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16、ぼうそうの今日子

 文房具屋の店主は未だに家宝が入っているという桐の箱を見つけられずにいた。埃の層ができている地下倉庫はマスクなしではたまらない。日頃の掃除と整頓って大事だなぁと彼は反省する。

 段ボールに葛篭(つづら)。大きなものから小さなものまで。文房具一族はどこか気の抜けた性格が遺伝していくらしく、開けたものは砕けた発泡スチロールすらパズルよろしく元に戻して閉めるくせに、元あった場所には帰さない。一つの塔が解体されれば、隣に別の塔を新たに築いていく。ご丁寧に大きいものから小さいものへと安定的に積むのだから、だったら最初からきちんと片づければいいものを。なんて、今日子なら言うのだろう。虫に食われた和紙のミミズ文字は読めないし、発見した乾パンの賞味期限は十年以上前に切れている。

 何度目だか暗くなる。店主は落ちてきた下敷きを勢いよく頭にこすり続けた。下敷きが光を取り戻す。手でビヨンと上に弾けば天井に貼りつく。これでまたしばらくは落ちてこない。大昔からある部屋なので明かりが備わっていないのが何よりの問題。店主は魔法の下敷きを使って捜索しなければならなかった。

「ふーう」

 店主は首元をタオルで拭い、額の冷却シートを交換する。冷暖房などというものがここに備わっているはずもなく。


 ドツ……ドツ……ドツ……。


 誰かが階段を遠慮なく下りてくる。

「おじさん」

 聞き馴染みのある少女の声に店主はゆっくり振り返る。彼女が持つ本を目視するとのんびりと笑った。

「セーラー服。あー、なるほどきみがカコちゃんだ。今日子ちゃん、逃げちゃったでしょ?」

「どうしてわかるの?」

「じゃなきゃきみはここにいないでしょ」

 カコは黙る。

「せっかくだから手伝ってくれないかなぁ。家宝があればあの子帰れると思うから」

 いつもと変わらない店主の調子に、カコは眉間にしわを作った。

「いやだ」

「なんで? そうすればきみも元に戻るじゃない」

「いやだ、つまらない。ずっとあたし窮屈だったのに。広々な割には気持ち悪いんだから。あたしたち、みんなが同じ性格してるとは思わないでよ。お姉ちゃんがいるあたし、お姉ちゃんがいないあたし、妹がいるあたし。お兄ちゃんがいるあたし。それから、明日花という名前のあたし。みんな違うんだよ。あたしは許さない。そうすぐには許したくない。家宝なんか探さなくていいよ。一人くらい、あたしが死んじゃっていいじゃない。他の世界では生きているんだから」

「死んじゃうのは構わないけど、殺すのは許せないなぁ。俺の理想は老衰だから。別に病死でもいいんだけどね、円満なら」

「ふーん」

 カコはつまらなそうに目を細めた。日記が光り、ひとりでにページがめくられる。その時、誰かが後ろから彼女の襟をつかみ上げ、勢いのあまり日記は落ちて光を失った。

「いたずらにも度が過ぎるぞ、真午」

 もがく彼女を魔法の押しピンで壁に貼りつけ、日記を拾い上げる。

「ああ、崇城先生。お久しぶりですねー」

 珍客に店主はのん気にメガネのずれを直した。

「ものさし先生め、なんでいるんだよ!」

「言葉が荒い」

 崇城は生真面目に竹ものさしで彼女の額をコツリと叩き、店主に顔を向ける。

「一五〇年ほど前にも、イギリスで酷似した現象が起きたとわかりました。といっても、半ば夢物語として処理されていたんですが。これさえ真午に渡せば済みますか?」

「あーダメ。次の日に行く瞬間が来るまでにその子、やらかすから。それにもう、その日記使えないでしょ? 中見てください」

 うながされ、崇城はページをめくる。全てのページがびっしりと、何重にも文字で埋め尽くされ真っ黒になっていた。文字が(むし)のようにうじゃうじゃと(うごめ)いている。彼は渋い顔で閉じた。その拍子にはみ出た文字がポロポロ落ち、キュルキュルと()いながら床の隙間へと消えていった。

「それはあたしたちの未来なんだよ。もうこれ以上あいつの理想に付き合ってられない。パーフェクトな世界なんてありえないもん。でもメッチャクチャにするのは簡単でしょ? パズルでも何でも、完成させるのは大変だけど壊すのは楽だよね? 大丈夫だよ。終わればこの世界はすぐに戻るんだから」

