第六十二話 白い地下を抜けたあと
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その地下が「途中」に見える。
終点じゃない。
閉じた場所でもない。
何かへ通じている。
風の通り道みたいに。
昔の自分は、多分。
答えへ辿り着こうとしていた。
完成へ。
本質へ。
最後の場所へ。
そうやって、ずっと「到達」を考えていた。
でも今は違う。
人は、多分。
辿り着くために生きているんじゃない。
通すために、生きている。
風を。
呼吸を。
感謝を。
沈黙を。
少しずつ身体へ通しながら、歩いている。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その一瞬だけ、地下の向こう側が少し開く気がした。
その感じが、妙に好きだった。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は、止まっていない。
静かに、何かが流れている。
見えない空みたいに。
「最近、自然ですね」
女の子が、小さく言う。
「自然?」
「前みたいに、頑張ってない」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
前みたいに、頑張ってない。
多分。
昔の自分は、ずっと力んでいた。
全部を掴もうとしていた。
全部を理解しようとしていた。
でも。
風は、掴めない。
呼吸も、止められない。
ただ。
通る。
少し身体を抜ける。
少し、誰かと重なる。
その感じだけが、静かに残る。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、向こう側へ通じている場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと出口なんて無かったのかもしれない。
最初から、全部途中だった。
白い風のあと。
氷の音のあと。
沈黙のあと。
その小さい余白の向こうへ、静かに空が続いている。
人は、その見えない続きへ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに深く息を吸う。
呼吸が、胸の奥まで静かに落ちていく。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




