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岩山の麓、黒骸騎士団の設営した陣地で見張りの任務に付いていた下級兵卒が隣に立つ相棒に呟く。
「は~、早く帰りたいぜ」
「まったくだ、ドワーフ達を捕虜にするなんて何を考えてるんだか……」
男の愚痴に相棒も今回の任務の不満を口にする。
「大方副隊長がお偉いさんから命令されて、二つ返事で引き受けたんだろう。隊長の腰巾着だから評価を上げようと必死なんだろ」
「馬鹿! 誰かに聞かれたらどうするんだ、相手はあの‘死神’だぞ」
彼の言葉が副隊長の耳に入った時の事を考え、相棒は震え上がりながら辺りを見回す。
「ふん、騎士とは違って俺達の報酬なんて雀の涙みたいなもんだ。この位許されるさ」
「お前の気持も分かるがめったな事を言うもんじゃない。しかし、雲が多くなってきたな、雨降らなきゃいいな」
篝火の光の届く範囲に人影が見当たらなかった事にほっとしながら、相棒が話題を変えるべく夜空を見上げると、それにつられて男も空に視線を向ける。
「そうだな、これで雨まで降ったら、踏んだり蹴ったりだ……」
そう呟くと、テントの設営の疲れもあり、二人はぼーと夜空に浮かぶ雲を見つめる。
そのため彼らは気付かなかった、闇に潜みながら近づく敵の姿に。
「敵襲だーーー!!!」
切り立つ崖を背に設営していた黒骸騎士団の陣地に警告の声が響く。
眠りに就いていた者達が飛び起き、思い思いの武器を手にする。
「どうした!」
骸骨の描かれた黒い鎧を身に纏った騎士が、彼の物と思われるテントから現れると同時に、側らにいた簡素な鎧と上等ではない武器を持った下級兵卒に怒鳴る。
「はっ! 東よりドワーフ達が現れた様です」
「ドワーフだと…… 生き残りがいたのか、面白い! 残らずあの世に送ってやる! 準備の出来た者から付いて来い!」
醜悪な笑みを浮かべた男の命令に、起き上がった者から順に遅れまいと必死に後に続く。
「いいか貴様ら! ドワーフごときに遅れを取ったら、唯では済まさんぞ!」
「「はっ!」」
彼の残虐な性格を知っている兵卒達は、機嫌を損い自分達に男の怒りが向かない様、哀れな亜人達を生贄に捧げる事を決めた。
「騎士達が出てきたな…… 引くぞ!」
岩陰に潜んでいたレナが、敵陣から篝火に照らされた黒い鎧が現れたのを見て隣にいたイヴに言う。
彼女は小さく頷くと、風の精霊に語り掛ける。
『風の精霊シルフ、ドワーフ達に声を届けて』
精霊達は松明を掲げながら見張りの兵卒に戦斧を振るっていたドワーフに、レナの声を届ける。
声を聞いたドワーフ達は、示し合わせたように徐々に後ろに下がりだす。
戦場に駆け付けた騎士は後退する彼らを見て、亜人達が自分達の力に恐れをなしたと思い勢いに乗る。
「一人も逃すな!」
鬨の声を上げながら迫り来る敵に、ドワーフ達は恐れをなしたように敗走する。
黒骸騎士達は敵の後ろから襲い掛かろうと鎧の重さを物ともせず走り出す。
そのため彼らは見逃していた。
なぜ暗視の力を持つ彼らが松明を持っていたのかに。
「騒々しいぞ、何事だ!」
黒骸騎士団の中で一際大きなテントから、双剣を腰に吊るした一人の騎士が姿を現す。
テントの作りと兜の装飾から、その人物の身分の高い事を覗わせる。
「はっ! ドワーフ達の襲撃です!」
「ドワーフ達の?」
下級兵卒の言葉を聞いた騎士が怪訝そうに聞き返す。
「はい! 現在、タルボット様が先陣を務めています!」
下級兵卒の言葉に騎士が陣地の外れに目を向けると、松明を持った敵を騎士が追撃している所だった。
その様子に騎士は兜の中で眉間にしわを寄せる。
