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8、かっての今日子

 生徒指導室に連行された今日子は、焦げ茶色のソファの硬くて座り心地の悪さに腰が浮きそうになりながらもできるだけ朝間から距離を置いた。悪いのはこいつなのだ。もちろん殴ったのは良くなかった。しかしこいつさえ態度がはっきりしていればこんな大事にはならなかったのだ。そう彼女は口をすぼめる。

 峰岸が猫背で入室してそそくさと二人の後ろに立った。彼女も崇城が苦手であることは今日子も以前から察していたので、巻き込んでしまったことに申し訳なく思った。元より花瓶の件で後ろめたさがあるので、今日子にも猫背が伝染する。

 崇城が難しい表情で二人の前に座って、竹ものさしでデスクの角を叩いている。黒のシャツが相まってまるで裁判官だ。コツンコツンと鳴る硬い音には譴責(けんせき)の念が込められているのだろう。もしや叩かれるのではないか。今日子は尻の収まりの悪さを感じつつもさらに萎縮し、痛みを覚悟した。

「まったく。毒気を抜かれる思いだ」

 重苦しい沈黙から、崇城はようやく口を開かせてローテーブルの上の輪ゴムを示した。

「この輪ゴムは、ブラックツールに認定されている危険物だと、理解しているのか?」

「でも白は」

「口答えするな」

 崇城は目の下にしわを細かく作らせにらむ。朝間は露骨に不満の色を見せながら文句を飲み込んだ。せめてもの抵抗なのか、大股開きで深く座っている。崇城は射抜くような細い目を作り、話を続ける。

「お前の言う通り、白だけは半認定になっている。最も威力は弱く、学生の間でも大昔に流行していた。が、人間に害がない訳じゃあない。MBB弾のようにな。わかるな? 当たり所が悪ければ、大怪我をする。私は何人も見てきた」

 噛み砕いて言い聞かせているようだが、今日子には何が何なのかちんぷんかんぷんだった。とりあえずは素直に頭を垂らしておく。茜の方がこの仕草はうまい。白ユリのような儚さで大抵の過ちは許されてしまう。今日子は彼女の雰囲気を意識して上目遣いを試みたが、自分のキャラに合わなかった。何より堅物であるこの男には効かない。

「で、これはどこで手に入れた?」

「知らねー」

「こら朝間くん。正直に言いなさい」

 峰岸もきつめに言った。彼女が怒る場面があることに今日子はギクッとした。今どんな表情をしているのだろう。振り返る勇気もない。花瓶を割ったことを知られたらこんな風に叱られるのだ。

「知らねーもん、拾っただけだし」

 朝間は口元のかさぶたを引っかきながら白を切る。終夜の名前を出す気は毛頭ないらしい。それとも、この世界では終夜は関係ないのか。どちらにせよ、無神経な態度のせいで自分まで怒られるのは嫌だ。早くこの場から去りたい。今日子は無意識に右のすねを左のふくらはぎにこすりつけた。

 崇城は深い嘆息を漏らす。

「他の生徒に当たらなかっただけ良かったものの。きっちり反省文を書いてもらうからな」

「えぇー」

 朝間は顔をゆがめた。今日子も頬を強張らせた。日記は好きでも反省文が好きな奴なんていない。

「私だってできることならお前のような問題児を謹慎にしたいくらいだ。朝間は原稿用紙二枚、真午は一枚だ」

「はぁっ? 何でこいつは一枚なんだよ!」

「お前は輪ゴムの件と取っ組み合いの件。真午は暴力を振るった件だ」

「違うって、こいつが殴るから」

「あたしのせいだって言うの!?」

「コラ二人とも!」

 峰岸が上から怒鳴った。今日子は亀のように首を引っ込める。ごめんなさいの一言は出なかった。

「とにかく、書き終えるまでは帰るな。いいな?」

 原稿用紙を渡され、しぶしぶ二人は各自の筆記用具で反省文を書き始める。峰岸は生け花部の顧問としていなくなったが、崇城はずっとそこにいた。今度は看守のようだった。

 反省って言われても、今日子は困るばかりだ。元はといえば朝間が全部悪いのだ。彼女はイライラしながらも、確実に文の連なりを編み出していく。要は反省しているようなことを書けばいいのだから。

 一方で朝間は文字を書いたり消したりの繰り返しだ。書くことが浮かばず、しまいにはシャーペンを指の上で器用に回し出す。ペン回しは男子の間で流行していた。そこから朝間はテスト中でも頭を悩ませれば回す癖が身について、しょっちゅう床に落として注意されていた。カンニング疑惑が出た日にはやるならもっとうまい手口でやると得意顔で抜かして叱られる始末。朝間は幼稚だ。今日子は胸の内で見下した。

