らしい食べ物だよ、歩きながらでも食える」

 半日ほど前に立てていた予定では、この後に向かう場所は図書館の筈だった。だが今は違う。プロクスは駅前広場で町内の地図を確認すると、討伐隊の基地がある町の西側へと向かっていった。

 駅前から歩くこと十五分足らず。見えてきたのはやはりレンガ造りの、まるで教会かなにかと間違えそうな背の高い建物だった。門の前に立てば「魔女対策本部」という看板が掲げられているのが分かる。プロクスはその名前を見てここがディカイオスの言っていた討伐隊の基地だと確信すると、見張りの居ない門をくぐり、呼び鈴らしき物が見当たらない建物入口の扉を軽くノックした。

「はーい」

 中から返ってくる、若い女の声。プロクスは一瞬、本当にここが討伐隊の基地なのかと不安になった。昨晩の記憶が確かならば、雪狼と戦っている討伐隊の面々に女性の姿は無かった筈である。彼がそんな事を考えていると扉は内側から開かれ、それから声の主と思わしき眠たげな目をした背の低い女がひょこりと顔を覗かせた。

「えっと、どうも」

「一応、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ、はい。プロクス・ヘリオです」

「プロクスさん、はいはい、やっぱり。ディカイオスさんから話は聞いてますよ、どうぞ入ってください。あ、お湯沸かしてる最中なんですけどコーヒー飲みます?」

「え? あ、じゃあ、お願いします」

「了解しました。少々お待ちくださいね、本棚の鍵も取ってきますので」

 隣の部屋へと消えていく女の背中を見送ると、プロクスは入口の扉を閉め、促された通りにエントランスホールのソファへ腰を下ろした。しかし、ただボーッとしてコーヒーを待っている訳というのも落ち着かない。彼は内装を観察しようと周囲を見渡し、外から見た時に感じた「教会に似ている」という印象はあながち間違ってなさそうだと思った。

「教会……だった、のか? 建物の形はそっくりだ」

 それほど広くないエントランスホールはまるで小さな図書館のような雰囲気で、入り口から見て左側の壁は本棚によって覆い隠されていた。その向かい側の壁には先ほど女が通っていった扉があり、入口の正面にはそれよりも大きな観音開きの扉がある。いかにも重々しそうなその扉は、さながら教会の身廊へと続く扉にそっくりだった。

「使わなくなった教会を利用して、基地にしてるのか」

 一人で納得し、次にプロクスは本棚に並んでいる本の背表紙を観察する。タイトルだけでは一見判断しづらかったが、町の歴史や魔族について書かれたいくつかの資料のほかに、特に吹雪の魔女やアステイルの町とは関係の無さそうな小説、何故か料理のレシピ本などが無頓着な順番で詰め込まれていた。

「お待たせしました、コーヒーです。シュガーポットも持ってきたので、お好きなだけお砂糖どうぞ」

「ああ、ありがとうございます」

「それじゃ、ちょっと魔女対策本部に関する説明も兼ねて、お向かい失礼しますね」

 ソファの前に置かれた低いテーブルへ両手に持ったコーヒーカップを下ろし、行儀悪く脇に挟んで運んできたシュガーポットも同じようにテーブルの真ん中へと置く。それから彼女はプロクスと向かい合わせになるようテーブルを挟んで反対側のソファへ座ると、「お先に」と一言断ってから、シュガーポットの砂糖を大さじ三杯コーヒーへと流し入れた。

「……甘すぎませんか?」

「うんにゃ、これが好きなんですよ。……熱っ。あ、そういえば私、自己紹介がまだでしたね。失礼しました、私は魔女対策本部ことこの建物、葡萄館管理人のラクス・エレスタと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」

 改めてぺこりと頭を下げると、ラクスは砂糖たっぷり入れた熱々のコーヒーを恐る恐る口に運んだ。会釈を返したプロクスもコーヒーカップに手を伸ばし、火傷に気をつけながら一口飲んでみる。砂糖の入っていないブラックコーヒーは、まだ少し眠気の残っていた彼の目を覚まさせるには十分な刺激になった。

