9:クッキーは無機質な味がした
<魔法歴1327年 新春月の九>
【セルス・ファンレイ】
魔薬の材料である月の石を手際よく砕いていくリラを、同じく作業しながら横目で窺う。
右手はすり鉢に添え、石を叩く擂り棒は左手で握られていた。手首は長袖の白衣に覆われていて、布の下がどうなっているのかはわからない。
「セルス、終わりましたか?」
「………いや。まだだ」
「じゃあ私は他の材料を切っておきますね」
そう言って包丁を握る手も左だった。
あの後、リラが立ち去ってしばらくしてから俺は自分がかなり強い力で彼女の手首を握ってしまったかもしれない可能性に気がついた。昔の夢に魘されて、冷や汗をかくほどだったのだ。それにあの時の俺の身体は極度の緊張でかなり強張っていた。下手をしたらリラの腕は腫れてしまっているのではないだろうか。
ただ薬室に戻り彼女にそれを問いただしても問題ないと笑うばかりだった。そのわりに、その白衣の袖の下は一度も晒すことなく。
「貴女は右手でペンを持っていなかったか?」
「え?……あぁ、私元々左利きなのを右利きに直したんです。だからどっちでも作業できるんですが、こういう力を使う作業や細かいことをするときは左手を使うんです」
白々しい嘘のようにも感じるが、確かに彼女の手は危なげなく動いている。
両利きというのは少なくとも本当のようだった。
「……そうか。それにしても貴女も大概手慣れている」
あまりこの件を引きずっても、きっと彼女は口を割らないのだろう。
そもそも午後の薬品作りを始めてから既に時間も経過している。
その間一度もリラは右手首の痛みなどを訴えることはなかったし、それを示すようなこともなかったのだ。今更自分の状態を素直に話すとは思えない。仕方なく別の話題を出す。
「家事の手伝いでもしていたのか?」
一般家庭ではそういうものだったはずだ。
特に娘というのは母親の手伝いをすることが多いらしい。そう、本に書いてあった。
何かと他人の世話を焼く彼女のことだから特にその傾向は強そうだ。
「手伝いは……あまりしていなかったですね。家にいるよりも外に出ている方が好きでしたから」
「意外だな」
「あまり家の事は得意じゃないんです。ただ私に体術などを教えてくれた人と、こうして薬を作ったりもしていたので慣れたんでしょう」
そんなものなのだろうか。
だとしたら本の知識もあまりあてにならないものだ。
「クラウスはそういう家の手伝いをきちんとやりそうなイメージですが、どうですか?」
「僕?」
水を向けられたクラウスは考えるように視線を泳がせ曖昧に笑った。
「うーん、僕の家の場合両親が仕事で殆ど家にいなかったんだ。
だから親戚の家に預けられることが多くて、そこで手伝いはしてたかな。お世話になってる身だったし、それくらいはね」
「そうだったんですか?」
「すげーな。俺も外で遊んでばっかだったからあんま手伝いとかしてなかったぞ」
「グロウはまあ……想像通りだね」
「どういう意味だよ!」
恐らくそのままの意味だろう。
「グロウはあんまり家で過ごしているイメージがありませんからね。学院が休みの時も寮の庭に出ていることが多いですし。それか訓練室で魔術の練習でしょうか?」
「もしくは談話室での追加課題だ」
「セルスの一言は余計だっつーの」
「でも事実でしょ?僕達三人の中の誰かによく泣きついてるじゃないか」
「うぐっ………」
実際クラウスの言う通りで、グロウは課題が分からないときはその時談話室にいる者を捕まえる。この中で最もその被害にあっているのはリラだろう。彼女は基本的に談話室にいることが多い。
俺は寮の外のいつもの木の辺りが定位置だが、喉が乾いた時や外から戻ったときに立ち寄ると大抵彼女が室内にいるのだ。そして四割ほどの確率でグロウに勉強を教えている。
「貴女も程々にしなければ彼が付け上がる」
