表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

アステイルの英雄

 侵入者が去った氷の城に耳障りな音は無く、憎き怨敵にまんまと逃げられつい数分前まで怒り狂っていたクリスタロスも、今ではいくらかの落ち着きを取り戻していた。火炎放射器の影響で両腕は火傷を負っていたが、傷は氷に覆われ急速に治癒が進んでいる。壊れた城の壁もディカイオスらが逃げた後にすぐさま修復し、既に城の内装は元通りに戻っていた。

 城の二階中央に位置する広間で椅子に腰掛け、クリスタロスは溜息を吐く。数の欠けた雪狼の報せを受けて眠りから覚まされたこともあり、束の間の平穏を取り戻した彼女の睡眠欲は再び高まっている最中だった。

「まさか、幻霧域に入らずこの城まで辿り着ける奴が居るとは。一体どんな小細工を使ったのやら。まあ良い、取り逃がしたのは癪に障るが何も問題はないからな。一眠りして目が覚めたら、今度は私の番だ」

 そう独り言ちて、クリスタロスは目を閉じ全身から力を抜いた。一度眠りに就けば、目覚める頃には先の戦闘で被った傷や魔力の消耗はすっかり消えている。だが半ば意識も遠のきかけた頃、彼女はついさっき耳にしたばかりのある名前が、朧気な過去の記憶を引っ張り出そうとしている事に気がついた。

「……人間の名前に、興味なんて無い。なのに、どうして、頭から離れない? プロクス・ヘリオ……お前は一体、何者だ……?」

 微睡みの中で寝言も同然に呟き、吹雪の魔女は夢の世界へと落ちていった。城の外では、吹き荒れていた吹雪が静かにその勢いを失い、次第に穏やかな雪へと変わっていく。広間には、ただ安らかなクリスタロスの寝息だけが聞こえていた。

 その同時刻、混乱する心を鎮める為に宿へ戻るや否やベッドへ飛び込んだプロクスは、南側の窓から差し込む日の光を顔に受け、熟睡の極みからゆっくりと覚醒した。本人が思っている以上に体へ溜まった疲労は、興奮の冷めたプロクスに未だのしかかっていたが、ベッドに彼を縛り付けるほど重たくはない。

「どのくらい寝てたんだ……?」

 部屋に置かれた時計に目をやると、時刻は午後四時二十七分を指していた。仮に多少針の狂いがあったとしても、空の様子を見る限り、おおよそその程度の時間で合っているだろう。

 プロクスは肩や首のこりをほぐしながらベッドから立ち上がると、鞄の中から取り出したメモ帳を机に起き、椅子へと腰掛ける。心の混乱は落ち着いたが、まだ分かっていないことばかりだということに変わりはない。今の彼には、自分が得た情報を整理する必要があった。

「分からない事が多すぎる。どうしてクリスタロスがあんなふうになってしまったのか気になるけど、それ以外のことも謎だらけだ。この町の平均気温がある年を境に上がっているのもそうだし、一体、吹雪の魔女ってなんなんだ……?」

 プロクスの耳には、クリスタロスの悲痛な叫びが今も残って響いていた。

「私は吹雪の魔女、忌むべき災厄。そう呼び始めたのはお前たちの方だ」

 彼女があの場で下らない嘘を吐く必要などない。ならばその言葉は真実なのだろう、とプロクスは解釈した。ということは、クリスタロスは自分で魔女を名乗ったわけではなく、彼女と敵対する者、彼女を恐れる者がそう呼び始めたということになる。これが、プロクスにとっては一つの疑問だった。

「クリスタロスを魔女と呼ぶからには、それだけの理由があったはず。つまり、その時点で彼女は人間に対して危害を加えていた……? それにしては、あの口振りに違和感がある。あれはまるで、気に入らないあだ名をムキになって名乗っているような態度だった……駄目だ、分からない。せめて、クリスタロスが人間に敵意を持った時期さえ分かれば……っ」

 なにもかもが分からない尽くしだった。持っている情報そのものが少なく、その情報同士の繋がりも不明瞭で手掛かりにならない。だが頭を抱え唸る内、彼は今日出会ったもう一人の人物がふと口にした一言を思い出した。ディカイオス・ロア、彼がプロクスに忠告する際に発した言葉である。