「ふぅ……で、あれ、なんの話でしたっけ」

「え? えっと、魔女対策本部について説明があるのでは……」

「ああ、そうそう! そうでしたね、どこから話しましょう。すいません、私って忘れっぽくて」

 けらけらと笑うラクスのマイペースさに、プロクスはコーヒーカップを手に持ったまま苦笑した。討伐隊といえば昨晩の防衛戦の様に緊迫している印象が彼の中にはあったが、ラクスの態度からそんな気配は感じられない。吹雪の魔女について調べようと意気込んで来たプロクスにとっては、少し調子を狂わされる相手だった。

「そうですねぇ、ディカイオスさんに会ってるってことは討伐隊の事はまあ、大体は聞いてる感じですか?」

「まあ、大体は聞いてると思います」

「なら、あまり説明する事は無さそうですね。簡単に説明しちゃいますと、魔女対策本部と呼ばれているこの葡萄館は、討伐隊の隊員が情報交換や交流に使用する施設です。と言っても、討伐隊の人たちもいわゆるボランティアってやつでして、普段は仕事をしてる人が殆どですけどね」

「ラクスさんは、ここの管理人なんですよね?」

「そうですよ~。まあ、管理人と言うよりは所有者って言った方が良いかもしれませんね。地下室は改造して私の家になってますし、地上階は討伐隊の人たちに掃除も任せてしまってますし、管理も何も、ねえ? 一応、私の本職は不動産業なので、管理でも間違いではないんですけど」

「成程。討伐隊とはどういう関係なんですか?」

「まあ、私が持て余していた葡萄館を良い金額で借りてもらってるだけと言えばそうなんですけどね。私としても、ディカイオスさんは町の英雄とも呼ばれる人ですし、こうしてたまに出てきて資料の整理だとかを手伝っているんですよ」

「そうなんですか」

 ラクスは説明を終えたつもりらしく、おもむろにコーヒーカップを手に取ると、湯気が立つコーヒーを入念に吹いてから口に運んだ。

「熱っ」

「あの、ラクスさん」

「はい?」

「そこの本棚に置いてあるものって、誰の持ち物なんですか?」

「えっと、扱いは討伐隊の共有物ですけど、一応はディカイオスさんのものですね。たまに隊員の誰かが持ち帰っていたり持ち込んでいたり、元の持ち主はもう殆ど分かりませんけど。あ、そういえばプロクスさんは資料を見に来たんでしたね。すいません、忘れてて。えーっと、本棚の鍵、開けますね~」

「お願いします」

 遠回しに急かしたみたいになってしまった、とプロクスは少し申し訳ない気持ちになったが、目的が本棚の中にあったのも事実。ぱたぱたと本棚の方へ近寄ったラクスが鍵を開けて戻ってくると、プロクスは中身を飲み干したコーヒーカップをテーブルの上に置いて、彼女と入れ替わりに本棚の方へと歩み寄っていった。

「この量なら、今日一日である程度は読めるかな……」

「ええっ、本棚三つ分の本を一日で!?」

「あ、いえ、吹雪の魔女やこの町の歴史に関わるものだけで良いんです。それに、欲しい情報も一部なので」

「はあ、成程。私は今日一日ここに居る予定なので、何か分からない事があったら聞いてくださいね」

「分かりました、ありがとうございます」

 柔和な笑みを浮かべるラクスに対し親切そうな人だという印象を抱き、プロクスは温かな気持ちになりながら本棚へ視線を移す。最初に彼が手を伸ばした資料は『アステイルが凍った日』とタイトルが書かれたハードカバーであった。

 ずしりと重みを感じるその本を持ってソファへ戻ると、プロクスはテーブルの上で本を広げて奥付を確認する。そこに記されていた発行年月日は、今から二年前の日付だった。

 続いてプロクスは一旦ページを閉じ、最初のページから熟読を始める。本が書かれた年の十三年前から七年前、つまり現在の十五年前から九年前にかけて起きた出来事について記したと前置きされたその本は、まさしくプロクスの知りたい吹雪の魔女が現れた経緯について書かれたもののようだった。

