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石作りのレムリアース城の中を栗色の髪の少女が歩いていた。
「こんにちは、イヴさん」
すれ違った騎士の一人が彼女に挨拶する。
少女はその騎士の顔に見覚えがなかったが、挨拶を返し歩を進める。
「自分は知らないのに相手が知ってるって…… 有名になるのも考えものね」
城で働く人々は最初の頃は胡散くさそうな目で少女を見ていたが、女王がこの国に対する謀略を暴いた彼女達の成果を称え、国庫から然るべき恩賞を渡すことを公言したことにより、大多数の者は敬意を持って接するようになった。
突然の周囲の変わりように思うところが無い訳ではないイヴだったが、ミシェルに対する城内の人間の接し方も多少の変化を見せていたため、その事については考えないようにしていた。
何より彼女の目下の悩みは、依頼を果たしたためこの所暇を持て余している事だった。
ジョセフィーヌは最近公務が忙しく声をかける事がはばかられ、ミシェルも何か考え込んでいるようで時間つぶしの相手にもならなかった。
もっとも、イヴはミシェルと顔を合わせるとどうしても攻撃的な態度になってしまうため、暇つぶしの相手としては適当な相手ではなかったが。
そして本当は一番かまってほしい、旅の連れである少年はこの所城の中庭で訓練に明け暮れていた。
本当は彼女も彼の傍で無為に時間を過ごす事も悪くないと思っていたが、人目に付く事が気恥ずかしく実行できないでいた。
そのため、中庭で訓練に励む人物をぎりぎり見る事ができる一階の窓が彼女のお気に入りの場所になっていた。
別に行きたくて行くわけじゃなく、暇だから時間つぶしのために行くだけだと自分に言い訳をして、本人も気付かず足早にいつもの窓に向かう。
そんなイヴの姿を見ていた城の人達は皆、彼女はその窓から見る風景がよほど好きなんだと思ってた。
イヴが城内を歩いている頃、中庭には緊迫した空気が流れていた。
その当事者であるクランは、ミシェルが警告無しに放った精霊魔法をサイドステップで間一髪かわす。
目標をはずした魔法は後ろに生えていた木に当たり、枝を大きく揺らした。
ミシェルはクランが自分の放った『風の刃』を避けた事を見ると、殺傷力は無いが身の軽い敵と戦う時に足止めのために良く使う『暴風』の魔法を唱える。
上手くいけば『風の刃』を避けるために体勢を崩したクランを、魔法で起こした突風で転倒させる事が出来ると考えながら。
だが、それに対してクランは腰を落として、子供なら吹き飛ばされるような風圧に耐える。
ミシェルは自分の魔法が有効打を与えられず、ことごとくいなされている事に不敵な笑みを浮かべると、彼女にとって最大の威力を誇る『刃の竜巻』の使用を決意する。
それは一定の範囲に無数のかまいたちを内包した竜巻を作る強力な魔法で、唱えるためには多くの魔力と精神集中を必要とした。
魔法の発動ため彼女は自分の中に精神を埋没させ、風の精霊に呼びかける言葉を構築する。
彼女の程の力量を持っていればその時間は瞬きするぐらいの時間だ。決して致命的な隙にはならない。その上相手は直前の魔法で身動きが取れないはずだった。
だが、彼女が一瞬意識を逸らし、次に彼を見た時には信じられない事に自分の目前にその姿があった。
ミシェルは頭では自分の見た光景を否定していたが、長年の経験で培った体は無意識に後ろに飛びずさりながら右手で腰に吊るしたレイピアを抜く。
だが、クランは初めから分っていたかのように彼女が距離を取った分だけ踏み込む。
剣を振る間合いを確保できないミシェルは、左足が地面に着くと右にサイドステップしながら強引にレイピアを右から左へ水平に払う。
だが、それは悪手――
クランは左手でレイピアごとミシェルの右手を掴むと、着地する直前の彼女の右足を左足で払う。
ミシェルは一瞬の間に何が起こったか分らず、気付けば地面に仰向けで倒れ茜色の空を見上げていた。
クランは自分の身に何が起きたか分らず呆然と空を見上げているミシェルの右手を離すと隣に腰を下ろす。
ミシェルの体が地面に叩き付けられる瞬間引き手を引き衝撃を緩和したため、クランは彼女が口を開くまで一緒に空を見上げる事にした。
「……わたしを殺さないのですか?」
しばらくするとミシェルは空を見上げたまま口を開く。
「……自殺願望でもあるんですか?」
クランの答えに、ミシェルはゆっくりと彼に視線を向ける。
「わたしは貴方を殺そうとしたんですよ?」
「ミシェルさんからは迷っているような気配を感じました。それに、僕の避けた魔法が当たったのに木の枝は折れたりしませんでした」
彼女は身を起こしクランの横に座る。
「わたしは亜人ですよ」
「その答えは前にしてあります」
彼は何が可笑しいのか、含み笑いをしながら答える。
その言葉にミシェルは表情を和らげる。
「クラン様は変わった方ですね」
「……初めて言われました」
彼は傷ついたように少し表情を曇らせる。
その姿にミシェルは微笑を浮かべるが、それを収めると訥々と話し出す。
「クラン様がわたしを殺害すれば、いかにわたしがエルフといえど拘束されると思いました。ですが、わたしの部屋には日記が残してあります。『ジョセフィーヌ様の信頼を得た人間が憎い、殺したいほどに』と。そうすればわたしを殺しても、突然襲われたからだと主張すれば罪に問われる事は無いと思いました。ですが、クラン様だったら贖罪のためにこの国に残ってくれると考えました。ジョセフィーヌ様のお力になってくれると……」
