守りたいモノ
事態が動いたのは、その日の夕方だった。
「例の男が言う事を信用できるとでも? 吹雪の魔女がそう簡単に攻撃をやめるかね」
「しかし、討伐隊の被害も年々増えている。もし彼の証言が本当ならば……」
「非現実的だ。第一、その魔法使いは吹雪の魔女に味方していると自ら宣言したのだろう?」
「討伐隊の隊員は三日前の雪狼襲来に際して彼に助けられているんです。信用に足らないという意見には同意しかねます」
「…………」
討伐隊や町長と共に町役場の会議室で話し合いを進めていたディカイオスは、あまりに意見がまとまらない事に苛立ちを覚えていた。何故こうもこいつらはプロクスを、吹雪の魔女を信用できるのだろう。そんな疑問がずっと頭から離れなかった。
「ちょ、どこ行くんですかディカイオスさん!?」
「部屋が小さいくせに人が多すぎるんだよ。外の空気を吸ったらすぐに戻る」
「はぁ……」
恐れるなら排除すれば良い、どうしてそんな簡単な事が理解できない。憤りにも似た感情を抱きながら役場の外へ出たディカイオスは、何度か深呼吸をした後に会議室へと戻るつもりだった。だが彼は、そこで信じられない会話を聞いてしまったのである。
「あの話が本当なら、これからは薄手の服も用意しないとねぇ」
「実は私の彼氏、討伐隊に入ってからいつも怪我ばっかりで心配だったから……これからそういう事もなくなると思うと、やっぱり嬉しいな」
「うちだって兄貴が年中傷だらけで、もう見てらんなくてさぁ。誰だか知らないけど、吹雪の魔女を説得するなんて、凄くない?」
「ねー。まあ、まだ吹雪の魔女が襲ってこないって決まった訳じゃないから、そうなったら良いなって感じだけど」
役場の前を横切る、若い女が二人。ディカイオスは彼女らの会話に耳を疑った。彼女たちが話しているのは、間違いなくプロクスとの交渉についての話題である。だが現在、その情報は討伐隊と町長を含む役場の職員以外に話は伝わっていない筈。隊員から情報が漏れた可能性も考えられたが、それにしては広まるのが早すぎるように思えた。
「どういう……ことだ?」
それだけではない。耳を澄ませてみれば、通りすがる人々の殆どが同じ話題で持ちきりだった。町の外から現れた魔法使いが吹雪の魔女を説得し、アステイルの人々との戦いを終わらせようとしている、と。その話題に対して住民たちは賛否両論を口々に言い合っているが、、肯定的な意見は決して少なくなかった。信じる者、疑う者、賛成する者、異論を唱える者、住民たちは役場で進む会議とは別に、自分たちの意見を持ち始めていたのだ。
「馬鹿な……一体、どこから。余所者のプロクスがこんな簡単に話を広められる訳がない。ましてや、あの男が自ら自分の行いを喧伝するような奴には思えん……!」
ディカイオスは戸惑った。このままでは会議で出した結論など無意味である。この町の住民がプロクスの交渉に応じる事を肯定してしまえば、討伐隊が交渉に応じないと決めた所でそれを強行することは難しい。何故なら市民は、自分たちが平和に過ごすことを何より求めているのだから。
そして、ディカイオスは聞いてしまった。この情報が、どこから出回ったのかを。あくまで噂である信憑性の薄いこの話題が、どうしてこうも短時間に町中へ広がったのか。答えは簡単だった。その情報を発信した人物が、町で信用される立ち場に居る人物だったからである。
「ラクス・エレスタ……っ!」
彼女は、プロクスが町の敵でないことを知っている。だから討伐隊に招集がかかった時、彼女も密かにあの場へ来ていたのだ。少女も同然に背が低い彼女なら、隠れる場所にも事欠かない。間近でプロクスとディカイオスの会話を盗み聞いた彼女なら、正確な情報を、誰よりも迅速に、アステイルの住民へ広める事が出来る。そして彼女の言葉なら、疑う者はそうそう居ない。何故ならラクスは、討伐隊の隊員からも信頼される葡萄館の管理人なのだから。
