婚約破棄された公爵令嬢は裏切りの罪を断罪し、隣国の王太子に溺愛されながらすべてを奪い返す
――それは、あまりにも一方的な断罪だった。
「レティシア・アルヴェーン。お前との婚約は、ここで破棄する」
王宮の大広間。煌びやかな夜会の最中で、第一王子であるエドガーは高らかに宣言した。
ざわり、と空気が揺れる。
けれど私は――レティシアは、微動だにしなかった。
「……理由を、お聞かせ願えますか?」
静かに問いかけると、エドガーは嘲笑を浮かべる。
「とぼけるな。お前は嫉妬に狂い、無実の令嬢を陥れた悪女だ」
彼の腕には、一人の女が寄り添っていた。
金の髪を揺らし、怯えたような瞳を演じるその女――ミレーヌ・フォルクス。
彼女こそ、すべての元凶だった。
「レティシア様に、酷いことをされました……っ」
震える声。だがその目の奥には、明確な悪意があった。
……やはり、そういう筋書きですのね。
「証拠は?」
「あるに決まっている!」
エドガーは侍従に命じ、書状を掲げさせた。
そこには、私がミレーヌを陥れるよう命じたとされる偽の証言が並んでいた。
……粗雑な偽造。
けれど、彼はそれを信じている。
いや、違う。
信じている“ふり”をしているのだ。
なぜなら――
(あなたは、もう彼女と関係を持っている)
視線を向けると、エドガーはわずかに顔を歪めた。
図星なのだろう。
「弁明は終わりか? 見苦しいぞ、レティシア」
「いいえ」
私は、ゆっくりと首を横に振る。
「弁明など、最初からするつもりはありません」
「なに……?」
「その婚約破棄、喜んでお受けいたしますわ」
場が、凍りついた。
誰もが、私が泣き崩れるとでも思っていたのだろう。
けれど――
「むしろ、感謝いたします。裏切り者と結婚せずに済むのですから」
「……っ!」
エドガーの顔が、怒りに歪む。
「無礼な……!」
「無礼? どちらが、ですの?」
私は一歩、前に出る。
「婚約者がいながら、他の女と関係を持つ。これを不義と言わずして、何と言うのかしら」
「で、でたらめを言うな!」
「でたらめ?」
私は微笑んだ。
そして、静かに告げる。
「では、その女とあなたが昨夜同じ部屋にいたことも、でたらめですの?」
ざわり、と再び空気が揺れる。
ミレーヌの顔が、青ざめた。
「な、なぜそれを……」
「見ていた者がいるからですわ」
もちろん、実際には“見ていない”。
だが、二人の様子からして確信はあった。
そして――
「証拠も、ございます」
私は小さな水晶を取り出した。
それは、記録魔法が込められた道具。
映し出されたのは、密かに逢瀬を重ねる二人の姿だった。
「なっ……!?」
「そ、それは……!」
狼狽する二人。
観衆の視線は、一斉に彼らへと向けられた。
「さて、どちらが悪なのでしょう?」
私は静かに問いかける。
沈黙。
そして――
「……っ、き、貴様!」
エドガーは逆上した。
「こんなものは偽物だ! 衛兵、この女を捕らえろ!」
――来た。
最後の悪あがき。
その瞬間だった。
「その必要はない」
低く、よく通る声が響いた。
場の空気が、一変する。
振り返れば、そこには一人の男。
銀の髪、蒼い瞳。威圧感すら漂わせる存在感。
隣国の王太子――アレス・ヴァルディア。
「アレス殿下……なぜここに……」
「視察だ。……そして、くだらぬ茶番を見物にな」
彼はゆっくりと歩み寄り、私の隣に立つ。
「彼女は我が国の保護対象だ。手出しは許さん」
「なっ……!?」
「正式に言おう。レティシア嬢を、我が国へ迎えたい」
その言葉に、場は騒然となった。
「なぜ、そこまで……!」
「簡単だ」
アレスは、私を見つめる。
「彼女は価値ある存在だからだ」
その瞳には、揺るぎない意志があった。
……なるほど。
この方は、最初からすべて見抜いていたのね。
「レティシア嬢。どうする?」
問われ、私は一瞬だけ考える。
そして――
「お受けいたします」
そう答えた。
もう、この国に未練はない。
裏切り者と、愚か者しかいない場所など。
「決まりだな」
アレスは微かに笑う。
その笑みは、どこか愉快そうだった。
「では、行こう。復讐の続きをするのだろう?」
……やはり、この方は分かっている。
