2:一緒に食事をとりましょう
<魔法歴1327年 新春月の一>
【リラ・ヴィルエール】
エヴィの先導で案内されたのは幾つかの実技のための教室と図書館、自習室、娯楽室などの公共施設。
そして最後に連れてこられたのがSクラス生の寮だ。
「ここが僕達の寮?」
「すっげー。四人用だろ?デカすぎ」
呆然と建物を見つめるクラウスとグロウに、エヴィはどこか得意気な表情を浮かべる。
「ふふふっ、Sクラス特典ですわ」
四人の為の建物だというそこは時代を感じさせる、落ち着きのある瀟洒な洋館だ。
扉を開け中に入ると左右に赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下が広がり、五つの扉が配置されている。出入口の正面にあたる突き当りはそのまま洋館の反対側に出ることができ、美しく整備された庭園が広がっていた。
まずエヴィは右側の廊下の一番手前に配置された部屋の扉を開く。中は談話室らしく、かなり広いスペースがとられており、長テーブルと四脚の椅子、そして奥には暖炉とそれを囲むように配置されている低めの小さなテーブルとソファが置かれている部屋だ。
「こちらの部屋は談話室です。食堂もかねていますから、ここで朝昼晩の食事をとっていただくことになりますわ。メイドの魔術人形が食事を用意しますから、それを召し上がってくださいませ。
ちなみに朝食は七時、昼食は授業終わりの十二時、夕食は十九時となっていますから、気をつけてくださいね?時間に遅れて食べられなくても知りませんわよ」
そして一度廊下に出ると、食堂とは反対側の壁にある三つの扉と、出入口から見て左側にあたる廊下側にある扉を示した。
「この三つの部屋は手前からグロウ、クラウス、セルスの自室となります。あちらの廊下の奥にあるのがリラの部屋。プレートがありますから、皆さん間違えないようにして下さいませ?
自宅から届いた荷物はそれぞれの部屋に既に運ばれています。後で確認して、足りないものがあるようでしたらわたくしか魔術人形に伝えていただければどうにか致しましょう」
そのまま今度は私の部屋の扉を通り過ぎ、突き当りにあった階段を上って二階へ。
そこには二つの広い部屋があり、それぞれに魔術がかけられている。
「皆さんお気づきでしょうけれど、この二部屋には魔術がかけられていますわ。
ここは訓練室。学院の授業で実技の課題として出された内容をこの部屋で練習することが出来ますの。失敗しても部屋自体に魔術がかけられておりますから大きな被害が出ることがありません。誰かが中で魔術を行使している時には扉に【使用中】の文字が浮かび上がりますので、事故の心配も少ないですわ。中にいる相手に声をかけたい時には横のベルを押していただければ部屋の中に音が伝わる仕組みになっていますので、使ってくださいね。
部屋の構造上二つしか用意できませんでしたけれど、Aクラスの寮の訓練室などは十人で一部屋分ですから大目にみてくださいませ」
申し訳なさそうにエヴィは言うが、これは実際破格の対応である。
魔術教育の最重要拠点であるエルヴィスト魔術学院のSクラスでなければできないことだ。
「これで説明は終了ですわね。何か質問などありまして?」
「センセー、質問はねぇけど腹減ってきたん、ですが」
もう昼時なのだから無理もない。
エルヴィストは設備が充実し過ぎて説明に時間がかかる。だから嫌だったのだ。
「……確かに、そんな時間ですわね。それでは本日は解散と致しましょう。食事も用意されているはずですわ。明日からは授業も始まりますし、皆さんじっくりお休みになって。
それと、授業は毎日朝九時からの開始となります。その時間には今日集まった教室にいるようにして下さいませ」
それではわたくしはこれにて。そう告げると、エヴィは寮を去って行った。おそらく教員としての仕事もあるのだろう。それを見送って一階へ降りる。――と、危ない。見逃すところだった。
「……セルス?食事はとらないんですか?」
部屋の扉を開こうとするセルスに声をかける。
聞きはしたが、何となく答えは分かっていた。食事をとらないつもりだろう。
前を歩いていたグロウ達も振り返ってこちらを見た。
「放っておいてくれ。俺は今空腹じゃない」
そうだろう。来たばかりの場所で安心して食事をとれないことも、そもそも日に何度も食事を与えられることに慣れていないのも聞いている。
「でも、食べないと体に悪いのでは」
「問題ない」
「私はあると思います」
ぽんぽんと交わされる遣り取りをグロウは面白そうに、クラウスは少し心配そうに見守る。
まあ口出ししなくともいいのだが、少しは何かアクションを起こしてくれないだろうか。
「―――いいから、貴女はさっさと行けばいい!」
おや。苛立ちを露にするセルスの声に、状況も忘れて自然と微笑んでしまった。
彼の感情が表に出るのは喜ばしいことだ。例えそれが、私に対する怒りであっても。
「ですが、セルスが倒れたら心配でしょう?