「くそ! このままでは、あの男の思惑通りに……ッ!」
ディカイオスはすぐさま会議室に飛び込み、結論を急いだ。だが最早、それは無駄な努力である。会議室に集まった人々の意見も千差万別でまとまりきらず、たとえ今すぐに意見がまとまったとしても、既に町では世論が形成されてしまっていた。今のディカイオスに、プロクスとの交渉に応じるかどうかの決定権など存在しない。
「これは、重要な決断だ。既に住民の間でこの件が知られているのなら、最も簡単な方法は住民に意見を問うことだろう。そう思わんかね、ディカイオスくん」
「しかし、町長! 仮にそれで彼の要求を飲んだとして、再び吹雪の魔女によって襲撃が起きたら、誰が責任を負うと言うんです? 被害が出てからでは遅いのですよ!」
「ならばこれまでと同じ様に、防衛の用意だけは整えていれば良い。その為の予算はしばらく用意し続けよう、それで良いだろう。なにも住民がその選択肢を選ぶと決まった訳じゃない。対応は、決まった後にすれば良いことだ」
「ですが……!」
「ディカイオスくん、君は例のプロクスという魔法使いと面識があるのだろう? 彼を呼んでくれ、皆の前で彼の言う解決案とやらを聞かせてもらおうじゃないか」
「っ……!」
既に、ディカイオスが一人で大声を張り上げたところで周囲の考えが覆るような状況ではない。渋りながらも町長の要求に応えざるを得ず、会議が行われた翌朝、ディカイオスはプロクスを連れ出す為に彼の泊まっている宿を訪ねる事になった。
「……意外だな、アンタが直接俺を迎えに来るなんて」
「町長のご指名だからな。俺はお前の主張を認めちゃいねぇぞ、プロクス。吹雪の魔女が攻撃をやめるだと? お前はあの化物に幻想を抱いてるだけなんだよ」
「答えを選ぶのは、俺でもアンタでもない。好きに言ってれば良いさ、俺はただ彼女もこの町も両方救える方法を示すだけだ」
「……チッ」
監視塔からの放送で、緊急の町内投票を行う事がアステイルの町全体へと知らされている。ディカイオスに連れられて駅前広場へと足を運んだプロクスは、アステイルの町長に迎えられ、集まった市民の前で交渉の内容を伝えるように要求された。無論、断る理由など何もない。彼は二つ返事で了承すると、人々が集まるのをその場で待ち続けた。
「まるで演説だな……目立つのは嫌いだっていうのに」
愚痴を零しながら、プロクスは徐々に集まってくる住民の中にラクスの姿を探す。彼女が自分にとって都合の良い展開を作ってくれたのは、宿の周辺で通行人の会話を小耳に挟んだプロクスにもなんとなく察しがついていた。
九年間も続いた吹雪の魔女との争いに関わる緊急投票という事もあり、広場には大勢の人々が町中から仕事を放り出してまで集まっていた。その中からラクス一人を見つけるのは、彼女の背丈も相まって困難を極める。ある程度の人数が集まった事を確認すると町長はプロクスに壇上へ上がるよう指示し、結局プロクスはラクスの姿を見つけられぬままで民衆の前に立つことになった。
役場の職員や討伐隊の隊員たちが、ざわつく市民を静めようと四苦八苦する。そんな騒ぎの中心で、町長は今日この場に住民を集めた理由を述べ、プロクスが吹雪の魔女とアステイルの町双方に味方をすると主張する魔法使いだと紹介し、彼に交渉の内容を語るように促した。
プロクスの歩んできた人生の中で、最も多くの人々に向かって話す機会である。だが彼に臆している暇などない。愛しのクリスタロスを救う為、彼女の復讐にアステイルの町を苦しませない為、彼にはここで勇気をもって主張を述べる義務があった。
「えー……私の名前はプロクス・ヘリオ、イストラムで魔法技術の研究をしている者です。今日は、アステイルの町と吹雪の魔女ことクリスタロス・ナイアトスの間で起きている対立状態の解消について、吹雪の魔女側の使者という立場で交渉をさせていただこうと参りました」
