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夏休みも間近に迫った日。
中学の制服を着た少女が『本田』と彫られた門柱を走り抜け、玄関横のインターホンに向かって話しかける。
「守~ 起きてる~?」
少女が少し待つと、インターホンのスピーカーから少年の声が聞こえてきた。
「理沙? ちょっと待ってて、今開けるから」
玄関の鍵を開錠する音がした後、眼鏡を掛けた黒髪、黒い瞳で身長160cm位の十人並の容姿だが、やさしそうな雰囲気をした少年が玄関ドアを開く。
「おはよう、理沙。毎日来なくてもいいのに」
守と呼ばれた少年は、目の前で息を整えている少女に話しかける。
少女は緩やかにウェーブした黒髪を背中まで伸ばし、大きな目に濃い茶色の瞳、少々小柄な体をしているが、十人並の容姿の守と違い、10人に聞けば9人は可愛いと答える美少女だった。
少女の名前は、結城理沙。今年から守と同じ中学に通っている。
「だめだよ、だってあたしは守のお父さんに頼まれたんだもん。『守の事をよろしく』って。だから、守がちゃんと一人で生活できているか見に来なきゃ」
理沙はそう言いながら、勝手知ったる他人の家といった感じでスリッパを自分で出すと、キッチンへ向う。
「もうあれから3ヶ月も経つんだし、大丈夫だよ」
守は理沙の後ろを歩きながら話しかける。
守の父親は警察官だったので、定期的に転勤があった。
そのため、家で守は祖母と一緒に二人で暮らしていたのだが、守が中学に入学すると同時に祖母が体調を崩し、医師の治療の甲斐も無く帰らぬ人となっていた。
守の父親は家を売り、守と一緒に暮らそうかとも考えたが、守の幼馴染でもある隣の結城家の両親に、「来年の勤務地がここになるようだったら、それまで私達が守君の面倒を見ます」という言葉を掛けてもらい、守の父はその言葉に甘える事にした。
まあ父親より守のほうが家事全般できるということもあったのだが。
そんなこんなで、現在守は一人暮らしをしている。
「朝ごはん食べたの? 作ってあげようか?」
冷蔵庫から出した牛乳をコップに注いで、勝手に飲んでる理沙が守に聞く。
「もう食べたよ、それに理沙より僕のほうが料理上手でしょ」
理沙の出した牛乳を冷蔵庫にしまいながら守が答える。
「うわ、信じらんない。そこは喜ぶのが男ってもんでしょ」
理沙は不満そうに眉間にしわを寄せ、空になったコップを大きな音を出してダイニングテーブルに置いた。
「はいはい、そろそろ出ないと遅刻するよ」
守は理沙の使ったコップを食洗機に入れると、鞄を持って玄関に向う。
理沙は守の背中をしばらく睨むが、あきらめたように後を追いかけた。
学校への通学路を歩きながら理沙が守に話しかける。
「ねえ、ちゃんと練習してる?」
「うん、毎日練習してるよ」
守は答えながら、理沙に無理難題を出された時の事を思い出していた。
◇ ◇ ◇
それは、そろそろ梅雨入りの発表が気象庁からされると思われる日の事だ。
朝から降り出した雨に、憂鬱な気分になりながら学校への通学路を理沙と一緒に歩いている時、突然思いついたように理沙が口を開いた。
「ねえ守。今度の文化祭でバンドをやろうよ」
「へ?」
突然の理沙の言葉に、間の抜けた表情をした守が理沙を見る。
「聞こえなかったの? バンドやろうって言ったの、バ ン ド」
「いや、聞こえたけど……。どうしたの急に」
きょとんとした表情を浮かべた守に理沙が答える。
「文化祭だもん、折角だから何かやりたいじゃない。あたしは歌好きだし、守はギター弾けるでしょ。ちょうどいいじゃない」
「なに言ってるの? 僕がギター弾けるっていっても、理沙のお父さんにちょっと習っただけじゃない。それに、僕と理沙二人で文化祭のステージに上がるの?」
「馬鹿。あたしと守だけじゃバンドにならないじゃない。花音と京も誘うよ」
理沙はジト目で守を見る。
「え? 京って楽器できるんだ」
守は一つ年上のお嬢様風の女の子と、隣のクラスの軽そうな男の子を思い浮かべながら理沙に尋ねる。
「知らなかったの? 京は『ドラマー』得意って言ってたよ」
『ドラマー』ってゲーセンのゲームじゃん、と守は思ったがその言葉は飲み込み、代わりに他の言葉を口にする。
「ベースはどうするのさ」
「あたしがベースボーカルやるわよ。ギターは小さい頃からお父さんに教わっていたし、いざとなったらルートで済ますから」
すっかりやる気になっている理沙の言葉に、守は半分諦めながら最初の問いに対する答えを口にする。
「二人がやるって言ったら僕はやってもいいよ」
守の答えを聞いた理沙は、良く言ったとばかりに笑顔で頷くと守の手を握り走り出す。
「ちょ、雨の中走らなくても」
守の言葉を聞こえない振りをしながら、理沙は彼の手を放さないように握り締め、弾むような足取りで学校まで走った。
「京、いる~?」
理沙は隣のクラスの入り口で声を掛けながら教室に入る。
「京一ならあそこにいるよ」
「ありがと」
理沙は京一の居る場所を教えてくれた男子生徒に笑顔でお礼を言うと、守と一緒に京一のいる方へ歩いて行く。
お礼を言われた男子生徒は、学年で一番可愛いといわれている女の子の笑顔に顔を赤くしていた。
「今度の休み一緒に遊びに行こうよ、かわいいグッズ置いてある店見つけたんだよ」
