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森の中、ユリとカールを醜悪な顔を歪めて見つめるゴブリンリーダー。
身長は180Cmを超え、体つきは一般的なゴブリンと違い筋肉質で、手には合う武器が無いのか、大きな棍棒を持っていた。
あんな物で殴られれば、革鎧も身に着けていない二人はひとたまりも無いだろう。
「ユリ。俺が囮になる、君は逃げてくれ」
冷や汗をかきながら言うカール。
だが、即答されたユリの言葉は、カールの提案を拒否するものだった。
「嫌です!」
「なっ!」
ユリに強い口調で告げられたカールが絶句する。
「冒険者が一般人を見捨てて逃げ出したら恥です。今後、仕事など出来なくなります。それは、私達にとって死を意味する事です。聞く事は出来ません」
もちろん嘘だ。
正式に依頼を受けた訳でもなく、もちろん報酬も受け取る訳でもない。
その事はカールも分かっているし、彼が自分の嘘を見抜く事もユリは気付いている。
「ロッテ達に、カールさんを連れ戻すと約束しました。それに、ゴブリンリーダーがいる可能性を示されながら、それに気付けませんでした。私のミスです」
呆れるカール。
「頑固だな、お前・・・・・・」
「初めて言われました」
ユリが驚いた表情を作ると、思わずカールが吹き出し、釣られてユリもころころと笑い声を上げる。
「しょうがない、何とか二人で村に帰るぞ!」
カールが気合を入れて叫ぶと、今までだんまりを決め込んでいたゴブリンリーダーが、いっそう顔を歪め叫ぶ。
「ギャ! ギャァッ! ギャァァァ!」
すると、答えるように辺のゴブリン達が声を上げる。
「ギャギャ!」
「ギャ!」
「ギャァ!」
あらかじめ周囲に潜んでいたのか、木々の間や下草から現れたゴブリン達に、ユリとカールはあっという間に囲まれた。
カールは下唇をかみ締めながら、目の前のモンスターを睨みつける。
「俺達で遊んでやがる・・・・・・」
醜悪に歪んだ顔は、彼等にとっての愉悦の表情なのだろう。
二人を取り囲む十数匹のゴブリン達も同様に、これからの惨劇を期待して顔を歪めていた。
ゴブリンリーダーは、獲物をいたぶるようにゆっくり歩き出す。
ゴブリン達に囲まれているカールは、ユリを背後にかばいながら、その場で腰を落とす。
「ギャギャギャ!」
「ギャ!」
「ギャ!」
「ギャ!」
ゴブリンリーダーが、二人を取り囲むゴブリン達に何かを言う。
大方、手を出すなとでも命令したのだろう。
絶望的な状況に自暴自棄になりかけるカールだったが、背後にユリがいる事を思い出し、邪念を振り払い隙を逃すまいとゴブリンリーダーを睨む。
それがこっけいに映ったのか、カールの姿を見たゴブリンリーダーは、笑い声のような声を上げた後、一気に詰め寄り横なぎに棍棒を振るう。
あまりの敵の詰め寄る速度の速さに、避ける事もままならず咄嗟に短剣で受けたカールだったが、踏みとどまろうとする事も出来ずにあっけなく吹き飛び、木の幹に叩きつけられる。
「ぐはあっ!」
肺の空気が押し出され、全身の骨がバラバラになったかのような激痛が彼を襲う。
落ち行く意識の中、自分に駆け寄るユリの姿が視界に入ると、カールは激痛の中手放そうとした意識を気合でつなぎ止める。
必死の思いで、だが、周りから見れば、立つ事を覚えたばかりの赤ん坊の様なような無様な姿で立ち上がる。
周りのゴブリン達が甲高い声ではやし立てるが、彼には耳鳴りしか聞こえなかった。
左腕は肩から先が動かないが、奇跡的に手放す事だけは回避できた短剣を右腕で構える。
「・・・・・・・・・・・・、・・・・・・」
ユリがカールに何かを言った後、彼の肩に触れる。
カールにはユリの声は聞き取れなかったが、暖かい光が体を包んだと思った瞬間、体の痛みが一気に引いてゆく。
「えっ?」
石の様に動かなくなったはずの左腕を動かしながら、自分に起こった事が理解できない様子のカールに、先程の言葉をユリは再度告げる。
「神聖魔法を使いました。痛むところはありませんか?」
「君はその歳で神聖魔法が使えるのか!?」
驚きに目を見開くカール。
「冒険者ですから。それより、ゴブリン達にとって私の方が脅威だと認識されたようです。私が彼等を引き付けますから、カールさんは村に戻って助けを呼んできてくれませんか?」
「ばかを言うな! そんなこと出来る訳ないだろう!」
カールは頬を震わせながらユリの案を拒否する。
「ですが……」
尚も彼の説得を試みるユリに、カールは聞き耳持たぬ態度を貫く。
「ゴブリンにはオスしかいない。だから奴らは人間の女をさらう。冒険者だ、その位知っているだろう?」
そんな事は百も承知しているユリが明るく答える。
「はい、知っています。もしそんな事になりそうになったら、私は舌を噛み切ります。ですから、カールさんは心配しないで下さい」
「ふざけるな! そんな事、俺が許すはず無いだろう! 俺が隙を作る、ユリがその間に村へ向かえ!」
「なぜ私の言う事を聞いてくれないんですか?! それが一番生き残る確立が高いんです!」
睨み合う二人だったが、溜め息を付きながらカールが言う。
