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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

龍の血族 外伝 「鋼」

作者: 時輪 成

                  背景


 これは、人間と龍が住む異世界の物語である。

翼を持つ龍が人々を襲い始め、空を飛ぶ道具を持たない人間は逃げることしか出来なかった。しかし、辺境の地に突如現れたドラゴンスレイヤーズが巻き返しを図り、その名が王族貴族などの権力者たちの耳にも届くようになった頃の話である。


                 あらすじ


 武器づくりの工房を営んでいたシュダは、城塞の主の依頼により、武器職人を探している遊牧民「青峰の民」の宿営地に行くこととなる。

 青峰の民はドラゴンに襲われ、通りかかったドラゴンスレイヤーズに救われた。リーダーとなった彼らの提案で、家畜や人々を守る自衛団を作ろうとしていたのだ。

 単純な遊牧民と思っていたシュダは、彼らの複雑な内情を知り困惑する。しかし、自分の役目はあくまでも武器の開発と割り切ろうとしていた。   

 やがてシュダは城塞の主の、真の企みを知ることとなる。


 世の無常、人の世の無情。

人間と龍が住む世界で繰り広げられる、ヒューマンドラマ。


                 用語解説


 翼龍    翼を持つ龍。巨大化した翼龍は大翼龍と呼ばれる。

 ドラゴン  人喰いの大翼龍。人々の間では、大翼龍とドラゴンの区別は

       曖昧である。

 ドラゴンスレイヤー/ドラゴンスレイヤーズ

       大翼龍と心話できる、特殊能力と技術を持つ人間。

       彼らの多くは大翼龍を遠くから察知でき、人の感情に敏感で  

       直感力に優れたサイキック能力を持つ。

       この物語の時代には、ドラゴンスレイヤー族としての血統を

       確立している。


 シュダの祖父も父も村の鍛冶屋であった。クワやカマなどの農具を作り、農耕馬の蹄鉄を打って暮らしを立てていた。

小さな村はいつの間にか大きくなった近くの町の一部となったが、祖父が死に、父の代となっても相変わらず農具を作っていた。

シュダは学校に行くこともなく、小さな頃から父親を手伝い仕事を覚えた。

雇い人もいない父と子、二人だけ小さな仕事場であった。


 彼らの住む地域の豪族が力をつけ、貴族のような城塞を築こうと思いたつと、それとともに大量の工具が必要となった。シュダの父も農具の傍ら工具も作るようになった。

 やがて砦を守る武器も必要となったが、彼はそういったものは作らなかった。武器を作るということは、争いで権力を握る者たちへの加担であり、社会の底辺で生きる自分たち自身への裏切りだと、父はシュダに言って聞かせた。

 父子の作る農具は丈夫で、農夫たちに重宝されていた。

工具も使いやすいと、わざわざ遠くから仕入れにやってくる職人も現れるようになった。暮らし向きは良くなり、人を雇えるようにもなった。

しかし父親は体を悪くし、まだ若いシュダに鍛冶場を任せるようになった。しばらくして結婚した彼は、農具や工具以外にも、こっそり矢尻などを作って生活費の足しにしていた。


 ある日、豪族の一人がシュダの住む町を訪れた。

彼は親戚を尋ねてやってきたのだが、途中、馬の蹄鉄がはずれ、鍛冶屋を探しているうちにシュダの評判を聞いたと言うことだった。

 彼は仕事場に置いてあった矢尻を目ざとく見つけて、剣も作るのかとシュダに尋ねた。シュダは作ったことはないと答えたが、何の気まぐれか豪族は彼に剣を作るように要請した。

 その男は、豪族のうちでもその戦闘能力で今の地位、護衛隊長を勤めている男であった。力をつけたばかりの一族には敵も多く、より沢山の武器を必要としていた。そんな意識が彼の頭の片隅にあって、誰でも鍛冶場を持つものには一応武器を作らせてみるという考えが浮かんだのかもしれない。

 豪族には逆らえない。要請されれば断ることなどできない。父親はいい顔をしなかったが、作らねばどんな罰が待っているかわからないと言うシュダを、止めることもできなかった。

そして、若いシュダには野心もあったのだ。

 シュダは剣を作り始めた。試しているうちに、工具と同じ材料や方法では威力ある剣ができない事に気づき、用途にあったものを作ろうと真剣に工夫し始めた。


 納期ギリギリまでかかって作った剣は、見かけだけでなくバランスも悪く、ただ切れ味の良い、権力者向きとは言えない代物であった。

 首をはねられるかとシュダは覚悟したが、切れ味の良さに感心した護衛隊長に、再び機会を与えられた。

時間も資金も渡されたシュダは、今度こそはと剣づくりに励んだ。失敗を繰り返したが、それでもやがて、自分でも満足のできる剣が出来た。

注文主からも褒められ、褒美も貰った。

護衛隊の武器作りを任す、家族共々城下町に移り住むようにと言い渡された。

 住み慣れた家を出て、全く違う環境で新しい仕事をしなくてはならない。

しかし、武器とは美しいものなのだという意識が芽生えていたシュダは、自分が理想とする武器を作りたいとも思うようになっていた。

そして彼は、不安と期待を胸に命令に応じたのである。

 城下町での仕事が軌道に乗ると、金だけではなく自分の名を傷つけたくないという誇りも彼の中に生まれた。職人として技術を高め、芸術家として自分のスタイルを確立させる。そのために夜も日も忘れて鍛錬した。