だが、味方が追っていた敵の松明が一斉に消えた所で、騎士は敵の思惑を悟り隣に控えた下級兵卒に指示を出す。
「タルボットに戻るように伝えろ! 大至急だ!」
下級兵卒は騎士の剣幕に、返事をする間もなく走り出す。
「間に合えばいいが……」
騎士の呟きを捕らえる味方は辺りに居なかった。
十数人の騎士と、その倍くらいの人数の下級兵卒を引き連れたタルボットは、自分の追っていた亜人達が濡れた麻袋で松明の炎を消し出した事に首を傾げる。
だが、戦いの興奮に身を任せていた彼の脳裏からはその違和感は一瞬で消え去り、自分達に恐れをなしたドワーフが逃げるために、考えもなしに松明を消したと思い込む。
作戦前に敵に暗視の力が有ると副隊長が言った事など、彼の頭の中からきれいに消え去っていた。
それも、帝国の人間はドワーフやエルフを亜人と見下している事や、彼の副隊長に対する敵愾心、そして、彼自身の性格が原因だった。
彼が自分の慢心を後悔したのは、味方の陣地から離れ、岩の陰に巧妙に隠れていたドワーフ達の伏兵が暗闇から姿を現した時だ。
もっとも、気付いた瞬間には巨大なドワーフの戦斧が彼の頭を捕らえていたため、後悔の時間も一瞬だけだったが。
『反撃だ! 仲間の無念を晴らすぞ!』
先頭にいた黒骸騎士をしとめたドワーフの集落の長 フンベルトの声に、敗走を装っていた仲間が反転し、攻勢に転ずる。
その後方で、帝国の人間から見つからないように隠れているイヴが、黒骸騎士団が持っている決して多くは無い松明を、風の精霊 シルフの力を借りて地面に落とす。
松明を踏み消しながら黒骸騎士に襲い掛かるドワーフ達を見ながら、イヴの隣にいるレナが予想通りの戦況の推移に形の良い唇から自然と言葉を漏らす。
「大したものだな、クランの作戦は……」
「ドワーフの人達の被害も今の所無いみたいです」
彼らが傷を負った時のために、いつでも神聖魔法が使えるようにレナとイヴの傍で準備していたユリが答える。
だが、暗がりでの会話だったため、ユリが浮かべていた敵兵に対する憂いの表情にレナは気付かず言葉を続ける。
「ああ、帝国の騎士達の慢心を利用して敵陣から騎士達を誘き出し、視界を奪った上各個撃破するか…… ここまでは順調だ、後はクラン達が上手くやれるかだな」
レナは敵の拠点の奥にいるであろう仲間達の方へ視線を走らせた。
丁度その頃、暗闇の中黒骸騎士団が背にした崖をロープで伝い降り、ドワーフの女子供を見張っていた最後の下級兵卒を屠ったクリスが呟く。
「想像したとおり騎士は見張りに立っていなかったけど、雑魚を片付けるのに思ったより時間掛かったわね」
「そうですね。ですがこれで終わりではありません」
こちらもクリスに若干遅れて下級兵卒を倒したグレックが、辺りに注意を払いながら答える。
「そうね。ここからドワーフ達を脱出させないとね。さっさと彼女達の拘束を解くわよ」
「はい」
クリスとグレックはドワーフ達の腕を戒めていた縄をダガーで切ってゆく。
全員の拘束を解いたところで、自分達の置かれた状況が理解出来ず戸惑っているドワーフ達に、クリスが片言のドワーフ語で声を張り上げる。
『死 にたくなかったら 付いて きなさい。あなた 達を 助けるために フンベルト達 仲間 の ドワーフ が来てる。急が ないと、あなた 達の 仲間に死人が 出る』
仲間が助けに来ている事を悟ったドワーフ達は、クリスとグレックの指示にしたがい走り出す。
「まったく、わたしにこんな雑用みたいな事をさせるなんて……」
クリスは油断無く周囲に視線を走らせながら、クランが今回の作戦について皆に話し出した時の事を思い出していた。




