105
早朝に起床し、日課の訓練を済ませたクランはルイザの街の外へ向かうと、いつもユリとイヴが訓練していた場所に腕を組んで立っているクリスに話しかけた。
「クリスさん、お早うございます」
「あら、クランさん。良くここにいるのが分かったわね」
誰かが近づいてくる気配を感じてはいただろうが、驚いた表情を作ってクリスが答える。
「アジトの方に行ったら誰もいなかったんで、ここかと思いまして」
「そう、無駄足は踏んだのね。昨日の夜皆で食事に行ったら、突然あの子達が明日からまた鍛えて欲しいって言い出して、朝早くから起きる羽目になったのよ」
「そうなんですか、今二人は?」
「走りに行ってるわよ。それより、それは何?」
街の住人が着る様な軽装に、腰に吊るした剣。
そこまでは普段通りだが、背中に背負っていた物をクリスが指差す。
「リュートギター? です。イヴさんがエリム村で僕が放り出したのを拾っていてくれたんです」
「なんで疑問系なのか分からないけど、どうするの、そんな物?」
「弾くに決まってるじゃないですか、格闘技にはリズム感が大事らしいですし……」
言葉に詰まるクランにクリスは続きを促す。
「あとは?」
「なんか急に昔を思い出して弾きたくなりました。今までも何となく一人で弾いていた事はあったんですけど」
「ふーん、まあ、好きにしなさい。でも、耳障りだったらやめさせるわよ」
「がんばります」
クランは答えると、地面に座りリュートギターを奏でだす。
一人で弾いていたと言ったとおり、まずまずの曲を弾く事が出来た。
聞きなれない曲だったが、クリスは二人が戻ってくる間黙って耳を傾ける。
なにより、クランのからいつも感じていた、張り詰めたようなものが薄れ、歳相応の表情を浮かべている事に驚く。
いつの間にか現れたレナも、彼の演奏を邪魔しないようにクリスと一緒に静聴する。
切のいい所で演奏を切り上げるとクランは顔を上げる。
「お早うございます、レナさん」
「お早う、クラン」
クランの邪魔をしない様に、彼がリュートギターを奏でているのが見えてから、気配を抑えて近づいたのに簡単に気付かれていた事にレナが苦笑する。
「無駄だったみたいね」
クリスがレナの努力が水泡に帰したことを口にするが、レナは首を振る。
「そうでもないさ」
クランの無邪気な表情を見れた事に、彼女はそう答えた。
レナが何の事に対して言ったのかを察したクリスは、彼女に笑顔を返すと視線を遠くに向ける。
「二人が戻ったら、彼女達にも聞かせてあげなさい」
クリスから掛けられた言葉に、自分の演奏が一応の合格点をもらえたとクランは再び弦を爪弾く。
しばらくすると、地面を蹴る二つの足音が徐々に近づいてきた。
「お早うございます。クランさん」
「クラン、おはよ」
弾む息で挨拶する二人にクランが笑顔を向ける。
「お早うございます。イヴさん、ユリさん。今日から訓練なんて、頑張ってるね」
「今出来る事はこの位しかないから」
答えるイヴ。
秘められた思いに気付かないふりをしながらクランが答える。
「一休みしたら武器を使った訓練をしようか。それまで下手な曲でも聴いていて」
二人は頷くとその場に腰を下ろす。
クランの奏でる曲に耳をすませながら。
しばらくリュートギターを弾いていたクランは、二人の息が整ったところで立ち上がる。
「もういいかな?」
珍しく浮かべていた彼の柔らかい表情に未練を感じつつイヴが答える。
「もう平気! あと、お願いがあるんだけど、今日は武器を持たずに素手で相手をしてくれないかな?」
イヴの言葉を聞きとがめたクリスが口を挟む。
「なに無茶言ってるの? 武器を持たずに戦えるわけ無いでしょ」
だが、イヴはクリスに反論する。
「でも、クランはレムリアースで素手だったけど、騎士団長をやっつけたんだから。その位のハンデ貰わないと、あたしじゃクランと戦いにすらならないと思うから」
「本当かい?」
レナが目を見開きクランを見る。
「本当だよ! 足の封印が解けたクランは、すごく強いんだから!」
レナに反対されると思ったイヴは、咄嗟に思い出した彼の言葉を口にする。
「何だい? 足の封印って?」
不思議そうな顔でレナが尋ねると、クランは顔を赤くしながら答える。
「勢いと言うか、威嚇と言うか、余り深く考えないで下さい」
「?」
クランの言う事の意味が分からないレナは首を傾げる。
「まあいいじゃないですか」
誤魔化そうとするクランを見ながら、クリスがいやらしい笑みを浮かべる。
「封印されていた力が有るのよね、クランさんには」
「何で知ってるんですか!?」
今度はクランが驚く番だった。
「まあ、蛇の道は蛇ってね。結構噂になってたみたいね、あっちでは」
「っ!」
言葉にならないクランの声に、クリスは満足そうにする。
「まあいいわ。ぼんくらでも騎士団長を倒したんでしょ。素手でどう戦ったか見せてみなさい」
やる気をガリガリ削られ、クランはとぼとぼとその場所から離れた。