そのかいあって、シュダと彼の工房は名声を高め、羽振りも良くなっていったのである。


 二人の息子たちも厳しく育てた。

いずれは二人のうちのどちらかに自分の工房を任せるが、それは年齢に関係ないと宣言し、息子たちを競争させた。

 そうやって選んだのは弟で、技術的には少し劣っていたのだが、シュダは彼の野心の大きさと人付き合いの良さで選んだのだった。

兄は誇りが高く、自分の技術に自信がありすぎた。結果、煩わしい人間関係やコネなど借りずとも、技術で他を圧倒できると考えていた。

有力者の後ろ盾を必要とするシュダの工房の長になるには、気位が高すぎたのだ。

 兄は、弟のもとで働くのを良しとせず、工房を離れ旅立った。

父親としては兄弟仲良く工房をもり立てていってほしかったが、芸術家気質の兄のプライドを思うと、それは仕方ないことと諦めた。


 次男に仕事を任せてみると、工房はますます栄えていくようだった。

自分の目に狂いはなかった、シュダは満足して引退を考えた。長男と同様、実はシュダにとっても人付き合いは面倒なものだったのだ。

特に雇い主のご機嫌を損ねないために頭を低くし唇を噛み続けることが、シュダには煩わしい以上のものに変わっていた。

自分も若くして鍛冶場を引き継ぎ、父の代では考えられなかったほど大きくした。同じ事が次男にできないわけがないと思い、引退した。

 自分の趣味に没頭してもいい頃だと思ったのだが、仕事に集中していたシュダには趣味などなかった。

しばしば工房に顔を出しては、息子に助言した。

しかし次男にとっては、それは口出し以外の何物でもなかったのだ。

初めはやんわりと、終いにははっきりと「工房に来るな」と言われた。

自分が苦労して作り上げた工房を、息子とはいえ人手に渡すのは早すぎたのだ。まだしたりないことがあったのだと気づき、後悔したが後の祭りだった。


 生まれた場所と仕事のために移り住んだ城下町以外を知らないシュダに、旅でもしたらと次男は勧めた。

シュダもそうかと思い、妻に旅支度を頼んだ。

彼の妻は常に協力的で、引退のときと同様、反対はしなかった。

無理しないようにと心配し、薬などを集めて荷造りをしてくれる妻に、シュダはそのうち温泉にでも連れて行ってやるからと言って出発した。

そして、行った先で見た大型の兵器に夢中になったのだった。

 その頃、ちょうど現れた大型の飛び道具。シュダは若い頃から、自分の知らないものに挑むのが好きだった。父親の目をかすめて矢尻を作ったり、必要以上に剣づくりに熱中したのも、そういった彼の性格が影響したからだ。

城壁を打ち砕くバリスタ(大型弩砲)、その威力をわざわざ遠方まで見に行き、帰ってきたときには自分流のアレンジを加えたくて子どものように興奮していた。

妻にした温泉の旅の約束などは忘れて、その開発に熱中したのだった。

 時間も金も適当にあり、自分一人の仕事場で気ままに実験を繰り返した。

満足のいくものができあがったので町外れの大岩で試してみると、岩はあっさりと崩れ、シュダは我ながら大したものだと笑み浮かべた。それからはますます熱中して、趣味にのめり込んだのである。


 そして、その噂を聞いたらしい贔屓にしてくれていた護衛隊長、今は城塞の主となった男から、突然、出頭の要請が入った。

もちろん、要請という形で連絡が入ったわけではない。

今は引退した昔なじみと食事をともにしたい、というのが建前だ。

 悠々自適の生活を邪魔するつもりはないが、来てもらえるなら幸いだ、というメッセージを伝令から口頭で伝えられた。

伝令は返事を待っている。

はっきり言ってありがた迷惑だったが、城主の土地に工房を構えている息子の手前、引退しました、悪しからず、と断ることはできなかった。彼が引き立ててくれたおかげで、今の生活があるのだ。

 お招き、感謝の言葉もありません。日時を教えていただければ、必ずお伺いいたします、との返事を伝令に伝えた。


 城に行く日が近づくにつれ、シュダの心は重くなった。

城主とシュダは昔からの付き合いとは言っても、昔なじみと呼べるような気やすい間柄ではない。はっきりした上下関係があり、仕事以外の話などしたことはなかった。

引退した自分を呼び出すなど、「面倒な命令を感謝しつつ受け入れなければならない」状況が待ち受けているだけなのだ。

断れば首が跳ぶ。命あっても家族親族共に身ぐるみはがされ、追い出されるのは確実だった。

引退してからもこうなのか、とシュダは自分の立場にに嫌気が差した。だが、それはどうしようもないことなのだった。


 城に出向くと今までないほど歓迎され、食事は和やかに始まった。

シュダの予想した通り他に客はいない。それには秘密の匂いがした。

 食前酒のあとは、すぐにメインが出された。

つまみも前菜もないのか、と奇妙に思ったが、運ばれてきた肉を見て理由はわかった。

 金縁の白い皿の上には、見ただけで超特級品とわかる肉料理とも言えないただの肉の塊が載っている。数種の香草と、装飾の美しいグレイビーボートと共にシュダの前に置かれた。

赤身にマーブルの入った肉の美しさは、名刀の刃紋を思わせる。それを見せつけるように周りを軽く炙っただけの肉。超特選高級牛肉、青峰の民の生産する牛の肉のようだ。

 もともと牛肉は高価で、庶民の口には入らない。普通よりちょっとはいい生活をしているシュダでさえ、牛肉は特別な日のごちそうであった。高級牛肉などは今日のように招待を受けたときに、三切ればかりが仰々しく大きな皿に載っているのを食べたことがあるだけだ。

 城主となると、こんなものを食べているのか。そして自分にこの肉を出すとは、これは絶対なにかある、とシュダの心は曇った。

 しかし、肉は口に入れればとろけるようであり独特の風味があった。美味いということには、文句のつけようもない。

 なんとも最後の晩餐に相応しい、そんな思いがシュダの頭を横切った。

まずは、ソースもかけずにただ肉の旨味を堪能した。肉の味を引き立てるような、さっぱりした酒も飲んだ。幸い城主は重苦しい話はしなかったので、それらをゆっくり味わうことができた。