それと私は貴女っていう名前じゃなくてリラです」
「人の話を……」
「それじゃあ私の名前を呼んでくれたら諦めます」
何かあればそう言えと、あらかじめ教えられていた。
言っている自分でも突拍子もない交換条件だとは思うが、親密度を上げるためにはまず名前を呼び合うことが基本だとも言われている。
「……」
セルスに厳しい目で睨まれても、特に恐ろしさは感じなかった。どちらかと言えばそう―――彼のそういった姿は虚勢を張っているようで、見ていて悲しい気持ちになるのだ。
私の様子に彼は顔をしかめる。理解できないものに対して彼はきっと、そうやって目をそむける癖がついてしまっている。
「わかった。リラ、俺のことは放っておいてくれ」
「ふふっ、ありがとうございますセルス。
それじゃあ私達はご飯を食べてくるので、セルスもお腹が減ったら談話室に来てください」
元々今すぐセルスに普通の生活を強要するつもりはなかった。
物事には順序がある。だから大人しく待つ事だって私は必要と考えられる。
ひらひらと満面の笑みで手を振る私と、苛立ったように荒く扉を閉めるセルス。
「リラ、お前すげえな」
「うん、僕も驚いた」
ただ見守っていた男二人は尊敬したようにこちらを見つめた。
……いえ、いいんですが。少しは何かしてください。無理なのでしょうけれど。
苦笑をとどめて二人と共に談話室へと向かう。扉を開けばテーブルいっぱいに並べられた料理の数々。先程まではなかったため、あの短時間で魔術人形が運び込んできたのだろうか。
どれも温かく湯気がたっており、今まさに出来たばかりといったところ。
品数も豊富で、サラダやパン、メインディッシュにデザートとたくさんの皿が並べられている。
エルヴィストの魅力はその食事にもあるらしい。そして味もいいのだが、何より栄養価が高く体にいいと聞いている。
「食べよっか」
そんなクラウスの言葉に即座に動いたのは当然グロウだった。
「……なあ、リラが無属性ってまじか?」
そうグロウが尋ねてきたのは、デザートであるケーキに手をつけようとした時。
どうやら自己紹介の時から気になっていたようだ。
「グロウ、失礼じゃないか」
そうクラウスが諌めるが私としては気にならない。
なかなか現れない無属性だ。気になるのも当然だろうし、何よりこれから共に学んでいくクラスメイトなのだから。
「本当です。実技も失敗だらけですよ」
「ふーん。俺、無属性の奴って初めて見た」
かと言ってそんなにまじまじと見つめなくてもいいのでは?
「無属性はなかなかいないですから。十年に一人生まれるかどうかの確率と聞いています」
「……その、僕も質問していいかな?」
少々申し訳なさそうにそう言うクラウスに思わず苦笑する。
知識欲が強いくせに、変なところで遠慮をするらしい。
「あまり気を使わないでください。
結構こういう事は慣れていますし、むしろこうやって色々と聞いてくれた方が助かります」
「それじゃあ遠慮なく。僕はあんまり無属性に詳しくないんだけど、無属性っていうのは僕達みたいに一つの系統だけじゃなく三種類以上の属性を持つこともあるんだよね?」
「その通りです」
「それじゃあ全部の属性の魔術が使えるってこと?」
クラウスの言葉にグロウは目を輝かせた。
「確かに!俺は光系統だから水と風の属性の魔術は使えねぇけど、リラは全部使えんのか?」
「……確かに、そうとも言えるかもしれません。
ただ無属性というのは属性が融和してしまっている魔力を表す言葉なので、同じ無属性の魔術師でも使える魔術は人によって違います。それに私達無属性の魔術師の行使する術はどれも不完全ですから、むしろどの属性の魔術も満足に扱えないとも言えますね」
「どういう事だ?」
あまり無属性がいない分、こういった知識は広く知られにくい。どうにか分かりやすく伝えたいものだが、何と言えばいいか。
ある程度は言葉を選ばなければならないだろう。
「私の場合は、調べた結果だと四属性全てが融和している魔力持ちです。しかし世の中には例えば火と水の魔力が体内で融和してしまっている無属性もいて、その人は火属性と水属性の魔術しか使えません。逆に同じ光系統である火属性と土属性の魔力が融和している状態のことも、魔術議会が定める定義によれば無属性に分類されます」
「なるほど!じゃあ細かく言うならリラは四属性の無属性ってことだね、ややこしいけど」