リラは一度不思議そうに首を傾げ――俺の言った内容に合点がいったのか苦笑した。
「私はただ手伝いをしているだけですから。それにクラウスもそうですが、セルスだって頼まれたら結局協力しているでしょう?」
「それは貴女が俺を巻き込もうとするからだ」
「そうでしたか?」
「皆さん仲良くできているようで何よりですけれど、授業中ですのよ?早く魔薬を完成させて下さいませ」
そこでついにエヴィの呆れた声が飛んだ。
別に特別仲が良くなったわけではないが……
「でも材料は全部準備できたしよ、後は煮込んで魔力を混ぜたら完成だろ?」
「ではさっさと終わらせて下さいな。
この媚薬作りが終わっても最後のクッキーがあるのですから」
「毒薬は水属性と風属性でしたが、媚薬は火属性と水属性の魔力が必要ですね」
リラは媚薬作成の説明書を確認してからこちらを見つめた。
「よろしくお願いしますね、セルス」
「さっきの毒薬と違って今度は貴女の魔力も必要だが?俺は闇系統だ」
「………先に謝っておきますね」
完璧な笑みをわざわざ浮かべて言うのだからわざとらしいと言うか何と言うか。
そのわりに痺れ薬を作る際の火属性と土属性の魔力を込める作業はきちんとやり遂げたのだから、恐らくただ言っておきたいだけなのだろう。
この媚薬作りでも魔力込めを失敗するとは思えなかった。
「【火の力よ、私の望むものに宿れ】」
やはり失敗はしていない。
リラが鍋の上に掲げた手のひらから火属性の魔力が流れ込む気配がした。
少し量が少ないかもしれないが――そこは俺が調整すれば問題はないだろう。
「次は俺だな。――これで完成だろう」
俺の場合は詠唱なしでも魔力を込めることができる。
無事に考えた通りの魔力を送りおえて、鍋を火からおろした。
最初は気味の悪い緑色だった液体が俺とリラの魔力で赤紫に変わっていることを確認して容器に詰める。薬の効果は後でエヴィが動物で試すところを見学することになっているため、今日は取り敢えず薬を作るまでだ。
「グロウ達もできたみたいですね。私達のものとは少し色が違う様ですが」
「魔力の質だろう。あちらは赤みが強い、火属性魔力の量が水属性より多かったのでは?」
「でも元々火属性は少し多目に、とは書いてありますから……問題はないのでしょうか?」
「さあ。あの教師がどういった評価を下すかだ。貴女の言う通り効果がなくなるだとかの問題はないが、彼女は色々と細かそうだ」
何かしらの減点はあり得るだろう。
俺とクラウスで組んだ実技授業もそうだったのだから。
「そこ。聞こえていますわよ?」
飛んできた注意は知らないふりをした。リラも同様だ。
「先生、次はクッキーですよね。私は作ったことがないのですが、どうやって作るんでしょうか?」
何となく周囲がリラの言葉に驚いたのがわかった。
彼女の外見や性格的にお菓子作りなどは得意そうとでも思っていたのだろうか。
俺としてはそもそもそういった事とは関わりがないため本の知識になるが……
「意外ですわね、わたくしはてっきりそういった事は手慣れているかと思っていましたわ」
「僕も。グロウもだよね?」
「まあそれっぽい感じするからな、リラ。
俺もさすがにやったことあるぞ、クッキーくらい。ばあちゃんに一回だけ習った!」
「えっ」
「ん?」
それはそれでクラウスにとっては意外だったらしい。
ついで二人は俺に視線を向け――何も言わずにため息を吐いた。
「………何だ」
「セルスはなぁ…」
「やってないって確信できるよね。逆にこの顔で生地こねられたら怖いよ」
別にいい。構わないのだが……ひくりと、自然と口許がひきつった。
「……そこ。じゃれるのはこれくらいにして下さいませ。仕方がありませんからクッキーについても説明いたしますわ。
とは言っても……材料が入っていたカゴの中に、白い粉と卵が残っていますでしょう?
