二十七歳
「ごほっ!ごほごほごほっゴボォォッ!!!」
「いい加減お薬飲んでください」
「うっせぇ命令してんじゃねぇよこのゴホッ!細菌クソ女がぶぇっくしょっ!!!」
エリオ様が風邪をひかれた。
「昨日よりも悪化してるじゃないですか」
風邪薬片手に私は疲れきっていた。
エリオ様が頑なに薬を飲もうとしないのだ。いい歳した大の男が「苦いから飲みたくない」と駄々をこねてかれこれ三時間。
昨日はまだ症状も軽く「寝れば治りますから薬は不要です」と宣っていた結果がこのザマだ。
「そんなんじゃ一生治りませんよ。この時期の風邪はしぶといんですから」
本当に困ったもんだ。
「ええそりゃテメーは満足でしょうね!?細菌振り撒いて私の苦しむ姿を見ては腹のそこで高笑いしているんでしょうよ!悪魔!人外!家畜以下ァァァァ!!!」
本当にイラつく。
しかも風邪をひいたのは自業自得だ。積もった雪に喜んでテラスに薄着で飛び出して遊んでいたのだから。そりゃ風邪もひく。ちなみにテラスには小さい雪だるまが乱立していてかなり不気味だった。何の儀式を始める気だよ。
「はいはい、私は細菌なんて振り撒いてませんし病人を見て笑うほどに歪んでもいませんよ」
ぴぎゃぴぎゃ憤慨しているエリオ様を無理矢理布団の中に押し込む。熱のせいで体に力が入らないのか割りとされるがままになっている。普段もこうだったらいいのに、とか思ってしまった。
試しにおでこに手を当ててみる。
「やっぱり。熱も上がってるじゃないですかもう」
布団から半分だけ顔を出しているエリオ様がじとっとこちらを見上げてくる。どうしたもんだほんとに。
「この私が風邪ごときにしてやられるとは・・・クソッ」
ぶつぶつと何か言っているけど、自業自得です。
そんなエリオ様は、「エミリアさんお粥が食べたいです」「喉が渇きました水が飲みたいです」「暇ですので本を読みなさい」「汗をかいたので着替えたいです」「なんだか甘いものが食べたくなりました」「そこの本棚整理しときなさい」「机に埃がたまってます掃除しなさい」エトセトラ。
いつにも増して注文が異常に多い。私がいてはゆっくり休めないだろうと思い、部屋を出ようとするとすぐにこれだ。しかも、今やる必要性を感じないものがほとんどで、一向にエリオ様の部屋から出られない。
そういえば、昔弟のテオが風邪をひいて仕事の両親に代わって看病したときのことを思い出した。
風邪をひいて熱が出ると何故か無性に心細くなるもので、テオは何かにつけて私を呼んでは側にいさせた。
さすがにテオも小さかった頃の話なので、ましてやエリオ様に限ってそんなことは有り得ないとは思いつつもどこか影が重なって見えた。
「何をにやついてるんですか気色悪い」
怪訝そうな金の瞳がこちらを見ていた。熱で目が潤んでいる。
「いえ、私の弟を少し思い出してました」
曖昧に笑ってみせる。
「へぇ、あなたには弟がいるんですね。二人姉弟なのですか?」
「あと妹が一人いますよ」
「仲はよろしいのですか?」
私のことなぞ興味がないだろうに。意外にも食い付いてきた。
「妹と弟はよくおやつの取り合いで喧嘩ばかりですよ」
意図も簡単にその光景が浮かび私は苦笑する。
「そうですか。仲が良いのですね」
「そうなんですかね?でもエリオ様だって」
言いかけて気付く。
アドル様もだったが、エリオ様から兄弟の話をあまり聞いたことがない。というか兄弟同士で会話している光景を見たことがない。唯一、ハーティス様が異例なのだ。
やはり王族となると色々と複雑な問題が多いのかもしれない。
「兄弟喧嘩か・・・」
ぽそりとエリオ様が呟いた一言になんだか胸が切なくなった。いつもより弱々しい口調は熱のせいなのだろうか。私は優しくエリオ様に微笑みかける。
「エリオ様、兄弟喧嘩するにも早く元気にならなきゃですよ。だから」
「薬なんて飲むかよド畜生」
チッ。
「もぉー何でもいいから薬飲んでくださいよぉー。本当に治らないですよ?良いんですか?エリオ様が本調子じゃないことを良いことに布団の中にビビちゃん投げ込んじゃうかもしれませんよ?良いんですか?」