「俺はこの町を守るために討伐隊を作った」

 作った、ディカイオスは確かにそう言った。その言葉が言葉通りの意味を持つとしたら、彼は吹雪の魔女に対抗する為の討伐隊を作った張本人ということになる。それはつまり、この町の人々が吹雪の魔女という脅威に立ち向かうことになったきっかけを、ディカイオスが少なからず知っているということだ。プロクスの知りたい情報を聞き出す相手として、これほど打ってつけな人物はいない。

 だが、それには僅かな躊躇もあった。彼はプロクスが吹雪の魔女に会おうとした理由を知りたがっている。もしプロクスが何かを聞き出そうとすれば、ディカイオスも当然、自分の抱いている疑問を投げかけるだろう。次そんな状況になれば、お茶を濁すのにも限度がある。答えずに逃げるということは出来ないだろう、とプロクスは予想した。

 幸い、アステイルの町にも図書館はある。図書館には当然、この町の歴史について触れた文献も揃っているだろう。最悪の場合ディカイオスに頼らずともある程度の情報は集められる筈だと安全策を用意しながら、プロクスはこの町で最も自分の求める答えに近いであろう男にどう接触すれば情報を最善の形で聞き出せるだろうかと考え始めた。

 だが、プロクスにはそれより先に考えるべき問題も残っていた。今はまだ夕方だが、このまま無為に過ごしていればすぐに夜はやってきてしまう。素泊まりの宿では夕食のあてもなく、彼は町で食事をとる場所を探す必要があった。昼間に入った店は、もうどこで見かけたのかも忘れてしまっている。

「はぁ……旅行にも少し慣れておくべきだったな、スケジュール管理の仕方も分かりやしない」

 溜息を零しながら、プロクスはおもむろに席を立った。少なくとも半月は余裕でアステイルの町に滞在出来るだけの用意はしている。ともすれば長居するであろう町の地理を少しは把握しておくべきだろうと思い立った彼は、夕食をとる店を探すついでに、宿の周辺を一通り散策してみることにした。

 改めて屋外に出てみると、やはり気温はイストラムの町と比べて格段に低い。どうやら建物が冷気を遮断するような構造になっているらしく、そういえば部屋の中では寒さを感じなかったな、なんてことを考えながらプロクスは白い息を吐き、まだ青い晴れた空の下を歩いていた。四時間ほど前にこの町へ到着したばかりという事を改めて思い出し、彼は到着したばかりの頃には殆ど注目していなかった町の景色に目を向ける。アステイルの町は建物の多くがレンガ造りで、どれも似たような見た目をしていた。

「成程、確かにディカイオスが言っていた通りだな。違いが分かりづらい、いくつか路地を通り抜けたらそれだけで迷いそうだ」

 独り言を漏らしながら歩くこと十分弱。プロクスは偶然にも、アステイルの図書館に辿り着いていた。しかし残念ながら、入口の脇に掲げられた看板には午後五時閉館と書かれている。今から入っても満足に調べ物は出来そうになかった。

「開館は何時だ? 十時……か。明日は朝から調べ物かな、何か有益な情報が見つかれば良いが」

 図書館の前で宿から現在地への道筋を確認し、しっかり記憶した事を確かめると、プロクスは再び歩き出した。まだ夕飯時には時間があったが、早めに目星をつけておくに越した事はない。

 アステイルの駅を中心に町内の散策をある程度終えた後、プロクスは宿から徒歩五分ほどの距離にある一軒の飲食店に入った。個人経営らしき小さなその店は、まだ六時を少し過ぎた時間だというのに席が殆ど埋まっていたが、お一人様のプロクスにはあまり関係のない話である。

「いらっしゃいませ! カウンターのお席へどうぞ!」

 若く明るい女性店員の案内を受け、プロクスは促されるままカウンター席の椅子に座る。カウンターの奥の厨房では、背の高い細身の男が一人で料理を作っている姿が見えた。二人とも左手の薬指に銀の指輪をはめており、どうやら夫婦で店を切り盛りしているらしい。

