絶望的幕開け
初めまして!よろしくお願い致します。
それはとある昼下がりのことだった。
「ああミリー、いきなり呼びつけてごめんね」
しなやかな手つきで優雅に紅茶を飲んでいる麗しの君。窓から差し込む木漏れ日が艶のある金の髪を優しく照らしている。
「いえ!とんでもございません」
勢いよく首を振る私を見て、彼の、晴れた空のような瞳が優しげに細められた。ああ、美しい。
しかし彼はすぐに形の良い眉を悩ましげに下げた。そして少し悩む素振りを見せてから、やんわりと口を開いた。
「実は折り入って君に頼みたいことがあるんだ」
何か困ったことが?
「何なりとお申し付けください、アドル様」
あなたのためなら身を尽くして働きますとも!
私のその言葉を聞いたアドル様の表情が一瞬にしてぱっと明るくなる。
「ミリー!ありがとう。君ならそう言ってくれると信じていた。いや、優秀な君にだからこそ頼もうと思ったんだよ」
きらきらとした瞳で見つめられ、私の胸はきゅーっと締め付けられる。
「そんな・・・勿体ないお言葉です」
更にアドル様は立ち上がりこちらに近付くと、私の手をきゅっと握った。
「ミリーが僕の侍女で本当に良かった」
ああ、幸せ過ぎてもう死んでもいい!
「私もアドル様にお仕えできて、本当に光栄です」
ふわりと柔らかく微笑まれ、私は鼻血が出る寸前だった。このまま時が止まればいいのに。
アドル様の笑顔のためなら私はどんな苦行でもこなしてみせますとも。ふっ・・・ふふふ。はっはっはっは!
◇
翌日。
アドル様に言われた通り、とある部屋のドアをノックした。
「おお、君が新しい侍女かの。待っておったぞ」
出てきたのは白髪頭の小柄で小綺麗な身なりのお爺ちゃん。
「初めまして、ミリーです」
「おお、おおエミリアと言うのか。わしはコラートじゃ」
そう言うと、コラートさんはふぉふぉふぉと可愛らしく笑った。いや、名前違う。
「はい、ミリーです。コラートさん、よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくの、エミリア」
おぅふ・・・。さりげなくもう一度自己紹介したのだが全く届いていなかった。
「それじゃ行きますかの。こっちこっち」
ちょいちょいと手招きされて部屋の中に入ると、こじんまりとした空間に更にドアが前方左右にひとつずつ、計三つのドアが現れた。なんとも変わった造りだ。コラートさんは真ん中のドアを軽くノックすると「起きておられますか」とドアの向こうに声をかけた。しかし返事はない。
「おお、それでは失礼しますぞ」
しかしコラートさんには何か聞こえたらしい。ドアを開くと中に入っていってしまった。一応言っておくが私には全く何も聞こえなかった。しかも鍵開いてるんかい。
「ほれほれエミリア」
再びちょいちょいと手招きされ、私は戸惑いながらも中に足を踏み入れる。ちなみに名前のことはもう諦めることにした。
部屋の中はカーテンが締め切られ、朝だというのに薄暗い。しかし上品な造りの部屋だ。ふわりと何かの甘い香りが漂う室内は清潔感もある。
「あれま、まだ眠っておられるわ」
コラートさんの間の抜けたような声に私は部屋の観察を止める。
「エミリアよ、申し訳ないんじゃが目覚めるまで隣の部屋で待っててもらってよいかの?」
「はい、それは構いませんが・・・ええと」
私は困惑しながら、目の前の大きなベッドで規則正しく寝息をたてている人物に視線を移す。
「きっとお疲れなのじゃ。ここ最近忙しそうじゃったからの」
コラートさんはベッドで眠る人物に、優しげな眼差しを向けている。
「そんなお忙しい方なんですか?」
何気なく尋ねると、コラートさんはふぉふぉふぉと笑った。
「エリオ坊っちゃんは魔術を常日頃から使っておられるからの。体力の消耗も人並み以上なんじゃよ」
成る程。この人は魔術師か何かなのか。
部屋を出ると、入り口から向かって右手にある部屋に案内された。先程の部屋よりは狭いけれど、それでも必要最低限のものが揃った綺麗な部屋だ。
「それではまた声をかけるでの。それまでここでゆっくりしておってくだされ。何かあったらわしの部屋に来なさい」
そう言い残し、コラートさんは部屋を出ていってしまった。取り残された私はその場に立ち尽くす。
え、仕事は?
