中編1
――遠くの山に日が沈む。
ゲーム内は昼間から夕方へと差し掛かる最中だ。ゲーム1日は現実4時間に相当するため、彼がゲーム内に降り経ってリアル2時間経過していることになる。夜になるとフィールドも暗くなり戦闘が難しくなるため、多くのプレイヤーが付近の都市や町、安全ポイントへと帰っていく。
「すれ違うプレイヤーが固まるのも仕方がないけどさぁ……仕方がなかったんですよ。ホント」
男性・女性プレイヤー問わず、今のセルリアの姿を見るとドン引きする者多数、にやける者小数であった。現在フィールドから町へ戻るセルリアの姿を一言でいえば、”エルフじゃなくて、マジエロフ”である。
セルリアは、頭から回復のために無限牛乳をぶっかけたので、長い青髪や身体やYシャツは牛乳の白い液体まみれであり、服から地面に白い液体が滴り落ちている。濡れたスケスケ状態の服はぴったりと肌に張り付き、全体的に肌色で、胸と腰は白い下着が浮かんでおり、手と服には一角ウサギの鮮血が飛び散っていた。
セルリアが歩くたびに、ベチョベチョとした音が鳴り響く。
「ゲームのやりすぎはいかんね」
肩を落として呟くと、蚊の鳴くような声になるのはご愛嬌。
服の汚れは10分程経つと元の綺麗な状態に戻るのだが、戦闘中は常にぶっかけていたので元に戻る暇もなく、最初は微妙な気分に――嘘です、精神的に死んでいました――が、怖いことにぶっかけに慣れてくると何も感じなくなってきていたのだ。慣れってホント怖いね。
「へちょいよ、セルリアさん」
勇み足で初心者向けフィールドのモンスターに挑んでみれば、まさに泥仕合という言葉がぴったりであった。
草原に居る体長30cm程のノンアクティブモンスター、一角ウサギへ突撃してみれば、相手のスキルで吹っ飛ばされ、接近すると逃げられるので必死で追いかけ、殴る蹴るで何とか撲殺したのだ。モンスターが死ぬと光の粒となり、後にはドロップアイテムが残る仕様になっている。
次のウサギにもまた吹き飛ばされ、HPゲージが危険だったので牛乳を飲もうとすると、飲むアクションの間に攻撃されてキャンセルされたので、頭からぶっかけるとHPが回復したのはいい思い出……。
「――な訳ないわーないわーないわ……」
初めての戦闘はそんな有様だったので、夕日に向かって俺は叫んで走り出す。
「武器だ!武器を買うぞ!!」
そう、これはゲームさ。服の汚れなんて気にしない。いや、少しは気にしているかもしれない。本当のところは、滅茶苦茶に気にしていますがね……。
セルリアが大股で走り出せば、当然ながら濡れ透けの長い青髪とYシャツが夕焼け空にふわりと舞い上がる。その光景に感動した紳士淑女達は、スクリーンショットを撮りまくったという。
+++++
日が落ちた町には明かりが灯り、大通りにはプレイヤーが溢れていた。俺のテンションも落ちっぱなしである。
俺は大通りに1件しかない小さな武器屋兼防具屋へ駆け込み、部屋の隅の方へと退避して、店主らしきガチムチ頑固オヤジ風キャラクターへと話しかけた。武器屋の中はプレイヤーで混み合って賑やか”だった”。
「はぁ……何度目の溜息か」
というのも、服が乾く直前に武器屋へ入った瞬間、皆が静まり返ったからだ。今は皆雑談しているが。偶にこちらをチラチラ見てくるプレイヤーがいるため、視線を合わせると全員がそっぽを向くのが面白い。その視線だけで、言いたいことはよく分かる。
『何だい嬢ちゃん――』
オヤジから重低音がかかった渋い声が返ってくる。
『――あぁ、素手部に入っていたのか。頑張れよ!』
そう言ってオヤジはサムズアップしてきた。周りには和気藹々と会話しているプレイヤー達が立っている。
「武器は……?というか素手部って有名なのか!?だから他の部員はどこだよ!!」
突っ込みどころしかないオヤジに再度問いかけるも、うんうん頷くだけで武器を売ってくれることは無かった。周りでは武器が高いだの、性能が低いだの騒いでいるので、少しイライラしつつ次の目的地へと足を進める。
「くっそ……次は道具屋だ!」」
武器屋の正面には、これまた小さな道具屋が建っている。何か戦闘の手助けになる道具は無いかと、小さな期待と大きな諦めを持って中へと入る。
『いらっしゃい!何が必要だい?』
出迎えてくれたのはふくよかなオバサンキャラクターであった。オバサンに話しかけ道具購入を選択すると、道具一覧が表示される。
「薬草にポーション、矢に罠は弓使い装備か。……おたま?フライパン?花束?人形?」
売っている道具はゲームでよくあるものからよく分からないもの、調理道具まで色々揃っている。おもむろにフライパンの説明を開いてみると、どうやら武器にもなるらしい。
○フライパン ATK+5(道具)
・1000s
・焼いてよし、煮てよしの万能調理器具。一応武器にもなります。
金額の単位はsであり、読み方はサニー。1000s=1ksとも言われている。
「手持ちの所持金が300s。ウサギを狩りまくって金を稼げば買えるかもしれないが……初心者ナイフの攻撃力の半分は低すぎっす」
道具一覧を閉じ、再度オバサンに話しかけて一角ウサギのドロップアイテムを売却した俺は、ヘッドギアについているカメラ機能を起動させた。部屋の様子が半透明でゲーム画面と被ることを確認し、手元にゲーム機と接続しているキーボードを置いて、ゲーム内でブラウザを開く。
「やっぱりか、分かっていたけどさ」
