放課後、音のない蝶
ほのかは今日も、教室の窓際でぼんやりと外を見ていた。
午後の光は、まるでキャンバスに水彩を滲ませたみたいに柔らかく、
窓ガラスに映る自分の影も、少し長く、少し不思議に見える。
「ふう…今日も一日、なんとか終わったか」
小さくつぶやいて、机の角に置かれたノートをチラリと見る。
授業中の落書きが並ぶページ。ほのかの字はきれいで整っているけれど、
ところどころ、どうしてこんなことを書いたのか自分でもわからないメモが混じっている。
「……あれ、これ私書いたの?」
思わず小さく笑う。天然だと思われるのは、こういう些細な瞬間だ。
人に迷惑をかけるわけじゃないけれど、世間の“普通”とは少しずれている。
それがほのかの天然の正体だった。
窓の外に目をやると、いつもより光の角度が少し変わって見えた。
白い校舎の壁に夕日の光が当たり、微かに金色の影を作る。
その瞬間、ほのかの視線の端で、何かがふわりと舞った。
――蝶?
いや、音がしない。羽ばたく音さえも消えている。
光の粒のように淡く、柔らかく揺れるその姿に、ほのかは息を呑む。
「……え、なにこれ」
思わず手を伸ばすと、蝶はふわりとほのかの手のひらに止まった。
その瞬間、ほのかの手のひらに小さな光が灯る。
じんわりと温かく、胸の奥まで染み渡る感覚。
「……手、熱くないのに、あったかい……」
ほのかは静かに目を見開き、光を見つめる。
蝶の羽がかすかに揺れるたび、空気の色が少し変わるような気がする。
「……あれ、もしかして魔法?」
言葉に出してみるが、自然と口から零れたその言葉に、ほのか自身も少し驚いた。
頭は冷静なのに、心はふわふわと浮かんでいる。
ほのかはそっと手を動かしてみた。
光は指先で踊り、蝶はそれに合わせるように羽ばたく。
その不思議な光景に、教室の空気さえも柔らかく溶けていくようだった。
「……でも、どうして私の手に?」
自分に問いかけるほのか。
天然だからといって、何もかも理由をすぐには理解できるわけではない。
でも、そんな“わからなさ”も、今は悪くないと思えた。
ふと、ほのかは小さく笑う。
――これが、私の小さな魔法との出会い。
世界がほんの少しだけ違って見える、放課後の静かな奇跡。
外の光は夕暮れ色に染まり、教室の影も少し長く伸びていく。
ほのかの手のひらの光は、まだ消えない。
そしてその光は、これからの不思議な日々の始まりをそっと告げていた。