 しかしチーズやブドウなども載せたシャキュトリーの盛合せが食卓に置かれ「それらに合わせてわざわざ選んだ各種の酒」が運ばれてくると、話の内容は変化した。

「加工肉は我が地域の特産だ」

 と城主は話しだした。

「だが、先程の肉は青峰の民の名高い品種の一つ。彼らの昔のリーダーたちは、私も個人的に知っていたのだ。リーダーが変わって、彼らの牛肉を手に入れるのは難しくなっていた」

 やはりそうか、とシュダは思った。青峰の民が改良した品種。この城主は美食家としても名高いのだ。

もう肉は充分だと思い、シュダは葡萄を手に取った。

酒もあまり飲む方ではなかったので、すぐに飽きて水を飲んだ。

 水とはこれほど旨いものだっただろうか?とシュダは、グラスに半分ほど注がれた水を一気に飲んだ。

「美味であろう?その水も青峰の高山に降った雪が、地下を通って湧き出てくる泉の水だ。肉牛と一緒に入ってきていたのだが、それも手に入れにくくなった」

 高山から染み出す清水で育つ牧草と、その牧草で育った改良種。評判が高くなるわけだ。食べ物の恨みは恐ろしいとは言うが、水の恨みも重なって城主はなにか企てているようだ。

裏に何があるのかと、きな臭さを感じながらも、好奇心も湧いてきたシュダだった。

「遊牧民と言っても、家畜を交配し優秀な品種を生み出した民族だ。今までの遊牧民の概念を打ち破り、品種の改良に努めた。

彼らには秘蔵っ子の牛たちがいる。その肉の評判は高く、王族貴族からの需要も高くなり、経済力と共に発言力も手に入れた侮れない民であった。

ところが龍共もその肉の旨さに気づいたのか、昨年の秋、人どころか家畜もドラゴンに襲われ大打撃を被った。残念なことだ」

 と城主はため息をつく。

人どころか家畜も、という言い回しにシェダは呆れた。しかも、まさか龍が家畜を旨さで襲うとは思えない。苦笑してしまった口元を慌てて引き締めた。

城主はちらりと見たが、彼の困惑した微笑を叱咤する様子はなかった。

「その青峰の民にドラゴンスレイヤーズが加わった。全滅しなかったのは彼らのおかげとも言えるのだが、問題はそこから持ち上がった。新しくやってきたスレイヤーの若造がリーダーとなったのだ」

「スレイヤーを遊牧民のリーダーに迎えるとは、奇妙なことですな」 

 それまではシュダは曖昧な相槌や答えで済ませていのだが、これは本当に不思議に思ったのだ。

「リーダー、サブリーダーとも戦いで死に、働き盛りの男たちは皆、負傷したと言う。私の知っていた元リーダーの親族は、呪われているという噂が立ってしまっていてな。それで今回もリーダーの座に返り咲くことはなかったようだ」

「呪いですか?」

「まあ、散々、アコギなことをしてきた、、、らしい」

 城主は肩をすくめた。

「まあともかく、そんな噂の末、別の血筋の男がリーダーになった。彼がドラゴンに殺されて、やっと昔の有力者たちに権力が戻ってくるかと思ったら、スレイヤーの若造がリーダーにおさまった。

 そんなわけで、元のリーダー一族のはらわたは煮えくり返っておるのだ」

「それで私めの手が必要となるのは、一体どういうことでしょうか?」

 引退した自分が呼び出されたのは、厄介事を押し付けるためとわかっていたが、遊牧民族のリーダー争いに、なぜ自分がかかわらなければならないのかは全く解せない。

 それなのだ、と面白そうに城主は言った。

「新しいリーダーは武器職人を探している。お前には、青峰の民の本拠地に乗り込んでもらいたいのだ。武器作りの職人として仕事を進め、リーダーとなったスレイヤーたちの話に耳を傾けてくれるだけでいい」

 そんなはずはない。そんなことは、知り合いだったという昔のリーダーの親族に聞けばいいのだ。わざわざ引退した自分を呼び出すようなことではない、とシュダは思う。

「お前も知っているとは思うが、ここは各地に家畜を出荷する拠点である。肉を扱う商人も多く集まる。名高い青峰の民の家畜のおかげで評判が評判を生み、ここが栄えていると言っても過言ではない。

なのに、ドラゴンに襲われ家畜数が激減、リーダーも変わって、今年は彼らの牛は来なかった。今の肉は、他の地方からわざわざ取り寄せたものだ」

 と城主は再びため息を漏らした。

 青峰の民がこの地域まで来る必要は、はっきり言ってない。昔はどうあれ、近年は王族さえ欲しがる食肉牛を飼育しているのだ。どこでセリにかけようが、買い手の方からやってくる。必要以上の移動は、何かの利点があるからこそだ。

 昔の青峰の民のリーダーたちは城主と共謀し、家畜を連れて来る代わりに賄賂などを懐に入れていたのではないだろうか?シュダは考えた。

「しかしながら、城主様、相手は心を読むというスレイヤーですぞ。私めなどは雇っても貰えないでしょう?」

「彼らは心など読まん。本人たちが言っているそうだ」

「本人たちとは、スレイヤーズ自身ということですか?」

「子供のような若い男女だそうだ。リーダーの男はスレイヤーとはいえ、ただの男の子。女はサイキックだが、彼らは感情の変化に敏感なだけで心を読むわけではないのだ」

「子供相手ですか?」

「強いことは強いらしい。まあ、そこがスレイヤーズ。心を読まれたところで、お前は何も知らないのだから心配などいらん。武器づくりの職人の他にも、何人か雇うようだ。お前は、彼らと仲良く談話し交友を深めてくれ。お前は、人を見る目に長けていると私は買っておるのだ」

