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クランとイヴは無言で向き合っていた。
先程までの慌てていた様な気配は鳴りを潜め、クランはレムリアース王国で見た戦士としての表情を浮かべている。
実戦さながらの様相を呈してきた事に、イヴは緊張で口の中がからからに乾き、心音がうるさい位に耳に届いていた。
クランは彼女が動くのをじっと待つ。
イヴは大きく息を吐くと、木剣を前方に突き出し精霊への呼びかけを開始する。
クランはイヴの詠唱を確認すると彼女との距離を詰めに走り出す。
一方のイヴも、彼との距離を保つ為に動き出す。
そうする間にも精霊魔法は完成し、“石つぶて”がクランを襲う。
それは、先程までの彼を気遣った土の塊ではなく、小ぶりな石だった。
クランはそれを地面から打ち出される瞬間に察知し、横のステップで避ける。
しかし、イヴの魔法も先程までと違い、二詠唱を要するものではなく、一詠唱で済むため、矢継ぎ早に放ち続ける。
クランは避けるのに手間取り、彼女との距離を縮めきれないでいた。
だが、いくらクランの接近を阻んだところで、決定打を与えられない以上、このままではイヴの魔力切れにより勝負は決着するだろう。
それが分かっているイヴは、集中力を上げ更に“石つぶて”の発動速度を上げる。
「すごいわね」
レナの隣でクリスが思わず呟く。
今までのイヴの事を下卑するようなニュアンスは無く、ただ自然に心からこぼれた言葉だった。
「そうだな、あれほど濃密な攻撃を精霊魔法で行える者はそうはいないだろう」
レナも素直に感心する。
やはり、二つ名を持つ精霊使いの娘だ。
彼女の持っている才能は並外れている。
「でも、クランさんもイヴさんの精霊魔法を全部避けています」
ユリがいった事に、レナとクリスは曖昧に頷く。
普通、魔法を用いる敵と戦う場合、一番良いのは相手の攻撃に対してカウンターマジックなどの対抗手段を取る事だ。
それが出来ないレナやクリスなどの、戦士や密偵などの職業に分類される人間は、自分の中の魔力を活性化させ対抗する。
相手の魔力より自分の魔力が勝れば、威力を減少させる事が出来るからだ。
クリスが先日イヴと戦った際、精霊魔法を使う彼女との距離を縮める事を選んだのは、数発の“石つぶて”ならば耐える事が出来ると判断したゆえだった。
だが、これまで訓練を積み、戦いの身のこなしを有る程度身に付けた今のイヴを相手にしたら、あの時の様な無茶は出来ないだろう。
きっと、イヴに辿り着く前に足を止められるはずだ。
ならば、急所を庇いながら少しずつ近づくか、相手の魔力切れを待つ。
それが現状取りえる有効的な手段になるだろう。
魔法を使う者に距離を取られるというのは、接近戦でしか戦えない者たちにとって、それだけ大きなハンデになる。
しかし、鎧を身に着けていない事も有るだろうが、魔法を避けようとするバカがいる。
それも、死角である足元からの攻撃を、だ。
正直、クラン以外取る者はいないであろう対策に、レナもクリスもユリに何と答えたらよいか分からなかったのだ。
ただ、クラン手段はともあれ、そのままではイヴのジリ貧は間違いなかった。
もちろん彼女もそれを分かっているからこそ、多くの魔力を費やし、息つく間もなく連続して精霊魔法を唱えたのだ。
「クランさんの足が止まったわね」
クリスの呟きの通り、イヴの攻撃魔法を避けるためにクランはその場に釘付けになっていた。
「仕掛けるなら今か」
続くレナの言葉の通り、クランとの距離を十分稼いだイヴは新たな精霊魔法の詠唱を開始する。
すべての“石つぶて”を避けたクランが距離を詰めようと走り出すと、丁度その時詠唱を終えたイヴが、右掌を地面に叩きつける。
瞬間、クランを中心として半径二メートルの範囲の地面から、尖った岩が突き出す。
「“岩槍”か!」
話には聞いていたが、はじめて見る土の中級魔法に思わずレナが声を上げる。
だが、驚きの声はクリスからも上がる事になる。
「あれを避けたの!?」
“岩槍”が発動する瞬間、地面を蹴り空中に身を躍らせるクラン。
広範囲に渡る魔法を信じられない避け方をする。
正直、クランの攻撃を避ける才能を認めていた二人ですら、唖然とした表情を浮かべていた。
しかし、この場で彼の行動を一人だけ予想している人物がいた。
イヴはすでに次の魔法を唱えていたのだ。
彼女が横なぎに腕を払うと、かまいたちが発生しクランを襲う。
(当たる!)