とりあえず部屋の中央に設置されたソファーに腰を下ろすことにした。
私は一体何のためにここに呼ばれたんだろう。アドル様の言い付け通りここまで来たものの、仕事内容を全く聞いていないことに今更ながら気付く。話は通してあるから心配はいらないと言われたけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
アドル様を信用していないわけじゃないがちょっと不安になってきた。
いつもならこの時間帯は忙しく走り回っている頃だ。この状況はひどく落ち着かない。
いてもたってもいられなくなり、部屋を出て向かいの部屋のドアをノックした。
「コラートさん、ちょっといいですか」
声をかけてみたが反応がない。耳が遠いようなのでもしかしたら聞こえていないのかもしれない。もう一度、先程より大きな声で呼んでみる。
「おおエミリア、どうかしたかの」
六回目にしてやっとドアが開いた。ぜ、ぜぇぜぇ。
「あ、あの、何かお仕事は、ありませんか」
どうやら先ほど一回でコラートさんが出てきたのは奇跡だったようだ。
「ふぅむ・・・」
コラートさんは顎に手を当てて考え込んでしまった。そして数秒後「無いの」と一言。私は部屋に戻されてしまった。
私は困惑している。非常に困惑している。あれからもう一度コラートさんの部屋を訪ねた。しかしコラートさんには、エリオ坊っちゃんが目覚めるまでは何もすることはないと言い切られた。ただ、わかったことは、コラートさんが指揮官かと思いきやどうやら未だ眠りこけているエリオという人の方が権力があるらしいということ。
うーん。しかし何かひっかかる。
しばらく悶々と考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。やっと仕事かとほっとしてドアを開けたが、そこにコラートさんの姿はなかった。不思議に思いながらも外に出ると、再びドアを叩く音が聞こえた。
「侍女のリリアです。荷物をお持ちしました」
ノックされていたのは、私のいる部屋のドアではなく廊下に繋がる出入口の方のドアだった。
「今開けます!」
本来なら勝手に出てもいいものかと迷うところだが、リリアさんはよく知った先輩の侍女だったのでドアを開けることにした。それに間違いなくコラートさんには聞こえていない・・・。
「ああ、ミリーね。ちょうど良かったわ。これあなたの荷物よ」
台車に乗せられていたのは箱に詰められた私の日用品の数々だった。
何故こんな状態に?
「アドル様にあなたの元へ運ぶように言われたのよ。てきとうに詰めちゃったけど、あなたの荷物少なくて助かったわ」
くすりと艶やかな唇が弧を描いた。
「えっ?」
状況を飲み込めず狼狽える私に構うことなく、リリアさんは台車ごと部屋に押し込んできた。
「ま、精々頑張ってね。じゃっ」
パチンとウィンクをすると、リリアさんはさっさとドアを閉めてしまった。美人がやるとサマになるなぁ。
・・・・・・じゃなくて。
「どゆこと?」
ぽつんとその場に立ち尽くす私の疑問に答えてくれる人は誰もいなかった。
◇
やっとコラートさんから声がかかったのはもう日も沈んだ夕暮れ刻。
「エリオ坊っちゃんが目を覚まされた」
ふぉふぉふぉと笑うコラートさんは可愛らしい。しかしほぼ一日中部屋にこもっていた私は、若干のストレスを感じていた。
「それじゃ行きますかの」
てかさすがに寝過ぎじゃない?大丈夫なの?
今度はノックすることなく「入りますよ」と一言、コラートさんはドアを開けた。声をかけるのとドアを開けるのはほぼ同時だったんだけど、いいのかそれ。
「エリオ坊っちゃん、連れて参りました」
コラートさんがぺこっと一礼したのを見て、私も慌てて頭を下げる。
「侍女のミリーと申します」
「下がっていいですよ」
は?と思った。
「それでは失礼します。エミリアよ、後は任せたの」
状況が飲み込めてない私をよそに、コラートさんはにこりと微笑むと颯爽と部屋から出ていってしまった。
え、ちょ、え?
いきなりのことに困惑していると、目の前に大きな影が落ちた。
「ふぅん、あなたが新しい侍女ですか。名前は?」
黄金の瞳が値踏みするようにこちらを見下ろしている。
「ミ、ミリーです」
なんだろうこの高圧的なオーラは。
「エミリアと言いましたか。ふん、今までの侍女の中で一番やぼったい見てくれですね」
鼻で笑われた。いやいや、名前違うし。
「まぁいいでしょう。精々しっかり働くことですね」
こ、こいつ・・・。
「あの、一体私は何をすれば良いのでしょう」
精一杯笑顔をつくってみせる。我慢、我慢。
「はぁ?あなたは馬鹿なんですか?脳ミソすかすかなんですか?見た目通り家畜以下かよ」
おいおいおい。
「アドルのやつこんな使えなさそうなのを寄越しやがって。一番優秀なのを用意しろと言ったはずですが・・・チッ」
舌打ち!?
てか今『アドル』と言わなかったか?
「あの、もう一度お願いします!」
「・・・あなたドMなんですか?さすがに気持ち悪いですよ」
待て待て待て、そこじゃない。しかもなんでドン引きしてるんだよ。
「そうじゃなくて!今、アドル様のお名前をおっしゃいませんでした?」
「ええ言いましたよ。何か?」
「アドル様がどうって・・・」
嫌な予感がする。
蔑んだ色を思い切り含んだ瞳が私を見た。
「アドルがあなたみたいな無能なメス豚クソ野郎を私に手配したことが気にくわないと言ってるんですよ全く」
私は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。メス豚と言われたことのショックとか、メスなのか野郎なのかどっちたよというツッコミとか。
それどころじゃなかった。
アドル様が、私を・・・?
彼はまだぶつぶつと文句を言っているが全く耳に入ってこなかった。
「ちょっと、何よろけてるんですか。貧血ですか?どう見てもか弱そうな体型してないでしょうが」
ぺたんと尻餅をついた私は目の前の男をただ呆然と見上げる。
「初っぱなからこんな調子かよケッ!」
絶望だ・・・。私は目の前が真っ暗になった。