 城主はシュダが引き受ける、と決めつけている。断れないのはわかっているのだ。腹立たしいが、その通りなのだった。


 大した日数も与えられず、シュダは荷物をまとめ家族に別れを告げた。

青峰の民の宿営地に向かうわけではない。まずは、中継地点の町で試験があるのだ。試験に落ちてしまえばそれまでで、家にすぐ帰ってこられると言う考えも頭に浮かんだ。

だが、わざと試験に落ちるというのは彼の誇りが許さなかった。

城主に疑われたくもなかったし、なにより彼が趣味で開発しているバリスタに、金を出すという者がいるのだ。地元では名声を得て金も手に入れたが、全く知らないスレイヤーズという一族にも、自分の実力を見せてやりたかった。

その誇りから、妻には試験に受かることを前提とした準備を頼んだのである。


 シュダの妻はしっかりもので、今までも経済的なことは彼女がすべてやっていた。生活費などに気を配ることもなく、シュダが自分の仕事や趣味に集中するとができたのは彼女のおかげ。彼が家を離れてもなんの心配もない。妻もその点に不安はないが、もう若くないシュダが、遠く旅立たなければならないことが心配だと言った。

長い事連れ添った妻だ。シュダにはそう言ってくれる彼女の心遣いが嬉しかった。そして、温泉旅行に連れて行ってないことを、思い出した。

 大丈夫、こう見えてもまだまだ若い、帰ってきたら必ず一緒に温泉に行こうと妻に別れを告げ、意気揚々と住み慣れた家をあとにした。

 中継地点の町までの旅は、城主が手配してくれた。不自由なことはなく、無事に到着した。この程度の旅はまだこなせるのだと、シュダ自身もホッとし、その夜はゆっくり休んで、試験に備えたのだった。


 翌朝、試験会場に入った。宿場町のテントが会場で、人数は多くなかった。

報酬につられて自費で来ている。自信のあるものだけが集まったのだ。

 まずは筆記試験である。

武器作りに関する問題はかなり高度な知識が必要と思ったが、シュダには簡単だった。今後の抱負などという欄もある。それにも名工としてのプライドを抑えきれず、つい正直に答えた。

 試験が終わり、同じ会場で待たされた。数人が呼ばれて外に出ていった。代わりに入ってきたのは、闘士としてシュダが知っている男で、剣やクロスボウも持っている。彼と一緒に入ってきた男女も武器の達人なのだろう。弓矢や分銅鎖を持っていた。

テントにいる者たちはテストに受かったのだと、シュダは理解した。

 次は、スレイヤーたちを交えての面接試験だ。

お茶を飲みながら待っているのは、計六人。二、三人募集というから競争率は二、三倍。誰に城主の息がかかっているのかと、シュダはあたりを見回したが、そのようなことがわかるはずもなかった。

ともかく青峰の民は、本気で対ドラゴン自衛団を作るつもりらしい。武器を作るものと、訓練してくれるものを雇うのだ。


 名前を呼ばれて、シュダは小さなテントに案内された。

椅子はなく、三人の男女が立っていた。その中の若い女にシュダの目が釘付けになった。

テントの入口が開かれ内部を見たとき、人の形の炎が立っていると思った。もちろん、それは錯覚だった。

 真っ赤な燃えるような髪。彼女の鋭い視線に圧倒された。目は褐色のようだが輝いて金色に見える。

女の着ている赤いロングベストを縛っているサッシュベルトには、小さな宝玉のついた飾り紐。その色合いは女性らしかったが、ベルトに差した長剣は不釣り合いにゴツかった。

ベストの下には黒い長袖のピッタリとしたシャツ。ズボンも黒だが、編み上げのロングブーツはベストとお揃いだ。それらは鱗で覆われていて、龍の皮なのではないだろうかとシュダは思った。

 よく見ると赤と思ったそれらは、赤いというわけではない。

褐色だが光を赤く反射する。そんな鱗の龍がいただろうか?染めてあるのかと不思議に思った。龍の鱗を染めるなど、シュダは聞いたことがなかったのだ。

しかしそのロングベストも美しい曲線の体を隠しきれていない。動くとさざ波のように鱗が光る。

 これがスレイヤーか、とシュダは圧倒された。

挨拶の言葉が見つからず、ただ三人に向かって自分の名を名乗り頭を下げた。

リーダーだと言って最初に口を開いたのは、女の隣にいた、まるで少年のような印象の男だった。名前はマティアス。

 背は高いが、ほっそりとしていて女顔。か細い印象を受ける。髪は月明かりのような淡い金髪。身のこなしがやけに優雅で、ドラゴンスレイヤーのイメージではない。貴族の息子の中でも、特に女のコが熱を上げそうなハンサムボーイと言ったところだ。

着ているものは、炎の髪の女とデザインは同じだが色違い。全体的に青白く見えて、良く言えば精霊のよう、悪く言えば幽霊のようだ。

 コイツが本当に龍と戦ったのか?と疑問が湧く。

「龍を制するのは心だ」

 そう言った声や表情はやけに朗らかで、世の中のからくりなど知らない無垢な子供のようだった。心は読めないと聞いたのだが、シュダが口にしない質問に答えたのだ。背筋がゾッとした。

「心を読んでいるわけじゃないから安心していいよ。皆、僕を見るとあなたのような顔をするんだ。その疑問を口に出すものもいる」

 なるほど、心は読めないと言っても顔色を読み、それを無頓着に口にする。シュダには、あまり気持ちの良いものではない。

 マティアスは、隣に立っているサブリーダーを紹介した。彼よりは年上の、しかしやはり若いモロウという名の男。遊牧民族とすぐわかる、陽に焼けた肌と素朴な印象の茶色の目をしている。

