51
「フォーク様がお見えです」
アジトの自室で報告書をしたためていたクリスは、グレックの声で顔を上げる。
「急になんだ? 来るという連絡は受けてないぞ」
疲れを滲ませた顔色でクリスが文句を言う。
ワイバーンから逃出し、昨日やっとアジトに戻ったのだ。
彼女の副官も表情に隠しきれない疲労を覗かせている。
「帝国施設の調査に向かった事を聞きつけたのではないですか?」
「まだ二週間も経っていないんだぞ、仕事熱心な事だな」
クリスは揶揄する様にグレックに答える。
「今から行くと言ってくれ」
グレックは彼女の伝言を組織のトップに伝えるべく、部屋を後にした。
「クリス、無事で何よりだ!」
クリスが滅多に使わない高級家具の置かれた応接室に入ると、一目で高級とわかる生地に、これまた熟練した職人が手がけたと思われる刺繍を施した服を身に纏った男が出迎えた。
「お久しぶりです、フォーク伯爵。お出迎えもせず失礼致しました」
「お前と私の仲ではないか、かしこまる必要は無い」
そう言いながら男は整った顔を破顔させる。
男は30台後半だろうか、よく手入れされた髭を蓄え、指には豪華な指輪を着け、その立ち振る舞いには、伯爵と呼ばれるのに相応しい威厳をかもし出している。
「どうぞ、お掛け下さい」
「ああ、失礼するよ」
伯爵はクリスの勧めに、見事な彫刻の施された豪華な椅子に腰を下ろす。
「本日はどういったご用件で?」
「お前が帝国に向かったと聞いて、いてもたってもいられなくなってな」
「ご心配をお掛けして申し訳ございません」
深々と頭を下げる彼女に、伯爵は苦笑する。
「かしこまる必要は無いと言ったのだがな。まあいい、それでどうだったのだ?」
「はい、実験体の製造施設に間違いありませんでした。ただ既に廃棄された施設のため、めぼしい物は残っていませんでした。一応、可能な限り残されていた物は持って引き上げましたが」
「なるほどな、それで被害はどの程度だったのだ?」
伯爵は目を細めながら尋ねた。
「はい、仕事を依頼した冒険者が一名行方不明になりました」
「……そうか、なんにせよお前が無事だったのが何よりだ。どうだ、そろそろ王都にいる私の元へ来てはくれぬか?」
少し考える様子を見せた後、伯爵はクリスに幾度と無く打診した事を問い掛ける。
「申し訳ありませんが」
「そうか……、陛下も帝国の非人道的な行いには心を痛めている。お前には私の元で働いてもらいたかったのだがな」
クリスの答えを半ば予想していたのか、伯爵はそれほど落ち込んだそぶりを見せずに話す。
「手に入れた物の中で何かわかったら報告してくれ、今日は久しぶりにお前の顔を見られて嬉しかったぞ」
「グレック、フォーク伯爵がお帰りだ」
クリスの声に、部屋の外に控えていたグレックは応接室の扉を開く。
「これからも頼むぞ、グレック」
伯爵はグレックに声を掛けて帰路に着く。
「お疲れ様でした」
クリスが自分にねぎらいの言葉を掛けた副官に答えようとすると――
「お頭、大変だ!」
一人の密偵が息を切らせながら飛び込んで来た。
クリスが‘お頭’と呼ぶなと手下を叱りつけようとしたが、次の彼の台詞で言葉を飲み込む事になる。
「空腹の熊亭でレナが喧嘩を始めて、止めようとしたシドも途中から暴れだして乱闘になってます!」
彼女は舌打ちをすると愛用の双剣を持ち、ここから目と鼻の先の宿に向かって走り出す。
「グレック、腕の立つのを何人か連れて来い!」
彼女の指示に、グレックは密偵達の所在地を頭に描きながら走り出した。
◆ ◆ ◆
昨日、ルイザの街に戻って来たレナは自分を責め続けていた。
クランに命を助けられた、それも二度も。
冒険者ギルドでは凄腕などと言われ、皆にちやほやされていたが浮かれているつもりは無かった。
だが、自分が何も考えずに彼の元に行ったため、彼は無謀な賭けに出ざるを得なかった。
すべて自分の慢心だ。
思い返してみると、この街に流れ着く時にはクリスに助けられ、今もクランに助けられのうのうと生きている。
なんのために生き恥を晒しているのか、決して仲間の命を犠牲にするためではないと歯噛みする。
少しでも早くクランの情報が手に入るようにと、クリスのアジトに程近い宿に泊るようにした。
食欲など無いのだが、なにかクリスが情報を掴んだ時にいち早く分かるように、食堂に居座っている。
‘自分では何一つ満足に出来ない’レナが自嘲気味に暗い笑みを浮かべていると、横から声を掛けられた。
「レナじゃないか、こんな所にいるなんて珍しいな。宿を移ったのか?」
彼女が声の主を見ると、頭を剃り上げスキンヘッドにし、隆々とした筋肉をしているのが革鎧の上からでもうかがい知ることができる大男がいた。
「ゼムか、ちょっと訳有りでな」
レナは、顔を会わせる度にパーティーに入らないかとしつこく付きまとっていた男だと分かると、彼から視線を外す。
ゼムは彼女の態度にむっとしながらも、話し続ける。
「あのクランってガキと喧嘩でもしたのか? あいつはレナに釣り合う様な奴じゃない。大方レナに付きまとっていれば甘い汁でも吸えると思っただけだろうよ」
レナがゼムの事を無視していると、男は自分の話を彼女が黙って聞いていると思い込み調子付く。
「なあレナ、俺達のパーティーに入らないか? あんな奴と一緒にやっているより遥かに稼げる」
ゼムはレナの肩を掴むと、顔を寄せささやく様に語りかける。
「ウォーベアーと戦った時だって、レナはかなりの傷を負ったがあいつは無傷だったんだろ? 大方どこかに隠れて震えていただけだろう、俺ならお前を守ってやれる」
レナが黙って聞いている事に、男はもう一押しで彼女が手に入ると考え、更に言葉を続ける。
「あんなガキの事は忘れろ。あんな奴より野良犬の方がまだ役に立つ」
瞬間、レナの体が強張る。
「いま何と言った?」
彼女が俯きながら口にした言葉は、小さすぎて男には聞き取れなかった。
「何か言ったか? レナ」
故に、男はレナに同じ事を口にさせるという、愚を冒した。
「いま何と言った、と言ったんだ!」
彼女は立ち上がりながら男の腕を振り払い激昂する。
「お前に彼の何がわかる!? 私の事はなんと言おうと構わない! だが彼の事をこれ以上口にするな!」
男はなぜレナがこれ程までに怒りを露にしているか分からなかった。
たぶん、お気に入りのおもちゃを悪く言われたので怒ったのだろうと結論付けると、馴れ馴れしくレナに触れる。
「そんなに怒るな、あんな奴掃いて捨てるほどいる。俺が――」
男は最後まで口にする事が出来なかった。
自分の顔にレナの拳がめり込んでいたために。




