5:僕の裏切りは皆には秘密
<魔法歴1327年 新春月の四>
【クラウス・イークウェル】
「ねぇねぇセルス!
この部分について聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「………またか」
僕が声をかけた瞬間、セルスは迷惑そうにため息をついた。
エルヴィスト魔術学院に入学してから四日。学院生活にいろいろと不安はあったけど、思っていたよりも遥かにここの生活は楽しかった。魔術の授業は他ではないようなちょっと変わった内容だし、少人数クラスで寮生活なんて新鮮だし。
クラスメイトの三人も――いい意味で変わってる、って言うのかな。一癖も二癖もありそうで面白い。
目の前でしかめっ面をしてるのはセルス・ファンレイ。一言で言ったら人付き合いが下手な天才、かな。
最初に会ったときは人嫌いなのかと思ってたけど(何しろあんなに刺々しい話し方だし態度だし)、四日も経てばそうじゃなくて人付き合いが壊滅的に苦手なんだってわかってくる。昨日から僕に貴重な本を貸してくれてる超いい人。でもその本が初本版で発行から結構な年月が経ってるものだから状態が悪いんだよね。僕も自力でなんとか読める部分は解読しようとしてるけど、文字がかすれてるところのセルスなりの受け取り方とか理解の仕方が気になるから声をかけてる。そのたびに嫌そうな顔をされるんだけど……
「貸してくれ」
簡単に文章に目を通したセルスは文字の部分を指でなぞった。
「………ここ。属性文字に偏りを与える、とある。この部分はそこにかかる言葉だ。
効果としては火の属性が強いが、とも前にあるから恐らくかすれている部分は土の属性文字を強めて、だとかそういった内容だろう」
「なるほど!」
こういう感じで教えてくれるんだよね、細かく。しかも分からなかったら色々言葉を変えてどうにかしようとしてくれるし。こういうやり取りを日に何回やっても、セルスが質問に答えてくれなかったことはない。つまりセルスは面倒見がいいってことだ。
ちなみに今日の授業は午前中だけだったから僕達はみんなで談話室でゆっくりしてる最中。
まあセルスはお昼近くの頃はどこかに行っていて、リラが途中から寮に連れてきて3時のおやつに合流したんだけど。そのセルスを引っ張ってきたリラは、今グロウの勉強を見てあげてる。
「ここがこうなるだろ?んで、こっちが、こう……?」
「そうですね、完璧ですグロウ。次の問題は今のものを光系統から闇系統に変えただけですから、すらすら解けるのでは?」
「おぉ!ほんとだ!解けそうだぞ!」
「頑張ってくださいね」
キラキラした目で問題が書いてある紙を見るグロウに微笑みながら、リラは自分が読んでいる本のページをめくった。
リラも頭がいいんだよね。僕が思うにセルス以上に。
実際のところ自分が何かの作業をしながら他人に物を教えるのって大変なことだ。セルスだってある程度僕が指した部分の前後を読み込まないと質問には答えられない。例え一度読んだことがある本でもね。でもリラの場合はそういう――言っちゃえばタイムラグみたいなものが殆どないんだ。
それでいて読んでる本は僕の常識を飛び越えたレベルだし。だってあの本、学院に入学したばっかりの魔術師が読むやつじゃないよ。中位魔術師レベルじゃないと理解できないんじゃないかな。
それに無属性でもエルヴィストに入学して、Sクラスに入ってるんだから魔術の腕もかなりのもののはずだ。勿論実技授業では何度も失敗してる。だけど魔術は間違いなく発動してるんだ。義務教育過程で僕がお世話になった魔術の先生がチラッとこぼしてたけど、無属性の魔力持ちは殆どが魔術を発動することすら出来ないらしいのに。
もしリラが無属性じゃなかったら、きっともっとすごい魔術師だったんじゃないかな。
「クラウス、どうかしましたか?」
「えっ」
ビックリした。急にリラが顔を上げてこっちを見るんだもん。
じっと見てたことにたぶん気づいたんだろうけど、リラは怒ったりとか嫌がったりする素振りを見せないで笑っている。
「視線を感じたので、用があるのかと思いまして」
「いや、用事はないんだけど――グロウに教えるの、大変そうだなって思って」
「お前失礼だな!」
「あはは。っていうかリラって結構敏感なの?