フライパンの性能をネットで検索すると、やはり性能は微妙だと判明した。攻撃力はエルフの素手よりあるが、攻撃速度が遅いためレベルを上げて素手で殴ったほうが強いそうだ。せっかくなので、その他の道具の性能や使い方も調べてみる。
結局のところ、武器購入を諦めた俺は徐々に明るくなる町を抜けて、フィールドへと繰り出した。
+++++
「面倒だけど、やりますかね」
フィールドの草原に入った俺は、一角ウサギでスキルとアイテムを検証することにした。まずは自身の能力を把握したうえで、効率よくレベル上げをしたいと考えたのだ。もちろん、キャラクターを再作成できるのが一番いいのだけど。
初心者向けモンスターと舐めて、初めの戦闘では”逆境”を使わなかったのも反省点だ。俺は逆境とアイテムをグローブの指操作を使ったショートカット機能に割り当て逆境を使ってみる。
「へぇ。MPが半分減るのか」
MPのゲージ、ゲーム内ではメンタルポイントと呼ばれている――が1回で半分ほど減った。視界の隅には”逆境使用中”と文字が表示されていることを確認し、一角ウサギへと殴りかかってみる。
ここまでくる道中に、初期装備の人間プレイヤーは3発程で一角ウサギを倒していた。
「やっとレベルアップだとさ。はははっ……」
一角ウサギをその後数匹倒すとメインLv2になったので、ステータス欄を開くとベースのステータスが上昇すると共に、ポイントがたまっていた。ウサギを倒すためには、逆境なしの場合約5発、逆境を使ってHP100%で殴ると約4発、HP50%程では約3発で倒せる様だ。
なお、ウサギの体当たりでHPが2割程削れるため、常に牛乳をぶっかける必要があった。当然、全身ドロドロである。そして、リアルMPもガリガリ削れていく。
牛乳瓶を手の平に出して、普通に飲むアクションならば3秒ほどかかるが回復は2割程、即時ぶっかけならば1割くらいだろうか。試しに腕にかけてみてもHPバーが増えることは無かった。再度牛乳を出すまでに2秒ほどかかるのも痛いところだ。空の牛乳瓶は、地面に落とすと粉々に砕けて光の粒となり消えていく。
「ステータスのベースがエルフなのか、知力と回避だけが少し上がって他は据え置きは……ツライ。安○先生……!!魔法が使いたいです……」
悲しい事実であったが、体力と筋力が上がっていないことを確認し、俺はその2つにポイントを振った。近接エルフとか正にネタキャラ。次はスキルを上げて効果を確認する必要がある。
スキルアップのためにはスキルを使い続ける必要があるので、そのまま逆境を使い続けてウサギを殴り、素手部と逆境がLv2へと上がった。
「素手部は攻撃力アップ、逆境スキルは時間延長タイプか」
スキルのレベルを上げることによる効果アップは2種類ある。一つは能力向上であり、もう一つは継続時間延長だ。そして、逆境は後者であると判明した。つまり、このキャラクターは瞬間火力よりも継続的な火力に重きを置いた、ソロプレイヤー向きと言える。
「そういえば、牛乳を敵に掛けるとどうなるんだ?回復するのかしないのか……あとは投げてみるか」
出来れば他プレイヤーへの効果も試してみたいところだが、色々アウトなのは確定だ。そんなアホなことを考えつつ、草原に寝ている一角ウサギへと俺は距離を詰めていく。左手に中身入りの牛乳瓶を取り出し、ウサギの手前10m程から投げることにした。中身が入っている牛乳瓶を逆さまにしても、中身が漏れないのは正にファンタジーだと思う。
――キュッ!
幸運にも牛乳瓶が一角ウサギにヒットして光の粒になる。ウサギは起きるとすぐにこちらへと突進してきたので、再度牛乳瓶を左手に出す。ウサギが飛びかかるタイミングで右手で殴り、ウサギをノックバックさせて左手の牛乳をぶっかける。
「どうだ!?」
ウサギがこちらを見たまま動かないので、俺はウサギへと踏み込んだ瞬間にウサギが再度突進してきた。今はウサギを3発で倒せるので、牛乳で回復していないならば後2発で倒せるはずだ――が、2発当ててもウサギが倒れることは無く、3発目で倒せてしまった。ならばと、別のウサギに空の牛乳瓶を当てて試してみると、次は2発で倒せることが確認できた。
つまり空の牛乳瓶はパンチ1発分の威力があるらしい。空の牛乳瓶もアイテム欄に格納できるので、これからは捨てず貯めていこうと思う。
「よし!次に行こうか」
俺はLvアップで少し強くなったため、他モンスターにも挑んでみたくなってしまっていた。
次に目指すのは少し森に入ったところに居るグレーウルフだ。このゲームでは無駄に作りこんだ敵キャラクターに、人間や動物の動きをモーションキャプチャーで取得したデータをAIで動かすことによる、リアルな戦いを売り文句にしていたことを思い出す。一角ウサギは単調な攻撃の、それでも面倒な相手だったが、さらに厳しくなるだろう。
+++++
――まだ日は高い中、セルリアは草原から森の中へと歩き出した。
このセルリアと一角ウサギの戦闘の様子――つまり濡れ透け状態も、スクリーンショットに撮られて某巨大掲示板へとアップロードされ、パンチラ祭りよりも大きな祭りとなっていることをセルリアは当然知る由もなかった。
何故祭りとなったのか。それは服が濡れて透けるという仕様は今までに無く、通常の濡れた状態は服の色が黒くなるだけだったからだ。
この祭りを通して、一部のプレイヤーからセルリアは”ネ申、いわゆるゴッド”と呼ばれることになるのは、また別のお話。