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11、あんどの今日子

   F


 日記にプリクラは残っていた。今日子は肩の力を落とした。挟んでおけば無くならない。それは正解だったようだ。

 家族は普段通り。学校では例の峰岸の花瓶が消えていた。あの後どうなったのか、今日子は誰にも聞けなかった。もちろん自分が他の世界に行っていた間どうなっていたのかも。

「おはよー、マヒロ」

 茜はにこやかに席にいて、小さく手を振った。終夜もいる。前髪も長いままで。

 彼の後ろには机が一つあった。どういうことだろう。ここは元の世界ではない? 失敗したのか?

 あれは誰の席なのか、茜に尋ねられずにいると、峰岸が教室に入ってきた。

「はーい、みんな席に着いて。今日は、予告していたように転入生が来ました。じゃあ入ってきて。カモンカモン」

 今日子は目を丸くした。入ってきたのは他でもない、夕刻だったのだ。

 かっこいいね、と茜が耳元で囁いて、今日子は遠慮がちに頷く。まっすぐ彼の方を見ることができなかった。峰岸は黒板に彼の名前を丸っこい字で書いていた。

「お父さんの仕事の都合でアメリカからやって来た、夕刻未来くん。彼のおじいさんがですね、アメリカ人で、つまりクオーターですね」

「クオーターって何? 英語ペラッペラ?」

 朝間が質問した。

「ハーフは二分の一。終夜くんがそうですね。クオーターは四分の一ってこと」

 海外からの転入生のことよりもハーフであった終夜に対する驚きが教室で巻き起こった。誰も終夜のことを知らなかった。今日子も以前はその一人で、彼は今どんな気持ちで囁き合いを耳にしているのか、彼女は計り知れなかった。

「じゃあ夕刻くん、挨拶。せっかくだから英語でもね」

「あ、はい」

 夕刻は手のひらを胸の当たりで拭った。緊張を若干していたのだろう。しかし、そう注文されることを予測していたのか、動揺はしなかった。

「夕刻未来です。よろしくお願いします。I'm glad to see you」

 英語教師よりも格段にネイティブな発音に笑い混じりの感嘆の声が上がる。今日子は驚かなかった。今まで英語の授業で彼がスラスラと朗読するのを聞いてきたのだ。朝間なんて「先生よりもうめーわ」と絶賛で、ジャパニーズイングリッシュを駆使する教師が眉をひそめたものだった。

「夕刻くんは、あの終夜くんの後ろの席ね。五十音順的には入れ替えた方がいいんだけど、面倒だし。あはは」

 夕刻は好奇の視線を浴びながら席の間を通り抜ける。今日子と茜の間を通過する時、彼は今日子を見た。今日子はとりあえず愛想笑いしてみせた。〝昨日〟の夕刻にはBの世界の終夜に手紙を出すよう言ったが、もしかしたら彼は別の世界の夕刻から手紙をもらっているかもしれない。プリクラを貼っていれば顔もあらかじめ知っているはずなのだ。

 ところが、彼は微笑み返すことなく真顔で通り過ぎていく。手紙は届いていなかった。届かなくとも出会う運命にあったことは喜ばしいことであるはずなのに、今度は自分が彼を知っていて、彼は自分を知らないのだ。今日子はショックだった。今までの記憶が嘘で塗り固められただけのものじゃないかと疑いそうになるほどに。

「よろしく」

 夕刻は終夜に微笑みかける。終夜は暗い目で一瞥するだけ。

 大丈夫。二人はこれから良くなる。仲良くなる。

 今日子の思いが通じたかはさておき、休み時間になると夕刻は読書していた終夜の大きな背中をポンと叩いて話しかける。

「もしよかったら、学校案内してくれないかな?」

 白い前歯がちらり。終夜が困惑の色を示すと、夕刻は両手を組み懇願する。

「なぁ、お願い! 本読んでいて悪いけど」

「……はい」

 終夜は彼を引き連れて教室から出ていく。見計らって今日子も席を立つ。茜も好奇心から行動を共にした。一連の流れを遠目で見ていた朝間は面白くないのか、オレンジの輪ゴムを適当にとろそうな男子の背中に飛ばした。

 今日子と茜はこっそりと二人の後をつけ、陰から盗み見る。ピンクパンサーの有名なメロディーが脳裏で流れる。終夜は事務的に校内を案内していた。夕刻は「へぇ」「なるほど」と快活な相槌を打ちつつ、どこに住んでいるのかなどと当たり障りのない質問を投げかけ続けていた。彼は案内を口実に友だちになろうとしているのだ。

 今日子には気づいたことがある。それは夕刻の一人称だ。この世界では『俺』ではなく『僕』になっている。

「――じゃあ僕の家の近くだ。もしかしたら通学路で会うかも」

「そうですか」

「あ、敬語はいいよ。そうだ、ヨスガラってどういう字で書くの?」

「終わる夜。終夜(しゅうや)