着ているのは、質素な木綿の綿入れのようなベストに襟のない長袖のシャツ。

シュダは目礼をして、マティアスの反対側に立つ女に再び目をやった。

 よく見ると、女とマティアスは同様の背格好だ。

なのに彼のような、か細い印象がないのは、王者のように堂々としているからであろう。怖いものなどない、という自信がみなぎっている。

 シュダの視線に答えるように、彼女は口を開いた。

「私はドラゴンスレイヤーのフレイヤ、サイキックだ。感情を察するのが得意だから、若いと言って侮るな。私は外部の者をいれるのは反対しているが、リーダーたちの、武器の開発は不可欠だという信条には反対できない。

貴殿には、あたえられた仕事はきちんとこなしてもらう。名工と言われる貴殿のプライドは、何にも勝ると願っている」

 お前などは信用していない、とサイキックでなくともわかる言い回しだった。しかも名工としてのプライドを優先させろ、と言われたのだ。なにか別の目的があるのはわかっている、と。

 彼女の口調は厳しく威厳があった。なぜ彼女が、リーダーにならなかったのかがシュダには不思議だ。

シュダは自然に、雇い主に対する言葉遣いで返答した。

「筆記試験にて書きました通り、私めは鋼の匠と呼ばれてまいりました。

働いておりました工房では、分業で一つの武器を完成させておりました。

私めも見習いとして、すべての工程を見て、経験することから始めたのでございます。より使いやすい武器を作るために、実験、改良も行いその結果、年上の職人たちには胡散臭い目で見られたものでございます」

 これは息子たちにとっての事実とシュダ自身の経験がごちゃまぜになったもので、全くの嘘ではない。言葉をうまく繋いだだけだ。

「それでも、寛大な工房長の元、鋼の匠と呼ばれるようになりました。長い事、従来の武器づくりに専念しておりました。しかし、旅先のとある街でバリスタなどの大型飛び道具を見たとき、頭を棍棒で殴られたようなショックを受けたのでございます。バリスタの威力に圧倒され、子供のように心が高鳴ったのです。新しい時代、大型の飛び道具の時代がやってきたと思いました。

今までの概念にとらわれず自由なものを作って良い、というお言葉を伝え聞き、やって参りました。

見たもの以上のものを作りたい、いや、作って見せる、という職人の意地をお見せしますぞ」

 フレイヤは微笑みを浮かべた。

孫のいる年となったシュダですら目を奪われてしまう微笑。しかし目が笑っていない。人の心を見抜くと言われたら信じるだろう。

女性らしい姿かたちの美しさにもかかわらず、色っぽさはなかった。力強く、圧倒される生命力そのものの美しさ。

人間だけではない、といったら不遜と言われるだろう。だが、純血種の馬だろうが強いては剣であろうが、秀でたものだけが持つ独特のオーラが彼女の周りを取り囲んでいる。

しかし、その髪にでも触れようものなら、彼女の腰のものが口より先にモノを云うのは火を見るより明らかだった。

 こりゃ、男はたまらんな。彼女の剣に目を向けながら、シュダは思った。

フレイヤは再び微笑んだ。先程よりはやさしいほほえみだ。

「流石に目が高い。手に取ってみたいのなら、食事の後にでも」

 これは面接も通過した、ということであろうか?はっきりした通知はあとであろうか?シュダの疑問はそのままに、彼女はそう言ってリーダーもサブリーダーも残してさっさと姿を消した。

その後ろ姿にすら惹きつけられた。彼女の姿が幕の向こうに消えてしまうと何かうら悲しい思いに心が沈むのを、シュダは抑えることができなかったのである。


 面接も通過した、と言われ契約書にサインさせられた。

期間は、シュダがこれだけの期間は絶対必要と書いた期間プラス一ヶ月。完成させることが条件で、報酬は確かに良い。前金は四分の一。

壊滅寸前と噂される青峰の民が、そんな金をどこ隠し込んでいるのかと思った。

 色々の条件がついていたが契約期間の後、三年間は作った武器について外部に漏らすことは一切禁止、というのが一番気にかかった。守らなかったらどうなるのかは書いてない。スレイヤーズは人に呪いをかけるとも言う。シュダは、呪いなど信じてはいなかったが不安になった。

 自分は武器を作るだけ、他の誰かが秘密を探り出し盗んだりするのだろう、と自分を納得させサインした。


 シュダは夕食に招かれた。

試験に通過した闘士風の男と、もう一人も一緒だった。何故かはわからなかったが、その男にシュダは、胡散臭さを感じた。

 宿場町の食事処の一隅を借り切って、特に豪華とも粗末とも言えない食事が始まった。酒はあったが、スレイヤーの二人は飲んでいない。シュダもあまり飲まなかったが、他の二人はかなり飲んでいた。

 フレイヤは先の言葉の通り、剣を見せてくれた。

長剣の他に、短剣もある。二振りの刃は、シュダがこれまで見てきたどれとも違った。何が違うのかわからないのだが、違う、ということはわかる。

彼が疑問を口にする前に、フレイヤは、それは秘密と笑った。

「短剣は曽祖父、シュリンクのものだった。彼の長剣は長兄に渡された」

「お兄様は何人いらっしゃるのですか?」

 スレイヤーズの家族は多いと聞く。

「三人。私は少なくとも三番目のシャロンよりは強い。彼は祖父、エダーの長剣を手にした」

 とフレイヤは不服そうだ。

家族の話を聞くうちに、彼女の父親は前の家長で、数年前に亡くなったとわかった。シュダは、フレイヤの方がリーダーとなる正統な血筋なのではないかと思った。威厳に満ちているのも頷ける。

「スレイヤーズの家長は、世襲ではないのですか」

「そういう伝統があるわけではないよ。父たちが三代目で、父の弟のサシャが今の家長だ。家長の座が弟に行っても、息子に行っても不思議ではない。サシャはいとこと結婚した。彼の長男が、次の家長という方が理にかなっているのかもしれない」それに、と彼女は続けた。