「イストラムの町でこの本が手に入ればいくらか楽だったんだけどな」

「その本はこの町でしか流通しませんでしたよ。まあ、当然と言えば当然ですけどね。この町で起きた事をこの町に語り継ぐ為の本ですから」

「ということは、これを書いた人はこの町に? ……って、あれ、この著者名、まさか」

 表紙を確認して、プロクスが驚愕の声を漏らす。そこには三人分の著者名が書かれていたが、その内の一つは彼のよく知る名前だった。

「アレクス・ヘイゲル、フィリップ・オーガン、そしてディカイオス・ロア。その本を書いたのは、九年前に起きた掃討作戦で討伐隊を指揮し、現在の討伐隊を作った三人の魔導師です」

「ディカイオス以外にも、この町にはそんな魔法使いが? でも、そんな話は……」

「ええ、アレクスさんもフィリップさんも、去年亡くなりましたから。お二人とも魔法の天才と呼ばれた方でしたが、お歳でしたので。今は三人の中で最年少だったディカイオスさんだけが残って、この町の為に戦い続けてくれているんです」

「そう、ですか」

 ラクスの話を聞きながら、プロクスは彼女の発した一つの単語に興味を惹かれた。それは九年前に起きたという、掃討作戦。討伐隊が結成されるきっかけになったというその出来事がこの町にとって重要なものだったということは、ラクスの話し方からもなんとなく察することが出来た。

 少し考えて、プロクスはゆっくりと本を閉じた。この建物に来た目的は吹雪の魔女について調べることであり、本を読む為ではない。ならば、情報を得る為にその方法を選ぶ必要はないのである。

「ラクスさん」

「はい、なんでしょう?」

「聞いても良いですか、その、掃討作戦というものが何なのかを」

 質問を受けたラクスは、きょとんとした顔を浮かべながら、息を吹いて少し冷めてきたコーヒーを一口飲む。それから少し「んー」と唸ると、コーヒーカップをテーブルに置き、腰を落ち着ける為か座る姿勢を改めた。

「長くなりますけど、良いですか?」

「ええ、それを知る為に来たようなものですから」

「じゃあ、問題ないですね。とりあえず掃討作戦について話す前に、この町、というより、今は吹雪の魔女が居るあの山に氷人が現れた頃の話をしなきゃいけません」

 こほん、とそれらしく咳払いをして、ラクスはなるべく真剣そうな声を作って話を始める。さっきまでのマイペースでにこやかな印象とは違うその態度に、プロクスはその話題が彼女らアステイルの住民にとって重大なものなのだと肌で感じた。

「氷人とは魔族の一種です。狼に対して雪狼や沼狼なんて魔獣が存在するように、氷人は人間と似た姿をした魔人に分類されますね。ディカイオスさんから聞いた話だと、プロクスさんは吹雪の魔女と直接会ってるんですよね? なら、どんな能力を持つ魔族かは分かると思います」

「ええ、まあ」

「氷人はそこに居るだけで周囲の気温を下げ、意識すれば吹雪を起こすことも思いのまま。吹雪の魔女はその中でも特に強い部類ではありますが、たった一人の氷人を討伐隊が八年間も倒せずに居ることを考えれば、どれほど恐ろしい存在かはお分かりですよね」

 プロクスが閉じた『アステイルが凍った日』を手元に引き寄せ、ラクスはページをめくる。彼女が開いて見せたページには、「悪夢の始まり」という大きな見出しが書かれていた。

「十五年前の七月、一向に冬が明けない異常気象の原因を調査していたアステイルの魔法使い、フィリップ・オーガンが氷人の村を発見しました。それが今、吹雪の魔女が居るあの山です」

「その前の年までは、この町も夏は普通に暑かったんですか?」

「記録上は、そして私の記憶が確かであれば、その通りです。まあ、十五年前といえば私もまだ九歳ですし、あまり記憶はアテになりませんが」

 歳上だったのか、とプロクスはやや驚きながら、ラクスの差し出した「悪夢の始まり」に目を通した。どうやらフィリップが村を見つけた段階では、氷人の数が十人にも満たないごく少数だったらしい。だが時が経つにつれてどこからか新たな氷人が現れて人口は増えていき、その度に町の気温は下がっていったのだという。