それをこねるだけですわ。そうすれば生地が出来上がります。そこまでは皆さん同じ作業をしていただいて……」
エヴィが二つの作業台に歩み寄り、これまでの薬品作りで余っていた薬草を空になったカゴに集めた。
少し余分に用意してあったらしく、薬草が各種一束ずつ程度残っている。
「それからは各自、好きなように薬草を刻んで生地に混ぜ合わせていって下さいませ。そして納得がいった方から型ぬきしていただきます。誰のものかわかるように、型についてはそれぞれ固定で使っていきましょうか」
そう言ってエヴィはそれぞれにクッキー型を配って回った。
俺にはハート、リラには花、グロウは星でクラウスはクローバーを模したものを。
「セルスの形、かわいいですね」
「………嫌がらせですか?」
「あら、それぞれに合う形をわたくしが責任もって選びましたのよ?」
それを嫌がらせと言うのだろう。
「リラ、交換しよう」
「え、いいんでしょうか…それに私と交換しても花型になるだけなので、可愛さとしては変わらないのでは?」
「あちらの二人は交換する気すらなさそうなので仕方がない」
実際二人とも腹を抱えて笑っているのだから忌々しい限りだ。
エヴィが俺の提案に文句を言わないことから交換自体は問題ないのだろうから、例え結果が花型だったとしても俺は交換してしまいたい。とにかくあの教師の思い通りになるのが腹立たしいのだ。
リラはちらりと周囲を窺って、苦笑しながら俺の手のひらからハートのクッキー型をつまみ上げた。代わりにコロンと花の型が置かれる。
「じゃあ交換です」
「ありがとう」
「解決しましたわね。型ぬきが終わり次第すぐにクッキー生地をオーブンで焼きますわ。
焼いている間にこの部屋の片付けをして、焼き上がったら皆さんで試食会をいたしましょう。紅茶も用意いたします」
「よっしゃ、やる気出てきた!」
試食、と聞いた途端にグロウが表情を輝かせる。
3時のおやつ、と言うには時間が過ぎてしまっているが、夕食に問題はないのだろうか。
「きちんと夕食が入るように、全ては食べさせませんわよ」
「……へーい」
しっかりエヴィに釘を刺され、グロウは膨れっ面になる。
「グロウ、食い意地張りすぎだよ」
「そんなにお腹が減っているんですか?
でも……残ったクッキーは持ち帰れるのですよね?」
リラがやはり苦笑しながらエヴィに視線を向ける。
それに頷きが返されれば自然とグロウの表情も元に戻ったようだった。
「じゃあ寮に帰って夕御飯を食べてから改めて楽しめますね」
「クッキーと言っても薬草が混ざる。あまり味の方は期待できないのでは?」
「あら、混ぜる薬草にもよりますが、そこまで酷い味にはなりませんわよ?
単体では効果が薄い薬草ばかりですから、元々臭いや苦みも少ないとご存知でしょう。
まあ余程奇特な調合でもしないかぎりは一般的なクッキーと比べても遜色ない味になるはずですわ」
「よっしゃ!じゃあめちゃくちゃ美味いやつ作って驚かせてやるぜ!」
「グロウの場合その気合が空回りしそうだけどね……」
「――さて、本格的に始めるといたしましょう。
まずは皆さん、先程わたくしが言ったように生地を作ってくださいませ。粉はきちんとふるって、卵はかきまぜた状態で少しずつ加えるように」
エヴィの指示に従って黙々と作業を続けていく。
先程の会話で本当に気合が入ったのか、グロウが無駄口を叩く気配はない。
それに影響されてなのかクラウスも心なしか今までよりも真剣な面持ちで生地をこねていた。
「この状態でも少し甘い香りがしますね。今食べてもおいしいのでしょうか?」
一方で彼女の能天気さは変わらないようだ。
生地をこねる俺の手元を見つめながらそんな馬鹿なことを言っている。
生地を作るまでは今まで通り二人組に分かれたままで作業するため、彼女にはさっきまで卵を入れる作業をしていてもらっていたのだが……
「そんなに味見がしたいのなら代わるが?」
「いいえ、見ているだけでも楽しいです。それに折角のセルスの気遣いですから」