僕が見てるのも気づくし、昨日の実技授業もすごい動きだったし」
あれにもすごくビックリした。言ったらなんだけど、リラってすごく大人しそうって言うか……むしろ動かなそう?人形みたいな容姿だし、あんなに機敏に動けるとは思ってなかったんだよね。
なのにするするっと魔術人形の攻撃は避けるしささっと撃退しちゃうし、四人の中でああいう戦闘系が苦手なの僕だけなのか、ってちょっと落ち込んだ。
「セルスもビックリしたよね?」
「………そうだな」
セルスに話をふれば渋々な感じではあるけど答えてくれる。
でも目線は本からリラの方に移ったから、セルスにとっても興味深いことだったって事なんだろうな。
「確かに、あれは慣れた人間の動きだった」
視線を受けてリラが曖昧に笑う。
「そうですね……無属性というのがわかったときから、ちょっとずつ教わっていたんです。無属性ということは魔術の方には期待できないでしょう?逆に暴発の可能性だってありますし、そういうものから身を守れるようにって……言ってしまえば護身術のようなものです」
「なるほどな。親父さんとかに教わったのか?」
「いいえ。そういう事が得意な人が近くにいて…」
リラは曖昧に笑った。武術の師匠、って感じなのかな。
グロウはお祖父さんが剣術命ってくらい強いらしくて昔から教わってたらしいけど、実際家族でそういうことを教えられるような人がいる家庭ってなかなかないもんね。
「セルスもやっぱり家族以外の人に習った感じ?僕と違って色々場馴れしてる感じだったけど」
「俺は……まあ、そうだ。あとは独学だが」
「そうなんだ。僕も習ったりとかしてればよかった…」
今のところ戦闘は僕の第一課題だ。
座学に関してはまだそんなに難しいところまでいってないから問題ないけど、実技はこのままだとやばい。エヴィ先生、最終的に百体の人形を一人で相手にできるように、とか言ってたし。
そして動かない的に魔術を当てる訓練の第二段階が昨日の内容なんだから、そのエヴィ先生曰くの最終的、って段階はたぶん早くくる。それまでに実戦慣れ?(って言うのかな)しておかないと…
「俺が教えてやるよ!」
うーん、と唸った僕にグロウが勢いよく立ち上がった。
「グロウ、毎回課題がすごいのに大丈夫なの?」
「うっ…」
「まあまあ。そんなに時間がかかっている訳でもないからたぶん可能ではあると思いますよ?
これから授業の内容がだんだん難しくなっていくはずなので、ずっとこのペースでいけるかは確証がありませんが…」
リラのフォローになってるんだかなってないんだか判断に迷う発言でグロウが力なく椅子に座り直す。
まあ今やってる内容って基礎だもんね。それで課題出されるくらいだから応用編になったときグロウは寝れるのかな…
「セルスに教えてもらったらどうですか?」
「俺を巻き込むな」
リラの出した案に間髪入れずにセルスが返す。
全然話なんて聞いてない、みたいな顔で本を読んでたけどちゃんと聞いてたみたいだ。
僕的にはリラの提案、いいかもって思ってたんだけど。
「貴女が教えればいいだろ」
「それでもいいですが……そうですね、じゃあ四人でやりましょう」
名案だ、とばかりにリラは持っていた本を閉じた。
「グロウも体を動かしたいでしょうし、セルス一人にクラウスを任せたらセルスが大変かもしれませんし、四人でやった方が楽しそうですし」
メリットになっているんだかいないんだか。
でも案外リラはやる気で、談話室の壁に貼ってある【寮の使い方メモ】を見つめた。
エヴィ先生お手製の、細かい設備の使い方が書いてある紙だ。
「訓練室ならちょうど良さそうですね。魔術を使っても平気ですし、色々と仕掛けがあるみたいです。机なども中にはあるらしいので、そこでグロウも勉強ができますよ?」
「うげっ」
まだ終わっていないでしょう?とやけに迫力のある顔で微笑んだリラは、善は急げとばかりに立ち上がった。
グロウにテキストを持つように言って、自分はこっちに近づいてくる。
彼女の目的はセルスだ。急いで立ち去ろうとしているセルスのローブの端を引いて、彼の動きを止めた。うーん、セルスにご飯を食べさせるときと同じで、とっても鮮やかな手並み。
「セルスも行きましょう?」
「俺は貴女の目論見に参加するなどとは一言も言ってない」
「でも参加しないとも言っていないでしょう?