「家長でなければ父は死なずにすんだ。家長という責任を背負って彼は死んだんだ。まだ若い兄が家長になって父と同じように死んだら、お母さんが可哀想だよ」

 フレイヤは顔を曇らせた。

 父親が死んだ当時、長兄は今のフレイヤと同じくらいの年だったのではないか?あるいはもっと若かったのかもしれない、とシュダは思う。

ふんぞり返って何もしない王や城主とは違って、スレイヤーズの家長は前線に立つ戦士なのだ。その責任を全うして、死に至ることも多いと想像できた。

その時、酒の回った一人が、シュダにはぶしつけと思えるような質問をした。

「前金、いつもらえるんだ?」

 モロウはちらっとマティアスを見て、今渡すと言って立ち上がり、武器の達人とシュダに厚い紙包みを渡した。もう一人の男には、何も渡されなかった。彼は武器の達人のお供で、雇い主に言わせれば「連れてくることを許したコブ」である。

 どうやらリーダーたちが雇おうとしていた男は、故郷の近くに良い仕事の申し出があって帰ってしまい、次に選ばれた女はケンカに巻き込まれて利き腕を折ったらしい。

シュダは、今いる男とそのお供は城主の息のかかった者たち、と確信した。

「大通りの宝石商で現金に変えられる。金額の交渉はすでにしてある」

 開けてみると大翼龍の鱗が数枚と地龍のひすいが入っていた。両方とも金持たちが守護や装飾品として欲しがるものだ。

地龍ひすいは半透明で、琥珀色と珍しい桜色。

刃物では細工ができない地龍ひすいは一般的に言って不定形なのに、琥珀色のものは地龍の形をしていて、桜色の方は花の形をしている。しかも亀裂も不純物も入っていない高級品だ。そして鱗は、シュダが見たこともないような大きなものだった。

簡単な彫り物の鱗なら宿場町でも手に入るが、渡されたものは格が違う。浮かび上がる呪文のような文字は、虹色のインレイだ。魔法など信じないシュダにさえ、力を感じさせた。

「スレイヤーズは呪いをかける、というのは本当なのか?」

 不安そうにお供の男が聞いた。契約書の内容を思い出してビビっているようだ。お供といえどもサインさせられたのだろう。

「意識してかけたことはないけど、そういう噂はあるよね」

 にこやかに答えたのは、マティアスだった。

「曾祖母と彼女の家族は、最初のスレイヤーズと呼ばれている。その彼らに酷いことをした遊牧民は、全滅した。追跡調査したわけじゃないから原因はわからないけど、仲間と信じていた人々に裏切られるなんて、相当悲しく悔しかっただろうと僕にも想像できる。恨み、呪わなかったとは断言できない」

 お供の男が達人をちらりと見た。達人の方は不動で表情にも変化はない。肝が座っているのだろう。噂など信じていたら、最上の武器も真価を発揮できない。

「サイキックの持つ精神エネルギーは、私たちにとっても謎が多い」

 とフレイヤが言った。

「僕の父が研究してるけど、よくわからないんだよ。まあともかく、呪いなどというものは、心やましき者の恐怖であり弱き者の願望にすぎないと父がよく言う」とマティアス。

「マティアスの父は、スレイヤー一族の現、家長だ」

 フレイヤが、皆に宣言するようにいい添えた。

ドラゴンスレイヤー一族の中でも一流の血筋、民衆が英雄と呼ぶ人々の直系の子孫なのだ、と武器の達人たちにも伝えるためだろう。

最初のスレイヤーズ、五人の英雄の話は、巷では歌劇となって広まっている。

さすがの武器の達人も居を正した。


 翌日、宿場町を後に、青峰の民の宿営地に向かった。

馬に乗り慣れていないシュダは、一時間も経つと腰が痛くなった。彼が一番の年上だというだけでなく、ともかく先を急ぐ旅などしばらくしていなかったのだ。引退してからの旅は、時間も金もかけたご遊覧だった。

一旦休憩すると、もう馬に跨ることさえできなくなった。

 シュダは、武器の達人たちが迷惑そうに見るのを情けなく思った。

フレイヤが毛布を地面に引いて、うつ伏せになるように言う。指圧でもしてくれるのかと思った。そんなもの効くのかと馬鹿にしたのだが、十分もしないうちに痛みはおさまった。

スレイヤーズは、、、サイキックはなにか不思議な力を持つ、というのは本当なのだ。

「今日、一日は大丈夫」

 とフレイヤは言った。

ともかく、シュダにとっては痛みが消えたことが第一だ。

そんな調子で数日旅をしたが、一度も大翼龍には出くわさなかった。

人里を離れた僻地では、昼間でも見かけることが増えたと聞いていたのでシュダにはそれが不思議だった。

 旅人を怖がらせるためのただの噂だったのか?いや、、そういえば、フレイヤが一足先に馬を走らせ休憩地や休む時間を決めている。大翼龍が近づくと彼女にはわかるのではないか?彼らを避けて旅しているのかもしれない、と気づいたのだった。


 雪を被った高山の手前に、連なった丘が見えてきた。

少し近づくと建物も見え、あれが宿営地だと言われてシュダはホッとした。目的地に到着したのだ。

 作りはしっかりしていた。冬越しのための施設が、青峰の民が力をつけるにつれて大きくなっていったのだろう。

岩でできた丘の斜面をくり抜いて人々の住む住居があり、そのそばのサイロは日干しレンガのようだ。一部が塔になっている木造の建物もある。

だがもっと近づくと建物のあちこちが崩れ、補修した形跡があるのがはっきりわかった。ドラゴンの攻撃によって破壊されたのだろう。

焼けた木材は一箇所に積み上げられ、再利用されるのを待っているようだった。

 家畜もいた。山羊や牛がいたが、数は少なかった。その少ない牛たちのほとんどは、シュダの馴染みの牛と違って小型だ。

 あれが、高級肉の元となる牛だろうか?とシュダは思った。

遊牧に出ているのでないとしたら、極端に少ない数だ。あれでは、城主のいる地域まで家畜を連れてくる価値はない。城主が「壊滅に近い打撃を受けた」といったのは、ただのホラ話ではないようだ。