 十五年前という数字に、プロクスは既視感を抱いていた。彼とクリスタロスが出会ったのも十五年前、そしてエトワンゼ地方の雪山での出来事である。

「これ以上は遅れられないから」

 あの日、幼いプロクスを救った彼女が去り際で口にした一言。次第に人口が増えていったという氷人の村と、何か関係を疑わずにはいられなかった。

「最初はただ、単純に気温が低いというだけの異変だったんです。農作物への被害は甚大でしたが、目立ったものといえばその程度。だから、アステイルの住民もそれほど氷人の事を危険視していませんでした。フィリップさんが氷人と交流して、お互いに干渉を最低限にする様に努めていたことも大きいでしょうけど」

 そこまで話して、ラクスはスカートの裾を握りしめる。表情は険しく、まるで忌々しい何かを思い出そうとしているようだった。

「事件が起きたのは、十年前の事です。それ以前から氷人が巨大な建造物を建てたりと動きはありましたが、決定的な事件が起きたのは、十年前。村を発見した当時から定期的に氷人と接触し不可侵の約束を交わしてきたフィリップさんが、氷人の王を名乗る人物から村への立ち入りを禁じられたんです」

「立ち入りの禁止? 氷人が交流を拒否したってことですか?」

「恐らく。そして、その日を境に町の気温は更に一段と下がり、それを敵対行動の予兆と考えたフィリップさんは、アステイルの町で最も優れた魔法使いであったアレクスさんとディカイオスさんと共に、氷人の王を討つ計画を立てたんです」

「でも、九年前に討伐隊がしたことって、確か」

「ええ、最初は、氷人の王を討つ計画だったんです。しかし、ディカイオスさんが事前に行った調査で、氷人が王を崇拝し服従を誓っている事が分かりました。王の考えは氷人全ての考えで、王を討っただけでは氷人の脅威からは逃れられない、と。アステイルの町はそれまでに五年以上の年月を氷人によりもたらされる寒冷気候に苦しめられ、そうでなくとも、敵意が無いかどうかも定かでない上位種が集まった村のすぐ近くで生活する恐怖を味わっていました」

「だから、掃討作戦……氷人を、皆殺しにしようとした?」

 プロクスは困惑を露わにしながら、ラクスに問いかける。その質問に対しラクスは苦々しい顔で目を泳がせ、それはまるで、盗みがバレた少年のような罪悪感に満ちた表情だった。

「もちろん、反対する人たちも居ました。でも町の大人たちは、氷人が怖くて仕方がなかったんだと思います。掃討作戦は実行されました。突然の襲撃に戸惑う氷人を一人残らず殺す為に、わざわざアステイルの町とは反対の側から村を襲う形で。討伐隊の人たちは決して話そうとしませんでしたけど、きっと、その中には当時の私より小さい子どもだって……居た、筈で」

「ッ……ラクスさん! 無理をしないでください、気分が悪いならそれ以上話さなくても」

「いえ、平気です、ありがとうございます」

 ラクスは明らかに葛藤しているようだった。討伐隊の行った掃討作戦はアステイルの町を救っている、それは確かである。だが、その為に氷人の皆殺しという残虐な選択が行われたこともまた、確かな事だ。その罪の意識を、彼女は抱いているようだった。

「でも、結果的に掃討作戦は失敗したんです。氷人の王を殺し、氷人の村を滅ぼし、全てを終わらせたつもりだった討伐隊は彼女の生存に気が付かなかった」

「……クリスタロス」

「ええ、吹雪の魔女です。彼女は町へ戻ろうとする討伐隊に襲いかかり、それまでの戦闘で疲弊した討伐隊の隊員を多数殺害。ディカイオスさん達は撤退を強いられました」

「それじゃあ……彼女が、クリスタロスが変わってしまった理由は……っ!」

 真実を知って腹の底から湧き上がってくる怒りを、プロクスはどこへ向ければ良いのか分からなかった。氷人の王か、フィリップか、ディカイオスか、それともクリスタロスか。どこへ向けても間違っているような気がした。ただ一つ言える事は、彼女が人間に向ける敵意は、同胞を殺された復讐心から来るものだという事である。