「さて」

 普段から一人で食事をとることになんの寂しさも感じず、むしろ一人の時間を好むプロクスにとって、見知らぬ土地の賑わう店に一人きりという状況も、さほど抵抗がある状況ではない。メニュー表をおもむろに開いた彼は、財布の中身と相談しながら今夜の夕食をどれにしようかと一人考え始めた。

 その直後の事である。

「そういえば今日の昼間、ディカさんが一人で山に向かうのを見かけたんだが、ありゃなんだったのかね。次の討伐予定は確かまだ先だろ?」

「俺も知らねぇ。一人ってのは妙だな、魔女とやりあうなら流石の大将でも俺らに頼るだろうし……大将の性格を考えると、余所者が山の方に迷い込むのを見かけたのかもな」

 プロクスの背後、道路に面した窓側のテーブル席からそんな会話が聞こえてきた。口振りから彼らが討伐隊の隊員だと推測したプロクスは、メニュー表から目を外さず聞き耳を立てる。意図せぬ遭遇だった。自分から何かを尋ねるにはややリスキーな状況だが、盗み聞きする分には思わぬ収穫が期待できる。プロクスは店員の女性に値段の安いペペロンチーノを注文すると、怪しまれないようにリラックスした様子を装いながら、背後の男たちに意識を向けた。

「って言ってもなぁ、余所者があの山に迷い込むか? 普通。あの山には魔女の城以外に何も無いし、雪狼は棲みついてるし、なにより幻霧域のせいでまともに進むのだって無理だぜ。誰がなんの為に登るんだよ、あんな山」

「それはほら、よく言うだろ。登山趣味の奴らはとりあえず山と見れば登るらしいからな。魔女のことはこの辺りの地域でしか知られてないし、魔道列車の駅が出来てからは余所者も増えたけど、そもそもこの町にゃ見るものなんて何もない。観光客がそもそも少ない分、噂も町の外に広まらないから、事情を知らずに登っちまう奴だって出なくはないだろうさ」

 幻霧域。聞き慣れないその単語に、プロクスは思わず首を傾げる。男たちが言うには城へ近づくのを阻む何かのようだが、プロクスが山を登った際にそんなものを見たりした覚えはなかった。雪狼については心当たりがあるだけに、幻霧域という言葉が何を指しているのかが分からないのは、彼にとって新たな謎の登場である。あわよくば新たな情報を得ようと考えていたプロクスにしてみれば、まさしく藪から棒という思いだった。

 そして、そんなプロクスの疑問を知る由もなく、男たちは会話を続ける。

「そういえば、最後に雪狼が町に現れたのっていつだったっけ?」

「あー、覚えてねえや。でもそんなに前じゃないだろ、あの雪狼だって吹雪の魔女がけしかけてるんだから。ま、いつ来ても俺らが食い止めれば良いだけの話だろ? なにせ、この町には大将が居るんだしな」

「それもそうだ、あの人は町の英雄だからな。アステイルの大魔導師なんて呼ばれるだけはあるぜ、実質討伐隊の戦力は半分以上があの人みたいなものだ」

 ディカイオスの魔法を実際にその目で見たプロクスは、男の言葉に心の中で同意した。あの熟練した魔法使いは、どれだけ悪意を込めて見積もったとしても、決して生半可な実力の持ち主などとは言えない。むしろ、プロクスが過去に出会った魔法使いの中で最も優れた人物と言っても過言ではなかった。

 それが分かっているだけに、部外者ながらプロクスは思った事があった。それは、ディカイオスがあまりに強く、頼られすぎているのではないかというところである。確かに彼は、たとえ一人でも十分に戦うことが出来るだろう。それだけの実力を持つ男だ。しかし、それは裏を返せば、彼以外の戦力があてにならないという事でもある。

 町の外から来た人間であるプロクスにとっては他人事でしかなかったが、彼はイストラムの町で情報を集めていた段階で、吹雪の魔女による襲撃が度々起こっていることは知っていた。過去の襲撃が仮にディカイオスを頼りに全て解決されてきたとしたら、もしも彼に不慮の事態が起きたとき、この町の安全は誰が守るのだろうか。