「あなたに何かあればジョセフィーヌさんは悲しみます。僕ではミシェルさんの代りにはなりません。この国の女王として決意を新たにした彼女に必要なのは、辛い時や苦しい時に寄り添って共に歩いてくれる人だと思いますから」
ジョセフィーヌが為政者としての決意を固め政務に取り組みだしたことを嬉しそうに話すクランを見て、ミシェルは主人が女王として生きて行く事に向き合う切っ掛けとなった事を聞いてみる。
「ジョセフーヌ様はジャックが拘束された日の晩、バルコニーからクラン様の姿を見たと仰っていましたが……」
「あの日はジョセフィーヌさんの部屋から視線を感じましたので、なにか前に進む切っ掛けになればと、普段より少し長く訓練をしてみました」
クランの言葉を聞いたミシェルは呟く。
「少し長くですか……」
「自分は努力していると思っても、後で振り返るともっと上手く出来たのに、あの時もっと努力していれば、と悔いを残さないための糧になればと思いまして」
「クラン様は悔いを?」
その問いでクランは初めてミシェルに視線を合わせる。
「はい」
その一言に込められた、彼の後悔、苦悩にミシェルは息を飲む。
その時の彼の表情は、憎しみ、悲しみ、懺悔が混ざり合った苦痛に満ちた表情をしていたためだった。
「悔いを、後悔を残さないようにして下さい。ここであなたがしなければならない事は、自分の命と引き換えに何かを得ることではなく、自分の弱さと向き合い、それに立ち向かう事だと思います。あの時言いましたよね、負けていませんか? と。もう一度言います。負けていませんか? 自分の弱い心に。ジョセフィーヌさんはきっと必死の思いで立ち向かっていますよ、彼女一人に戦わせるのですか?」
「……わたしに出来るでしょうか?」
ミシェルは揺れる瞳でクランを見つめる。
「出来ますよ。僕みたいに才能のない人間でも、努力すればミシェルさんみたいな一流の方から一本取れるんですから。やってできない事は無いですよ」
クランに笑顔を向けられ、思わず赤面したミシェルは視線をそらしながら訪ねる。
「初めて会った時『風の刃』を肩に受けたのは、後ろにいたジョセフィーヌ様と、イヴ様に当たらないようにするためわざと受けたのですね。先ほど威力を抑えた分、発動が早かった『風の刃』はしっかり避けてましたから。もしかして、クラン様は精霊魔法が使えるのでは?」
彼に一流の方と褒められ気恥ずかしいのか、思わずミシェルは話を逸らす。
「いえ、残念ながら。ですから、ミシェルさんの攻撃する意思を避けるようにしました。グランデル公国にいる僕の師匠なら、ミシェルさんの視線や筋肉の動き、今までの経験で攻撃を読んだり、師匠の友達なら魔法が発動した後でも避ける事が出来るでしょうけど、僕にはそんな才能はないですから……」
クランの師匠やその友の才能も凄いが、ミシェルが驚いたのは彼がやった事だ。
それは相手の攻撃を予測するなどという事などではない。相手の心を読むことに等しい。
いくら自分に才能が無かったとしても、それを補うためにそのような手段を選ぶだろうか?
そして、そのような夢物語を習得するまでにどれ程の修練を積んだのだろうか?
彼が今まで費やしてきたであろう努力と時間を想い、ミシェルは自らを振り返る。
自分は負けていたのではないか、大多数の人間が思うエルフ像に負けていたのではないか。
たとえ無謀と言われようとも、主人の事を想えばそれに挑むべきではなかったのか。
いや、彼は言った。
まだ後悔するのは早いと、ならば力しか求めてこなかった自分が何処まで辿り着けるか分からないが、主人を助ける事は出来なくても、補佐を出来る程度の知識と教養を身に着けよう。
その程度の事は出来るはずだ、目の前の人は更に険しい目標を掲げているのだから。
「クラン様、今回の事は……」
ミシェルは自分の弱さのために彼の体を、心を傷つけようとした事を詫びようとすると、彼は小さく首を振って止める。
「今日はいい訓練ができました。精霊魔法を扱う人との試合なんてなかなか出来ないですから」
その言葉に彼女は救われると同時に、ここまで誰かを思いやる事が出来る人物に憧憬とも呼べる念を抱く。
「わたしはクラン様のようになれるでしょうか?」
「僕みたいになってはだめです。今の僕には後悔しかありません。ミシェルさんはミシェルさんのようにならないと。僕みたいな奴にはならないで下さい」
ミシェルは彼の言葉の中に自分自身に対する嫌悪を感じると、クランの瞳を見つめながら口を開く。
「わたしはクラン様の事を尊敬しています。わたしのような者にも優しくしてくれる人は貴方だけです。わたしは…… たとえ貴方がご自分の事を嫌っていても、わたしは貴方の事を……」
「へ~、訓練していると思ったらずいぶん楽しそうじゃない。あたしもまぜてくれる?」
突然後ろからかけられた言葉に二人が咄嗟に振り返ると、そこには不自然なほど機嫌のよさそうなイヴがいた。
一瞬彼女と視線の合ったミシェルは我に返ると、自分の口にしようとしていた言葉に顔を真っ赤にして思わず逃げ出す。
ミシェルに置いて行かれたかたちになったクランは、自分でも分からなかったが必死でイヴに愛想笑いを浮かべた。
「それで、なんの話をしていたのかしら?」
相変わらず上機嫌でクランに問いかけるイヴだったが、彼は彼女の瞳が笑っていない事を察知すると反対に問い返す。
「もしかして聞こえてました?」
「ワザとじゃないんだけど、『わたしのような者にも優しくしてくれる人は貴方だけです』ってところから聞こえてたんじゃないかな」
この後クランは、先ほどまでとは比べ物にならない苦境に立たされる事となった。