「フィリップさん、アレクスさん、ディカイオスさんの三人は町へ戻ると、アステイルの脅威となるであろう吹雪の魔女に対抗する為の討伐隊を結成しました。そして今日に至るまで、吹雪の魔女が仕掛ける町への襲撃を防ぎながら、魔女討伐を目指して定期的な襲撃を行っている、という訳です」

 ラクスの話は、最早プロクスの耳に届いていなかった。

 悪いのは誰だ? その問いに答えられる者は居ない。

「……コーヒー、おかわりいりますか?」

 彼の内心を察したのか、ラクスは困ったように笑いながら質問する。プロクスは無言でコーヒーカップを差し出しながら頷くことで肯定の意を示し、視線をテーブルの上に置かれたままの本に向けながら思考の海に潜り込んだ。

 十五年前に出会ったクリスタロスは、人間の子どもを吹雪から救うような心優しい少女だった。彼女がその時どうして一人だったのかは分からないが、氷人の村へと向かう途中だった事は確かなように思える。そして、彼女がクリスタロス・ナイアトスという心優しい少女から、冷徹な吹雪の魔女へと変貌してしまった原因。それは、九年前に起きたアステイルの人々による掃討作戦で間違いない。

 ならば、プロクスに出来ることなどあるのだろうか。彼は自分の部外者という立場を呪った。恩人の抱く復讐心を、経緯を今さっき知ったばかりの自分に癒やすことなど出来はしない。

 そして同じように、彼はアステイルの人々に対しても、掃討作戦が極悪非道の所業だとは思えなかったのである。氷人に怯え平和を求めた彼らの気持ちも理解が出来るが故に、だからこそプロクスは、どちらの敵にもなりきれない自分が腹立たしかった。

「くそっ……!」

 数日前までは、ただクリスタロスと再会出来ると考えるだけで嬉しかった。だが今は、会ったところで彼女に何もしてやれないという現実が、プロクスにとって何よりも辛かった。かつて自分を救ってくれた恩人が人間に対し憎悪を燃やし傷つけ合う姿を、ただ止めることも叶わず、ましてや彼女を救ってやることなど出来そうにもない。真実を知れば知る程に、プロクスには苦悩が増えていった。

 だが、彼は頭を抱えながらもふと気づいたことがあった。クリスタロスが自分の知る穏やかな少女ではなくなり、人間を何人も殺したのだと知ってなお、プロクスが彼女に対して抱く好意は消える気配がなかった。むしろ、彼女の境遇を知れば知るほどに、クリスタロスの事を救いたいと思う気持ちは強くなっている。自分の感情でありながら、プロクスにはその理由がよく分からなかった。ただ単純に恩義を感じているだけならば、一度殺されかけた時点で少しは気持ちが揺らいでいただろう。だがそうはならなかった。

 プロクスは心のどこかで信じていた。荒れ果てたクリスタロスの心を癒やし、彼女と人間の争いを止め、再び彼女と他愛ない話が出来る時が来るのだと。その僅かな希望がプロクスの中に残っている限り、彼に諦めるという考えは存在しない。たとえ自分がクリスタロスに殺される羽目になったとしても、プロクスは厳しい現実への抵抗をやめるつもりなどなかった。

 その強い想いが果たしてどこから出てくるのか。それはプロクス自身にも分からない。だが憎しみと怒りに満ちた彼女の顔を、あの日出会った時のように冷たくも柔らかい表情に変えることが出来たらと思うと、この場から逃げ出して彼女の事を忘れようなどという気持ちは一切湧いてこなかった。

「……やっぱり、もう一度会って話したい。そうすればきっと、俺のこの気持ちがどこから来るのかも、分かる気がする」

 テーブルの上で開かれたままの本を閉じ、彼はそれを本棚へと戻した。ラクスはまだ戻ってこない。きっとお湯を沸かすのに時間がかかっているのだろうと、プロクスはまだ高ぶったままの感情を鎮めながら待つことにした。