「……いや、余計なお世話か」

 他人の心配をしている暇はないし、向こうだって無関係の人間に心配されるのは癪だろう。プロクスは内心でそう呟くと、肩をすくめ、聞き耳を立てるのをやめた。他人の会話を盗み聞きするなんて失礼なことはせず、今は頼んだ料理を静かに待つべきだと、そう考えたのである。

 しばらくして、二人の男は会計を済ませて店を出た。プロクスが気づかれないように振り向いて彼らの顔を見たところ、どうやら男たちはどちらもプロクスと大差ない歳の若者のようである。二人は店の外でしばし会話を続けると、逆方向へと別れてどこかへ去っていった。

 それからすぐに、プロクスのもとへペペロンチーノが運ばれてきた。茹で上がったばかりの麺からは湯気が上がり、この寒い町では一層温かそうな印象である。フォークを手に取り口に運んでみれば、それは特別美味しいという訳ではないが、値段相応の無難な味だった。

「……うまい」

 思い返せばプロクスは、この町に来たそのときからほんの少しでも気を休めた瞬間がなかった。宿で眠っていた間でさえ、混乱する頭の中を鎮めるのに精一杯だったのだ。食事に没頭する事で余計な思考を遮断した彼は、ここにきてようやく真に心を落ち着かせる事が出来た。

 普段は食べ物を腹に詰め込むような食事をしているプロクスだったが、今日ばかりは時間をかけて早めの夕食を楽しんだ。気を休めるという行為がこれほど大事だったとは。体から余計な力が抜けたのを感じて、プロクスはそう実感する。彼が無意識に浮かべた笑みを見たのか、店員の女性は柔らかく微笑んでいた。

「ご馳走様でした」

「ありがとうございました、またどうぞ」

 にこやかに見送られ、満腹のプロクスは店を出る。日は既に落ち、澄んだ空にはちらほらと星の光が見えていた。街灯にはいつの間にか明かりが点いており、道は歩くに困らない程度に照らされている。

「宿に戻るか、もうこの時間からじゃほかに何も出来やしないだろうし」

 忘れかけていた屋外の寒さに少し身を震わせ、プロクスは宿へ向かって歩き出す。駅前を横切ったとき、広場の時計は午後七時十九分を指していた。

 再び宿へ戻ってきたプロクスは、明日に備えて図書館を訪ねる用意を整えた。図書館に籠もって情報収集に励むのには慣れている。彼は、明日一日をそれだけに費やしても良いとすら考えていた。それで得た情報がクリスタロスと理想の形で再会を果たす役に立つのなら、何も無駄なことではない。

 だが彼の予定は、日付が変わる前に崩れることになる。

「さあ、今宵も始めようか人間ども。かつてこの地に繁栄し絶滅した氷人たちのように、私がお前たちを滅ぼしてやる」

 クリスタロスの一声で、百を優に超える雪狼が一斉に山を駆け下りはじめる。目指す先は、当然、麓にあるアステイルの町。吹雪の魔女が抱く敵意が、形を成して夜の空へ吠えた。


 騒がしいという言葉では表しきれない笛の音が町中に響き渡る。それはアステイルの住民なら知らない者は居ない、そして聞きたいと思う者も居ない忌々しい音。討伐隊の監視塔から発せられる、吹雪の魔女による襲撃を報せる警報である。

「なんだ……?」

 その大音量に目を覚まされ、プロクスはベッドから体を起こした。時計に目を向ければ、針は十時半ば頃を指している。

「まさか、この音って」

 プロクスは警報の存在を知らなかったが、この町が置かれている状況からそれが緊急事態を報せるものだということを瞬時に理解した。そしてすぐに寝間着を脱いで服を着替えると、ライターを持って宿の外へと飛び出す。監視塔からは拡声器を用いた避難の案内が行われていたが、プロクスは夕食の際に聞いた討伐隊の話が気にかかっていた。役に立たないかもしれない、だが何もせずに逃げ隠れるというのも自分には出来ない。そう考えたプロクスは、ディカイオス頼りの討伐隊に加勢する為、監視塔が離れるよう呼びかける町の西側へとあえて走り出した。