茶髪をラウンドショートにし、愛嬌の有る整った顔をした、身長180cm位の細身の少年がクラスの女の子に声を掛けている。
「京、ちょっといい?」
「いま、いそがしい なんだ、理沙と守か」
京と呼ばれた少年は、先ほどまで声を掛けていた女の子に両手を合わせて詫びると、理沙に振り返った。
「なんか用? 俺、今忙しいんだけど?」
棘の有る言葉とは裏腹に、愛嬌のある笑みを浮かべながら京一は理沙に答える。
「文化祭でバンドすることにしたから、京はドラム担当ね」
京一は反射的に守を見る。
守は京一の視線と合わぬように、すっと窓の外に視線を逸らす。
それを見た京一は、いつものように幼馴染の無理難題を守が止められなかったことを悟り、理沙と会話する事にした。
「理沙、急にドラム担当って言われても、俺、ゲーセンで『ドラマー』位しかやったこと無いぞ」
「大丈夫、これから毎日練習すれば。お父さんに電子ドラム借りて来て貰うから」
理沙の言葉に絶句した京一だが、気を取り直して口を開く。
「いや、文化祭までどれだけあると思ってるんだよ。5ヶ月だよ? それまで俺に女の子とデートもせずに毎日練習しろっていうの?」
「デートって言っても彼女いないんでしょ? デートできないじゃない」
理沙はかわいそうな子を見るような目で京一を見る。
「ぐっ、彼女はいなくても、俺とデートしたいっていう女の子は沢山いるの」
京一は負け惜しみのように答えたが、守は京一の言っていることは本当だと知っていた。
同年代の男の中でも背が高く、整った顔立ちはしているがそれを鼻に掛けることもなく話しやすい京一は、同じクラスの女の子にも人気があるのだ。
「じゃあ、文化祭まであたしがデートしてあげる。それでいいでしょ」
「え、お前が?」
「なに、あたしじゃ不満?」
腕を組みながらジト目で理沙が京一を見る。
「いや、そんな事は無いけど」
京一は思わず反射的に返事をする。
京一の返事を聞いた理沙は、これで言質を取ったと守に詰め寄る。
「守もそれでいい?」
「京がいいなら、僕はそれでいいよ」
不承不承といった感じの守の返事に、理沙は不機嫌そうに眉をひそめると、肩を怒らせて教室から出て行った。
理沙を見送った京一は、若干引きつり気味な笑顔を浮かべながら守の肩を掴む。
「説明してくれるよね、守君」
守は黙って頷くのだった。
「……それで理沙がバンドなんて言い出したのか」
「うん、京か花音が断ってくれないかと思ってたんだけど」
守の言葉を聞いた京一はため息をつく。
守と京一、理沙と花音の四人は子供の頃からの付き合いだったが、いつも理沙に振り回されていた。
花音は理沙の事を妹のように思っていたし、やさしい守は理沙の言うことを出来るだけ叶えようとした。そして、京一はそんな三人と一緒にいる事が好きだった。
「花音が理沙のお願いを断るわけ無いだろ。俺の言うことなんか理沙は聞くわけないし、守が反対すれば理沙は諦めたよ。っていうか、守の言う事しか理沙は聞かないって」
「そんなことないよ。理沙が僕の言うことなんて聞くわけ無いよ」
守の言葉に京一はため息をつくと、先ほど話していた女の子のところへ向かう。
「まあ、約束したからな。せいぜいがんばるとするか」
そうつぶやきながら。
「お願い花音。文化祭でバンドしたいの」
上級生の教室で、理沙は両手を合わせて花音と呼んだ少女に頼み込んでいた。
花音と呼ばれた少女は綺麗な黒髪を背中まで伸ばし、どこから見てもいいところのお嬢様という雰囲気をかもし出している。
「バンドはよいのですけれど、どなたが参加するのですか?」
「ベースボーカルであたし、京はドラム、それで…… 守がギター」
花音の質問に、最後の方は小さな声で理沙が答える。
「わかりました。ギターが守さんということは、守さんのかっこいい所が見たいって事ですね」
花音が悪戯っぽい笑みを浮かべながら理沙に言う。
近くにいたクラスメイトは、普段の花音からは考えられない表情を浮かべた事に驚いていた。
「そんな こと ないけど……。みんなが言ってるの聞いちゃって。守が私達の中にいるのは釣合わないって。あたし悔しくって、守の事何も知らない人がそんなこと言うの、あたし我慢できなくって。だから……」
理沙はこぶしを握り締め、床を見ながら普段からは想像できないような悲痛な表情を浮かべていた。
そんな理沙を見て、どこか心配そうな表情を浮かべながら花音は口を開く。
「理沙、私は何をすればいいのですか?」
「あ、うん。花音はヴァイオリンを弾いてもらえたらと思って。それと、あたしベース毎日練習するけど、ルートでしか弾けないかもしれないから……」
「わかりました。私はバンドにはヴァイオリンで参加して、急いで曲を私達に合わせてアレンジすればよろしいのですね」
理沙は花音の言葉に頷く。
「では、理沙はどんな曲を考えているのですか?」
「えーと、あたしが考えてる曲は……」
◇ ◇ ◇
「ちょっと、聞いてるの守?」
守がバンドをする事になった時の事を思い出していると、いつの間にか理沙が守の顔を覗き込んでいた。急に理沙の整った顔が目に前にあった事に驚いた守は、思わず一歩後ずさる。
「ちゃんとしてよ、もう」
そう言いながら学校に向かって歩き出した理沙の顔が、赤くなっていた事に守は気づいていなかった。