「はぁ……昨日も今日も、変に興奮して胃に悪そうだ。研究所で実験に失敗した時だって、ここまでどうしようもない気分になった事はないぞ。クリスタロスに再会する前に、体の方が音を上げなきゃ良いけど……」

 ソファに腰を沈め、大きく息を吐く。葡萄館の外では強い風が吹いているようである。ガタガタと揺れる扉の音を気にしながら、プロクスは目を閉じた。もう眠気は一切なかったが、そうすれば心が落ち着くような気がしたのだ。

「お待たせしました~……おや、おやすみでしたか?」

「あ、いえ。寝ようとしていた訳ではないので、大丈夫です。コーヒー、いただきます」

「はい、どうぞ」

 コーヒーカップを一つプロクスに手渡し、ラクスはまた彼の正面へ座る。しかし彼女の格好はブラウスにスカートというさっきまでの服装と違い、もこもこという表現が似合いそうな厚い上着でふっくらとしていた。

「この辺りの家はどこも暖房器具が当然の様に置いてありますけど、この館は建てられたのが随分昔だということもあって、最近の魔動暖房は対応してないんですよねぇ。夜は冷えて体を壊すので暖炉を使ってるんですけど、昼間はこうして着込んだ方が効率が良くて」

 プロクスの視線に気がついたのか、ラクスはコーヒーカップで手を温めながらそう言って苦笑した。確かに葡萄館は見たところ古い建物らしく、彼女の言う通り、魔動暖房と呼ばれるポピュラーな暖房設備はどこにも見当たらない。暖炉というのもラクスの生活している地下室に設置しているらしく、エントランスホールは外と大して気温が変わらないように思えた。

 そういえば上着を脱いでいなかった、と今更になって自分の無礼に気付いたプロクスだったが、しかし脱げば寒いのは火を見るより明らかである。どうしたものかと迷った末に、彼は何かを思いついたように「あ」と声を発した。不意の声にラクスは不思議そうな表情を浮かべ、彼の方を見る。その視線に気がついたプロクスは、懐からライターを取り出してテーブルの上に置いた。

「ラクスさん、紙を八枚と、あと筆ってありますか?」

「ありますけど……それは?」

「色々と話してもらったお礼に、ちょっとした魔法のお返しを。こう見えて自分は、イストラムの町では魔法の研究をしているんですよ。まさか、こんな所で役に立つとは思いませんでしたが」

 そう言うと、プロクスはラクスから受け取った八枚の白い紙に一つずつ、万年筆で全八種類の魔法陣を描き始めた。それは先日彼が参加した実験で使用した結界魔法の魔法陣で、熱の遮断に特化したものである。その時の実験ではその性質の強さから温度調整が難しいという不具合が見つかって改善の余地ありと判断された代物だが、今この場で使う分には問題ない。

「はぇぇ、私には何を描いてるのかさっぱりです。魔法使いの人たちは皆こんなものを覚えてるんですか?」

「俺は基本的に、仕事で扱った魔法はとりあえず覚えておくようにしてます。こんなふうに、どこかで使える事もあるかもしれないので」

 描き上がった魔法陣を一つずつ部屋の隅に配置し、プロクスは魔力を注ぎ結界を展開した。葡萄館のエントランスホールを囲う形で発生した結界は一瞬光を放っただけですぐに視認出来なくなったが、その要である魔法陣は淡い光を放ち続けている。

 プロクスはソファに戻ってライターを手に取ると、操炎魔法で空中に炎の玉を四つ浮かべ、四方の壁の中心に位置する場所へ配置した。本来なら壁が焦げたり本棚が燃えたりしてもおかしくないような位置だが、結界が熱の行き来を防ぐことでその心配はない。彼が少し火力を調節してやれば、結界内の気温はあっという間に二十度弱の適温へと変化した。

