ディカイオスという男
プロクスが両親を説得するのは、彼が思っていたほど難しいことではなかった。仕事を辞めるまでの期間を使ってしっかりと事情を説明し、クリスタロスと二人で生きていくことを認めさせる。その一連の行為には両親に対する誠意があり、突然の事だったがためにすぐさまの承諾とまではいかなかったものの、最終的にはその決断を認められるまでに至った。
以前使用した旅行鞄から不要なものをいくつか抜き出して、プロクスは出発の準備を整えた。彼の住まいは元より研究所の寮である、処分するべき家具などもない。荷物は思いのほか身軽だった。成人男性の引っ越しとは到底思えないほどである。
エトワンゼ特別線下り方面行きの魔動列車に乗って、プロクスはアステイルの町へと向かう。以前と同じ、午前十時三十七分発の列車である。近所のパン屋で買ったレーズンパンを早めの昼食とばかりに頬張りながら、彼は三週間ぶりになる想い人との再会に期待で胸を膨らませた。
「待たせる俺がこれだけ辛かったんだ、ステラが待ちくたびれていなきゃ良いけど……」
そんな心配をしながら、約二時間。アステイルの駅へと到着し列車を降りたプロクスは、肌に触れる空気の温度に違和感を覚えた。それは、彼が以前この町に来たときにもまず最初に抱いた、単純で簡潔な感想。だが今となっては、それこそが不自然であるとはっきり分かっている感覚である。
「……寒い?」
プロクスは自分の体感を疑った。そんな筈はないと、自分の異常を真っ先に考えた。だがそれは、紛れもなく現実だった。
「どうして……結界はちゃんと機能してたのに、なんで気温が下がってるんだ?」
考えられる要因は幾つかあった。魔法陣に損傷が起きて結界が破損したか、クリスタロスが結界の外に出たか、単なる自然現象か。しかしどれもが現実的ではない。魔法陣に損傷が起きたのなら、クリスタロスが修復している筈である。彼女が結界の外に出たとしても、それが数日間続きでもしない限りは気候に影響を与えたりしない。単なる自然現象であるならば、春も終わりに向かいつつあるこの時期に、真冬と疑うような冷気が満ちているなんてそれこそ異常である。
とにもかくにも、プロクスの目的地は変わらない。彼は旅行鞄の中から防寒具を引っ張り出すと、必要ないと思っていたのに、と半ば愚痴るように呟いて袖を通した。目指すは氷の城、愛しき想い人の住まう家である。
だが、彼は気づいてしまった。そこに、あるべきものがないことを。前に同じ場所へ立った時は、確かにそこから見えていたのに。
「おかしい。城が……ない、だって?」
視線の先、山の上。そこに建っている筈の、氷の城は存在しなかった。
「なんで、何が起きたんだ? あっただろ、確かに……あの場所には、ステラの城が!」
プロクスは居ても立っても居られず、思わず走り出した。駅を勢い良く飛び出し、ラクスに顔を見せようと考えていたことも忘れて、一目散に町の外へ向かう。
しかしその道中、彼とすれ違った若い男がプロクスの名前を叫んだ。まるで、憎き怨敵を見つけたかのような声色で。
「プロクス・ヘリオ!? よくも、のこのこと戻ってこれたな!」
「なんだって? どういうことだ」
「それはこっちのセリフだ、詐欺師め! お前のせいで、この町は……ッ!」
プロクスが言葉の意味を理解するよりも早く、男は彼に向かって殴りかかる。咄嗟に身をかわしたプロクスは、アステイルの町に何が起きたのかを尋ねようとしたが、それが叶うような状態ではない。怒気に満ちた男の表情に対話が無駄だと察した彼は、自分の身を守る為にすぐさまその場から走り去った。
「逃げるのか! アステイルの敵めッ!」
背後から罵倒の言葉を受けながら、プロクスは一目散に逃げた。荷物が重く、足は思い通りの速さでは動かない。男の叫びを聞きつけてか、行く先々で人々がプロクスの前に立ち塞がり、彼の事を怒りに任せて罵った。