「シャーペンで遊ぶな」

「ふぁーい」

 朝間は看守に注意されながらもだらしなく頭をかき、隣の反省文を堂々と覗き込む。

「ちょっと見ないでよ」

「朝間!」

 崇城がにらむ。

「どんだけいったか見ただけやろが」

 朝間は口を尖らせて自身の原稿用紙と向き合う。

「崇城先生、ちょっと」

 剣道着の女子生徒が戸を開けて顔だけ入れてきた。「何だ?」と崇城はのそっと立ち上がり、一旦廊下へ出る。今日子は耳を澄ます。誰それが足をひねってしまったとか、大会はどうすればいいのかとか、あれこれ相談している。

 崇城が戻ってきた。

「しばらく部室の方へ行く。書き終わったら提出しておくように」

 今日子はほっと一息ついた。まぁ、朝間と二人きりというのも気まずいが。

「おっと。特に朝間は逃走癖があるからな」

 思い出したように崇城は懐からケースを出し、中から押しピンを一つ手に取る。朝間の左の袖を引っ張る。

「何すんだよ!」

 崇城は袖を白い押しピンでソファの肘掛けに留めた。その一瞬だけピンの頭部が淡く光った。朝間は左袖を引っ張るが、びくともしない。

「私にしかそれは取れないからな」

「おい! 先生は道具使っていいのかよ!」

「これはブラックツールじゃない。じゃ」

「卑怯だぞ! 卑怯者!」

 崇城は非難する朝間をものともせず一瞥して退室した。「くそものさし!」と朝間は毒づいた。

「魔法の押しピン、かぁ……」

 今日子はまじまじと見つめる。押しピンの頭部には螺鈿細工の蝶がいて、繊細な翅の模様は見る角度によって色が変化する。押しピンにしておくにはもったいない芸術品だった。

「かわいい」

「うるせーな、見てんじゃねーよ」

「うるさいもう」

 反省文を書き続ける。壁に飾られた時計がカチリカチリと時を刻んでいる。

「くそ。シャツまで刺さってるし。訴えてやる」

 朝間はブツブツと文句を垂らしながらシャーペンを置き、筆箱から鉛筆を取り出す。今日子は特に気にせず反省文を書き続けていた。

 しばらくして、カカカ、カカカと鉛筆の硬い音が鳴り始めた。彼も観念したのだろうと今日子は思った。

 彼女は反省文を書き終え一息ついた。隣に顔を向けると、朝間は深くソファに腰かけていて、右手は口元のかさぶたをかいていた。それなのにカカカと音がしている。見ると、鉛筆が勝手に動いていたのだ。

「ちょっと何これ!」

 今日子が声を上げるなり、鉛筆はぱたんと倒れ転がる。

「うるさいなぁ、今すっげぇ集中してたんだぜ?」

「コレ何なん!?」

「はぁ? 見りゃわかるだろ、〈インビジブルマンペンシル〉だよ」

 魔法の鉛筆だった。原稿用紙にはちゃんと、半分ほどの文章が書かれていた。

「これって卑怯じゃないん!?」

「なんでだよっ」

「だってそうじゃん! 勝手に書いてくれるんでしょ!?」

「はぁ? 馬鹿じゃね?」

「なんだってぇ!?」

「コレはねぇ! 自分で考えたことを代わりに書いてくれんの! お前だって持ってるだろ!」

「え、うそっ?」

 今日子は筆箱の中をあさった。まったく同じデザインの鉛筆が一本出てきた。朝間は辛気臭そうに言う。

「ったく、黒板見ながらノート書けるって、マヒロが言ったんだからなぁ? マジで今日おかしくねぇ? むしろ心配なんだけどぉ?」

「しなくていい! わかってるよ、ちゃんとコレのこと」

 この鉛筆は代筆してくれるのだ。手だって黒く汚れなくって済む。自分まで持っていたとなると、これはブラックツールというやつではない、ということか。

 魔法の日記帳に魔法の鉛筆。魔法使いになった気分だ。いや、魔法道具使いか。世界は魔法が形として散りばめられているのだ。鉛筆の芯の炭素に至りそれは詰まっているのだ。これは凝縮されたロマンだ。今日子はほくそ笑む。

