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旅の準備を終えたクラン達は追われる様にルイザの街を後にした。
もちろんクリスが急かしたのには間違いないが、旅に出てからの彼女といえば……
「は~」
この日何度目かの溜め息を付いていた。
「クリス、いい加減にその辛気臭い顔を何とかしたらどうだ?」
旅に出てからというもの、日に日に増える彼女の嘆息に流石のレナも苦言を口にする。
「だってしょうがないじゃない。元はと言えば、“魔女”のいる場所が首都の先だったら、その前に首都に寄ろうと言い出したのはレナじゃない」
「そうれはそうだが、お前は首都による事が嫌なんじゃなくて、フォーク伯爵に会うのが嫌なんだろう?」
「首都に行くなら顔を出さない訳には行かないでしょう。仮にも上官なんだから」
「だったら諦めろ」
「諦めてるわよ。は~」
再度溜め息を付くクリスを見て、クランがグレックに尋ねる。
「フォーク伯爵の事、クリスさんは苦手なんですか?」
「はい。今、フォーク伯爵は自分の領地はご子息のベルク子爵に任せ、首都で政務に励んでいるのですが、クリス様に自分の下で仕事をしないかとしきりに打診されています。それがクリス様には煙たいのです」
「そうですか、それでフォーク伯爵に帝国の施設の事を報告するのをあれほど嫌がっていたんですね」
「そうです。クリス様は危険を顧みずに走り出す所があります。それをフォーク伯爵は危惧されているのです」
「グレックさんも大変ですね」
クランの言葉に、彼は曖昧に笑って答える。
「な~にこそこそ話してるの? クランさん」
突然クリスに矛先を向けられたクランは、機嫌の悪い彼女に聞きとがめられたかと思い冷や汗をかく。
「なんでもないです」
不躾な視線を向けながら、クリスが口を開く。
「随分リラックスしてるわね、リュートなんか持って来ちゃって。仕事だって事忘れないでよ」
クランがこくこく頷くと、クリスは鼻を鳴らして再度レナに愚痴りだす。
何とか彼女の魔手から逃れたクランは黙々と歩を進める事にした。
グランデル公国の首都が見える場所まで来ると、ユリとイヴはその大きさに圧倒される。
ルイザの街の人口は三万人程度だが、こちらは首都ということもあり人口は十万を軽く超えており、それに比例して防壁も高く厚い。
行き交う人々も、積荷を満載し護衛と思われる冒険者を引き連れた馬車や、依頼を果たし街に戻ろうとする冒険者など、人通りも多くなってきた。
無愛想な門番の前を通過し街の中へ入ると、そこは石畳が敷き詰められ、定期的に手入れされているだろう小奇麗な木造の家々がクラン達を出迎えた。
先頭を歩くクリスに連れられ街中を進むと、段々石作りの建物が増え人通りも多くなる。
「じゃあ、後はグレックに宿まで案内してもらいなさい。わたしは伯爵の屋敷に挨拶に行ってくるから」
憂鬱そうに言うクリスに、クランが提案する。
「僕達も一緒に行った方が良いんじゃないですか? その方が首都に突然来た事を怪しまれないんじゃないでしょうか?」
「そうかしら?」
彼の言葉に食いつくクリス。
「領主ですから、エリム村の事はもちろん知っているでしょうし、その後、僕達がドワーフ達のところに言った事も知っていますよね。それで突然首都に現れたとなれば、何かしようとしていると感付かれるかもしれません。それより、仕事の報酬として、首都に遊びに来たと言った方が怪しまれないかと思いまして。それにこれだけぞろぞろ連れ立っていけば、早く開放されるかもしれませんよ」
考え込むクリス。
どうせこの街に入った時点で、門を見張っている密偵を通じてフォーク伯爵に自分達の事が伝わっているはず。
だったら、クランの話に乗っても同じ事だと結論付ける。
決して、彼の言った早く開放されるという誘惑に負けた訳ではない。
「いいわ、皆で行きましょうか。貴族の住む場所を見るのも、何かの役に立つでしょう」
そう理由を付けることにした。
皆で街の中心部に進むにつれ、今度は徐々に人通りが少なくなり、すれ違うのは馬車ばかりとなる。
