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森で倒れていた少年がこの家に来てから一ヶ月が経っていた。
いまだに記憶も戻らず、自分の名前すら分からなかったが、グレンとカルラは家族のように接してくれていた。
「薪が少なくなってきたので、今日は薪割りをお願いできますか?」
朝食の後片付けをしながら、カルラがすまなそうに少年に頼んだ。
「はい、水を汲んできたらすぐやります。」
そう言うと少年は、ムーラの森の外れにある家から歩いて5分ほどの所にある小川に、日課の水汲みに出かけた。
最初のころは、家にある水がめをいっぱいにするのに1時間ほど掛かっていたが、今では半分程度の時間で済むようになっていた。
また、一般的な家には風呂も無いため、近くに他の家も無く、人がめったに来ないこの小川は沐浴のために来ることも多かった。
「カルラさん水汲み終わりました。これから薪割りします。」
カルラに声をかけた少年は薪割りを始める。
薪割りは水汲みと違い、すぐにコツをつかみうまくできた。
それをみたカルラがしきりにすごいとほめるので、真っ赤になりながらそんなことはないと謙遜したものだ。
ちょうど薪割りが終わったところで、カルラが昼食の準備ができたと知らせに来た。
グレンはいつも朝から狩りに出かけるので、カルラと二人で昼食を食べるのも少年の日課となっていた。
「そんなにおかしかったですか?」
二人で食事をしていると、一か月も一緒に暮らしていたこともあり、それまで少年に気を使って避けていた出会った時の事も話せるようになっていた。
自分の名前が分からなくて取り乱した少年の、その時言ったことがおかしかったという話になる。
「だって、なんて言ったか覚えてますか?」
口元に手を当てカルラはくすくす笑った。
「やべ、俺誰だかちょーわかんねw、うは、俺ちょーぴんちw、あーだれかたすけてー、てすてす、きこえてますかー、だれかきいてませんかー、って言ったんですよ」
「そんなこと言いましたっけ僕」
こめかみに汗をかきながら少年がカルラに言った。
「もっといろんなことを言っていたんですよ、わたしは意味が分かりませんでしたけれど」
よほどおかしかったのか、お腹をかかえて目に涙を浮かべなら、カルラがそのときの事を身振り手振りで説明する。
「すみません、あの時はパニックを起こしていましたから」
そういう少年に、笑うのをやめたカルラが話しかけた。
「あのときのあなたは、もっと砕けた話し方をしていました。いまのあなたは、私やグレンに気を使っているのではないですか? この家にいるのならあなたは、わたしたちの家族です。だから、そんなに気を使わないでもらえると嬉しいな」
そう言いながらカルラは少年に笑いかけた。少年は顔を赤くすると小さくうなずいた。
「じあ、裏の小屋の片付けしてくるね、カルラ」
昼食も終わりそう告げる少年に、自分のことを‘さん’付けで呼ばなかったのがうれしかったのか、満面の笑顔を浮かべてカルラが言った。
「怪我をしないように気を付けてね、いってらっしゃい」
クランが丸太で作られた小屋の扉を開けると、中から長い間掃除をしていなかったため積もったほこりと、カビの臭いが漂ってきた。
小屋の中に入り窓の板戸を開けながら、二人にこの小屋の事を聞いたときのことを思い出していた。
それは、少年がこの家に来て三週間ほどがたち、三人で夕食を食べているときのことだった。
何もせずにただ世話になっている事に気がねした少年が、二人に自分でもできる仕事をさせてほしいと頼み、水汲みと巻き割りをするようになると、裏にくたびれた建物があるのが気になった。
「グレンさん、裏の小屋は今使っているんですか?」
「裏の小屋に何か気になることでもあるんですか?」
グレンが答えるより早くカルラが少年に問い返す。
「いえ、ただ冬が近づいてきているので、薪をしまっておける場所がないかと思いまして」
「あの小屋は何年も使ってないので傷んでいるし、埃だらけで使えません」
この話はこれで終わりだとばかりに、普段からは考えられないような強い口調でカルラが答えた。
少年が了解の意を伝えようと、口を開こうとした時にグレンが言った。
「掃除すれば使えるだろう、薪を置きたければお前が掃除をしろ。ただし一番奥の部屋には入るな、それでいいなカルラ」
この話はこれで終わりだとばかりにグレンは席を立つ。
その時少年からは見えなかった。
寝室に戻ったグレンの食器を片付けているカルラが、辛そうな表情をしているのを。
「だ~、ちっとも片付かん」
乱雑に置かれた荷物に積もった埃を、ほうきで叩きながら愚痴る。
カルラの言った通りやめておけばよかったかな、と少年は後悔しだしていた。
ふと、壁に立てかけられていた棒のようなものが目に入り、手にとって埃を払ってみた。
「剣 だ」
つぶやきながら鞘から抜いてみる。
それは両刃で剣身110cm。
柄が長く片手でも両手でも持てるが、決してただの狩人などが持つ事のない、俗にバスタードソードと呼ばれる剣だった。