「雪狼の群れが接近中です、住民の皆さんは監視塔の指示に従って避難してください!」

 討伐隊の隊員らしき男たちが、住民の避難誘導を行っている。その隙間を流れに逆らって通り抜け、プロクスは路地裏へと飛び込んだ。逃げる人々の邪魔になるのを避ける為である。

「雪狼の群れ、ってことは昼間に遭遇したあいつらか。なら、俺でも力は貸せそうだ」

 そう呟きつつ、彼は少し寂しげでもあった。

「……クリスタロスは、来ないのか」

 彼女が山から下りてきたのであれば、再び会話を試みることも出来た。だが実際に起きているのは、彼女が操る魔獣による襲撃である。プロクスは落胆する気持ちを抱きながらも、右手に握ったライターを握りしめて顔を上げた。町の被害を抑える為に動くことは決めていたし、それは町に現れたのが本人でも魔獣でも変わりはしない。避難する住民の流れが収まると、彼は路地裏から通りへと出て討伐隊の青年へと近づいた。

「あ、まだ残っていたんですね。避難先はあちらです、急いで――」

「俺はプロクス・ヘリオ、火の魔法が使えます。雪狼とやらの撃退を手伝わせてください、力になれると思います」

「魔法使い……!? で、ですが、私は討伐隊の中でも下っ端で、一般の方へ簡単に協力を頼むわけにもいかない訳でして……」

「なら、勝手に手を貸しましょう。これからやることは、俺が自分のわがままでしたことです。貴方が上から怒られたらこう言えば良い、止める暇もなかった、ってね」

 そう言うが早いか、プロクスたちの耳には敵襲を知らせる音が届いた。雪狼の鳴き声が、地を響く彼らの足音が。遠くから聞こえ始めたのは人の叫び声と、獣の放つ唸り声。プロクスは再び走り出した。既に彼は町の外れまで来ていたが、どうやら討伐隊は町の外側で雪狼を食い止めようと構えているらしく、まだ姿は見えていない。

 怒号の如き叫びの中に時折聞こえる悲鳴。町を出て、溶け残る雪の上を走り抜け、プロクスがようやく辿り着い時、戦場では人間と雪狼が入り乱れて乱闘の様相を呈していた。

「ディカイオスは……どこだ、居ない?」

 視界に映るのは、剣や棍棒などそれぞれ武器を持ち武装した人々と、彼らに襲いかかる雪狼の姿ばかり。ディカイオスの姿はどこにも見当たらず、魔法を使えるらしき者の姿すら、意識して探せばちらほら確認出来る程度の人数だった。

「くそ、町の英雄じゃなかったのかよ」

 雪狼に飛びかかられ悲鳴を上げる隊員を目撃したプロクスは、弾くようにライターの蓋を開け、灯した火を投げるような動作で飛ばした。魔力を込められた火は着弾するまでの間に大きく成長し、火力を増して雪狼を包み込む。プロクスは隊員の方へ燃え移るのを防ぐよう炎を操り、密集した数体の雪狼を一度に焼き払った。

「これは、魔法? アンタは、一体……」

「加勢しに来ました、手伝わせてください」

 そう言って構えつつ、プロクスは表情を曇らせた。いかに彼が炎を自在に操れようと、乱闘状態の戦場で雪狼だけを狙って攻撃することは難しい。討伐隊が全員退けばあるいは、と思ったところで実行する方法を部外者の彼は持っておらず、出来ることは目についた雪狼を地道に倒していくことくらいである。

 悲鳴と咆哮が絶えず響き合う中、プロクスは窮地に陥った隊員の救出に尽力することを決めた。集団戦法に疎いプロクスにも分かるほど統率のない討伐隊ではあったが、仮にも戦う意思を持つ者達である。雪狼に対して完全に無力な訳ではない。自分が前に出て戦う必要はないと自重気味に判断したプロクスは、隊員の戦闘不能を防ぐことで戦力の維持に貢献することにしたのだ。

