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6、きんちょうの今日子

   C


 ロッカー前に終夜がいた。昨晩の電話のことがあって、今日子は唇を尖らせながら靴を履き替える。目が合っても知らんぷり。

 と、優しくしなきゃと思い出し、真顔で振り向いてみせる。

「おはよう終夜」

「あ、おはよう」

 終夜は戸惑って唇を震わせた。そこへ、茜がせわしなく階段を駆け下りて、最後の一段を飛んだ。

「大変大変! 朝間くん、昨日高校生とケンカして大騒ぎになったって!」

 今日子は呆気に取られる。あの馬鹿は一体何をやっているんだ。

 職員室に向かった。今日子は戸を少し開け、茜と様子を覗き込む。複数の教員が会議をしていた。朝間は絡まれていた友人を助けるために二人の高校生に立ち向かったのだという。高校生の一人は鼻の骨が折れ、朝間も肋骨が折れて入院。一応、病院は異なる。友人は無傷で済んだらしい。

「しばらく自宅に待機させた方がいいのではありませんか?」

 崇城の言葉に校長は閉じられた唇からモーター音を発する。

「入院しているんですから、授業がかなり遅れます。それに、元はといえばその高校生が悪いんでしょう?」

 峰岸は自分の生徒をかばう。早口で、上擦った声だ。

「ほらだって、持ってたんでしょ? 例の輪ゴム」

 その台詞を皮切りに教員たちは口々に言い始める。

「朝間は最後、ただの輪ゴムで威嚇したんでしょう? すると相手高校生は本物を持っていて、やられたと」

「本物だと思って思わず先にやったとか」

「いやいやいや、結局先に仕かけたのは高校生の方だし。だって危ないじゃない、目とかに当たったら!」

「白どころか、黄色でしょう?」

「緑じゃなかっただけマシでしょう。まあ黄色でも十分、打ちどころが悪かったらまずかった。まったく、どこであんなもんやり取りしてんだか……!」

「アメリカの方で未だに若い間で流通してるみたいなニュースは以前やっていましたね。白人が黒人に怪我を負わせたと」

 輪ゴムに対してそこまで熱く議論するものなのか。今日子は奇妙な会話に首をかしげながら、戸をこっそり閉める。

「輪ゴムで威嚇とか、あいつ馬鹿じゃん」

「痛いし怖いし、危ない」

 茜はおっかないという顔だ。大袈裟な態度に、今日子は首を反対側にかしげる。それを終夜は見下ろしていた。

 教室で夕刻がもみあげをいじりながら心配していた。

「さっきみんな噂してた。光、入院したんだって?」

「真午さんにそういう顔してもしょうがないよ」

 真顔な終夜の心ない言葉に、今日子はカチンときた。彼女のにらみを察知したのか、彼は顔を向けない。夕刻は苦笑いしつつ、場を明るくしようとする。

「そう、だよな。帰りみんなでお見舞い行かないか? 授業のプリントとかあるし」

「ごめん、あたしピアノある。ドタキャンするといろいろ言われちゃうんだよね……」

 茜は申し訳なさそうに指を組んだ。

「じゃあ三人で。いいよな? シューヤ、マヒロ」

「うんオッケーだよ」

 今日子が笑顔で返すと、終夜も黙って頷いた。夕刻はもみあげをいじるのをやめた。


 朝間は一般病床だ。頭にはガーゼを抑えるネット。口元や目元も紫に腫れ上がっていたが、彼はいつも通りの態度で三人を迎えた。

「あー、マヒロじゃん」

「何そのツンとした態度」

「マヒロヒロヒロヒロッ。ンべぇ~」

 輪ゴムの件をまだ根に持っているのか、朝間は寝たままダブルあかんべえをして白目をむき、親指で鼻を押し上げる。ブルドッグの変顔ものまね大会があれば入賞できるだろう。今日子も負けまいと顔をしかめてあかんべえをする。