実技試験はこれからもチームプレイが多いと思います。そうなった時にチームメイトの実力や行使可能な魔術の種類を知らないというのは、不利なのでは?」
「………」
「それに私、いいものを持っています」
ぴくりとセルスの眉が動く。
リラは相変わらず人形みたいに綺麗な表情を動かすことなく、どこから出したのかわからない本を取り出した。
パラパラといくつかページめくってセルスに内容の一部を見せる。
「この本の魔術式、興味がありませんか?絶版モノです。焚書の被害にあったので、現存している数も少ないはず。
私は無属性なので発動は不可能ですが、貴方の魔力と技術であれば何度か訓練室で練習すればできるのでは?」
「………最低限の交渉術は心得ているということか」
「それもありますが、それくらい貴方のことを引き留めたいと思っているんです」
「………」
セルスが無言で手を差し出して、それにリラが本をのせれば交渉は成立したみたいだった。
どうしても身体を動かしたいというグロウの要望が通って、僕の最初の先生はグロウになった。と言うか、セルスはリラから借りた魔術書に夢中だしリラはリラでその魔術書の解説をセルスにしているから必然的にそうなるよね。
リラってやっぱりすごい。たぶんセルスの方が一段落したら今度はグロウを座学の方に呼び戻して課題をさせるつもりだろうし。
「おいおい、よそ見してる余裕ねぇだろ!」
「うわっ!あぶなっ」
グロウの出す火球(火力もスピードも本気のものの半分以下)を慌てて避ける。
うわ……なんか髪が焦げ臭い気がするんだけど……
焼けてないか確認していたら、グロウは呆れたようにため息を吐いた。
「お前ちゃんと攻撃見てないとだめだろ。燃えちゃったらどうすんだよ」
「あはは、ごめんごめん。ついあの二人のことが気になっちゃって」
僕がそう言えばグロウは思い出したようにそっちを振り返った。
訓練室に来てからしばらく身体を動かし続けていたからいい休憩だ。
まあ汗だくになってるのは僕だけで、グロウは魔術を使ってるだけだから消耗なんて殆どないけど。
グロウは出身が緑や自然があふれる【森の国】だそうで、小さい頃から身体を動かすのは大好きだったらしい。剣の特訓をしてくれたお祖父さんは国で五本の指に入る剣士だったんだとか。あ、今でも現役?
「あいつらもよくあんな難しいモン読めるよなー。
俺だったら途中で間違いなく意識失うぞ」
「それって眠気で?」
「当然だろ」
全然自慢にならないことを大真面目に言って、けどグロウにはそれを負い目に思っているような様子はみられなかった。
グロウは素直だ。天然って言うか、たぶんあんまり物事をうじうじ考えたりはしないタイプ。曲がったことは嫌いで、わかりやすい単純な答えがあるのが好き。まだ知り合って数日だけど、そんな彼の性質はわかりやすかった。それにグロウにはその身体能力と強い火属性の魔力があるから、たぶんそっちを鍛えたくて魔術学院に入学してきたんだろう。
「なー!お前らー!クラウスがバテてきたからこっち混ざれよ!」
あと色々遠慮がない。まあほんとの事なんだけどさ。
グロウの声にこちらを振り返ったリラとセルスは、お互いに想像通りの表情を浮かべた。
リラは楽しそうね、と微笑んで、セルスは面倒そうな顔でため息をついている。
でもちゃんと魔術書を閉じてこっちに来るんだから、結局彼もいい人ってことだ。たぶんリラはそういうところも分かっててたまにセルスに強引に接するんだろう。何だかんだでセルスは優しいから余程のことでなければ拒まない。それにリラの要求だって皆のためのものだったり、セルス自身のためになることだから余計に断りにくいんだろう。セルスも大変だ。まあ僕はそのおかげでクラスメイト四人全員が仲良くなれて、嬉しいんだけどね。
リラ、セルス、グロウ。以上三名が僕の所属するSクラスのクラスメイトだ。
―――この三人の中で最も警戒しなければいけないのは、間違いなくリラ・ヴィルエール。
あの美しい容貌に惑わされる者は多いだろうし、何よりその洞察力、知識は他の追随を許さない。本人が普段はやわらかい雰囲気を纏っているというのも、刺々しく他者を威嚇するセルスよりよほど油断ならないというもの。
セルスはセルスで何かしらを抱えてはいるのだろうが、むしろそれに手いっぱいで周囲の抱える事情まで意識を向ける余裕はなさそうだ。
グロウは―――恐らく警戒対象にはならない。あれが演技なら僕は人間不信になりそうだ。
「だから、僕の敵にならないでね、みんな」
今日の分の報告書を送り終えて、窓の外を眺める。
学院の裏側に建つこの寮からは、エルヴィストの街の明かりは見えない。
僕は自分の目的を果たすためなら多少自分勝手になれる。僕のしていることはある意味では“裏切り”と呼べるものかもしれないけど―――
「僕はどうしても、叶えたいことがあるんだ」