彼の一言ひとことに民衆がざわつき、静まり、彼の言葉に耳を傾ける。その反応を逐一その目で確認しながら、プロクスは自分が今、この場において重大な役目を負っているのだと肌で感じ始めた。
「私は既に、吹雪の魔女との対話によってアステイルへの襲撃を中止するように要求し、条件付きで同意を得ています。その条件とは、今後一切の攻撃行為を彼女に対して誰も行わないこと。アステイルの討伐隊が彼女に対する討伐を中止すれば、彼女がこの町を襲うことは永遠にありません。もちろん、すぐには信用出来ないという方も多いでしょう。ですが、吹雪の魔女が約束を反故にする事はないと私は断言します」
何故言い切れるのか、そう民衆の一人が野次を飛ばした。誰が叫んだのか、プロクスは確認することもせずに答えを返す。そんな市民の疑問は当然ながら想定済みである。
「吹雪の魔女がどうしてアステイルの町を襲うのか、それは彼女の同胞がこの町の人々によって殺されたからだ。彼女が襲撃を続ける動力源は、この町の人々に対して抱く復讐心です。氷人の掃討作戦が行われた時、彼女はまだ十四歳だった。家族を殺され、友を殺され、それまで平穏に暮らしていた少女は復讐に燃える魔女と化したのだ! だが彼女も、必要以上の殺戮を好んでいるわけじゃない。無実の人々を殺すことは、自分自身が憎む人間たちと同じ事だと、彼女は理解しています。だから吹雪の魔女は戦いをやめる選択を取ったんです。復讐心を捨て、今ある平穏を守る事が最も賢いやり方だと考えて」
彼の熱弁に対し、野次を飛ばす者は居なかった。それほどの気迫が彼の言葉には込められていたのである。
「こちらからの要求をまとめます」
反論がないことを確認すると、プロクスは咳払いをして話を続けた。
「吹雪の魔女からの要求は、今後一切の攻撃行為を行わないこと。ただそれだけです。その代わりに、吹雪の魔女はこの町に対する一切の襲撃行為を行わないと約束します。加えて、彼女によって引き起こされる気温異常については私が正常化に協力しましょう」
「気温の正常化? そんな事が出来るのか」
「ええ。現在この地域で起きている気温異常は、吹雪の魔女が持つ氷人としての特性によるものです。彼女は今後も城を離れるつもりはないとしているので、城全体を特殊な結界で隔離することにより、その効果範囲を城の周辺だけに抑える事が出来ます。しかし、この方法には吹雪の魔女本人の協力が不可欠です。彼女の要求が飲まれない限り、この手段を取ることは不可能と言えます」
人々が口々に意見を囁き、駅前広場はがやがやと騒ぎになっていた。誰もが皆それぞれに考えを持ち、最も望ましい未来に繋がる選択を思索する。そうして大いに迷う民衆の姿を目の前に、プロクスは今日一番のはっきりした大きな声で叫ぶのだった。
「私は、吹雪の魔女とアステイルの町、どちらの平穏も願っている。しかし決めるのはあなた方です、決断してください」
そう言い切り、プロクスは頭を下げて壇上より下りる。心臓は胸を突き破りそうなほどに脈打っていたが、それを表情に出すようなことはしなかった。
「ディカイオス、彼女はアンタへの憎しみも封じ込めると約束してくれた。もし市民が対立をやめる決断をしたら、アンタもその時にはきちんと従ってもらうぞ」
「……俺は認めねぇ、氷人は悪だ。滅ぼした事だって微塵も間違ってたとは思ってねぇぞ」
「そう思うならそうなんだろう、少なくともお前の考えでは。だが選ぶのはこの町の人々だ」
その日のうちに、アステイルの住民による投票は行われた。投票数はアステイルの人口の八割を越えており、住民の過半数が下した決断は――
「我がアステイルの町は、吹雪の魔女との交渉に応え、討伐活動を無期限に停止することを宣言する」