「あはは。二人とも仲がいいや」

 夕刻の軽快な笑いに、今日子はしまったと顔を赤らめる。終夜は一歩下がった所で朝間の具合をうかがっている。

「無事で良かったよ、光」

「マジでビビッたぞいや。一瞬でドォーン! ってなって吹っ飛んで」

「あまり興奮するなよ。骨やられてるんだろ?」

 夕刻は上半身を起き上がらせる朝間のテンションを抑えようとした。

「ほら、先生の預かり物。今日の分の宿題!」

 今日子はテーブルにドンとプリントを挟んだファイルを置く。

「俺は怪我人だぞ!」

「両手は空いてるでしょ。大人しくやればいいじゃん」

「あいててててて」

 大袈裟に下腹部を押さえてうずくまる朝間。

「ちょっと痛いフリしないでよ! 子どもか! 子どもだけど」

「それに肋骨はそこじゃないぜ」

 夕刻も可笑しそうに言った。

 適当な会話を交わし、三人は病院を後にした。

(友だちを助けるためだったんだよね……)

 今日子は朝間を憐れに思った。日記が脳裏をよぎった。あれで朝間の入院をなしにすれば。

「じゃあ明日な」

 夕刻は昨日と同じ、オレンジ階段の手前で別れを告げる。

「さよなら、夕刻くん」

 終夜は薄ら頬笑みを浮かべ挨拶をして、右手を差し出す。夕刻はその行動に不思議がったが、彼も笑顔で右手を出す。握手を交わす。

「マヒロもまたな」

 今日子は夕刻の背中をしばし見送った。後ろの黒い壁を見上げると、彼も遠ざかる夕刻を焼きつけるように見つめていた。ネックラーも彼が好きなのだ。

 今日子はオレンジ階段を下り始め、立ち止まった。視線が突き刺さっている気がした。彼女は後ろを高く見上げた。

 真っ赤な夕焼け。今日の世界が終わりを迎えようとしている。逆光になって、終夜は暗い影を帯びていた。赤と黒のコントラストが鮮明だった。彼の長い影が階段を両断して、今日子の所まで手が届きそうだった。

 彼は真顔で見下ろしている。今日子には冷ややかなものに感じた。前髪が短くなって露わになっている二つの目。黒い犬の目。今日子はぞくりと背筋を凍らせた。

「真午さん。ちゃんと話をしようか」

 終夜は悠然と言葉を放つ。今日子は断ることができず、しぶしぶ後について行く。無意識に体は縮こまる。怒っているのだろうか。ピンと伸びた背中が余計に大きく見える。もしかしたら殴られるのではないのだろうか。理由なんていくらでも、思い当たる節はあるのだ。

 公園に着いた頃には夜を迎え始め、ようこそとばかりに電灯がつく。噴水の水は止まっていて物静かだ。公園を取り囲む木々の間からは街明かりが小さく覗かせ、飛行機の赤い光が点々として、かすかに音も聞こえた。二人きりだった。

 今日子は辺りを不安げに見渡す。犬の遠吠えにビクリと肩をすくめた。終夜は足を止めて彼女の方を向き直す。その視線に今日子は一歩下がった。彼は夜をまとっている。彼は夜の国の王子。そんな風にも思えた。しかしそれはロマンティックでも何でもない。何もかもが未知数で恐ろしく感じた。

「本当に残ったんだね、真午さん」

「何のこと?」

「百メートル走で転んだ真午さんでしょ?」

「まだそんなこと……」

 彼は鞄からある物を取り出した。ペイズリー柄が可愛らしい革の表紙が明かりに照らされ、今日子は注目した。

「あたしもそれ持ってる」

「今、きみも持ってるなら見せないで。どうなるかわからないから。僕は始業式の日、セール中だった文房具屋さんに入り、これを見つけた。そしてその帰り際、きみと会った」

「違うよ、逆」

「真午さんの場合は、僕よりも先にこれを見つけて、それから僕と会った。どっちも正しいよ。だから、あの体育があった日の真午さんは僕の知っている真午さんじゃなかった」

「ちょっと待ってよ。訳わかんないよ」

「ごめん。うまく話せなくて」

 終夜は一言謝って、「やっぱり知らないんだ」と目を背け独り言。改めて目を合わせ、説明を続けた。

「きみがAの世界の真午さんだとすると、僕はBの世界の僕。そしてここはCの世界。この日記帳は、書くことで理想の過去がある世界に行くことができる魔法の日記帳。真午さん、一昨日まで夕刻くんのこと知らなかったでしょ?」