「この世界はね」

 店主はのんびりと言う。

「問題児め。コレのせいとはいえ、考えることは幼稚だな」

「だまれものさし」

 崇城の眉間のしわがさらに深まる。竹ものさしの赤い丸が一回だけ点滅した。

「それも魔法の文房具なんだね。ブラックツールだったりして?」

 カコはニタニタ笑う。崇城は鼻を鳴らした。

「銃刀法と一緒だ。崇城家は認可されている。その使用もだ」

「そんな危ない物を生徒に向けてたんだ!」

 カコは目と口を大きく開かせて噛みつくように声を上げる。

「なんて先生だ、人のこと言えないじゃん! 先生に言ってやる!」

 彼女はゆらりと背景と溶け込み消え、日記も消失した。崇城は押しピンを外しながら言う。

「それにしても、ここに数々の魔法の文房具が保管されていたとは。初めて入りました」

「そりゃあ、基本誰も()れないんで」

 感覚が鋭い者なら、ここには異様な空気が漂っていることに気づくだろう。魔力同士がぶつかり合い、張り詰めているのだ。崇城もそれを肌に感じ、地下室を見つけたのである。

 彼の曽祖父は店主の曽祖父と親友であった。おかげでここに入ることが許され、〈侍の竹尺〉を見つけ、代々受け継がれていくことになったのである。父がこれを手放した時、父の名前は消えた。所有権の譲渡。崇城利剣という自分の名前を書いた瞬間、この魔法の竹尺は彼のものになった。どうして漢字で書かなかったのか、彼は今でも後悔している。

 店主は言う。

「今、今日子ちゃんを元の世界に戻すのに家宝を探してるんですよね。見つかるまで彼女を見といてもらえませんかね? 静平くんも一緒なんでね。きっと一人や二人じゃないから、カコちゃんは」

「セイヘイ……終夜ですか? しかしどこにいるのか」

「それなら〈センドシール〉を静平くんに貼っておいたんで。それで居場所がわかりますよ」

 店主は終夜の肩を叩いた時に〈発信機のシール〉を貼っていたのである。どこか気が抜けているのに、こういう時は抜け目ない。

「そうだ。崇城先生は数学の先生でしたよね。これ貸しますよ。気に入ったらお買い上げで」

 彼は今し方見つけた教師用の大きな三角定規を崇城に差し出した。


 F


 カコの暴走は止まらない。今日子を見つけるため、邪魔な奴は立て続けに消していく。街中各地、地面が四角に光り、巨大な魔法の日記帳の分身がページを開いたまませり上がる。その場にいた人は理解できない間に丸飲みされる。日記はぐるんぐるんと回転させながら沈んでいき、またどこかで飛び出す。それらを繰り返し、〝魔〟が中で膨れ上がっていく。

 日記としての役割はもうどこにもなかった。いや、その日の出来事を正直に(つづ)る本来の使い方を、コイツは元々望んではいなかったのである。

 初代文房具の果たせなかったことを叶えるために生まれた魔。理想の世界にいた〝彼〟を食い、代わりに彼を吐き出した。魔を扱う者同士……〝彼〟は世界を横取りしたもう一人の自分に不満を抱き、そいつを追い出そうと無理矢理日記から抜け出した。出会ってはいけない者に出会った初代文房具。

 ところが、死んだのは〝彼〟の方だった。二分の一の確率で〝彼〟が死んでしまった。粒子レベルまで粉砕されて世界から消えてしまった。こんな不公平があっていいのか。こんな不条理があっていいものなのか。結論を出すのに時間はかからない。

 あって良いとも。それこそこの魔の存在意義なのだ。羨ましさ。妬ましさ。憧れ。なんて美味しいお味なのだろう。それらがこの魔の糧となり、力となるのだ。

 この魔は独り立ちできない。手を出す人が現れて初めて目を覚ます。それでも、カコたちの暴走はコイツのせいなのである。使用者の一部を取り込み、増幅させていくのがコイツのやり方なのである。


 F


 夕刻は自室の窓から空の点滅を見ていた。

(これが例の出来事なんだな)

 机の引き出しに仕舞っておいた手紙を改めて開く。それは英語で書かれている。


  やあ、未来。

  これはワールドメールです。この世界のきみはまだアメリカにいますか?

  相変わらずデンジャーゴムでみんなを困らせてない?

  素直になりなよ。

  みんなと容姿が違うせいで劣等感を抱いてる。

  だから勉強もスポーツも人一倍がんばろうとすること、僕はよく知ってる。

  それでも周りが悪い口を叩くから、思わず手を出してしまうこと、

  それも僕はよく知ってる。

  きみは一人じゃないよ。

  もしも日本に来るなら、シューヤとマヒロを助けてあげて。

  それは誰なんだって思うだろ?

  でもあまり詳しくは教えられない。

  書こうとしても勝手に文字が消えちゃうんだ。

  ヒントをあげるよ。違う世界の僕から予言が来た。

  どうやらあっちの世界の僕のおじいさんは、

  違う魔法の便箋をあげたみたいだ。

  これはあくまで、日本に来てマヒロたちと出会った場合の話。

  大きな分岐点がない限り、おそらく例の出来事は梅雨明け頃。

  万が一のため、

  インビジブルマンペンシルだけは予備として用意しておくこと!