 木造の建物は広間と共同の台所、隣接した塔の一階がモロウの部屋。二階にはマティアスの、その上にフレイヤの部屋があるとわかった。

塔の形からして、フレイヤの部屋は天井が傾斜しているのだろう。

屋根裏部屋のようなものではないだろうか、とシュダは思った。

 なぜ彼女は、屋根裏などで満足しているのだろうか?そもそもドラゴンスレイヤーズの生活とはどのようなものなのだろうと、今さらながらに興味が湧いた。


 岩穴に住居のない独り者の多くは、木造の広間で雑魚寝が普通のようだが、シュダの部屋は岩穴の一つだった。自然のままではなく、人の手によってくり抜かれたほぼ四角の部屋に、藁のベッドと物入れの大きな木箱が一つ。そして机と椅子もあった。毛皮も敷かれ、質素だが居心地が悪いというほどでもない。

他の雇われ人の部屋も、同じようなものなのだろう。個室があるだけマシかも知れない。  

 一年の殆どは、家畜を連れて移動する遊牧民族なのだ。宿営地に常時いるのは、年寄くらいなのだろう。宿営地に残った家畜の世話しながら、彼らは皆が帰ってくるのを待つのだ。青峰の民には老人が多くいる。それだけ豊かということだ。

日々が旅という生活ができなくなった者たちが、それなりの役割を与えられて生きていける。

 そう考えると、城主が悪者のように言っていた、昔のリーダーたちのやり方が間違っていたとは言いきれない。品種改良を続けて王族貴族たちが欲しがる肉を作り、ただの遊牧民族では得られない力を手にしたのだ。私腹を肥やすことを至上の目的とする城主のような人々と交わりすぎて、指導者としての役目を忘れてしまったのだろう。

 とどまる水が濁るが如く、とどまる力は腐敗すると言うのだ。


 遊牧民族の生活に慣れるのは、シュダには困難なことだった。

長い事、台所の大瓶には水がなみなみ入っていて、望めばお湯も使えるという生活に馴染んでいた。

宿営地には泉や井戸があり、シュダが水汲みに駆り出されることはなかったが、樽にある水には限りがあった。

ましてやお湯は貴重なようだ。お湯で体を拭えればまだマシで、人々は井戸水で水浴びだ。幸い空気は乾燥し、風呂に入らなくとも不快な感じはなかった。


 ある朝、シュダは子供たちが井戸の周りで顔を洗っているのを遠くに見ながら、新しいバリスタの構想をねっていた。

井戸の水は水温が安定しているとはいえ、気温はまだ低い。子供たちは顔を洗うのさえ、嫌がっている。

 まあ無理もない、とシュダは微笑んだ。

 突然、井戸のそばにフレイヤが現れた。まるで降ってきたようだ。子供たちも驚いている。

スレイヤーズといえども、空を飛ぶわけではない。どうやら、塔の天窓から抜け出て、飛び降りてきたようだ。身軽などというものではない、超人的である。

彼女は、水の入った桶に何かを入れた。ワッと子供がどよめく。何が起きたのかはシュダにはわからなかったが、彼らの様子から桶の水が温かくなったのだと察した。

子供たちは我勝ちに顔を洗う。頭からかけている子もいる。

「あれは、ドラゴンクリスタルの力なんだそうだ」

 そばで誰かが言った。

ガスパルという名だったかな、とシュダは男を見上げた。

いつもフレイヤを見ている若者。しかし彼女を見る目は他の男たちとは違い、憧憬の念に溢れていた。

届かぬものを追い求める、拝み敬うような眼差しだ。

彼のフレイヤに対する感情は、納得できるがモンダイだともシュダは考える。なぜならシュダはすでに、マティアスのフレイヤに対する気持ちを知っているからだ。彼だけではない。マティアスの、いとこフレイヤに対する感情は、青峰の民の間では有名なのだ。

「ドラゴンクリスタルの他にも、スレイヤーズには色々なトリックがあるんだよ」

 ガスパルは、シュダの考えには無頓着に言った。

「呪いもかける?」

「呪われるようなことは、誰に対してもするもんじゃない」とガスパル。

 たしかにそれは正論だった。

シュダとガスパルが見守る中、フレイヤは子供たちを集めて遊びだした。鈴を手に隠して、どちらの手にあるか当てるゲームだ。

「遊んでるんじゃないそうだ。遊びの形を取った訓練なんだよ」

 手を振る訳では無い。フレイヤが自分の背後でどちらかの手に鈴を隠し、ゆっくり前に持って行く。そのかすかな音が手掛かりだ。

「スレイヤーズにはわかるのか?それもサイキック能力の一部か?」

 シュダはガスパルに聞いた。

「聴覚の訓練だそうだ。サイキックではないというマティアスも、やってみせた。百発百中。スレイヤーなら物心つく前にマスターするそうだよ」

 なんのため、と聞く必要はなかった。変わったかすかな物音を察知出来るようにするのだ。

鍛冶の仕事で鋼を叩く時も、視覚だけではなく聴覚にも頼る。匂いにも敏感になる。だが鋼と違ってスレイヤーズの相手は生きた龍、命がけで戦う敵である。 

子供の頃から、そんなものに慣れさせるのかと思うと哀れでもあり、自分たちの生活が、どんなに呑気なものかとシュダにもわかったのである。


「お湯を作っておられましたな」

 シュダは、そばに座ったフレイヤに言った。

 彼女はクックと笑い声を立てた。

「大人たちには言わないでね。クリスタルの力には限界があるから。故郷を離れて一番恋しいのは、蛇口をひねれば出てくるお湯だ」

 と言ってからすまなさそうに、お母さんの次に、と言い添えた。

「フレイヤ様の故郷では、お湯はふんだんにある、ということですか?」

 普通に話していいよ、とフレイヤ。雇い主と雇われ人という上下関係は、仕事上だけでいい、と言う。

「実家は休火山のそばにある。地熱で温められた水を、館中にパイプで送っている。温水暖房が効いていて冬でも快適なんだよ。それが贅沢なことだなんて、旅に出るまで知らなかった」

