17
翌朝。野生の雌鹿亭の前に、ルイザの街の北の森に向かうクランとレナ、そして、二人を見送るサラがいた。
「クランさん、気をつけてください。危ないと思ったら途中でも帰って来てください」
サラはクランが怪我をしないか心配で、すでに涙目になっていた。
レナが熟練の冒険者であり、クランもサラが思っているより腕が立つことも分かったが、それでも不安なのだろう。
「危なかったら戻ってくるよ、心配しないで」
クランがサラに一時の別れの言葉を掛けると、レナも悪戯っぽい笑みを浮かべて続ける。
「クラン君は無事サラの元へ返すよ。クラン君の十分の一位、私の事を信じてくれ」
サラは顔を真っ赤にしながら、二人を見送った。
ルイザの街の門を出ると、北にある森に向かって二人は黙々と歩き続けた。
昼食は適当なところに座り、固いパンと干し肉を水で流し込んでまた歩き出と、なんとか日が沈む頃には森の入り口に着いた。
明日の朝森に入ると決めていたので、今日は野営のため木の枝を集め火を起こす。
レナがパンと干し肉を出して、夕食にしようとするとクランがレナに尋ねた。
「ちょっと待ってください。夕食もそのまま食べるんですか?」
「ああ、調理するのも面倒だしね。そもそも、私は料理できないし」
レナの答えに、クランは眉をひそめる。
「じゃあ何で調理器具を持ってきたんですか?」
「だって、野営をするのに調理器具を持っていないなんて、料理できませんって言いふらしてるみたいじゃないか」
クランは姿勢を正すとレナに話しかけた。
「レナさん、いくらあなたが凄腕の冒険者だからって、余計な荷物を持ってきてどうするんですか。動きの妨げになるし、いくら軽いからってずっと背負っていれば疲労の原因になります」
「いや、その通りなんだけどね」
いつの間にかレナも正座をして、クランの小言を聞いていた。
「分かっているならちゃんとして下さい。周りの冒険者に注目されて迷惑みたいなこと言ってましたけど、自分だって意識してるからいらない物を持ち歩いているんでしょ」
「いや、そうかもしれないが……」
「人にとって衣食住は大切です。旅先であれば限られた物の中で出来る限りのことをして、
翌日に備えるべきだと思います。今日の夕食は僕が準備します。レナさんは周囲の警戒でもしてい下さい」
クランはレナに指示を出すと、バックパックから調理器具を取り出し夕食作りの準備を始めた。レナが何か手伝おうか? と声を掛けると、邪魔するなとばかりにフォークで森の方を指すのだった。
「レナさん、出来ました」
ずっと森を凝視していたレナは、クランに声を掛けられ恐る恐る振り向いた。
そこには、炙ったパンにお湯で柔らかくした干し肉を挟み、りんごのジャムを塗って甘めに味付けしたサンドイッチに、干し肉を暖めるのに使ったお湯に、ドライトマトと乾燥させた香草を入れ、塩で味を調えたスープが出来ていた。
「すごいな、これみんな君が作ったのか」
「当たり前です。他に誰が作るんですか」
クランにジト目で見られたレナは、そそくさとサンドイッチを頬張った。
「おいしいなこれは、甘めの味付けだが干し肉の塩気に良くあっている」
レナの言葉に気を良くしたクランは、スープも勧める。
「スープも、トマトの酸味がサンドイッチの甘さとよく合いますよ」
「ほんとだ、このスープも美味しいな」
味気ない食事のはずが、思いもかけず豪華な夕食になり、和気藹々と食事を過ごす。
「いや、やはり英気を養うためにも料理は大事だな。うん、私も料理を覚えようかな」
「どうしたんですか急に。調理なんか出来なくてもいいじゃないですか」
クランの言葉に首を傾げると、レナはクランに聞いた。
「いや、衣食住は大事だって言ってたじゃないか」
「そんな事言いましたっけ?また固いパンをそのまま食べると思うとイライラしてましたど」
レナはこめかみに汗をかきながら話題を変える。
「明日も早いし、見張りの順番を決めてそろそろ休もうか」
レナの言葉に頷くと、最初の見張りはクランが立つ事になった。
レナが毛布に包まり横になるのを確認すると、クランは日課の素振りを始める。
レナはそんなクランを見ながら思いを馳せていた。
人に物を教えるがらではない自分が、なぜこんなところで師匠の真似事などしているのかと。
そして、世間知らずな自分が、冒険者として生きることを選んだときのことを思い出していると、だんだんまぶたが重くなって来た。
眠りに着く直前、ルイザの街に帰ったら自分の心の平穏のため、硬くないパンを探そう、と心に刻み付けて意識を手放した。
朝目が覚めると、二人は軽く炙ったパンと干し肉の入ったスープで朝食を済ませ、装備を確認する。
クランは皮鎧に愛用のバスタードソードを帯剣し、レナは金属で補強した皮鎧に、今日は普通より細めのショートソードを二本身に着けていた。
「クラン君、君は狩人をやっていたんだろう?」
クランはレナの問いに頷く。
「じゃあ、先頭は君に任せるよ」
レナの言葉に従い、クランは森の入り口にある獣道を見つけ歩き出した。
気配を消して進むクランの後を歩きながら、レナはクランの狩人としての能力に舌を巻く。
まず、気配の消し方が凄まじい、目の前を歩いているはずなのに、ともすれば見失いそうになる。自分の目ではクランを見ているのに、気配を完全に消しているために、幻でも見ているような気分になる。
そして、周囲の状況を敏感に感じ取っている。
クランが人差し指で口元を押さえ、静かにするように伝えたあとその場でじっとしていると、熊が前を横切った。こちらが風下だったから熊に気付かれなかったが、クランは熊が近づいてくる気配を感じ取っていたようだ。
レナは熊がだいぶ近づくまで気配を感じ取れなかったが、それはレナが鈍いのではなくて、クランが鋭すぎる感覚を持っているからだった。
しばらく森の中を歩いていると、クランが違和感に気付き、レナに注意するように伝えると慎重に歩く。
それから少しの時間森を進むと、開けた場所を見つけた。
クランが辺りに気を使いながら風下からそっと覗くと、そこにはゴブリンの群れを発見した。
ゴブリンは140cmぐらいで醜悪な外見をしており、錆びた剣や、ぼろぼろの皮鎧を身に着け、濁った目で辺りを見回していた。
数はさほど多くなく、全部で30匹ぐらいだろうか、二人はゴブリンに気づかれないところまで静かに後退する。
「あそこがゴブリンのキャンプ地ですかね?」
クランはレナに確認する。
「あんな森の外に近い場所をキャンプ地にするかな? それに何かを警戒しているようだった……」
今までのレナの経験では考えられ無い様な所にキャンプを作り、何かにおびえるように周囲を警戒している姿に違和感を覚える。
「まさか、森の奥にゴブリンの脅威となるようなモンスターが現れたため、ここまで逃げてきたのか?」
考えが纏まったのだろうか、レナはクランに短く「森を出る。」と告げると、急いでこの場所を離れようとする。
だが、クランはレナの腕を掴み首を振った。レナがなぜ引き止めるのか理由を聞こうとしたとき、クランが前方を指差す。そこには2メートル程の銀色の毛皮に覆われた熊がいた。
「ウォーベアー! まさかこんなところにいるなんて……」
レナが苦虫を噛み潰したかのような表情をした。