2.レストランにて
「バートン」
「はい」
「……レストランでは、空いている席で食事をしてくれ。相手に気づかれないように、だが、私の見える場所にいてほしい」
支度を手伝ってもらいながら弱音を吐くと、バートンの手が一瞬止まった。
声が震えてしまったからだろうか。
いくら見た目が美少年で男装だと他人に言われても、相手は十七の女性だ。
今まで無理だったものが急に大丈夫になるとは思えず、非常に不安がある。
だが、もしも。
もしも、女性と一緒に食事が出来るなら。
少しの期待があるのは、事実だ。
ほんの少し、本当に、粒ほどの期待だ。
とても複雑で、不安で、ざわざわとして、なんだかとても落ち着かない気分になる。
バートンは幼い時からずっとついてくれている私付きの従者であり、父上や母上よりもっと近しい存在だ。
メイドに襲われかけた時も、媚薬を盛られた時も、毒を盛られそうになった時も、助けてくれたのはバートンだった。
時に私を叱り、勇気づけ、ずっとこの身を見守ってくれている。
一番の相談相手であり、一番の理解者でもあった。
「万が一があったら、私を連れ出してくれ」
「畏まりました」
普段よりもめかし込んだスーツに身を包み、髪を整えられる。
足が重い。
馬車に乗り込んでも、気分は優れるどころかより重くなっていくだけだった。
目的のレストランに近づくにつれて、より気分が悪くなってくる。
心なしか、視界さえもだんだんと暗くなっていくような気がしてきた。
「ブルーノ様、大丈夫ですか?」
「……あまり大丈夫ではないが、全く期待がないわけじゃないんだ。だからこそ、不安だ」
「お時間ぎりぎりに参りましょう。一度お会いして、もしも駄目なら無理に着席せずその場をお離れ下さい。後のことは私にお任せください」
「ああ。頼りにしている」
バートンの声に、思わず安堵し、深くため息を吐く。
後がないだとか、そのまま決めてしまいなさいだとか言われたが、最後に決めるのは私だ。
父上も母上も、その権限で私に断わりを入れることなく、決めてしまうことも出来たのだ。
それをせず、人目のつく昼間のレストランでの食事をセッティングされた。
逃げたっていいと、バートンに言われてから気がついた。
選択肢を渡されたことが、今の私の心に少しだけ余裕を与えてくれた。
店内に足を踏み入れると、一瞬店内がシン……と静まる。
こういうことは初めてではない、良くあることだ。
だが、その時間も一瞬のこと、すぐさま時が流れだす。
それに、今日は不躾な視線もねっとりとした女性特有の視線もない上に、香水の嫌な香りがしない。
香ってくるのは、どれも食べ物の香りのみだ。肉の焼けた匂いや、スパイスや香草、玉ねぎやトマトの匂いで食欲をそそる。
昼間のレストランで客はそこそこいるが、親子連れや商談らしき客で落ち着いた雰囲気だ。
───悪くない。
明るい店内でありながら、堅苦しくも仰々しくもなく、カジュアルにも拘わらず、テーブルや動線は広々としている。
ひとりで、あるいは家族や友人とであれば心地よく食事が出来る空間だ。
案内されるその場所、目的の席には先客がいた。
彼が───いや、彼女が?
美少年と言っていたが、確かに美少年としか見えなかった。
薄い菫色の艶やかな髪を一つに結い上げ、白を基調にしたスーツに身を包んだ姿は、とても女性とは思えない。
言われなければ、少年に間違う。
それも、美少年だ。
すっきりとした顔立ちで、長い睫毛に少し憂いのある目元。
窓の外に、なにか気になる物でもみつけたのだろうか?
楽しそうに目を細め、口元がほんの少しほころんだ。
「失礼ですが、メイシー伯爵令嬢で間違いありませんか?」
「はい、間違いありません。メイシー伯爵家三女、クリスティーナ=メイシーと申します」
声をかけるのには勇気がいった。
彼女がこちらを見上げ───視線が、合う。
だが、その視線は澄んでいて、ねっとりと絡みつくようなものではなかった。
声は明らかに女性のものだ。
しかしその声音は落ち着いていて、耳に纏わりつくような不快さはない。
鈴を鳴らすような耳ざわりな声でもなかった。
息が、普通に吸える。
まったく苦しくない。
相手は、女性だ。
確かに、美少年に見えるが、女性だと知っている。
胸の奥のざわつきが、いつもよりずっと小さい。
むしろ、安心している自分に驚いた。
その驚きに困惑するほどに。
「……遅くなりすみません。ブルーノ=オースティンです」
正直女性を前にして席につけることが、奇跡と言ってもいい。
「その、クリスティーナ嬢、とお呼びしても?」
「ええ、構いません」
「では、私のことは、ブルーノ、と。その、父が無理を言ったようで申し訳ありません」
「いいえ、ブルーノ様。私が、婚約者を絶賛募集中なのは確かですから」
困惑している私とは違い、穏やかな表情と視線、そして落ち着いた対応だ。
本当に、これが十七の女性か?
