キングオブ馬鹿
胃がきりきりする。
そんな日が何日も続いていたある日、事件が起こった。エリオ様の夕食に毒が盛られた。
普通なら食事前に使用人に毒味をさせるものなのだが、エリオ様はそれを嫌がる潔癖な面があった。未使用のスプーンやフォークでも嫌らしい。毒の量は死に至るものではなかったものの、私やコラートさん、料理人たちが集められた。私を含め関係者は一斉にクビだろうと身構えていたが、そうはならなかった。
そして意外にもすぐに犯人が判明した。エリオ様担当の料理長の上着から同じ毒物の反応があったのだ。料理長は即刻牢屋行きとなり、最終的にどのような処置が施されたのかは教えてもらえなかった。
料理長とは最近会話を交わすことが増えてきていたので、私はかなりショックだった。明るくてよく笑う人で、そんなことをするようには全く見えなかった。胸の奥にぽっかりと穴が空いたような、そんな気分だ。
「エリオ様、本当に申し訳ございませんでした。謝って許されるようなことではないとわかっております」
ベッドに横たわるエリオ様に向かって私は深く深く頭を下げた。あのときの料理を運んだのは私だった。毒味をちゃんとしていればこんなことにはならなかったのに。自分の平和ボケした頭を殴ってやりたい。
いかに責任感がなかったのかをひどく痛感した。
「どのような罰も甘んじてお受けいたします」
泣きそうなのをぐっと堪える。
「エミリアさん、あなたは馬鹿ですか」
ふいに声がかかった。
「私はこれくらいの毒に屈するほど柔じゃありません。毒の耐性はある程度身に付けてますからね。こんなもので殺せると思ったクソ野郎がいたことにびっくりですよ全く」
「・・・私が毒味をしていればこのようなことにはなりませんでした」
「あなたは死にたいのですか?」
は?
「いえ・・・死にたくは、ないです」
何が言いたいのかわからず、おずおずと頭を上げると黄金の瞳がこちらをじっと見ていた。
「じゃあ良かったじゃないですか。耐性のないあなたがもし毒味なんてしていたら、きっともうこの世にいなかったでしょうに」
無表情でそう告げられ、私はぞっとした。
「本当に申し訳ございませんでした・・・!」
再び深く頭を上げると、大きくため息をつく音が聞こえた。
「謝ったところで現状は変わりませんよ」
その通りだ。全くその通りで胸の奥がチクチクと痛む。
「喉が渇きました。水をください」
「え?」
「聞こえなかったのですかクソ女」
「た、只今!」
慌てて私は水を注ぎに行く。あんなことがあった矢先、下女風情の私なんかに頼むなんて何を考えているのだろう。
「お持ちいたしました」
戻ると、エリオ様は起き上がってベッドの背もたれに寄りかかっていた。やはりまだ本調子ではないのかどこか気だるげだ。
「・・・・・・あの、毒味しなくても大丈夫でしょうか」
少し悩んでから思いきって口にすると、エリオ様は邪悪に顔を歪めた。
「あなたは本当にキングオブ馬鹿ですね。そもそもあなたみたいな家畜が味見したものが飲めるわけないでしょうこのキングオブ馬鹿が」
そう言うと私の手からコップを引きむしると一気にそれをあおってしまった。
「あっ」
私はその様子を呆然と見つめることしかできず固まっていると、水を飲み干したエリオ様がにやりと不敵に微笑んだ。
「殺せるものなら殺してみろ 」
誰に対しての宣戦布告かはわからなかったが、その直後ばたんと倒れたエリオ様を私は慌てて布団の中に戻した。大の男を動かすのは骨の折れる作業だったが、エリオ様は規則正しい寝息をたてて眠っているのでほっとする。
しばらくしてコラートさんが様子を見にやってきた。
「おお、よく眠っておられる」
相変わらず、エリオ様を見るコラートさんの眼差しは優しい。
「エミリアよ、お前さんも疲れておろう。戻って休んでも良いのじゃぞ」
コラートさんはそう言ってくれたが、そんな気分にはなれなかった。
「いえ、私はまだエリオ様についてます」
「ふぉふぉふぉ、そうかそうか」
コラートさんは笑いながら、椅子に座るよう私に促した。エリオ様のベッドの側に置かれた椅子に私たちは並んで座った。するとコラートさんがやんわりと口を開いた。
「これで何回目じゃったかの」
何のことかわからず、コラートさんの方に視線を移す。