 だが、時間が経てば当然疲労は表れる。プロクスが戦場に辿り着いて程なくして、討伐隊の面々は明らかに動きが鈍くなり始めていた。

「ぐぁあああっ!」

「っ、そっちか……ッ」

 悲鳴を聞きつけ、プロクスがライターを構える。だがその直後、雪狼から逃げる隊員の肩が彼の手にぶつかり、ライターが地面に落ちた。炎を思うままに操る操炎魔法も、火種がなければ意味がない。その一瞬の隙を突くように、一体の雪狼がプロクスに向かって跳びかかった。

「ガァァァアアウ!」

 武器もなく、魔法も使えない。まさに絶体絶命の状況で、足掻こうにも足掻く方法がない。プロクスは辛うじて一撃目を避けたが、二撃目をまた避けられる自信はなかった。ライターは乱闘の渦中で踏みつけられ、雪の中に沈んでしまっている。切り抜ける方法は最早残されおらず、彼は一転して窮地に陥った。

「くそ……っ!」

 プロクスを獲物と決めた雪狼が振り返り、走り出す。相手は多くの仲間を焼き殺した仇である。その鋭い眼光は、プロクスに対する殺意に満ちていた。

 しかし直後、走り出したばかりの雪狼は、足元から突き出した土の柱に押し出されて宙を舞った。薄く積もった雪に落下物を受け止められるほどの柔らかさはない。着地に失敗した雪狼はしばらくもがくとすぐに動きを止めた。

「一体、何が……?」

 その不自然極まりない現象にプロクスが戸惑っている間にも、土の柱は次々と現れ続ける。そして町とは反対側の雪原からは、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「すまない、思いのほか取り逃がしてしまったな。でももう大丈夫だ、食い止めてもらって助かった」

「ディカイオス……! まさか、この魔法は」

「……おや、見慣れない顔があると思ったら昼間の。その様子だと、どうやら俺らが助けられたようだな。プロクスだったか、礼を言うぜ。昼間の貸しを返しにでも来たのか?」

「いや、そういうつもりじゃなかったんですけど……」

 口ごもるプロクスに歩み寄り、ディカイオスは労うように肩を叩くと、足元に落ちているライターに気が付き拾い上げた。プロクスがそれを受け取ると彼は歯を見せて笑い、今度は指を鳴らしてみせる。途端、突き出した土の柱はボロボロと崩れ始め、後には雪の上に盛り上がった小さな土の山だけが残っていた。

「本当はもう少し町から離れた場所で食い止めるつもりだったんだがな、今日は数が多かった。半分以上、ありゃ三分の二は抑え込んだかな。だが残りは取り逃しちまった、それがここまで辿り着いた奴らだ」

「三分の二……!? これの、ここに来た雪狼の二倍近くを一人で?」

 正確な数こそ分からないものの、プロクスが見た限り、討伐隊が戦っていた雪狼は五十体を下らない大群だった。プロクスでも状況次第では一人で対処出来なくはない量ではあるが、それが二倍ともなれば難易度は比較にならなくなる。ディカイオスの言葉に偽りがないのであれば、無傷に等しい彼の姿がそのまま彼の高い実力を証明していた。

 だが、プロクスが驚愕したのはそこだけではなかった。彼がたった今使ったのは、土を操る操土魔法。プロクスの操炎魔法と同系統の、習得に時間のかかる練度の重要な魔法である。それを簡単に使いこなすディカイオスは、既に今日だけで爆発の魔法と空間転送魔法をプロクスに見せている。全く分類の違う三種の魔法をどれも高い完成度で扱う彼は、まさしく常人離れした人物と呼んで差し支えない。

「……流石は、アステイルの英雄と呼ばれるだけはある、か」

「それは違うな。英雄だから強いんじゃない、強いから英雄なんてやれてるんだ。強くなる為には努力を惜しまなかったし、その成果としてこうして町の為に戦えてるのさ」

 そう言うと、ディカイオスは今回の襲撃が鎮圧出来たことを討伐隊に宣言し、それからプロクスの方へ再び向き直った。それぞれの隊員が自分の家へと戻っていく中、彼は話があると言ってプロクスをその場に留める。呼び止められたプロクスはその理由が分からず、訝しげな顔を浮かべながら指示に従った。