「シューヤか……。じゃあきみのこと、シューヤって呼びたいな」

 今日子は「来た来た!」と小声ではしゃぐ。親友への大一歩だ。「何が?」と純粋な茜の問いには半笑いだ。

 終夜はというと、節目になって口をつぐんでいた。夕刻は笑みを引きつらせた。

「あ、アレ? 駄目、かな?」

「初めてまともなあだ名つけられた」

「ああ、ニックネーム? 今まで何て呼ばれていたんだい?」

「デカブツ、デクノボー、ぬりかべ、ウドの大木、オール巨人、ネックラー」

 今日子は苦笑いで額を人差指で軽くかいた。最後は自分のだ。彼は根に持っているのだ。

「それはまともじゃない名前なのか……。じゃあ他人には言わないようにしなくっちゃね。うん、言わない」

 まともな声色で言う夕刻。

「じゃあさ、僕のことは何て呼んでくれる?」

「夕刻くん」

「なんだか普通だなぁ」

「普通でいいよ」

 終夜が頬笑んだ。以降、二人がよく一緒に下校する場面を今日子は見かけた。ささやかな嫉妬心も芽生えたが、終夜の前髪の後ろに隠れた悲しい目を見なくて済むと思えば些細なことである。自分と夕刻が親しくなるよりも、終夜と夕刻が友情を築き上げるべきなのだ。それが髭川の事故さえ起きなければ続いていた関係性なのだから。

 今日子は魔法の日記帳の使用もやめ、普通のノートに日記を書くようになった。それが自分の本来あるべき姿なのだと、魔法と無縁な生活へ戻ったのだった。


   F


 終夜と茜が図書委員で図書室に行く日。今日子はひとり靴を履き替えていると声をかけられた。

「マヒロ」

 前屈みで面を上げると夕刻が一歩下がるところであった。

「あ、いや、みんなきみのことそう呼ぶから呼んでみただけなんだ。例えば朝間くんとか」

 目が合うなり早口で弁解する彼。

「ああ、そうなんだ。いいよ別にそう呼んでも」

「彼とはまだ仲良くなれていないんだけれど。きみは仲いいよね?」

 そういえば、今まで夕刻がいた世界では小学校からの仲良しグループというやつであったため当たり前のように一緒にいたが、実際のところどういった経緯があって友だちになったのか今日子は知らないのだ。

「ウーン、どうだか? ただの幼馴染みだよ」

「そっか、幼馴染みか」

 夕刻は「よくあることさ……」とぽつり。

「そうそう、よくある設定だよ」

「うん、そう。それでさ、たまに行き帰りで見かけるんだよ。同じ通学路、だ、よね?」

「そうだよ。あいつは部活あるからさ、帰りじゃなくて朝を狙った方がいいんじゃない? あたしもたまにタイミング合っちゃうんだよね」

「きみは何時くらいに家を出るの?」

「八時になる前には出るよ。あそこ階段とか坂道ばっかじゃん? 朝自習もあるし、余裕持っていかないと間に合わないよ。夕刻くんはあの階段のとこで曲がるでしょ? あたしはそれよりもっと下の方に家があるしさ。あ、朝間はあたしんちよりも上にあるんだけど、大抵はあたしより後に学校来るからちょっと調整したほうがいいかも」

「はあ、なるほど……」

「それとあいつゲーム好きだから。特に音ゲーにはまってんの」

「おとげー?」

「ああ、知らないんだ……。音楽ゲームの略。太鼓の達人とかポップンミュージックとか。部活ない日は近所のゲーセンうろちょろしてるからさ、行けば仲良くなれるんじゃない? 百円玉一瞬で消し飛ぶけど、お小遣いは大丈夫?」

「ウウン、これといって使い道が思いつかなくって貯金してるんだ。趣味といったら切手収集くらいで」

「切手集めてんの? へー、なんかそれっぽい」

「そう?」

「文通とかも好きそう」

 クラスメイトの男子が靴を履き替えようと無言で腕を伸ばしロッカーを開けた。今日子は邪魔にならないように外へ退散し、夕刻はテキパキと靴を履き替え追いかけた。

「とりあえず、朝間と仲良くしたいなら音ゲーで対戦するとかさ! 幼馴染のあたしがアドバイスできるのはそれくらいかな!」

 先ほどの男子に聞こえる声量で今日子は言う。愛だ恋だお熱いだと噂されたり囃されたりするのはもうご免である。

「……じゃ、ひとまず途中まで帰りますか」

「うん。……えっと、ゲーセン? っていうとこ案内してもらえると嬉しいかな」

「ああ、下見ね」

 オッケーと今日子が言うや、夕刻は目を真ん丸にして両頬にえくぼを作った。

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