「ひぎゃっ!?こんの細菌女ァァァ!!!!」
ちなみにビビちゃんとは以前エリオ様の部屋に忍び込んだ子猫のことである。もう既にエリオ様は涙目になっている。ぷ。
「あなたなんて、私の手にかかれば・・・!今すぐにでも、小バエに、してくれるわ!」
「ちょっ、起き上がらない方がいいですって」
エリオ様はのそのそと布団から這いずり出るとベッドから降りて立ち上がった。慌てて押し戻そうとしたのだが、あろうことかふらついたエリオ様が前のめりに倒れてきた。
「ゲッ!!!」
思わず受け止めようとエリオ様の下に潜り込むようにして飛び込んだが、なんせ相手は図体のでかい大人である。私の足が究極にプルプルしている。いや、すぐにガクガクに変わる。
「ちょ・・・ほんと・・・エリオ・・・さまっ・・・」
「ふにゃり」
オイオイふにゃってんじゃねえええええええ。
エリオ様は私の首にしがみついたまま動かない。骨の限界が近いやばい。
「う、おおおおおおおおっ!!!」
私はエリオ様の胴に手を回すと、ど根性でエリオ様を押し返しその勢いのままベッドの上に背中からダイブさせることに成功した。私自身もエリオ様の上にダイブすることになったが何はともあれ危機一髪。ここに来てから、心身共に強くなっていると思う。自分を褒めてあげたい。
「おもい・・・です・・・めすぶたくそおんな・・・わたしのからだが、つぶれたらどうするんですか・・・」
ふにゃふにゃしてても口の悪さは健在である。そして、私はため息をはく。
「じゃあ、手を離してくれればいいじゃないですか」
もちろん私はすぐにエリオ様の上から退こうとしたのだが、いつの間にかエリオ様に腕を掴まれていたのだ。
「あなたのしごとはわたしの、かんびょーでしょうが・・・ちゃんとわたしのことみてなきゃいけねーだろていのーおんな」
看てるよ。看てるけどさ。
もしかしてもしかすると、本当にエリオ様は熱によって駄々っ子モードになっているんじゃないか。弟はあのとき「眠るまで手を繋いでいて」と我が儘を言った。
それとおんなじにおいがする。
しかし今目の前にいるのは二十七の男だ。ちょっと、いやかなり問題だ。もう一度ため息をはく。
「薬、飲んでください」
「わたしのからだは・・・そんな、ものに、たよらなければならないほど・・・やわでは・・・ない」
いやいやかなり堪えてますよ。
もう面倒くさくなってきたので、私は目の前にいるのは小さな子供だと考えることにした。
「おーよちよち」
「コロス」
頭を撫でてやったが失敗だったようだ。
「ほら、エリオ様が眠るまでちゃんとここにいますから。とりあえずちゃんと布団に入ってください」
どうも手を離すつもりはないらしく、駄々っ子モードは尚も継続中だ。
「くそおんな。ていのーかちくやろー」
そのくせ意味もなく悪口を言っているのは何なんだ。てか女なのか野郎なのかどっちだよ。
それからしばらくして、エリオ様はすやすやと寝息をたて始めた。それを見てほっとする。
いつもはきっちり撫で付けている髪の毛は昨日今日とずっと無造作ヘアなままなことに改めて気付いて、つい笑ってしまう。子供っぽさに拍車がかかっているではないか。
そして、どうやったら薬を飲んでもらえるかを悶々と考えているうちに気付けば私も眠ってしまっていた。
◇
「君、もしかしてエリオの侍女かい?」
そう声をかけられたのは、私がいつも通り廊下の窓を水拭きしていたときだった。
振り返るとそこには金髪の見目麗しい男性が立っていた。アドル様よりも色素の薄い金の髪の毛に深い海のような瞳。
「ええと、はい」
戸惑いながらも返事をすると、男性はにこりと微笑んだ。
「そうか、君が噂の」
噂?何だ噂って。
「おっと失礼。僕はフリス。君の名前を伺っても?」
「あ、私は・・・」
言いかけて驚愕する。フリスってまさか。
「フリス様!?でえぇぇぇ!!?」
「あはは、そんなに驚かなくても。エリオはいる?」
フリス様とは剣術に優れていることで有名な二番目の王子様。つまりエリオ様のお兄さん。お忙しい方で、それはもう私なんぞが滅多にお目にかかれる存在ではない。な、何故ここに?