「毒を盛られたのは今回が初めてじゃないのじゃよ」
穏やかにそう言われて、私は固まった。
「え?」
「エリオ坊っちゃんを亡き者にしようと企む輩がたくさんおるっちゅうことじゃ」
そんな。
「それでもむやみにわしらを廃除しないのがエリオ坊っちゃんの優しいところでの。まぁ、その優しさが返って心配なんじゃが。今回の件も、関係者は皆罰せられるのが普通なのじゃがなぁ。エリオ坊っちゃんはそうしなかった。そうさせないのじゃよ」
いつもそうなのじゃ、とコラートさんは困ったように、しかしどことなく嬉しそうに笑った。
色々と衝撃だった。
アドル様にお仕えしていたときはこんな事件は一度だって起きたことがなかった。忙しかったが、よくよく考えれば平和過ぎる日常だったのだと今になって思い知らされる。
王族なのだから、こういった陰謀に巻き込まれる可能性は十分にあるのだ。
それを今まで私は頭の隅でしか考えていなかった。平和ボケも良いところ。本当にキングオブ馬鹿だ。
「本当に、申し訳ございません・・・」
瞳に溜まった涙がぽたりと、きつく握った拳に落ちた。
「おやおやエミリアよ、どうしたんじゃ」
心配そうにコラートさんは私を覗き込んだ。
「エリオ様をこんな目に合わせてしまって・・・」
一度堰を切った涙は止まることを知らない。
「よしよし、大丈夫じゃ。エリオ坊っちゃんもすぐに元気になる」
ぽんぽんと頭を撫でられて、私はしばらく静かに泣き続けのだった。
◇
それは真夜中のことだった。しばらく前にベッドに入りうとうとし始めた頃、いきなり部屋のドアが勢い良く開かれた。
「うわあああああああああああ!!!」
叫び声と共にベッドに何者かが飛び込んできた。
「ヒィィィッ!!!」
すぐにベッドから飛び降りて私は部屋の灯りをつけた。
・・・・・・え。
私のベッドの上で布団にくるまって小刻みに震えているのはまぎれもなくエリオ様だった。
「あの、何をしていらっしゃるんですか」
一応聞かねばなるまい。
「エミリアざんっ!い、いまずぐっ!わだじを匿いなざいっ・・・!」
うわぁ。しかも、ものすごく泣いてる。
尋常じゃないエリオ様の様子に私は少し引いてしまった。大の男の泣き顔はなかなかインパクトがでかい。
「でっ、出たんですよ・・・魔物が!」
ぎゅううっと私の腕を掴んでエリオ様が訴えてきた。い、痛い。
「魔物って」
そんなことは有り得ない。魔物が生息する森からは距離が離れているし、万が一の場合に備えてお城には結界が張ってあるはずだ。
「エミリアさん!早くなんとかしなさい私の命が危ないうわあああああああ!」
「お、落ち着いてください」
こんなに取り乱しているエリオ様を初めて見た。以前、毒を盛られたときでさえこんなに正気を失っていなかった。
「わかりました、私が様子を見てきます」
「ちょっとォォ!あなたは私を一人にするんですかこのドブ女ァ!!!」
どうしろって言うんだよ。がっしりと腰にしがみついたまま離れないエリオ様にげんなりした。
「では、一緒に行きましょう」
とりあえず様子を見に行って、私だけで手に追えないようだったらコラートさんに知らせよう。
布団に頭からくるまったままのエリオ様が私の後ろにぴたっと張り付いたままついてくる。
「ちょっと、あまり服を引っ張らないでください」
「口答えしてんじゃねぇよとっとと行けよ!!!ヒヒッ」
駄目だ完全にトランス状態のようだ。
エリオ様の部屋のドアは開け放たれたままで、向こうでは窓が空いているのかカーテンがはためいているのが見えた。
しかし背中が重くて動き辛い。
恐る恐る部屋の中に足を踏み入れる。ぐえっ。しがみついてきたエリオ様の腕に首が絞められて一瞬息が止まる。
ぐるりと部屋を見回すが、特に変わった点は見受けられなかった。変な夢を見ただけなんじゃなかろうか。なんて思い、窓を閉めようと奥に進んだとき足下を何かが横切った。
「ヒッ!」
「うわああああああん!」
確実に何かがいるという恐怖と、ぎゅうぎゅうと首を締め付けてくるエリオ様によって私もトランス状態一歩手前だ。
「にゃお~ん」
うわぁ、エリオ様が完全に壊れた。
「ひぎゃああああ!!!出たああああ!!!」
ん?
「エミリアさん・・・!はやっ早く!早く退治してくださいヒィィィ!」
んんん?