「逃がすな! その男を捕まえろ!」
「魔女の仲間だ、次は何をするか分かったもんじゃない!」
「ディカイオスさんを呼べ、魔女のように倒してもらうんだ!」
「この町を貶めた詐欺師を許すな!」
最初は、一人の男がすれ違いざまのプロクスに気づいただけだった。しかしそれが数分も経たぬうちに町中を巻き込む騒ぎとなり、瞬く間に彼の逃げ場所を奪っていく。旅行鞄を担いだままで逃げ切るには困難を極める状況だった。
「くそっ、どうなってるんだよ……っ!」
状況が飲み込めないまま、それでも彼は町の外へ、氷の城がきっとあるであろう場所を目指して走り続ける。肩を掴む誰かの手を強引に払い除け、飛び交う罵倒の言葉には耳を貸さず、ただひたすらに。
「ステラ……ステラは、無事なのか?」
最悪の想像を頭に浮かべ、プロクスはアステイルの町を駆け抜けながら顔を歪める。一刻も早く確かめたかった。彼女が無事なのか、今も自分の事を待ってくれているのか。
だが、アステイルの町は彼を逃がそうとしない。討伐隊の隊員だけでなく、町の人々全てが、彼に罵詈雑言を投げつけて憤りを露わにしていた。町が襲われたのはお前のせいだと、家族や友人が怪我をしたのはお前のせいだと、プロクスに向かって口々に叫ぶのだ。
そして、そんな騒ぎに彼が無関心で居るはずもない。
「止まれよ、プロクス。痛い目を見たくなけりゃあな」
「ディカイオス……ッ!」
プロクスの進行方向に堂々と構え、ディカイオスが待ち受ける。町の人々は英雄の登場に足を止め、英雄と大罪人との対峙に期待した。
後方はアステイルの住民、そして前方はディカイオス、両脇は店舗が建ち並び、細い路地すらない。全方位を阻まれたプロクスに逃げ道はなく、彼は苦悶の表情を浮かべながら立ち止まり、目の前に立つアステイルの英雄を睨みつけた。
「そう怖い顔をするんじゃねぇよ、そりゃこっちがするべき顔だろうがよ」
ディカイオスはそう言って笑ったが、目には一切笑みと呼べる表情が浮かんでいない。プロクスはこの場をどう切り抜けるかを必死に考えながら、彼に対して尋ねた。
「どうして俺を追うんだ」
「決まってるだろ、お前のせいでこの町が滅茶苦茶になったからだよ」
それだけ言い放つなり、ディカイオスは右腕を素早く振り上げ、振り下ろす。と、同時にプロクスの周囲に土で出来た細い棒が幾つも地面から突き出し、それらが互いに繋がることで簡易的な檻が一瞬で形成された。
「なんだよ、これ」
プロクスが手で触れると、土の檻は石のように硬く固定されている。力任せに壊せるような代物には思えなかった。
「お前は炎の魔法使いだからな、その檻は壊せねぇだろ。大人しくしてな、別にお前が全部悪いだなんて思っちゃいねぇよ。お前も、吹雪の魔女に騙されただけかもしれないしな」
「ふ、ふざけるな! 騙されてなんかいない、絶対に!」
「なら、吹雪の魔女が再びこの町を襲撃した事実をどう考える! お前の妄言を信じたせいで、アステイルの町はまた雪狼によって散々に荒らされちまったんだぞ」
「……どういうことだ。嘘だ。ステラが、そんな事をする筈がない!」
「現に起きてるんだよ、お前が被害を大きくしたんだ!」
英雄の言葉に同調するかの如く、民衆がプロクスに対して怒号を飛ばす。だがプロクスには、ディカイオスの言う事が信じられなかった。ディカイオスが嘘をついているという疑いもその理由の一つだったが、なにより、彼は自分の愛したクリスタロスのことを疑いたくなかったのである。
しかし、民衆の怒りが襲撃の存在を証明していた。九年前の嘘とは状況が違うのだ、いくらディカイオスといえども、存在しない襲撃を町の人々にあったと思わせる事など容易ではない。それに加え、プロクスは逃走の最中にしっかりとその目で見ていた。町の至る所に、獣の付けるような爪痕が残っている光景を。
「くっ……!」