「えぇ、その通り。そして無属性が満足に魔術を扱えないというのは……そうですね、普通の人はどういう仕組みなのかまだ解明されていませんが、二つの属性の魔力がきちんと分離している状態ですよね?だからこそ、その二つの内から魔術に使う方を詠唱で取り出して魔術に充てることがことができる。
しかし無属性は各属性の魔力が分離していないので、どうしても詠唱で一種類だけの属性を引き出すことが出来ないんです。そのせいで私は火属性の魔術を扱うときに他の属性……例えば水が多く混ざって、結局火がつかないこともあります」
「へえ、じゃあ結構不便なのか。全属性の魔術とか使えるのかと思ってた」
「さすがにそれは無いですね。
管理者でも使えたのは【魔の管理者】だけですし、無属性が全属性の魔術を行使出来たら今頃大騒ぎですよ」
世界の事象を司る管理者の中には、勿論魔術や魔力に関わるものを管理する存在もいた。それが魔の管理者である。
元々魔術――管理者の扱うそれは区別のために【魔法】と呼ばれるが、管理者は全てが魔力を持ち、そして生まれながらにして呼吸をするように魔法を扱うことの出来る生き物だ。また魔法の行使に必要なのは己の魔力のみ。私達人間は限られた者しか魔力を持たず、また魔術の行使もしっかりとした知識といくつかの条件がそろった状態でなければ行うことができない。
両者を比較すればその差は歴然としている。そもそも管理者だけが使うことのできた魔法を人間にも使うことが出来るようにと改良したものが魔術で、魔の管理者がその発案者であり、私達が在籍する学院の創始者兼初代学院長なのだ。
また魔の管理者はこの世界で唯一、体内で完全に四つに別れた魔力を持つ存在だった。それを人々は【全属性】と呼び、魔の管理者しか扱うことの出来なかった魔法を【全属性魔法】と呼んだのだ。
全属性魔法というのは、全ての魔法が扱えたという言葉と同義ではない。勿論魔の管理者はそれも可能だった。しかしそれと全属性の魔法というのは全くの別物だ。
全属性とはそれ自体が火、水、風、土と並ぶひとつの属性として存在している。つまり魔の管理者以外、この世の誰にも扱えない魔法だ。それは魔の管理者亡き今では伝説として書物に記述があるのみである。
「それにしても、リラは無属性のことよく知っているんだね」
感心したように言うクラウスに私は肩を竦めた。
「一応自分のことですからね。無属性について書かれている本を色々と読み漁って勉強しました」
「うっへぇ。俺には絶対無理だな」
「皆に迷惑をかけることになりますから、当たり前ですよ」
例えば魔術の暴発。それが起こることのないように、私に出来る限りの準備をした。
「……いや、迷惑かけんのはお前だけじゃねぇよ」
「グロウ?」
彼は下を向くとぐっと拳を握りしめる。
……ああ、そう言えば彼にも課題があったのだった。
「その、さっきは言えなかったんだけど俺も問題児でさ」
「学力のこと?」
「失礼な奴だなお前は!!」
あっけらかんと言うクラウスに一喝すると、彼はもう一度視線を落とした。
「俺はさっきも言ったように光系統だ。それも、火属性の魔力がかなり多い」
基本的に二種類の魔力は少々の差異はあれど、割合としては6:4が一般的。
けれどグロウに限ってはその比率が異常に偏っており、火属性の魔力が9割を占めるという。
「――そのせいか火属性の魔術を使おうとすると威力が強すぎてよく暴発するんだ。
もしかしたらお前らに怪我させるかもしれねぇ」
そう落ち込む彼がどうにも違和感だらけで、私はつい苦笑してしまった。
まだ出会ったばかりでおかしいかもしれませんが、貴方はいつも太陽のように笑っているのが似合うと、私は思うんですよ。だからその辛気臭い顔をやめて欲しい。
クラウスと顔を見合わせ、アイコンタクトをとる。
「それでは私とグロウは落ちこぼれ仲間ですね」
「そうみたいだね。二人の実技、すごく面白そうだ。今から楽しみだよ」
「お前ら……」
驚いて顔を上げるグロウにやはり笑いが漏れる。クラウスも同様だ。
「迷惑のかけ具合はたぶん変わらないと思います」
「それに火属性なら僕もセルスも闇系統で水属性の魔術を使えるしどうにかできるよ」
「……ありがとな」
やっと元のように明るい笑みを浮かべたグロウに、けれどクラウスは顔を曇らせた。
「クラウス、どうかしましたか?」
「うーん、二人ともそんなに面白いものをもってるし、セルスは入学試験で筆記も実技も満点だったんだよね?僕は特に言うことも無くてつまらないなと思って」
「「いや、それは良い事だから」」