目を凝してよくよく見ると、エリオ様のベッドの上にちょこんと座っているのは魔物なんかではなく、小さく愛らしい姿。子猫ではないか。
「なーんだ、エリオ様大丈夫ですよ。あれ子ネ」
「ぴぎゃああああああ殺される殺される殺される!!」
「ぐえっ!ちょ、落ち着いぐえっ!」
正体は子猫だとわかったにも関わらず、エリオ様は先程より強い力でしがみついてきた。
「キャーーーッ!キャーーーッ!」
だから子猫だっつうに!しがみつくエリオ様をばりっと引き剥がすと私は一人、ベッドに近付いた。
子猫は逃げようとはせず、大人しく私に抱き上げられた。それどころか、にゃおんと再び鳴いてすりよってきた。か、かわ。
近頃、癒しが全くなかった私は胸がきゅーっと締め付けられた。
「ほら、エリオ様!とっても可愛らしいですよ」
壁際で震えているエリオ様に子猫を抱いたまま近付く。
「おまっ!このド畜生ォォ!!近寄るんじゃねええええ!!!」
「は?」
数分後。エリオ様は猫が大の苦手だということが発覚した。どうやらこの子猫は空いていた窓から侵入したらしい。少し肌寒くなってきたこの季節に何故窓を開けていたのかは謎だが、この人のことなのであまり深く考えないことにする。それより、ここまでよく登ってこれたなぁと子猫に感心した。
しかし猫にどんなトラウマがあるのかは知らないがあの怯えようは割りと引くレベルだった。お前はネズミかと言いたい。
ひとまず子猫を私の部屋に移動させてから、再びエリオ様の部屋に戻った。まだ壁際で布団にくるまって震えている。
「エリオ様、もう猫はいませんよ」
エリオ様の弱点を握ることができた私は、込み上げる笑いを押し込めながら声をかける。
「こ、こんのドブ女ァ・・・わざとですね・・・絶対わざとに決まっているぶつぶつぶつ」
涙をいっぱい溜めた目で睨まれても全く怖くない。ぶつぶつぶつと文句を言っているのは、先程何度かエリオ様に子猫を近付けてしまったからだろう。もちろんわざとだけど。くくっ。
「ほら、ベッドに戻ってください。あとその布団も返してください」
「だ、騙されないですよ!そうやって油断させたところを襲うつもりですねこの卑怯者ォォ!」
そろそろ面倒くさいので本気で勘弁してほしい。もうあれから二時間が経過している。私は寝たい。
「そんなことしませんよ、ほら」
呆れつつも、エリオ様に手を差し出す。
じーっと私の手を十秒ほど凝視してから、おずおずと自分の手を伸ばしてきた。その手を握ってエリオ様をなんとか立たせてベッドまで誘導することに成功したのだが、あろうことか私の布団ごと丸まってしまった。
「布団、返してください」
「・・・・・・・・・」
「エリオ様」
「・・・・・・・・・」
「ふと」
「テメーなんざ風邪でもひいてろヒヒッ」
イラァッ。もういっそ風邪でもひいてやろうかという気持ちにさえなったので、私は諦めて部屋に戻ることにした。しかし。
「は?」
二歩以上進むことができなかった。後ろを見ると布団の隙間からにゅっと出ている腕に私の服の裾をがっちりと掴まれていた。
「エリオ様?」
顔は布団に埋もれて見えないのでどんな表情をしているのか全くわからない。
返事もないので、指をほどこうとするが思いの外力が強くこちらが両手を使ってもびくともしない。
「あなたのような下僕風情が風邪なんて引いて許されるとでも思ってるんですか」
「え、じゃあ布団返してくれるんですか」
「誰が返すかよ馬鹿女」
「えぇ~・・・」
もう意味がわからない。
「離してくださらないなら、ここで寝ちゃいますよ」
エリオ様が嫌がりそうなことを思い付いたのでさっそく声をかけてみる。ふふ、さすがに離してもらえるだろう。
「そうすれば良いでしょう」
ほーらやっぱり。
「・・・・・・・・・はい?」
「初めからそうすれば良いと言ってるのがわからないのですかこのウスラトンカチが」
いやいやいや何言っちゃってんのこの人。
「ほら」
ポンポン自分の横ら辺を叩いているけど、いやいやいや。
「エリオ様・・・さすがにそれはちょっと」
愛想笑いを浮かべながら後退るが、やはりそれ以上進むことができない。しかも次の瞬間、まるで綱引きでもするかのように私の服を高速で引っ張り出した。
「ギャアアアア!」
そのままベッドに引きずり込まれ、更には腰にしがみついてきたエリオ様によってついに身動きがとれなくなってしまった。どうしてこうなった。いくら呼び掛けても全く反応がない。試しに「あ、猫」と言ってみると「ピギャッ!・・・てめっコロスぞクソ女ァァ!!」と暴言を吐き散らしてきた。ちなみに私にしがみついたまま。
しかも何だか背中が冷たい。まさかとは思ったが、そのまさかでエリオ様は泣いていた。後ろから「ぐすっ・・・ぐすっ・・・」という音がする。正直ドン引きした。
相当今回の件が堪えているようだ。そして今正に私が追い討ちをかけたらしい。少しだけ罪悪感を感じたので仕方なく私は大人しく言うことを聞くことにした。全く、困った大人だ。
「・・・って、はぁぁぁ!?私より先に寝てんじゃねぇよこの家畜がどつき倒すぞコルアァァ・・・!!」
ちなみに子猫はコラートさんが引き取ることになった。