このまま大人しくディカイオスたちに捕まって、それでどんな扱いを受けるかなど分かったものではない。真実を知る為にも、今、プロクスの取るべき行動はただ一つしか残されていなかった。
「俺は、ステラに会いに行く……!」
「やめとけ、まだあの化物を信用してんのか。まあ、どうせ逃げられやしないだろうけどな」
「黙れ。俺はステラから直接事情を聞く、話はそれからだ!」
プロクスは鞄の中から水筒を引き抜き、中身をその場に振りまいた。冷えた紅茶と、その中に浮かんでいた、少しの氷が辺りに散らばる。
「こんな所で、じっとしていられるか!」
彼の叫びに答えるかのように、氷の粒はそれぞれが一瞬にして四方八方へ細い棘を伸ばした。プロクスの体を器用に避けながら、土の檻を強引に破壊する為に。
「氷……っ!?」
予想外の出来事に反応が遅れたディカイオスを尻目に、プロクスは魚屋の店先に置かれた箱へと跳び乗った。彼の足元にあるのは、商品を冷やす為に氷で満たされた箱である。
「逃げ切ってやる……必ず!」
操氷魔法。足元から氷の柱を突き出し、プロクスは建物の天井へと跳び移る。その様子を見たディカイオスは、彼を炎の魔法使いだと思いこんでいたせいで驚愕が隠せない様子であった。
「あの野郎……ッ、あんな隠し玉を!」
プロクスは彼に構わず、無言で走り出した。後ろを振り向いて追手の数を確かめるような事はしない。一秒たりとも、速度を落とすような事はしたくなかったのだ。ただ走って、そして逃げ切る事だけを考えた。追いつかれたら、もうその時点で手詰まりになってしまう。プロクスは、なんとしても足を止める訳にはいかなかった。
「くっ……背に腹は代えられないか」
あらゆる所有物が入っている大事な旅行鞄を放り投げ、プロクスは走る速度を上げた。本来なら手放したくない物だったが、そんな事を言っていられる状況ではない。
「待て! プロクス・ヘリオ!」
「しつこいな……っ!」
追手を遠ざける為には、炎を武器にする事も躊躇は出来なかった。それが望ましくない事だとは、彼も当然理解している。故に彼は、決して相手には当てないように、しかし牽制として作用するように、火力と射程を考慮しながら炎を放射した。もちろん、そんな微妙な調整は困難を極める。ましてや逃走中、走りながらの芸当。難しいという一言では言い表せない荒業だったが、彼はそれでも、アステイルの人々を傷つけたくはなかった。
どうにか町の端まで辿り着き、プロクスは建物の屋根から跳び降りる。二階建ての家屋から勢い良く地面に着地した彼は、衝撃に悲鳴を上げる脚に力をこめ、なおも強引に動かした。追手の気配はいつのまにか遠ざかっている。あのディカイオスですら、今は追ってきていなかった。
胸から飛び出しそうな程に高鳴る心臓の鼓動に喘ぎながら、プロクスは氷の城を、クリスタロスの居る場所を目指して突き進む。そこに行けば、全てが分かる気がした。そこに行かなければ、何も分からぬままに終わってしまうような気がした。
「ステラ、待っててくれ……頼む……」
体力も削られ、精神的にも追い詰められた彼に、寒々とした雪山を一時間で登りきるような覇気は残されていない。だがそれでも、どれだけ時間がかかったとしても、その場所を目指す事だけは諦めないとプロクスは心に決めていた。
だが、しかし。彼が山を登り始めてからどれだけの時間が経ったか。氷の城があった筈の場所へとどうにか到着したプロクスは、そこに広がる光景を目の当たりにして言葉を失った。
「……なんだよ、これ」
そこに、やはり氷の城は無かった。あるのは、粉々に砕けて散らばった幾つもの氷塊。かつて氷の城だったものだった。
「嘘だろ、ステラ。どこだ、どこに居るんだ。ステラ? これは、一体、どうなってるんだ……?」
愛しき想い人との再会を求め、プロクスは城の跡地を彷徨う。気温低下の原因がクリスタロスであるならば、彼女が生きている事だけは確かである。だがその姿はプロクスが探した限りどこにも見当たらず、彼の周りには、ただ冷えきった氷の塊が転がっているだけだった。