 淡々と問い詰められると、彼女も正直に頷くしかなかった。

「でも、世界って? その日記は過去を変えられるんじゃないの?」

「過去は変えられない。違う世界に飛ぶだけなんだよ。事実を書いたり、何も書かなかったりするとその場にとどまることができるけど、新たに理想を書けばそれまで書いたページは無効になるんだ。真午さん、いきなり知らない人が……、夕刻くんが出てきてびっくりしたでしょ? どんなに詳しく理想を書いても、必ず何か、予想外のことがあるんだ。僕もまさか、この世界に違う世界の真午さんが一緒に飛んでくるなんて思わなかった。それにこの世界じゃあ僕は前髪が短いらしくて、いつの間に伸びたんだってお母さんがびっくりしてたよ」

 過去は変えられない。変えていない。今日子は今度こそ心底にがっかりした。自分はただ花瓶が割れてない世界へ、体育で転んでいない世界へ飛んだだけで、花瓶を割ったことには変わらないし、転んだことも紛れもない事実なのだ。

「じゃあ終夜は……? 何のために日記を?」

「夕刻くんに会いに来たんだ。これで三回目」

「その、B? Bの世界には夕刻くんは?」

「死んだよ」

「え……?」

「僕が殺したんだ」

 機械的で、言葉に気持ちがこもっていなかった。

「なんで……? 何言ってんの……? でもちゃんと夕刻くんは」

「生きてるよね、この世界では。そういう世界に行けるように日記にはそう書いたんだ。この世界ではちゃんと夕刻くんは小学校を卒業して、中学生になって、同じクラスにいる。僕の前の席に彼がいるんだ。でも僕のいる世界にはいない。真午さんすごく泣いていたんだよ。だって真午さん、彼のこととても好きだったからね」

「うるさい!」

 今日子は声を張り上げた。そっちの世界でのあたしなんて知らない。勝手に好きだったとか、よりによってこんな奴の口からそんな言葉が出てくるなんて許せなかった。

「きみの世界には、夕刻くんは始めからいないんだよね? つまりその世界の僕はいつまでも根暗なネックラーで、無口で僕よりもチビな奴らにいじめられているんだろうね。抵抗する訳でもなく」

 彼は不気味に口角を吊り上げる。まともな笑顔の作り方を脳から消去してしまっているのだろう。夜の国ではげらげらと笑うことは禁じられているのだろう。

「でもそれがマシだよね。僕のようにやっと手に入れたはずの宝物を見す見す捨てて、それからいつまでもぐだぐだと後悔とかしないでいいしね」

 こんなにも饒舌(じょうぜつ)な終夜は初めてだった。自虐的なところも含めてそれはでっち上げをごまかすためだと思いたかった。彼が夕刻を殺しただなんて、何かの間違いに決まっている。

 彼はまだしゃべり続ける。

「この日記帳はそんな後悔ばっかりする奴らのために作られた〈自己満足の日記〉。現にこれを作った初代文房具がそうで、それで散々いい夢見て死んじゃったんだってね」

 その人物のことを同情しているのか、それともどうでもいいと思っているのか、終夜の笑いは乾き切っていた。

「初代文房具?」

「あの文房具屋さんの店主の名字知ってる? 先祖が文房具を作ってたから『文房具』っていうんだよ。あの人の先祖が文房具を使った魔法道具を作っていたんだ。その一つがコレ」

 今日子はあの気の抜けた店主の姿を思い浮かべる。あの人の先祖がそんなとんでもない人だったなんて信じられない。一体どこからあんなぼんやりした人が子孫として生まれ始めたのか。

「魔法の文房具ってこと?」

「魔法の文房具は危険だ。子どもが手をつけやすいからってほとんどが規制されてる。言ってたでしょ先生たち、輪ゴムのこと」

 終夜はおもむろに右腕を横に伸ばし、袖から手首を出す。

「白とか黄色とかって……。でもたかが輪ゴムで――」

 終夜は右手首にはめていた緑色の輪ゴムを飛ばした。数メートル先の自動販売機が後方へくの字に跳ね上がり、砂を巻き上げ倒れた。今日子は体を強張らせる。輪ゴムの行方が見えなかった彼女は、勝手に自動販売機が飛び上がったように見えた。自動販売機の中心には拳くらいの大きさの、まるで鉄球をぶち当てたようなへこみがついていた。