いや、見た目は確かに若い。
若いが……ああ、十五までは長男として育てられたことが原因だろうか。
とても十七とは思えないほどの余裕さえ見え、そこには緊張も気負いもなさそうだ。
「まあ、少し人目は気になりますが、こういうのも悪くないですね」
彼女が、楽しげに笑う。
その表情に、一瞬、ドキリとしてしまう。
高位貴族の断れない状況、家に呼ばれるわけでも紹介されるわけでもなく、レストランの個室でもない。
理不尽だろうに、この状況を本気で楽しんでいるようだった。
彼女の笑みは、自分を良く見せようとしているわけでも、気遣いからでもなさそうだった。
ただ、面白そうに笑っただけだ。
こんな女性は、初めてだ。
「悪くない……ですか」
「ええ。声を掛けて来られることもない環境ですし、話に耳をそばだてる者もいない。席も程よく離れている上に、窓側で眺めも日当たりも良好です。
従業員もよく行き届いていますし、食事も美味しそうですね。さすが宰相閣下がお選びになった店です」
「なら、気にせず頼んでいただきたい。私は……」
食事。
女性と?
会話は大丈夫だ、彼女の見た目からか、不思議と嫌悪感も一切なく、驚くほど自然に成り立っている。
だが、食事となるとそうはいかない。
彼女は結婚相手を探している、絶対に媚薬を盛られないとも言えない。
あの、思考と関係なく身体が火照り、何もかもを投げ出してしまいたいような、あの感覚。
───無理だ、という過去の記憶がよみがえる。
「うーん、一緒には食えないかー……まあ、初対面だしなあ」
「?!」
彼女がぼそりと呟く。
その表情にも言い方にも私に対しての呆れや嫌悪は一切見られない。
ただ、少しだけ残念そうに聞こえた。
「……知っていたのか?」
「へ?あ、いえ……失礼、なにか?」
「一緒には食えないかー……まあ、初対面だしなあ、と」
「………」
彼女の目が大きく見開かれた。
無意識、だったのだろうか。
言葉はやや雑だが、先ほどの取り繕う態度よりずっとらしいし、年相応に思える。
こちらが素なのかもしれない。
「女性が苦手だという話は以前から聞いておりましたし───」
「普通に話してくれ、頼む」
「いえ、流石にそれは」
「身分がどうこう気にしないし、不敬だとかはない」
寧ろ、好ましく思う。
「あ、そう?……じゃ、遠慮なく」
ふっと笑うその表情は、やはり少女というより少年に見えた。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
「初対面の人間と食べるの苦手な人もいるだろ?特に、ブルーノ様は公爵家のご長男だ、警戒してもしかたない」
「………」
普通に、咎めもせず、非難もせず、同情もせずに告げられて、何も言えなくなった。
彼女は、女性と食事も共にできない相手だと知っても、『しかたない』ですませるのか?
こちらから、呼びだしておいて?