私が終わらせるつもりがないことを。
「ええ、もちろん」
私は微笑む。
「すべて、奪い返しますわ」
その後――
エドガーとミレーヌは、不義の罪と虚偽の告発により地位を失った。
貴族社会から追放され、名もなき者として落ちていく。
誰も、彼らを救おうとはしなかった。
当然だ。
彼らは、自らの手で信頼を踏み躙ったのだから。
一方で――
「今日も美しいな、レティシア」
「……毎日言わなくて結構です」
「いや、事実だからな」
「うるさいですわ」
私はため息をつく。
ここは隣国ヴァルディア。
私は今、王太子妃として迎えられ――
「ところで、今日は抱きしめてもいいか?」
「ダメです」
「ではキスは?」
「論外です」
「手くらいは?」
「それは……まあ」
「やった」
「喜びすぎですわ!?」
……なぜか、こんな生活を送っている。
復讐は終わった。
すべては清算された。
なのに――
「レティシア」
ふいに、真剣な声。
「これからは、俺が守る」
その言葉は、真っ直ぐで。
嘘など一つもなかった。
「……今さらですわ」
そう言いながらも、私はその手を握り返す。
「もう、守られてあげてもいいですけれど」
「なら、ずっと離さない」
「重いですわね……」
けれど、不思議と嫌ではなかった。
これはきっと――
溺愛という名の、優しい檻。
そして私は、もうそれを拒む理由を持たない。
――復讐の果てに手に入れたものは、思ったよりも温かいものだった。
◆ ◆ ◆ ◆
――ある日の朝。
「レティシア、起きているか?」
「起きてますわ。というか、さっきからずっと見てましたわよね?」
「バレたか」
「バレますわよ!? なんですのその距離!」
目を開けた瞬間、至近距離に夫の顔があるとか心臓に悪すぎる。
「いや、寝顔があまりにも可愛くてな」
「はいはい、朝から虚言ありがとうございます」
「事実だ」
「真顔で言うな!!」
この男、朝からフルスロットルである。
「ところでレティシア」
「なんですの」
「今日は一日中一緒にいよう」
「いつもですわよね?」
「いや、今日は特別に四六時中だ」
「違いが分かりませんわ!」
――朝食の席。
「ほら、レティシア。あーん」
「自分で食べられますわ!」
「夫婦のスキンシップだ」
「公務中ですわよね!?」
「問題ない。皆、見ているだけだ」
見ている。めちゃくちゃ見ている。
侍女も側近も、なぜか温かい目で見守っている。
「慣れてくださいませ、王太子妃様」
「慣れるか!!」
「では私が慣れる努力を」
「やめなさい!!」
――執務室。
「レティシア」
「今度は何ですの」
「書類にサインをしたら褒めてほしい」
「子供ですの!?」
「いいや、夫だ」
「どっちにしてもダメですわ!」
「では頑張れのキスを」
「頑張れの方向性がおかしい!!」
この国、大丈夫かしら。
本気で不安になってきた。
――午後の庭園。
「レティシア、手を繋ごう」
「今も繋いでますわよね?」
「もう片方もだ」
「腕が足りませんわ!」
「では抱き上げるしかないな」
「短絡的すぎますわね!?」
ひょいっと持ち上げられる。
「ちょっと!! 降ろしなさい!」
「嫌だ」
「即答!?」
「落としたくないからな」
「言い方がずるい!!」
ずるい。ずるいけど――
ちょっとだけ、嬉しいのが腹立たしい。
――夜、寝室。
「レティシア」
「なんですの」
「今日も一日可愛かった」
「総括がそれだけ!?」
「十分だろう?」
「情報量が少なすぎますわ!」
「では追加で」
ぎゅっと抱き寄せられる。
「お前がいないと、生きていけない」
「……重いですわね」
「だが事実だ」
「……」
こういう時だけ、真面目な顔をする。
だから困る。
「……仕方ありませんわね」
「お?」
「その代わり――」
私は彼の頬を軽くつねる。
「明日はもう少しまともに働きなさい」
「努力はする」
「“は”じゃない!!」
――結論。
復讐を終えた元悪役令嬢は、
なぜかとんでもないボケ王子に捕まり、
毎日ツッコミに忙殺されている。
……けれど。
「レティシア、愛している」
「……はいはい、私もですわ」
こんな日々も、悪くないと思ってしまう自分がいるのだから――
たぶん、私はもう手遅れなのだろう。