「プロクス、頭ん中のぐちゃぐちゃは収まったか」

 尋ねられ、思わずプロクスの顔が強張る。懸念はしていた問いだったが、いざ聞かれるとどう答えれば良いのか躊躇う気持ちは拭えない。

「まあ、多少は落ち着きましたよ。でもまだ分からない事だらけで、何をすれば良いのやら」

 無難な返答でお茶を濁す。だが、ディカイオスもそれで引き下げるほど馬鹿ではなかった。

「そうかい。俺はまだ気になっててな、アンタが山を登っていた理由。聞かせてもらえないか? どうして余所者のアンタが、あんな所に居たのか」

「…………」

 プロクスはやはり躊躇した。正直に答えたとして、この男は自分に対してどんな反応を示すのだろう。その想像がつかない以上、彼は自分のことを話したくなかった。だが、この状況で強引に話を逸らせばあまりに怪しすぎる。逆にここで真実を明かし、真正面から彼から情報を得られるように交渉した方が良いのではないか。それが数秒の沈黙でプロクスが到達した、苦肉の策とも呼べるような結論だった。

「……十五年前、俺は雪山で遭難しました。この町の近くではないけど、エトワンゼ地方の雪山です」

「遭難?」

「両親ともはぐれて、本当に死を覚悟しました。でも、俺の事を助けてくれた女の子が居たんです。彼女が名乗った名前は今でもはっきり覚えてます」

「まさかとは思うが、その名前ってのは」

「クリスタロス・ナイアトス。ずっと彼女の事を探し続けていました、会えないかもしれないと思いながらも、ずっと」

「……成程な。それで、吹雪の魔女と同じ名前だと知って、この町に来たわけだ」

「ええ、その通りです」

 そう説明して、プロクスは自分の下唇を噛んだ。薄れつつあった悔しさが再び湧き上がってきていた。自分がのうのうと生きてきた十五年の間に変わり果ててしまった彼女に、自分はもうあの日の思い出を語り合う事すら叶わないのだろうか、と。

「こう言うのもなんだがよ、プロクス。吹雪の魔女は……氷人は人類に対する脅威だ。その頃はまだあの化物も子どもだったから気紛れでアンタを助けただけで、本性はアンタも見た通りだぜ」

「それでも、俺は彼女と会って話がしたいんです。貴方の言う通り、次は殺されるかもしれない。それでも、俺はあの日の礼が言いたくて。出来ることなら、彼女がこの町を襲うのもやめさせて、お互いに戦わなくて済むようにだってしたいと思ってますよ」

「……止めはしないが、無理な話だろうな」

 ディカイオスは渋い表情を浮かべて一言。その顔に憎しみとも怒りとも言い切れない微妙な色を見出したプロクスは、彼の続ける言葉を聞いて更に口をつぐんだ。

「人間は長い年月をかけて魔法なんて技術を生み出したが、それで出来ることなんざ魔族どもの真似事ばかりだ。俺たちが必死こいてようやく覚えられる魔法を、魔族の連中はまるで魚が泳いで鳥が飛ぶのと同じくらい簡単に扱いやがる。そんな奴らが、能力で劣るのに支配種を気取ってる人間に対して敵意を抱かない訳がない。争うべくして争うことになるんだ。現に吹雪の魔女はそうだろう。あの化物は完全に人間を見下して、滅ぶべき種族だと断じてる」

「っ……!」

 プロクスは彼の言い分に反論する事が出来なかった。姿形は人間と同じでも、魔族が人間よりも優れた力を持つ上位種だという事実は明白である。世界の至る所で魔族と人間は争い、そして人間の編み出した魔法という技術が数の暴力という人間の戦術と合わさり、辛うじて勝利を収めているのが現状だ。ディカイオスの主張には、何も否定すべきところはなかった。

 だがそれでも、プロクスは諦めきれなかった。かつて彼女に救われた、怯える自分と親身に接してもらった。それが真実として彼の記憶に残る限り、プロクスはクリスタロスが問答無用で人間に敵意を抱くような人物には思えなかったのである。

 突きつけられた現実と自分の抱く理想の差異にプロクスが葛藤していると、ディカイオスは静かに溜息を吐いた。その表情はさっきまでの苦々しいものとは打って変わって、まるで泣くのを我慢する子どもを見る親のようである。