「は?」
「午後の授業が始まってから、何かと率先してやってくれているでしょう?」
「別に……貴女に任せるのが危なっかしかっただけだ」
「ふふっ、それはそれで本音のようで、困りました」
そう言いつつ彼女の表情には馬鹿にされた怒りも言葉通りの困惑も見当たらない。
そもそもこんな状態で味見をしても美味しいはずがないだろうに。彼女は本当にこういった作業に関わったことがないのだろうか。まあもしも実家が裕福な家庭だったなら既製品ばかり口にしていたというのも考えられるが。
きっと彼女は木の根や雑草で生きつなぐような生活を知らないのだろう。
「生地の方はそろそろよさそうですわね。では半分に分けてそれぞれボウルの中へ入れて下さいませ。
ここからは個人の自由ですわ。好きなように薬草を入れて捏ね、大体一センチくらいの厚さに伸ばしてから型を抜いていただきます」
「つっても何いれっかなー」
「確かにちょっと迷うね。僕はこれとこれにしようかな。薬草をいくつかブレンドしてもよさそうだし」
そう言ってクラウスが手に取ったのはどちらも香りがいいと言われる薬草だった。確かにあれなら失敗はないだろう。
「んじゃ俺はこれにすっか。これならあんま苦くならなそうだし」
対してグロウは子供向けの薬品に苦みを消すためのものとしてよく使用される薬草を選ぶ。それ自体が花の蜜のような甘さを持っているため、菓子類には合うだろう。
「貴女はどうする?」
「まだ考え中、です。私もクラウスみたいに色々と掛け合わせてみたいので。セルスがもう決まっているのなら先に選んでもらっていいですか?」
「……わかった」
カゴの中を物色し、考えていた薬草を抜き去る。リラは残った薬草を見つめ、配合を考えているのか珍しく思い悩んだ顔をしていた。
彼女はその姿勢はともかく課題として出されたものへは毎回驚くほどの結果を出してくる。恐らく今回のお遊びのようなクッキー作りでさえも何か突拍子もない、だからこそ革新的とも言えるものを作ってくるのかもしれない。
「では、試食といたしましょうか」
結局あの後リラが薬草を選びきったのは俺達他の三人が薬草を生地に混ぜ終え型ぬきを始めた頃で、彼女は急いで作業台で薬草を刻む作業に入った。
俺も生地の作成に意識を向けていたため、最終的に彼女がどんな薬草を選んだのかはわからない。まあ答えはこの試食でわかるだろうが。
「お、美味そう!」
「当然ですわ。わたくしがきちんと火加減を調節いたしましたもの」
「ちょうどお茶も入ったよー」
既に片付けを終えた薬室を出た俺達は、何故かエヴィも一緒に寮の談話室に戻っていた。どうやら最初からここで試食をするつもりだったらしい。
そもそも紅茶を用意する、とは言っていたが茶葉はこの寮に置いてあるものを使っただけで、実際に湯を沸かしカップを用意したのはリラとクラウスだ。教師というのも聞いてあきれる。
「あらいい香りですわ。セルス、何かわたくしに言いたいことでも?」
「いえ別に。それより早く済ませましょう」
いつまでもこの得体の知れない女教師といるのは気詰まりだ。視線をそらした先にリラがカップを置く。
「セルスは今日もコーヒーですね」
「手間をかけさせたのは謝る。別に俺一人で準備したが」
紅茶が嫌いなわけではないが、それよりコーヒーの香りの方が好ましいというだけだ。それに飲むと気分が少しは落ち着く。
別のものを作らせるのはさすがに手間だろうと自分で準備することを申し出たのだが、結局彼女にいつもと似たようなものだからと言われてしまったのだ。反対側に座るグロウも紅茶は飲まずにいつもと同じフルーツジュースを口にしているが(熱くて苦い飲み物は嫌らしい)、彼の場合はグラスに注ぐだけで終わるため手間には数えない。
「いいんです、今日のお礼みたいなものなので。それよりエヴィ先生、その袋は?」
自身も席に座りつつ、リラはエヴィの前に置かれた四つの塊を見つめた。
それぞれが赤、青、黄、緑に染められた袋はかなりの存在感でテーブルに鎮座しているのだから、目が行くのも当然だろう。
