雪解けの春
アステイルの町はすっかり元の気温へと戻り、ようやく戻ってきた春の陽気が今や町全体を包み込んでいた。これから季節は夏へ、秋へ、そして冬へと移り変わっていくだろう。もう、終わらない冬が来ることはない。
そんな町の一角、葡萄館のすぐそばに建っている小さな家のリビングにて。プロクスはソファに腰を下ろし、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「住む場所が無くなった時はどうなるかと焦ったもんだけど、町長からこんな立派な家を貰えるとはね。なんだかんだで旅行鞄も無事に戻ってきたし、全財産を失うことも無かった。新生活の走り出しとしては、これ以上ない好条件だと思うけど、君はどう思う?」
「私の城が使い物にならなくなったのは不満だがね、君と共にアステイルの町で暮らすというのも悪くはない。ああ、君の言う通り、とても良い条件だろうな。隣、座るぞ」
「どうぞ」
シンプルな青いワンピースを身にまとったクリスタロスが、プロクスの左隣に腰掛ける。彼女はすっと足を組むと、右腕をプロクスの肩へと回し彼の方へと顔を向けた。
「ロック、引っ越し作業を終えた気分は?」
「凄まじく疲れた。退院して間もない体でやる作業じゃないな、これは。まあ、家具も全部貰い物だから、俺の懐には優しいんだけど」
「そうか、これからは生活するにも金が居るんだな……。君だけに頼る訳にもいかないが、私に出来る仕事があるのかどうか」
「俺も早い内にこの町で仕事を探さないと」
「……やめよう、この話題は。これから新しい生活が始まるというのに、わざわざ暗くなる必要もあるまい」
「そうだな。俺の貯金も幾らかあるし、焦らずにいこう」
家のあちこちには真新しい家具が置かれ、いかにも引っ越してきたばかりという雰囲気を醸し出している。それもその筈、プロクスとクリスタロスが初めてこの家に来たのは、怪我の治療を終えて退院した後、ラクスから二人の住居として紹介された時の事だった。プロクスとクリスタロスが二人揃って帰る家が無いと知るや、アステイルの町長がラクスの管理する空き家一軒を私財で購入し、彼らに贈呈する事を決めたのだ。
「それにしても、暖かい環境というのも中々に悪くないな。寒いくらいの方が私としては活動しやすいが、微睡むには丁度良い」
「君が眠っている間に気温が上がり始めた時には、俺の肝が冷えそうだったけどな」
「はっ、私が死んだとでも思ったのか? 見くびってもらっては困るぞ、ロック。そう簡単には死んでやらないさ。現にこうして、君の魔力を利用する事で容易に気温を維持する術を得た。これからはアステイルの町で暮らしていくんだ、このくらいの努力はしないとな」
「町の人たちも混乱してたぞ。君が普通の人間になったんじゃないか、とか噂まで流れていた」
「それは心外だな。私は紛れもなく氷人だ。最後の一人として死ぬまで懸命に生きていくさ」
「でも、それだけ町の人たちは君の事を受け入れてくれている。ここにはちゃんと、平穏があるんだよ。俺が、望んだ通りの平穏が」
「……そうだな。楽しみだ、これからが」
小さく、優しい声でそう呟くと、クリスタロスは頭を傾けてプロクスの肩へと体重を預ける。そして彼女の髪を、プロクスは空いた左手で撫でるのだった。
アステイルの町は真の平穏を取り戻した。今や吹雪の魔女という外敵に怯える必要はなくなり、内に潜んだ独善的な英雄に利用される事もない。町の人々はかつて憎み合ったクリスタロスを新たな住民として迎え入れ、両者の間に最早、争いの空気は存在していなかった。
だがそれを実現したのは、たった一人の青年が胸に抱いた願いだった。彼は恩人との再会を望み、恩人と結ばれる事を望み、そして、恩人が救われる事を望んだ。一時は彼もまた怒りと憎みに囚われたが、闇の中から彼を連れ戻したのは、彼が救ったかつての恩人であった。
アステイルの町が救われたのは、紛れもなくプロクスとクリスタロスの二人が共に奮闘した結果である。だが彼らはそれを誇り驕ったりはしない。何故なら彼らは、互いの事を想い、助けたいと願っていただけだからである。褒められるような事をしたつもりはなかった。愛する者を守る為には、それが最善の方法だと信じていただけだから。
「なあ、ステラ」
「…………」
「……寝ちゃったか」
今日も、アステイルの町は平和である。その中で彼らは、ようやく手に入れた真の平穏を謳歌するのだった。
「ステラ、愛してる」
「私もさ、ロック」
「……なんだ、起きてたのか」
「くく、顔が赤いぞ?」
「ああ、君もだよ」
これから、二人は他愛もないような日常を送っていくだろう。だがそれで良いのである。何故ならそれが、彼らの最も望んだものなのだから。