「私は毒や薬を使う気なんてこれっぽっちもないし、私自身が慣らされてもいるし、ある程度見分けもつくから心配しなくてもいい……って言っても安心はできないか。ひとりで食べるのは気が引けるけど、腹は減ってるから頼ませてもらう」
そう言って、彼女は慣れた様子で店員を呼び寄せ、おすすめのコースを頼んだ。
「私にも同じものを」
店員がこちらに目を向けてきたので、そう答えた。
また自然に言葉に出来たことに自分で驚いてしまった。
彼女、クリスティーナ嬢は、驚いたような表情から嬉しそうな笑みに変えた。
その向けられた笑みが、褒められたような気持ちにさせてくれる。
「あなたのことは、予め聞いていた」
「ん?」
こちらも話さなくてはフェアじゃない。
そう思い、口を開く。
「あ、いや……その、十五まで男として育てられた、と。普段も男性の格好をしているようだから、女性を毛嫌いしている私でも一緒に食事くらいは出来るだろうと、父が」
「ああ、そういう。で?どう?出来そう?」
「確かに男性の格好をしているからか、思った以上に安心している」
出来そうかと聞かれて、素直に答えた。
「あなたからの女性特有の嫌な視線もない。香水臭くもないし、胸がないから吐き気もしない」
「胸がないは誉め言葉じゃないな!」
明るく笑い飛ばされて、己の失言に気が付く。
女性相手に、それも、見合い相手の女性だ。そんな相手に対して『胸がない』等と。
「まあ、吐き気がしないなら良かったよ。でも、そっか…胸があるだけで吐き気がすんのか」
私の内心の焦りは、ほんの一秒足らずで終わった。
彼女は怒りもせず、傷つきもせず、本気で私のことを心配している様子を見せてくる。
「正しくは、目に入ってしまうと、腕を取られた時の感触を思い出し、薬を盛られた時を思い出す」
「あーなるほど…それは辛いな」
女性の、それも初対面にも拘わらず、己の弱音を吐ける自分にも驚くが、彼女の前では自然でいられた。
本気で心配してくれているのがわかる。
「フラッシュバックか」
「フラッシュバック?」
「嫌な経験をすると、ちょっとしたきっかけで思い出すってこと。小さい時に暗いところに閉じ込められたことのある奴が、今も暗闇が苦手だとか、そういう感じ」
「ああ。それに近いのかもしれない」
その後も、ぽつりぽつりと胸の内を語る。
最初に情けないところを晒してしまったからか、緊張も不安もなくなっていた。
食事が運ばれて、初めの一口は少し勇気がいったが、驚くほど自然に喉を通った。
ちゃんと、味もするし、味わうことが出来ている。
「あ、美味いなこれ!」
お手本のように美しい所作で口へと物を運ぶ彼女だが、時折本当に美味しそうに笑う。
食事をこんなにも美味しいと感じるのはいつぶりだろうか。
少なくとも女性相手に食事を楽しむのは初めてかもしれない。
諸外国との関係性、国の政治や産業について、彼女は本当に詳しかった。
質問すれば、現状自身が把握していることを告げた後、己の見解を含めて答えが返ってくる。
そのどれもが、明るい未来ある言葉だ。
これが、私にとってはとても新鮮だった。
仕事柄懸念事項に目を向けることが多いのだ、彼女の話は思いがけないほど魅力的だった。
特に、東の大国、タイル帝国についてだ。
海を隔てて距離がある。
だが、大国であるからこそ、少しずつこの国にも物が流れてきている。
一度タイル語の手紙の翻訳を殿下から頼まれ、辞書片手に調べてみたが二行で諦めてしまった。
訳したところでさっぱりだったのだ。
手紙の出どころすら分からなかった。
手紙はこの国とのやり取りがあったわけではない。
商人がなんの手紙かどこの国の手紙かもわからず、ただ見た目が美しい封書と記号のような文字で、『珍しい貴重な手紙』として売っていたらしい。
それを、物好きな殿下がどこからか手に入れたものだった。
訳したところで全く意味が分からなかったし、文官に訳を任せたところで私とほぼ同じ回答が返ってきたのだ。
クリスティーナ嬢はそんな難解なタイル語に明るく、日常会話や手紙の翻訳なら問題なくこなせるらしい。
訳した文章はまだ覚えていた。
「『黄金の風が、いかなる歌を運ぶのか──我が魂は、未だ届かぬ甘い旋律に耳を傾ける』」
「ああ、それはさ『あなたの国の文化にはとても興味があります』って言ってるよ」
「なぜそうなるんだ?」
「ははっ本当、中二病なんだよなあ、言葉が。あ、ごめん、あとは?」
「『天の羅針盤が示す吉兆の方角に、砂漠を渡りし我が影が、そなたの大地に落ちるはいかなるときか』」
「『訪問したいから、良い時期はいつですか?』って聞いてる」
「難解だな」
「面白いよな。直訳しちゃうと、おかしな文章になるんだ」
面白そうに笑うクリスティーナ嬢は、タイル帝国の織物やランプも好きらしい。
本も読んでいるようで、実際に訪れてみたいようだ。
文化も身分制度も独特だが、見たこともない砂漠という一面砂の大地が広がっている場所があったり、黄金の宮殿があったりすると聞く。
楽しそうに語る彼女の話に耳を傾け、その国境や他国との情勢を聞かれては私の知りうることを話した。
私の話に彼女もまた、興味深そうに耳を傾けてくれた。