「俺だ、プロクスだ……! ステラ、居るなら返事をしてくれ! 何が起きたのか、俺に教えてくれ!」
もう一度、君の顔を見せてくれ。そう彼が言いかけた時である。僅かに、辛うじて感じ取れるような魔力の気配が、クリスタロスを探す彼の注意を惹いた。
「……これは」
普通なら焦りや混乱に埋もれて、簡単には気づけないような気配。だがプロクスは、その魔力がどこから漂ってきているのかを直感的に察知できた。それは偶然でもなんでもなく、たとえるなら帰巣本能のような引力である。彼の中に流れる彼のものではない魔力が、本来の持ち主から漏れ出す同じ魔力の気配に引き寄せられたのだ。
「ステラ。そこに居るのか?」
プロクスの視線は、散らばった氷塊の一つへと向けられた。一見しただけではこれといって特別なところの見られない、強いて言えばほかの氷塊より少し大きい程度の代物である。だが歩み寄ったプロクスは氷の塊にそっと手を添えると、そこがステラに最も近い場所だということを確信し、ゆっくりと氷を溶かした。
氷塊の下には、地下室へと続く階段が崩れかけながらも残っていた。
「誰だ」
入口が露わになると同時に発せられた、警戒心に満ちた問いかけの声。それはまさしく、プロクスの愛する彼女の声であった。
「ステラっ! 俺だよ、プロクスだ」
「……ロック?」
「下りていっても、良いか?」
「あ、ああ。大丈夫だ、君なら……平気だ」
聞き覚えのある名前に気が緩んだのか、敵意の薄れた声でクリスタロスは答える。だがその余裕のない声色からは、彼女が衰弱している様子が察せられた。
クリスタロスの許しを得て、プロクスは地下へと下りていく。念の為、入口はもう一度氷の塊を形成して塞いでおいた。外から取り込まれる光は殆ど無く、地下室の奥から小さな光が僅かに漏れている。
その光が差す方へ、階段を下りきったプロクスは歩み寄る。魔力の気配は、光と同じ方向から漂っていた。そこに、彼が探していた彼女が居るのである。
だが薄暗い部屋の中に足を踏み入れたプロクスは、狭い地下室の壁にもたれかかったクリスタロスの姿を見て絶句した。
「やあ、ロック。すまない、あまり……じっとは見ないで、ほしいんだが」
「な、ステラ……どうしたんだよ、その格好は……っ!」
衣服は焼け焦げてドレスとしての形をほぼ失っており、露出した肌は痛々しく傷ついている。無数の氷が体中に付着しているのは、クリスタロスが傷の治癒を図ったからだろうか。しかし氷の下にも依然として火傷や裂傷は残っており、重たげなまぶたを必死に開けようと保つ彼女の肩は、呼吸の度に大袈裟なほど上下していた。
「君が、ここに居るということは……アステイルの町を、通ってきたのかい? どうだった、奴らの様子は。きっと君にも、襲いかかったんじゃあないか」
「ディカイオスに、やられたのか?」
「ああ、その通りさ。油断していた、もう彼らが来る事はないと思っていたんだ。すぐには対処出来なかった、お陰でこの有様さ。追い返すだけでやっとだったよ、魔力を殆ど使いきってしまった」
身動き一つとる事すら辛いといった様子でそう話し、クリスタロスはかすれた声で苦笑する。だがその苦々しい笑みには、ある種の諦めに似た感情がこもっていた。
「君が連中と話をしたかどうかは知らないが、先に言っておこうか。私は誓って、アステイルの町に襲撃を仕掛けてなどいない。奴らは私に対する報復と称して、城を完膚なきまでにに破壊し尽くしていったがな。人間どもの様子を見れば分かる、首謀者は十中八九ディカイオスだ。くははっ、ロック……これがあの男のやり方だよ。やはり、あの男だけは殺しておくべきだった」
「ステラ……」
傷ついた想い人を目の前にして、プロクスは膝から崩れ落ちた。クリスタロスが満身創痍に追い込まれた事に対する絶望がただ強かったからだけではない。彼は、自分の提案が今現在の惨状を引き起こした事を自覚していた。