そうかな?と首を傾げるクラウスに、やはりグロウと一緒に笑った。
そして色々と話している間にすっかり時間が経ち、夕食の時間が迫っていた。
今私が立っているのはセルスの部屋の前。勿論彼を食事に誘うためにここにいる。
「セルス!セールース?」
コンコンコン、とノックする。
こうして呼べば読書の邪魔になり、苛々した彼は出てこざるを得なくなるらしい。正直迷惑すぎる手法だが、そうしろと言われているのだ。文句は受け付けない。
暫くすると扉が開き、予想通りの仏頂面のセルスが現れた。心底はた迷惑な存在と思われているのがまるわかりである。
「……何か用か」
「晩御飯の時間だから呼びに来たんです。行きましょう?」
そう告げれば、彼はほんの少し眉を潜めて嫌そうな顔をした。
「名前を呼べば諦めると、貴女は言っていただろう」
「ええ、だから昼食は諦めたでしょう?」
そのような揚げ足をとられるとは思ってもみなかったのだろう、セルスが絶句した。
……少しだけ、愉快な気持ちになる。こうして私が貴方の予想をこえる言動をし続ければ、いつか貴方は変わるでしょうか。
「ここの料理すごく美味しいので、きっとセルスも気に入りますよ。だから行きましょう」
「嫌だ」
「何故?」
「他人と関わりたくない」
すげなく言い放つと、セルスは扉を閉じようとする。それを慌てて阻止しつつ私は説得を続けた。
セルスが他人を嫌っている、というのは聞いている。でもだからと言ってそれが彼が食事をしない理由にはならない。
先程は諦めたのだ、勝手な言い分だが今回は彼に譲歩してもらう必要がある。一日三食、今は無理でもいつかはそうさせてみせるし、なら現状は一日二食が理想だ。
「それとご飯を食べないのは無関係なのでは?」
「関係ある」
「関わりたくないとは言っているけれど、同じ寮に住んでいて同じクラスに在籍しているんだからそれではいけないと思います」
今にも閉められそうな扉に必死で追いすがるのは、端から見たら相当愉快な光景だろう。本人達としては心底本気であるが。
「何故?俺の勝手だ」
「エヴィ先生も言っていた、授業のパートナー制ですよ。絶対に関わらないなんて不可能ですし、だったら皆と出来るかぎり仲良くしたほうがいいでしょう?」
笑ってそう伝えると彼はほんの少しの間その言葉の意味を考えるように目を細める。
実際共同生活をする上でそれぞれの関係性は重要だ。例えセルスがそれを必要としていなかったとしても、この学院にいる以上それから逃れることは出来ない。だからそろそろ諦めて欲しい。
「……確かに、貴女の言う事は一理ある。
けれど俺はあなた方と仲良くなりたくない」
「……でも私はセルスと仲良くしたいです」
「は……?」
セルスはぽかんと私を見つめた。その隙に彼の手を掴むと部屋から引っ張り出す。
ひとまずは成功だろうか。掌に感じるセルスの肌は、ひんやりとしていた。
それがまるで孤独を示しているようで、心がチクリと痛んだ気がする。
「セルスが仲良くしたくなくてもいいんです。もちろんそう思ってくれるととても嬉しいけれど。
とりあえず今は私がセルスと仲良くなりたくて、だから勝手にさせてもらいますね。友達が栄養失調で倒れるなんて嫌ですし」
「お、おい!離せ!」
「駄目。だって離したらセルスは逃げるでしょう?」
「―――っ、逃げない!逃げないから、俺に触らないでくれ!!」
セルスが鋭く叫ぶ。それが合図だ。
何のためらいもなく素早く手を離せば、離してほしいと言っていたのはセルスだというのに、彼は驚いたようにこちらを見る。
でも、これが彼の限界を叫ぶ声だということを何となく感じていたから。
私にも覚えがある。何もかもが恐ろしく、自分の敵であるように、あるいは自分に関わりの無い別の世界のもののように感じること。セルスを苦しめることは私の本意ではないが、かといって真綿にくるむように大切に扱ってもそれでは意味がないだろう。
私がしなければならないのは見極めだ。彼の限界をその時々で見極めなければならない。
「ありがとうございますセルス。
それじゃあ改めて食事に行きましょう。
――と言っても、もう談話室の前なのですが」
嬉しそうに笑ってみせて、未だ戸惑ったような彼の為に談話室の扉を開ける。中ではグロウとクラウスが待っているのだ。
こうして少しずつ普通に、正常に慣れて、皆と親しくなって欲しいんです。そうすればきっと、貴方はまだ変われるはずだから。
それが私の“運命への誓い”なのだと、そう思うんです。