「魔法の輪ゴムは生産量が少ない色ほど威力が異なる。朝間くんがやられたっていう黄色はレベル2で、人なんて簡単に飛ぶし、窓ガラスだって割れる。それから緑はレベル3。車ぐらいそんなんだよ」

 言いながら、わずかな明かりを頼りに輪ゴムを拾いに行く終夜。輪ゴムは緑色に光っていて、手首にかけると光が消えた。

「何でそんなん持ってんの!?」

「夕刻くんからもらった」

 アメリカで流通しているから? あの優しい彼が、なぜそんな危なっかしい代物を持っていたのか甚だしく疑問だった。

「いじめられていた僕にくれたんだ。白と黄色と。まぁ白は朝間くんに取られたけど」

 この世界のではなく彼の世界の夕刻からもらった。この世界の朝間が持つ白の輪ゴムはただの輪ゴム。さもなければ彼が当てた後頭部は今頃無事では済まされない。彼女はそれに気づいて後頭部に手を当てる。誰が何をどうなのか、今日子の頭の中はこんがらがる。

「これでわかったでしょ。魔法の文房具は危険なんだ。この日記帳だって、きみの世界じゃどういう認識なのかは知らないけど、僕が持ってるのときみが持ってるのは同じなんだから。……僕は今日、使った分のページは捨てて、使った日の本当のことを書くよ。それが元の世界に戻る方法だから」

「帰っちゃうの?」

 夕刻がいない世界へ。

「いい加減に文房具屋さんに返さなきゃ。真午さんも絶対そうすること。じゃなきゃ後々困るのは真午さんなんだから。用が終わったらすぐ戻らないと。あの人はどこか抜けてる人だから、きっと日記を取られたことに気づいてない。ちゃんと使った日のこと覚えてるよね?」

「覚えてるよ、ちゃんと」

「それならいいんだ」

 終夜は接近したかと思えばそのまま通り過ぎ、公園から出ていこうとする。今日子はそれに続いた。気まずい雰囲気に、今日子は適当な言葉を投げかけた方がいいのか考える。だが、口を開く前に終夜は振り返り、また黙々と夜道を歩き出す。夜の国に消えてしまいそうな彼の背中を見失わないようにした。

 終夜は真午宅の前で止まる。夜道を女の子一人行かせないようにしたのだと、今日子は驚いた。

「何であたしんち知ってんの?」

「調べて会いに行ったことあるから。しばらく不登校だったし」

 夕刻くんが死んだから? 尋ねられない。終夜は「じゃあ」と一言をかけて、静かに元の道を去ろうとする。今日子は慌てて呼び止めた。

「教えてよ。何でさ……、死んだの?」

「……さよなら。Aの世界の真午さん」

 終夜は小さく微笑んで、夜の国へと帰っていった。


 今日子は日記帳の前にして悩んだ。

 過去は変えられない。好きな世界へ行けるだけ。

 しかし、好きな世界に居続けることはいけないことなのか。花瓶を割ったことを今更先生に告げて怒られたくないし、それにせっかく出会えた夕刻くんともっと話をしたい。彼ともっと仲良くなりたい。今のところ特に困った点はないのだ。

 朝間のことは気になる。嫌な奴ではあるけれど、悪い奴ではない。


 『昨日、朝間が高校生とケンカしたってあかねが言った。魔法の輪ゴムを高校生が持っていたけど、朝間はよけて勝った。入院はしなくてすんだ。』


 ここで一旦、手を止める。こんなことを書いたところでこの世界の朝間は入院したままだ。でも、これは自分の気持ちの問題なのだ。

 さて、高校生の方も何とかしておこう。


 『高校生はあきらめて、もう二度と悪いことをしないと思った。』


 あ、『思った』じゃあない。

 今日子は『思った』を消し、『言った』に直す。


 『言ったって、朝間が今日学校で言ってた。』


 ちゃんと夕刻のことも書いた。


 『学校が終わってから夕刻くんと終夜といっしょに帰った。実は昨日と今日の終夜は魔法の日記を使ってBの世界から来た人で、そのことを夕刻くんが帰ったあと終夜は公園で教えてくれた。あたしはAの世界の人間らしかった。その終夜は今日元の世界に帰るって言った。だから明日の彼はいつもの彼になるんだと思った。』


 これでよし! これでよし!

 自分の文章に満足した今日子は日記を閉じた。

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