「俺のせいだ」
懺悔をするように頭を垂れ、床の上で拳を握り、プロクスは弱々しく呟く。その声には、激しい後悔の念がはっきりと表れていた。
「俺は、本気で……君と、アステイルの人々が平穏に過ごせればと、そう思ってたんだ。それなのに、こんな事になるなんて……浅はかだった。ディカイオスは、その程度で諦めるような男じゃなかったんだ。少し考えれば分かったかもしれないのに、俺は……ッ!」
「ロック、君を責めるつもりはないさ。仮に君があの提案をしなかったとして、それなら私はアステイルの町を襲い続けただろうし、ディカイオスは変わらず私を殺そうとしただろう。君の判断は正しかった、考え得る限りでは最善策だったんだ」
「でも!」
「分かっている。全ての原因はディカイオスだ。あの男さえ、あの男さえ居なければ、こんな事にはなっていなかったんだ……!」
一度は抑えられた筈の復讐心が、クリスタロスの中で再び燃え始めていた。そしてプロクスもまた、彼の事だけは決して許す事が出来なかった。
平穏は確かに存在していた筈なのだ。それを揺るがし、破壊したのは誰か。その答えは、火を見るよりも明らかだった。
「だけど、ディカイオスが襲撃を演じたのだとしたら……どうしてそんな事をする必要があったんだ? ステラを殺したいなら、討伐隊なんて集めるまでもなく、独断で動けば済む話なのに」
「簡単な話だろう。あの男は、弱いんだよ。実力の話じゃない、魂が持つ強度の話だ」
「どういうことだ?」
「つまり奴は――ッ!? ロック、伏せろッ!」
話の最中、クリスタロスが突如叫んだ。と同時に、鳴り響く轟音。彼女の叫びに反応して身を伏せたプロクスは、その激しい爆発音が地下室の入口から聞こえた事に危機感を覚えた。
「まさか……ッ!」
「成程な、地下か。盲点だったぜ、探しそびれてた」
まるで慌てる様子もなく、むしろやっと仕事が終わるのだと安堵しているような態度で、その男は階段を下りて現れた。
「しっかり殺せてたと思ったんだがな、こんな所に逃げ込んでたとは。だがお前を泳がせて正解だったぜ、プロクス。お陰で居場所が分かった」
「ディカイオス……!いい加減にしろよ、どうしてそこまでしてステラを付け狙うんだ。お前の望みはアステイルの平和だろうが!」
「だからだよ、だからその化物は生かしておけない。氷人は等しく誰もが悪だ、その存在そのものがな」
「ふざけるな、気温低下なら俺が防いだだろ! 襲撃する気だってステラにはない。なのにどうして狙うのかって聞いてるんだ!」
「何度言えば分かるんだ? 何度も言ってるだろうが、氷人は存在しているだけで人間の脅威だ、だから殺す必要がある」
「……本気で言ってるのか、お前」
「俺はいつだって本気だよ、糞餓鬼が」
プロクスには、目の前に居る男が狂っているようにしか思えなかった。まるで論理性に欠ける、結論ありきの暴論。ディカイオスの語る氷人の悪とは、プロクスの理解が及ぶ領域の解釈ではなかった。
「アステイルの住民は、どいつもこいつも、どうしようもない馬鹿ばかりだ。氷人を信用するな、いつ裏切られるか分からないんだから。人間は弱いんだ、不意を突かれれば勝ち目なんてない。だのに奴らときたら、この化物の事を簡単に信用しやがる。お前のせいだぜ、プロクス」
「何を言ってるんだ、意味が分かんねぇよ……っ!」
「ロック、耳を貸すな。その男の理屈など聞く価値も無い!」
「おっと? 随分と元気じゃねえか、吹雪の魔女。十分に痛めつけた筈だが、流石は化物だ。回復の早さも人外だな」
皮肉気味にそう言って、ディカイオスは不敵に笑う。目の敵にしていたクリスタロスを眼前に見据えながら、彼は思いの外、落ち着き払っていた。まるで、ボロ雑巾の如く弱った彼女なら殺すのに手間もかからないと思っている様である。