「・・・・・・ずっと頑固者と一緒にいたから、うつったんだ」
誰かを犠牲にして助かるような真似は出来ないと、短い時間だったが極限状態で一緒に過ごした二人は、お互いにそれがいやと言うほど分かっていた。
「……分かりました。でも、最後まで諦めないで下さい。カールさんがどんな傷を負っても私が癒します。そして、もしどちらかが先に倒れたら、残ったほうは必ず逃げると約束してください」
ユリの言葉を合図に、二人が同時にゴブリンリーダーを見る。
突然死に掛けた獲物が元気になった事に、気味悪がっていたゴブリンリーダーだったが、ユリの言うとおり、もったいないが女の方が先に壊したほうが良いと本能的に狙いを定めた。
ゴブリンリーダーの視線が、自分からユリに移った事を見て、カールは凄惨な笑みを口元に浮かべる。
「俺は君を助けるために命を捨てる覚悟を決めた。君は、俺の命を無駄にせず、生き続ける覚悟を決めてくれ。君の頑固がうつったんだ、俺が女の命をみすみす失わせるわけ無いだろう」
「ちょっと待って下さい! そんな事私は!」
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
カールはユリの制止の声を振り切り、腰だめに構えた短剣でゴブリンリーダーに突撃する。
いたぶっていた獲物に牙をむかれる事を想像していなかったゴブリンリーダーは、ユリに注意が向いていた事もありカールの短剣をまともに腹に受ける事になる。
「グガアアァァァァ!」
遊んでいたねずみに噛まれた猫のように、怒りの咆哮を上げる。
カールは、少しでも深く短剣が刺さるように、全身の力を入れながら吼える。
「逃げろユリ! 俺の想いを無駄にしないでくれ!」
火事場の馬鹿力なのか、体格に勝るゴブリンリーダーをカールが奇跡的に押さえ込む。
だが、モンスターとは底力が違う。
いつまでも押さえられない事を悟っているカールは、振り返りもせずに叫ぶ。
「頼むユリ! いつまでも押さえられない! 俺を、女の命を守れないような、情けない男にしないでくれ!」
必死にゴブリンリーダーにしがみ付いていたカールだったが、終に力負けして振り払われる。
地面に叩きつけられたカールの口に、血と土の味が広がる。
口元を拭うと、執拗にユリを狙おうとするゴブリンリーダーに再びつかみ掛かる。
何とかユリから気を逸らさなければならない。
カールは敵の腹に刺さったままの短剣を拳で殴りつける。
「グアァァァ!」
新たな痛みに逆上したゴブリンリーダーは、カールを殴りつける。
吹き飛ばされ地面を転がるカールは、敵の目が自分に向いた事を確信し、悲鳴を上げる体に鞭打ち、地面を這いながら森の奥へと向かう。
心の中でユリに逃げてくれと叫びながら。
だが、彼の命をとした行動も、目の前に立ちふさがり棍棒を振り上げたゴブリンリーダーによって終わりを告げようとする。
(ここで俺の人生も終わるのか・・・・・・)
すでにチェックメイトとなっている事を確信しながらも、ユリと約束した『最後まで諦めない』という約束を守ろうと、傍らに落ちた石を拾い上げ、巨大な敵に投げつける。
残った最後の体力を使い果たし、ユリみたいな女の子を守るために死ぬのなら、俺のやった事にも意味があったのかと、万感の想いを込めながら石の軌跡を目で追う。
それは、ゴブリンリーダーの頭に直撃し、ざまあ見ろと最後に笑ってやる。
激昂すると思われたゴブリンリーダーだが、虚ろな瞳でゆっくりと棍棒を下げる。
敵の意図が分からずにカールが見つめる中、突然脱力してその場に崩れ落ちた。
カール、そしてゴブリン達も突然の事に凍り付いていると、ただ一人、ユリがカールの元へ駆けつけ神聖魔法を唱える。
「逃げなかったのか?」
あきれた表情をするカールに、ユリは周囲に気を配りながらも、苦笑する。
「あの位で私に言う事を聞かせられるとは思わないで下さい。だって、頑固さでは私はカールさんの師匠なんですよ」
笑いをかみ殺しながらカールが言う。
「違いない。だが、囲まれている事には変わらない。どうする?」
「見ていてください」
ユリは立ち上がると、辺りを取り囲むゴブリンを一喝する。
「退きなさい! 道を空けないのなら、相応の覚悟をして下さい!」
言葉は分からないゴブリン達だったが、自分達のリーダーを倒した二人にしり込みしたように徐々にあとずさる。
「さあ、ゴブリン達が混乱している今のうちに!」
手を引くユリに引かれる様に、カールはゴブリン達の間をすり抜け森の外へ向かう。
焦らず、怯えず大またで歩く事数分。
生きた心地のしない時間を過ごし、二人は森の外へ出た。
一息つきたい所だったが、安全な場所にでるまで歯を食いしばり走る。
二人の視界に村の灯りが見えた所で徐々に歩調を緩め、感慨深くつぶやくカール。
「助かった・・・・・・」
後ろを振り返り、共に生還した仲間に労いの言葉を掛けようとするが、気付けばユリの表情が土気色をしている。
「大丈夫か?!」
カールが駆け寄り言葉を掛けた瞬間、ユリは糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。