確信するイヴ。
しかし、クランは傍にある“岩槍”を蹴ると空中で姿勢を変え、紙一重で“風の刃”を避け片膝立てで地面に着地する。
誰もが言葉を発せずに彼を見ていると、クランはゆっくり立ち上がる。
自分の立てた脚本通りに進みながら、それを見事に突破し目の前に立つクランをイヴは絶望的な表情で見つめる。
クリスとレナも、一瞬前まで彼女が掴んだと思った勝利がするりと零れ落ちた事を信じられずにいた。
たとえ、彼女たち以外にこの場に誰かいたとしても、同じ思いをしただろう。
それほどまでに、クランの避け方は人間離れをしていた。
「まるで、羽が生えているみたいですね……」
口からこぼれ落ちたユリの言葉は、この場にいる人間すべての印象を言い当てていた。
もう勝負は付いた。
戦いの流れと、イヴの残されたであろう魔力。
そして、信じられない事に無傷で佇むクランの様子から、レナが決着を告げようとする。
その時、悲壮感漂うイヴが更なる精霊語を口にする。
「まだやるの?」
クリスが感心したのか、呆れたのか、感じた事をそのまま口から出す。
自分でも決して諦めの良いほうだとは思っていないレナですら、これ以上戦ってもイヴの勝機は無い、そう思えるほど今日のクランは神懸かっていた。
必死に精霊魔法を唱えるイヴ、一方のクランはじっとその場に立ち、限界まで自分の力を引き出そうとする彼女を見ていた。
イヴは掌を組み、きつく目を瞑りながら最後の言葉を口にする。
しかし、何も起こらなかった。
イヴは悲しそうな表情を浮かべた後、膝から崩れ落ちる。
魔力の限界を超え、自身の生命力まで精霊に与えようとして意識を失ったイヴが地面に叩きつけられようとした瞬間、必死の表情のクリスがすべり込み彼女を抱きかかえる。
「本当に意地っ張りね。こんなになるまで無茶するなんて」
イヴの青白い顔を見ながらクリスがやさしく話しかける。
「あなた、このまま成長すれば、きっと名前を残す冒険者になるわよ。四大精霊全てが力を貸してくれる精霊使いなんて、歴史上何人いたと思っているのよ。それに、今日の戦い方だって見事だったわ。相手が悪すぎただけ。魔法避けようなんてバカは、世界中探してもあそこで突っ立ってるバカだけよ。本当に良くやったわよ、イヴさん」
イヴが気を失っているからか、素直に彼女をほめるクリス。
レナが二人を見守っていると、一番にイヴに駆け寄ってもよさそうなユリが一点を見つめている事に気付く。
「ユリ、イヴに神聖魔法を……」
珍しくユリが人の話を遮って自分の見ている方を指差す。
「あれはなんでしょう?」
ユリのただならぬ様子に、レナは口を閉じると彼女と同じ方角を向く。
そこには小高く盛り上がった、山というには若干小ぶりな丘陵が見えた。
「ただの丘じゃないのかい?」
おかしなことを聞くと、怪訝そうな顔をしながら答えるレナにユリは震える声で答える。
「あんな所に丘はありませんでした」
「確かにあそこに丘は無かったわね」
密偵らしく、この辺りの地形が頭に入っているクリスがユリの言葉に同調する。
「だが、丘以外に何が……」
レナが話している途中、丘と目が合う。
息を呑む三人。
丘が二つの目でじっとこちらを見ている。
余りにも大きな物のため、大地の一部としか見えなかったが、クリスが腕の中の少女を見て想像する。
「……ベヒモス?」
二人は震える声を発したクリスを見た後、改めて目の付いた丘を観察する。
よく見ると、目の下に鼻と閉じられた口がある。
更に下を良く見ると、四本の足があった。
体は茶色く、この辺りの草原とは一線を画していた。
そして、いくつもの皺のある体は、それこそ丘と見紛うばかりに大きかった。
だが、見るものに与えるのは威圧感ではなく、澄んだ瞳は見るものに安心感を与えた。
それはしばらくイヴのいる場所を見ていたかと思うと、徐々に姿を薄くし、最後には何も無かったかのように消えていった。
しばらく放心したように見ていた三人だったが、レナがそっと呟く。
「本当にベヒモスだったのかな?」
彼女の言葉で我に返ったクリスは、冷静に答える。
「イヴさんが目を覚ましたら聞いてみましょ。それより早く街へ戻るわよ。あれを見て騒ぎになってるかもしれないし。あまり目立ったらまずいでしょ、わたし達」
ユリは彼女の言葉に従うべく、即座にイヴの魔力を回復させる神聖魔法を唱え出す。
その間、クリスは黙って立っているクランに声を掛けた。
「クランさん、あんなの見て驚いたのは分かるけど、ユリさんが魔法を使ったらすぐ街に戻るわよ。ちょっと、聞いてるの?」
クランから返事が無い事にだんだんいらだつクリス。
それを見ていたレナがクランに近づき彼に話しかけた後、クリスに振り返る。
「気絶してるみたいだよ」
イヴに神聖魔法を唱え終え、クランに走り寄るユリを横目にクリスは小さく舌打ちする。
「使えないわね。さっきまでのは何だったのよ」
レナもただ肩をすくめるだけだった。