しかも豪華に装飾されえているため、イヴなどは知らずに目で追っていた。
「あまりじろじろ見ないようにしなさい。難癖付けられても知らないわよ」
クリスの言葉にイヴは辺りを見回すのをやめ、クランの影に隠れるように歩く。
その姿に、クリスは呆れたように言う。
「さりげなく観察しなさいって言ってるの。じゃなきゃ、何の為にこんな大人数でぞろぞろ歩いているか分からないでしょ」
すっかり気後れしたイヴがこくこく頷く。
「まあいいわ、着いたわよ」
そう言ってクリスが立ち止まった先には、辺りの屋敷と比べても一際大きな石造り建物が、石造りの塀に守られるように建っていた。
門扉を二人で守っている門番に、クリスが一言二言告げると、一人が建物へ向かう。
しばらく待っていると、門番が急ぎ足で戻ってきて、門を開ける。
「どうぞクリス様、旦那様がお待ちです」
慇懃に頭を下げる門番に、鷹揚に頷いた後クリスは歩き出す。
「ちっ、伯爵暇だったみたいね」
クリスは聞きとがめられぬよう小さく呟きながら、手入れされた広大な庭園を進む。
屋敷の前まで辿り着き、大きな扉をノックすると、扉を開きながら執事が恭しく出迎える。
大理石の敷き詰められた廊下を、彼に案内され大きな応接間に通される。
「少々お待ちください」
執事が退出すると、壁際に置かれている調度品や、家具を興味深そうに見つめるクランに、クリスが釘を刺す。
「壊したら、あなたじゃ弁償しきれないわよ。注意しなさい」
彼女の忠告にクランは伸ばしそうになっていた手を引っ込める。
ユリとイヴが居心地悪そうにしていると、徐に扉が開かれる。
「良く着たな、クリス!」
そこには、突然の来訪にも気分を害する事無く、笑顔でクリスを出迎えるフォーク伯爵がいた。
「突然の来訪、大変失礼いたしました」
クリスが膝を折り挨拶しようとすると、伯爵はそれを制止する。
「堅苦しい挨拶は不要だ。今日は遠いところまでご苦労だった、クリス。グレックも良く来てくれた。それに、始めて見る顔ぶれがいるようだが」
伯爵がレナ達に視線を向ける。
「今、わたしの任務に手を貸して貰っている冒険者です」
クリスが一人一人順番に紹介してゆく。
「フォーク伯爵もご存知だと思いますが、“剣姫”の二つ名を持つレナです」
「お目にかかれて光栄です。フォーク伯爵」
片膝を立て挨拶するレナ。
「おお! 凛々しい姿と、美しい顔立ち。噂に違わぬ“剣姫”に会えて嬉しく思う。クリスの仲間なら、私の仲間でもある。遠慮は無用だ、楽にして欲しい」
クリスは次にイヴを見る。
「“魔人の使役者”と“風を司る者”の子、イヴです。両親と同じように精霊魔法を使い、四大精霊全てを使役する力を持ちます」
イヴはレナの真似をし、笑顔で挨拶しようとするが、その表情は緊張で強張っていた。
「なんと! “魔人の使役者”、“風を司る者”、どちらも高名な精霊使いではないか! その上、その子は四大精霊全て使役出来るとは……。いずれ両親を超えるほどの冒険者になるだろう。そなたも自分の家だと思ってくつろいで欲しい」
クリスは続いてユリの隣に立つ。
「先日、エリム村で黒骸騎士団に襲われ、窮地に陥りながらも生き残り、わたし達に力を貸してくれているユリです」
宿屋で生まれ育ったユリは、つつがなく挨拶する。
「エリム村の事は真に残念だった。私がもっと早く帝国の計画に早く気付いていれば、防げたのかもしれない。領主である私の力不足を痛感する。何か困った事が有ったら遠慮なく言ってくれ、可能な限り力になろう」
クリスは最後にクラン紹介した。
「先日、迷いの森の帝国施設に潜入した際、行方不明になりつつも無事帰還したクランです。レナと同じく、この中で一番長く協力してもらっています」
「これからもクリスの力になって欲しい」
クランに声を掛けたフォークは、クリスに向き直る。
「今日はすばらしい日だ。クリスだけではなく、新しい友人が増えた。そうだ、ここまで来る途中の旅の話を、食事でもしながら聞かせてくれないか?」
さり気なく旅の目的を聞き出そうとするフォークに、クリスは旅の疲れがあるからと、やんわり断ろうとするが、結局伯爵の押しの強さに負け、一緒に食事を取る事にした。