「こんな化物を、どうして信用できる? もしも気が変わって攻撃を仕掛けられたら、アステイルなんて小さな町は簡単に滅ぼされてしまうだろう。だから、そうなる前に殺すべきなんだ。九年前の様に、反撃も許さぬほど徹底的に。その為に、先んじて町の連中には教えてやったのさ、氷人は恐ろしい存在だという事を。雪狼を操るなんて俺にだって出来るからな。奴らはきっと思い知っただろう、吹雪の魔女がどれだけ無慈悲で卑怯な化物なのかを」
「教えてやった、だって? お前、まさか襲撃を自作自演した目的は……!」
「悪辣極まる吹雪の魔女がアステイルの英雄たる俺に殺される事で、氷人は悪しき魔族だったという歴史が完成する。事実はどうでもいい、町の人間がそう信じて疑わなければな。そうすれば、俺のしてきた事は正しい事になる。何も、間違った事はなかったのだと信じられる」
瞳孔の開いた目でプロクスを直視し、ディカイオスは叫ぶ。その狂気に満ちた動機を聞いて、プロクスは遂に彼がクリスタロスを殺す事に拘った理由を察した。気づいてしまったのだ。決してその思想を理解したくはなかったが、だが、それが彼の目的なのだと認識するには十分だった。
「まさか、ディカイオス。お前の目的は、自分の正しさを証明する事だとでも言うのか? 氷人を悪だと断じて嘘をつき、生き残ったステラを殺し……お前自身が引き起こした氷人の抹殺を、正義の行いだと示そうとでも言うのか!?」
「その通りだ。何故なら俺は、最初から間違ってなどいない。嘘をついたのは、その必要があったからだ。俺は悪くない。何故なら悪いのは、全て氷人だから。そういう事だし、そうじゃなくちゃいけない。だから、人間と分かり合う氷人なんて、居ちゃいけないんだよ」
次の瞬間、ディカイオスを睨みつけるプロクスの背後で悲鳴が上がった。痛みを堪えるように呻くその声は、紛れもなくクリスタロスのものである。
「あ、がぁ……っく、うぅ……っ!」
「ステラ!?」
右肩から血を流して倒れるクリスタロス。彼女がさっきまでもたれかかっていた筈の壁からは、氷が突起状に突き出して赤く濡れていた。
「ディカイオス、お前っ!」
「吹雪の魔女を殺す為だけに腕を磨いてきたんだ、この程度の真似事なら簡単な事だ」
「くそがッ……!」
プロクスはライターを構え、出せる限りの最大火力でディカイオスに炎を吹き付けた。ディカイオスは足元から氷の壁を作り出しそれを防いだが、プロクスの目的はまず何よりもクリスタロスの救出である。彼は頭上の雪を操って地上まで繋がる大穴を開けると、足元から氷の柱を突き出させてクリスタロスと共に地下室を脱出した。
「あぁ、くぅ……はぁ、っは、ぐ……」
「しっかりしろ、ステラ! くそ、どこかに逃げないと……!」
プロクスは理解していた。ディカイオスは、正面きって戦って勝てる相手ではない。魔法使いとしての練度が、命のやり取りを勝ち抜いてきた経験が、プロクスには圧倒的に不足していた。ましてや負傷して魔力も枯渇したクリスタロスを庇って戦えるほど、彼は器用ではない。勝機は微塵も見当たらなかった。
「ロック、無理だ……君だけでも逃げろ。君が殺される道理は無い筈だ」
「ふざけんな、ステラが死ぬ理由だってないだろ! 君が死んだら、俺は誰の為に生きていくんだよ……!」
だが、根性だけでどうにかなる問題ではない。ろくに体も動かないクリスタロスを連れて逃げるのは、旅行鞄を抱えたまま逃げるよりも格段に困難である。加えて相手は、狂気の魔導師ディカイオス。一度彼の手が迫れば、一網打尽にされるのは目に見えていた。
「逃がすと思うか? この俺が、ここまで来たっていうのによォ!」
地下室を爆破したディカイオスが地上に這い出て、二人の姿を視界に捉える。咄嗟にクリスタロスを庇う様に彼の方へ体を向けたプロクスは、自分が抵抗した所でクリスタロスを守りきれない事を悟り、即座にある決断を下した。