「プロクス、ちょっとした取引をしないか。悪い話じゃないと思うんだが」

「取引?」

「……討伐隊の連中はもう帰ったか。まあ、アンタも見たろうがうちの討伐隊は正直なところ、戦力不足なんだよ。魔法を使える奴は全体の一割にも満たないし、そいつらだって魔法の腕は良くて二流、言い切ってしまえば三流以下だ。俺も歳だから後継は育てるべきだと思うが、魔法学校の教師でもない俺に出来ることなんてそう多くないしな。結局は素人が集まった烏合の衆だ、やる気はあるんだが、それだけになっちまってる」

 そう言って、ディカイオスはこれ見よがしに肩を竦める。彼の実力から見ればそうだろうとプロクスは思ったが、今さっき見たばかりの戦いぶりを見れば、烏合の衆という言葉もあながち間違いではない。

「それで、取引というのは?」

「いやさ、アンタがこの町に留まってる間だけで良いんで、防衛に手を貸してくれないかと思ってな。もちろん、これは取引だ、タダとは言わねぇ。防衛に協力してもらうからにはアンタに討伐隊と同等の権利を与える。まあ、アンタが求めてるところで言えば、討伐隊の基地に保管してある資料を好きなように読んでもらって構わないって事だ」

「資料……それは、たとえばクリスタロスの属する種族についても調べられるような?」

「ああ。この町の歴史と吹雪の魔女、そして氷人に関わる記録なら一通りが揃ってる。俺から説明しても良いが、話が長くなるからな。もし取引に応じてくれるって言うなら、明日にでももう読めるようには手配しておくぞ」

 その申し出はプロクスにとって、決して悪い条件ではなかった。むしろ、アステイルの町を訪れた理由を語る事で対立が起きる展開すら覚悟していた彼にしてみれば、願ってもない好都合な誘いである。元よりこの町に滞在する以上、襲撃に対しては討伐隊に力を貸すつもりでいた。クリスタロスに不必要な殺生をさせたくないというのが一番の理由ではあったが、取引の対価が町の防衛に対する協力なら最早タダも同然である。

「アンタが吹雪の魔女に対して好意的な感情を持ってるのは分かった。個人的には手を引いた方が良いと思うけどよ、アンタは制止を聞き入れるような奴には見えないしな。満足いくまで調べたところで、幻滅するなり絶望するなり、良い結果にはならねぇだろうが。まあ、アンタが真実を知りたいってんなら貸せる手は貸してやるさ。その分、俺らはアンタの手を借りるがな」

「分かりました、引き受けましょう。その程度の働きで俺の欲しい情報が手に入るなら、安い代償です」

「よし、取引は成立だな」

 ディカイオスが差し出した手に、プロクスは握手で応じた。想定外の出来事であったが、これは好機に違いない。彼は、アステイル滞在初日でありながら、大きな前進を実感していた。

 目の前の英雄は言った。手を引いた方が良いと。真実をすればきっと幻滅し、絶望すると。だがプロクスはそれこそ望むところだった。全てを知らなければ、真にクリスタロスの事を理解することなど出来はしない。再び会って話す時、たとえ彼女を人類の敵だと確信していたとしても、プロクスは自分が話す事は何も変わらないと信じている。

「それじゃあ、もう時間も遅いからな。俺もそろそろ帰る。アンタも気をつけて帰れよ」

 町の方へと去っていくディカイオスを見送って、プロクスはその場に立ち尽くす。空を見上げれば澄んだ空に星が煌めいていて、今の今までここが戦場だったということを忘れさせる美しさだった。

「待っててくれ、クリスタロス。きっと思い出させる、それからもう一度お礼を言わせてくれ。あの日のように、俺は君の話も聞きたいから……」

 暗くてどこにあるかも正確には分からない氷の城へと目を向け、それからプロクスはようやく町の方へと戻っていった。

 風が吹き、冷たく彼の頬を撫でる。それはまるで彼の行いが無駄な努力だと慰めるような、もしくは馬鹿にするような、そんな雰囲気の風だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