「あとは、火を消しても熱は外に逃げないから、結界が残ってる限りこの気温はある程度まで保たれます」

「へぇ~、便利~……」

 気の抜けた声を漏らしながら、ラクスは上着を脱いで元の服装へと戻る。気温が十分上がったと判断したプロクスも、彼女と同じように上着を脱いで膝の上で畳んだ。

「まるで春みたいだ……」

「いや、まあ、季節的には今も春なんですけどね」

「あ、そうか。この寒さだともう年中冬みたいなもので、すぐに忘れちゃうんですよね」

 そう言って苦笑するラクスの様子に、プロクスは少し寂しげな印象を抱いた。この町に住んでいる人々は、十五年前に氷人が現れてから、ずっと冬の中に閉じ込められているのだ。そんな感想がふと浮かび、プロクスはまたしても自分の気分が暗く沈んでいくのを感じた。

 今、この町に脅威をもたらしているのは吹雪の魔女である。元凶がなんであろうと、それだけは決して間違いない。もしも彼女の憎悪を鎮める事が出来れば、この町の人々も一緒に救う事が出来るのだろうか。クリスタロスを愛し、人々の平和も願う彼にとって、それこそが最も望ましき展開のように思えた。無論、それが非常に難しいことだと理解した上での話だが。

 プロクスが葡萄館を訪ねてから約三時間後。欲しかった情報は一通り知ることが出来たが、彼はしばらく葡萄館に留まって資料を読むことにした。というのも、昼時が近づいていることもあり、ラクスが昼食を用意すると申し出たためである。厚意を無碍にすることも出来ず、彼にとっても昼食をどこで食べようかなどと迷う手間が省けるのは得だった。

「やっぱり、どの資料を見ても書いてあることは大体同じか……ラクスさんから聞いた話と殆ど変わらない」

 これ以上調べ続けても得られるものは少ない。プロクスはそう感じ、読んでいた『嘲笑する大災害』という本を本棚に戻した。その時のことである。彼は本棚の端に、ただ押し込まれただけに見える新聞を発見した。

「……なんだ、これ」

 仕舞われていると称するには乱暴すぎるその扱いに興味を惹かれ、プロクスは新聞を手に伸ばす。書かれた日付は一年前の八月。一面記事には「アステイルの英雄 フィリップ・オーガン戦死」という見出しが踊っていた。

「フィリップ・オーガン……? 一年前に死んだって、戦死だったのか」

 プロクスはラクスが先程話していた事を確認しようとしたが、彼女は昼食の用意をする為、地下にある厨房へ下りていてエントランスホールには居ない。フィリップが亡くなってから出版されたものが無いことをいくつかの本を引っ張り出して確かめると、彼は新聞を持ってソファへと戻っていった。ラクスの話を聞いてから初めて見る、未知の情報である。

 記事の内容は、吹雪の魔女討伐作戦の最中に起きたフィリップの死を伝えるものだった。彼の享年は五十七歳であり、いかに熟練の魔導師であろうと体の衰えには勝てないという旨の考察が、フィリップが戦死する半年前に六十六歳で病に倒れ亡くなったアレクスの話題と絡めて記されている。記事の最後には唯一生き残った英雄であるディカイオスのインタビューが載っており、彼は盟友の死について吹雪の魔女に対する憤りを露わにしていた。

「氷人が現れたのが十五年前だから……当時はフィリップが四十一歳、アレクスが五十二歳、ディカイオスが、この記事が書かれた時点で五十一歳だから、三十六歳か。結構、歳はバラバラなんだな」

 そんな事を呟きながら、プロクスは新聞をめくる。一面以外に彼の目を引くような記事はそれほどなく、せいぜい「魔動列車でイストラムまで片道二時間」という広告に自分の働く研究所のロゴが描いてある事に驚いた程度だった。

 ふと壁の時計に目を向けると、もう少しで十二時を回るという時間になっている。プロクスは新聞を元あった場所へ置き直すと、もうこれ以上調べるものは無いというふうに、本棚に放置された討伐隊と関係の無さそうな小説を持ってソファへ腰を下ろした。ラクスが山盛りのサンドイッチをバスケットに入れて運んできたのは、それから十分ほど後の事である。

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