「あの、はいっ!その、います!」
ひぃっ。緊張の余り声が裏返ってしまった。
「ふむ。では少し失礼するよ」
フリス様は私の肩をぽんぽんと優しく叩いてから部屋の中に入っていってしまった。
恐らくエリオ様はまだ夢の中だ。勝手に通してしまったが良かったのだろうか。いや、でも第二王子であるフリス様に私がどうこう言える立場でもないし。ああでも後からエリオ様に怒られる気がしないでもない。
ちょっとだけ様子を見に行こうかな。そう思って雑巾を握ったまま扉に近付いたのが間違いだった。
「あの男を入れたのはあなたですかエミリアさん」
寝起きのエリオ様がもの凄い形相で私を見下ろしていた。やばい、めっちゃ怒ってる。この顔は間違いなく最高に機嫌がわるいやつだ。
「す、すみません」
謝ったところできっと暴言レベルが下がることはないだろう。怖くて目が合わせられない。
「こらエリオ。彼女怖がってるじゃないか。駄目だろ、貴重な存在なんだから大事にしなきゃ」
部屋の奥にはソファーに座ってくつろいでいるフリス様の姿があった。エリオ様の機嫌が更に悪くなる。
「チッ」
あ、しかも舌打ちした。
「まあほら、とりあえず話だけでも聞いてくれないかい?僕だってそんなに暇じゃないんだよ」
「だったらとっとと帰ったらどうです」
うわぁ。お兄さんに対してひどい言い草だな。
しかしフリス様はそんなエリオ様の態度に臆することなく、穏やかに微笑んでいる。
「可愛い弟の面倒を見たくなるのは当たり前のことだろう?それに久しぶりに会えたのにそんな突き返すようなこと言わなくたって良いじゃないか。お兄ちゃん寂しいぞ」
「そういうの迷惑です。そしてキモい」
「僕はねぇ、君の将来を心配しているんだよ。君だってもう二十七。もう結婚しててもおかしくない歳だろう」
「だから何度も何度も同じこと言わせないでください。私はただ着飾って権力に執着しているような香水臭い女共には興味がないんですよ」
うわぁ。これまたひどい言い草だな。
「エリオ、確かにそんな貴婦人たちがいることも否定はしないよ。だけど皆が皆そんな人ばかりではない。そしてそれを見極めるためにも君には出席してもらいたいのさ」
出席?何の話だろう。
「必要ありません」
エリオ様は冷たく言い放った。
「・・・そうか。うーん、じゃあ残念だけど魔術品や実験材料の取り寄せは打ち切りかなぁ。君の分の公務をこなすのだけでも手一杯なんだよね、正直」
フリス様は相変わらずにこにこしている。
「はぁっ!?テメェェェ!!」
そしてエリオ様が珍しく取り乱している。
「あと彼女」
藍色の瞳が私をばちっと捕らえた。
「え?」
ソファーから立ち上がったフリス様は素早くこちらに近付くと、私の肩を抱いた。
「僕の侍女にしちゃおう。うん、それが良い」
まじか。