「これは試食に使わなかった分のクッキーですわ。それぞれの瞳の色に合わせましたの。
どうぞ皆さんで分け合ったり部屋で夜食としたり、好きに食べてくださいませ」
「へー、ありがとなセンセー!」
「わたくし、最近貴方の言葉遣いに対しては諦めを感じですいますわ……」
感謝されるのはいいようだが、グロウのあまりの態度にエヴィはそれだけ言ってため息を吐いた。
授業が始まって数日の間こそ彼女も口煩くグロウの言葉遣いに対して注意を飛ばしていたが、授業が滞るだけでなく彼の質問への解答まで謎の敬語を使った言葉によって意味不明なものになるのだ。エヴィもすぐに諦めた。
「まあそれよりも試食しましょうよ!僕結構楽しみにしてたんですよ」
「そうですね。先生、試食用のクッキーはどこにあるのですか?」
「そうですわね……クッキーはこちらですわ」
エヴィが手を叩くと、皿を持った魔人形が入ってくる。
静かにテーブルの上に置かれたそこには当然だが俺達が作ったクッキーがのせられていた。
「ハートがリラで花がセルス、星はグロウ、僕のはクローバーだよね」
「全員のものを全員が一枚ずつ味わえるように用意してありますわ。まずは……そうですわね、クラウスのものから試してみましょうか」
「えっ、僕のからですか?そこはリラとかにしておいて欲しかったなぁ…」
「どうしてです?」
「失敗してなさそうだから。グロウもそんなに変な薬草入れてなかったのを見てるからその点安心だけどね」
そう言ってクラウスはこちらを恐々見つめる。
どういう意味の視線なのか、少々気になるところではある。尤も言いたいことは分かるが。
つまり俺の味覚は信用ならないと言いたいらしい。
「セルスのクッキーから食べた方が面白そうですわね」
「先生!?」
「いや、でもむしろ先に食っちまえば口直しがあるってことだからいいのかもしれねぇぞ?」
「――あなた方二人とも、いい度胸だな?」
「まあまあ。どれも普通に美味しそうですよ?それに私のクッキー、あまり期待できないと思います。お菓子作りなんて初めてですし、よく味覚が変だと言われるので」
「えっ、リラが?」
「意外だな」
俺も何となく意外だった。彼女に苦手なもの、不得意なものがあるとは思わなかったからだ。
もちろん無属性ということで魔術行使の面ではどうしても遅れをとるが、同じく無属性だからこそあの程度の遅れは優秀の部類に入る。
「まあでも、それより早く食べましょう?」
そう言って彼女はあっさりと話を終わらせてクッキーをつまんだ。
花の形の、俺が作ったクッキーだ。何の躊躇いもなくそれを口にして、リラは少し驚いた顔をしてから――ふわりと頬笑む。
「私が言っても信用がないかもしませんが、とても美味しいですよ」
「ほ、ほんとか?なら俺も腹減ってるし…」
リラに後押しされる形でグロウも食べた。
先程までなんやかんやと言っていた彼だが、クッキーを口に含んだ瞬間その表情が輝いた――気がする。
「ほんとだ!うめぇ!セルスお前天才かよ!!」
「あ、ほんとに美味しい」
「確かにかなりの仕上がりですわね。薬草の独特の風味も感じませんし、これは満点ですわ」
まったく調子のいいことだ。呆れているとそっと皿が俺の方に寄せられる。
「セルスもクッキー、食べてみてください。すごく美味しいので」
「俺が作ったものなんだが」
「ふふ、そうでした。セルスは料理が上手なんですね」
「別に、料理と呼ぶほどのものではない」
それに料理なんて殆どしたことはない。やっていたのは僅かな食料をかき集めて、ただ焼いたり水で煮たりしていた程度だ。最低限、食べられれば何でも良かった。
「クラウスのも美味いな!ほんのちょっとだけ苦いけど、すげーいい匂いする」
「グロウのが甘すぎるんだよ。キャンディーみたいな味がするクッキーなんて聞いたことないんだけど」
そうこうしている間に皿の上に残されたクッキーは一種類だけ。ハート型のクッキーはこんがりきつね色に焼けていて、他のものと同じく食欲をそそる見た目をしている。