「で、どこまで書けたの」

「まだ一枚目」

「おっそーい」

「いいだろ、お前は一枚しか書かなくていいんだからさぁ」

「まぁ、あたしはその一枚を書き終えたんだけどね」

「え、ウソ」

 今日子は反省文を机に置いた。

「じゃ、あたしはこれで」

「待って! 待て待て待てぇ!」

 朝間は体を限界までひねり、出ていこうとする彼女の袖を掴む。

「何なの?」

「言ってたじゃんかぁ! アイツしかコレ取れねぇんだよ! 帰ってこんかったらどうすんだよぉ!?」

 朝間は封印されてしまった左袖をぐいぐいと動かす。

「帰ってくるって」

「こねーよ絶対! ぜってぇアイツ腹黒ぇもん!」

「なんで、厳しいだけじゃん」

「いやいやいや見下してる! 俺のことぜってぇ見下してる!」

「それはちゃんとしないからじゃん」

「ちゃんとこれ書いても来なかったら俺帰れねぇじゃん! 上半身裸で帰れってか!」

 つまり、自身に押しピンが刺さっている(それは痛い!)訳ではないので、学ランとシャツさえ脱げば自由になれるのだ。

「体操服あるでしょ? 教室行けば」

 言葉にとげを含ませつつ、冷めた目で見下ろして、また行こうとする。朝間は手を離さない。

「なぁおい! 根に持ってるなら謝るって! ごめんって、だから一人にせんといてくれぇ! 頼むーっ!」

 懇願する朝間に今日子はほとほと呆れて溜め息をつく。

「しょうがないなぁ。一緒にいるだけね?」

 再び尻に合わないソファに腰かけてオギの小説を読み出す。朝間は一安心して文章をひねり始めた。それに応じて鉛筆は彼の筆跡を忠実にして動き出す。


 『いっしょに考えてくれたっていいのに』


 『まひろぶさいく』


 『おれのこときらいなのかな』


 『おれはすきなんだけどなぁ~~~~~~えっぇえ!?』


「やっべ」

「何?」

「なんでもないっ」

 朝間はあたふたと腕でそれを隠し、ただの消しゴムで消した。この鉛筆はまるで透明人間が勝手に心を呼んで、それをばらそうとするかのよう。

「やっぱシャーペンで書く」

「なんで? 便利そうなのに」

「自分の手で書いた方が、自分で書いた気になるだろ?」

 今日子は「ふぅん」とつまらなそうに、読書を再開した。

 彼女が本を三分の一読んだ頃、ようやく朝間は反省文を完成させた。

「おつかれ」

「じゃあ先生呼んできて」

「面倒臭いけどね」

 今日子は崇城を探しに出かけた。彼女がいなくなると同時に、力尽きた朝間は机に向かってうなだれた。

「やべぇよ、俺……」

 文字に出されてあやふやにしていた本心が確信してしまった。これからどうすればいいのか、どんな態度で彼女に接すればいいのか彼は頭を抱えた。


 夜になり、今日子は魔法の日記帳を開く。

 今日のことを書くべきか、それとも理想を書くべきか。この世界では、朝間は茜のことをどうでもいいと思っている。明日そのことを茜に伝えなければならない。できる限り傷つけないように、穏やかに話せるのか。

 できれば話したくない。それにしばらくの間だとしても、今日の一件で男子たちからはやし立てられるのだって避けたい。人の噂も七十五日というが、そんなに我慢していられない。茜が奴のことが好きだっていうことも広まるだろう。彼女がショックを受けるのを見るのは辛い。

 いっそのこと、茜と朝間が両想いになっている世界に行けばいいのではないか。そうすればこっちも気が楽になる。そもそも自分はこの世界の人間ではないのだから。

 今日子はこの世界を放置することにした。


 『今日、茜は私のアドバイスで朝間に告白した。朝間も茜のことが好きだったので、2人は付き合うことになった。』


 ああ、そうだ。自分もそうすればいいのではないか。ついでに自分も夕刻くんと付き合っている世界に行けばいいのではないか。

(わぁ! 頭いいよあたし!)

 今日子は鼻を膨らませ、熱がこもった手で文章を作り上げた。


 『私も夕刻くんと付き合ってるので2人が仲良くなれてよかった。』


 これでいい? いいかな? 問題ないかな?

 この文章で行く世界に何か変なことが起きていないか、自分にとって不都合なことがないか、あるとすればそれは何か。

 膝がかゆかった。爪で引っかくとかさぶたは硬く、小さなかけらが取れて爪の中に入り込んだ。

 今日子は考えるのをやめた。ろくな可能性も浮かばなかった。別にいっかぁ、と呑気に日記を閉じた。

 そして彼女は次の世界へと運ばれていく。


 ――どんなに詳しく理想を書いても、必ず何か、予想外のことがあるんだ。


 ――必ず何か、予想外のことが――


 終夜の声がどこかで反響し、遠ざかっていく。


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