  ヒカリが持ってなかったら一大事だからね。

  事が大きくなる前に、それをみんなの元へ現れる文房具屋に渡すんだ。

  そして水には気をつけて!

  それじゃあ、これにて失礼するよ。

  大丈夫、その世界はきみのものだから。

  たとえ魔法がなくたって、その世界には希望があるんだから!

  違う世界に住む未来より。


 この手紙が来てすぐ、親の仕事の都合で日本に移り住むことになった夕刻。まさか本当にシューヤとマヒロに出会うなんて。まさか、彼女に一目惚れするなんて。

 夕刻は胸のポケットにあった〈透明人間の鉛筆〉を取り、強く握り締める。決意を抱き、マンションを飛び出した。


 茜は道端で思い出していた。

 あの奇妙な数学の授業の後は何もなかった。彼女はもちろん今日子に尋ねていた。最後に学校休んだのって?

 今日子はこう答えた――あたし休んだことないよ? 皆勤賞だもん。昨日一緒に図書室で本借りたじゃん。

 茜は図書室に行き、仲良しの司書にさりげなく事実確認をした。自分も今日子も本を借りていた。彼女は鞄の中を探った。息が詰まった。そして前触れもなく脳裏によぎった。

 忘れてた。借りてたじゃない――

 はっとして、頭を振った。違う。そんなはずはない。昨日は、この足で、マヒロの家に行き、この手で、マヒロの、母親に、プリントを、渡したのだ。

 では脳裏に出てきた彼女と、今日学校に現れた彼女は何者なのか。本当の、自分が知っているマヒロは?

 欠席しているマヒロは、やっぱり違う世界から来たのだ。欠席とは、何か……帰れなくなった事情ができたのでは?

 茜は街角で足を止め、前を向く。空に異変が起こっている。ピアノに行っている場合ではない。稽古を放棄し、山吹中学校へととんぼ返りした。

 途中で路上が光った。茜は数メートル手前で立ち止まり息を荒げた。光る何かはその上にいた三人の学生を叫びと共に飲み込んだ。茜は青ざめた。

 あれは、巨大な本。高く宙へ飛び、消えた。

 妖しい笑い声が聞こえてくる。今日子の声だ。

 人々が騒然とする中、茜は震えて固まってしまった膝を、気を奮って動かした。朝間のことを思った。

(急がなくちゃ!)

 彼がまだ部活をしているとすれば、どこかの教室にいる。校舎を目前にして、聞こえてくる楽器たちの音色。朝間はトランペット。吹奏楽部はまだ気づいていないのだ。グラウンドで活動していた生徒はそろって空を見上げているというのに。茜は楽譜を見るためだろう日差しをカーテンで閉め切られた場所へと急いだ。

「朝間くん!」

 三年三組の戸を大きく開かせると、トランペット担当の四名が訝しい目つきで見た。朝間は呆然とした。

「東雲?」

「いくよ朝間くん!」

「ちょ、何だよ!」

「緊急事態なの!」

 茜がカーテンを開けば、彼らは空に釘付けとなる。なんだ、これは。

 朝間はぼんやりと楽器を手放した。茜はその手を強く握った。

「約束があるげん! 協力せんといかんげんてば! きっとマヒロが待っとるから助けに行かんと!」

 圧倒され口をぱくつかせている朝間を構わず引っ張り教室から出た。

「お、おい! 助けるって、どうやってあいつを探すがん!」

 状況を把握しきれない朝間を尻目に、グラウンドで叫び声が上がり始めた。二人はサッカー部員が光に飲まれるのを目撃する。

「なんだ今の!」

「急いで!」

 生徒たちがなりふり構わず逃げ惑った。峰岸は生け花部の部室から、廊下を走る生徒たちに呼びかけた。

「一体何があったの!」

「でっかい本がみんなを食べてる!」

 誰かが血相を変えながら叫び、そして逃げていく。

「先生ェ!」

 部員の早根が峰岸の背中を強く押した。

「早く全員出てェ!」

 廊下に飛び出し振り返ると、部室に巨大な本が現れていた。

「みんな安全な場所に避難して!」

 峰岸は指示した。けれど、安全な場所ってどこ? かれこれ冷静に考える暇はない。火事でも地震でもない。こんな非常事態は今までにない。

 アレは何だ。魔法の本なのか。

 誰かが魔法を使っている。しかしこの学校で、魔法なんていう超特殊技術を扱える者はいないと聞かされている。せいぜい魔法の押しピンなどといった、まだ一般の手に渡る魔法道具を持っている程度。手軽だが超貴重品だ。一部教員しか手にできない代物なのだ。ましてや魔法の本だなんて。

 まさか先生の誰かが――さすがに峰岸は、あれが魔法の文房具の一つである日記帳で、自分の生徒が出席したかどうかについての件と繋がりがあるとは考えなかった。

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