しかしリラが味覚オンチであるという発言をしたことで皆警戒しているらしい。それに苦笑しつつリラが自分のクッキーを手にして一口で食べきった。
「私としては別に不味くも美味しくもない、という感じですが、皆にとってはどうなのでしょう?」
「味オンチだからわかんねぇのか!」
「でも案外普通のリアクションだね。見た目も普通だし…」
クラウスがそろそろとクッキーをつまみ上げ、鼻に近づけた。
「匂いも普通のクッキーと一緒って言うか、美味しそうだよ」
「と言うか、貴女は先程から俺達のクッキーを美味しいと褒めていたが、美味しいかどうかはわかるのか?」
その辺りが不思議だ。味覚がおかしいというのは美味しいと感じるものも一般的な人とは少しずれているもの、と考えていたが。
「美味しいか普通かはわかります、さすがに。ただ何と言うか……それしかないんです。不味いっていうのがよくわからなくて」
「じゃあお前好き嫌いないのか?」
「そうですね、大抵何でも食べられます」
「じゃあそのくらいだったら実はそんなに不味くないとか…?」
「埒があきませんわね。セルス、食べてみて下さいませ」
「………」
そこで何故俺にふるのか。
「セルスならどんな味でも大丈夫そうだしな!」
「むしろ不味くても無表情で食べ続けてそうだからあんまり参考にならなさそうだけどね」
結局彼らは俺をあてにしているのかただ馬鹿にしたいだけなのか。
「……食べればいいんだろう、食べれば」
「おぉ!」
クッキーを口許に近づけると、確かにクラウスの言う通り香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。この香りなら彼女が言うような問題のある味にはなっていないのではないだろうか。
そもそも俺はこれまでろくな食生活をしてはこなかった自覚がある。いくら彼女が作ったクッキーが一般的に不味いと言われるようなものでも、これまで俺が食べてきたものよりはきっと何倍もマシなはずだ。
横目で見つめると、リラはかなり困った顔をしていた。色々と物思いに耽りすぎてしまったかもしれないな、と思いながら俺はクッキーを口に含んだ。
「…………っ!?」
瞬間、思考が止まった。
咥内に今まで一度も経験のしたことがない微妙で絶妙な味が広がって、それが鼻に抜けていく。
そのままの状態ではほの甘くいい香りだったはずのそれは、噛み割った瞬間から薬品臭にとってかわっている。
甘くもなく、かといって苦いわけではない。勿論酸っぱいわけでも辛いわけでもないのだ。
ただただ、微妙な味わい。甘さと苦さ、酸味と辛味が微妙に混ざりあった味わいは無機質の一言に尽きた。
唾液がどっとあふれて妙に粘つく舌の上にクッキーが居座る。全く飲み下せない。喉の奥に押し込めたならまだマシだろうに。
「……セルス、お水です、」
妙に物悲しいリラの声とともに水が差し出された。すぐにそれを受け取って一気に飲み干す。しかし安堵もつかの間、喉の奥から込み上げてくる匂いと口に残る後味に自然と噎せた。すかさず背中をリラにさすられる。一体自分は何を食べたのだろうか。
「大丈夫ですか………?」
「だい、………っ、…じょ、ぶ…」
舌が縺れてうまく話せないのは久しぶりだった。何故俺は毒きのこを食べたときのような反応を見せているのだろうか。もう一度差し出された水も一息に飲み干して、そんな疑問を抱きつつようやく顔をあげる。知らない間にふき出していた額の汗もぬぐった。
「何と言うかその…すみません……」
「いや、その……問題ない」
謝罪されるのも気まずい。と言うか彼女はかなり対応に手慣れていたが、こういった反応は彼女の手料理の前ではよく見られる事なのだろうか。
何だか目を合わせていられなくなって視線をそらした先では、グロウ、クラウス、エヴィの三人が固まっていた。
「………あなた方にも当然食べてもらうぞ?これは試食会なんだ」