全票数の七割が、プロクスの味方についていた。結果を聞いたディカイオスは愕然とし、完全に言葉を失っているようである。しかし討伐隊の面々を見てみれば、この決定を喜んでいる者も少なくなかった。
そして当然、誰よりもその結果を喜んでいる人物は彼である。
「やったぞ……やったぞ、ステラ! もう君が傷つく必要も、君が誰かを傷つける必要もなくなる! 手に入れたんだ、平穏ってやつを……っ!」
広場の隅でひっそりと拳を握りしめ、プロクスは静かに歓喜した。その内心は平静を保つのがやっとな程に興奮しており、気を緩めれば今すぐにでも叫び出してしまいそうな状態である。
そんな彼の傍へ、人混みを掻き分けて駆け寄る人影があった。
「プロクスさん! 無事だったんですね、良かった……」
「ラクスさん。いやはや、ご心配をおかけしました」
喜んでいるような、困っているような、微妙な笑みを浮かべたラクスがプロクスのすぐ近くで立ち止まる。小柄な彼女の体では大勢の人々が集まる広場を横断するのも一苦労だったらしく、やや息が乱れて肩が揺れていた。
「私、プロクスさんが飛び出して行ってから気が気じゃなくて……でも、その様子だと、上手くいったんですね!」
「ええ、どうにか。でも、アステイルの人たちが味方についてくれたのは、きっとラクスさんのお陰です。話を広めてくれたのは、ラクスさんですよね?」
「え? あ、はい、そうです。プロクスさんが戻ってきたと聞いて、どうしても気になって……それで聞き耳を立てていたら、あんな話が聞こえてきたので、これは皆に知らせた方が良いと思って」
「ありがとうございます。お陰で助かりました。あとは、ステラと協力して城を結界で囲むだけ……そうすれば、もうこの町は吹雪の魔女に怯える必要もなくなります。ステラも命を賭けて戦う必要はなくなる。長い対立は、もうすぐ終わるんです」
目元で笑みを浮かべて礼を言うプロクスに対し、ラクスは首を横に振って言い返した。
「プロクスさん、お礼を言うのは私たちの方ですよ。確かに、プロクスさんは吹雪の魔女を救う為に動いていたかもしれません。でも、現にアステイルの町はプロクスさんに助けられたんです。きっとまだ、吹雪の魔女を信用できずに怯えている人は居ると思いますけど……でも、時間が経てばその人達も分かってくれる筈ですから」
自分のしている事はお節介ではないか、アステイルの人々に平穏を与えるには無駄なことではないのか、そんな不安がプロクスにはずっと付きまとっていた。だがそれももう無い。ラクスの言葉で、不安はどこかへ消えてしまった。
「じゃあ、俺はすぐにでも城へ戻らないといけないので」
「え、えっ!? もうですか?」
「はい。彼女にも報告しないといけませんし、早く結界を用意すれば、町の人たちにも成果を伝えられますしね」
「そう、ですか。大変ですね……頑張ってください!」
「ええ、ありがとうございます」
プロクスは再会したばかりのラクスに別れを告げると、町長に城へ向こう事を報告し、再びアステイルの町を去った。クリスタロスに交渉は成立したと伝えられることが、彼は嬉しくて仕方がない様子である。重たい荷物を全て宿から引き払って山を登るというのに、彼はそれが苦痛だとは微塵も思っていないようだった。
そんな彼を見送るように見つめながら、ディカイオスは奥歯をぎしりと噛み締めていた。多くの市民が決めた結論に逆らう気は毛頭なかったが、しかしそれとこれとは別の話である。吹雪の魔女を見逃す気持ちには到底なれるものではなく、彼は行き場を失った敵意を抱え込んで苦々しく呟いた。
「くそが、どいつもこいつも不用心に。監視塔にはこれからも警戒を続ける為に隊員を配置し続ける、吹雪の魔女は必ず襲撃を繰り返すはずだ。氷人は悪だ……気を許すなんて、自殺行為でしかない」
その言葉は、誰の耳にも届いていない。独り言ちるディカイオスの目は、その姿を見失うまで、絶えずプロクスの背中に向けられ続けていた。