 とうなだれる彼女の顔は、年相応の少女の表情だ。

「野原でウサギ取っていたら、密猟者とか言われて追っかけ回された。どこもかしこも誰かの土地だ。肉は店で買うと高いし、マティアスなんて子供と見られてボッタクられた、と憤慨していた。そうでないとわかったときは、ただ呆れた」

 困惑して話すフレイヤの表情に、秘密を探りたいというよりスレイヤーズの生活に興味が湧いたシュダだった。

 お湯を建物に通してする暖房など、城にだってない。シュダの知っている石造りの城は、どれも骨にしみるほど寒い。城主の部屋や応接間などには暖炉があるが、それ以外で一番暖かいのは台所だ。

もっともシュダの仕事場は、冬場はともかく夏は気絶しそうなほど熱くなる鍛冶場だった。

「休火山というと、地震はあるのですか?」

「何百年も爆発はしてないけど地震はたまにあるから、館はほとんど木造りだ。新しい部分は下が石造りで上は木造。石の部分が崩れるような大きな地震は幸いまだない。でも、大きな地震を引き起こす火龍は眠っているだけで、いつか目覚めると皆言っている。だから、石だけで高い建物を作るのは危険すぎる」

「火龍が大地震を起こす?」

 火龍などいないはずだ。それはおとぎ話にすぎない。

「迷信だ、と思うんだろう?でもこれは」

 といってフレイヤは、自分のベストを指した。

「火龍の皮だ。長時間、大翼龍の吐く火に耐えられる」

 シュダは、驚いて彼女のベストを見つめた。

「本当だよ。私が見たわけじゃないけどセリーナ、、、祖父の半分血のつながった妹が見つけたんだ。その火龍は、彼女の腕の中で息絶えたと言う。炎の髪の女の子が生まれたら、彼女のための防具をその火龍の皮で作れ、とセリーナは言った。彼女には未来が見えたらしい。

とはいっても、ウチは赤毛が多いから、みんなきっと赤毛の女の子が生まれるたびに悩んだと思うよ」

 彼女の話によると、スレイヤーズは大小さまざまな龍に馴染みがあるようだ。特に地龍たちは、彼らの館の番犬のようなものらしい。

その地龍は火龍と関係が深く、年老いて眠りについた地龍が火龍に変わり、それを地龍たちが目覚させるめと地震が起こる、という言い伝えがあるのだという。

「どういうときに起こすのですか?」

「知らないよ、そんなこと。ただの伝説だもの」

 フレイヤは肩をすくめた。その動きで彼女のベストがきらめき、再びシュダの目を引いた。

「その虹色の小さな鱗は?」

 ベストには赤く光る鱗に混ざって、ところどころに虹色に光る鱗が加えられている。

「これは水龍の鱗だ。単なる装飾と思うんだけど、大翼龍は水龍をバカにして無視するともいうから、防御の意味もあるのかもしれない」

「報酬に頂いた、ドラゴンの鱗に入った虹色のインレイも水龍ですか?」

「そうだよ、本当に護符になるのかどうかはわからない。でも、貴族たちは喜んで大金を払うよ。、、、命かけてドラゴン退治をしてお金稼いで、、、父を失い叔父を失い、そんな生活って何なんだと思ったこともある。

でも、今は、多くのことを知った。

青峰の民のように、ドラゴンに追っかけ回されて逃げ回った挙げ句に死ぬのは嫌だ。私たちには、ドラゴンと戦う力があるのだもの。それを最大限に発揮することが、私にとっては生きるということだ。ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬんだ」

 その言葉にシュダは、フレイヤの決意を感じた。

「そんなことよりね」とフレイヤ。

「どうして貴方を雇ったかわかる?」

「それは私がバリスタの改良を試みているからでは?」

「まあ、そうなんだけど、そのためだけだったら雇わなかった。雇ったのはあなたが鋼の匠でもあるからだ」

「と、言うと?」

「バリスタのモリの刃の先に細工をしてもらいたいんだよ」

「細工?ですか?」

「私たちにはできないんだ。ドラゴンの歯をモリの先に組み込んでもらいたい。クロスボウの矢にはすでに使っているんだけど、大型のバリスタに使用するには問題が多いんだ。あなたの知識や経験が必要だと思う」

 ドラゴンの歯を、矢やモリの先端に組み込む?それがスレイヤーズの武器の秘密だ、とシュダは緊張する自分を感じた。

城主の企みがわかってきた。スレイヤーズに金を出させてシュダに武器を開発させる。その過程で、スレイヤーズが何故、ドラゴンを倒すことが出来るかという秘密も探れるはず、と踏んだのだ。


 シュダの住んでいた近辺では、ドラゴンなどを見かけることはなかった。

驕り高ぶったどこかの貴族の息子が、龍を仕留めると称して僻地に仲間とともに出発し、一人で逃げ帰ってきたという噂ぐらいしか知らない。 

 弓の矢はもちろん、クロスボウの矢でさえドラゴンの鱗を貫くことはできなかった。槍で龍の口を攻撃した仲間は、その血に触れて死んだ、と生き残った男は震えながら語ったという。

龍の血は毒だという話が王族貴族にも広がり、人々は悟った。スレイヤーズだけがドラゴンを倒せるのだと。

彼らは辺境の地で龍を倒し、人々の尊敬と名声を手に入れた。そして当然、名声とともに力もつけてきたのだ。王族貴族を脅かす存在となるのも時間の問題であった。


「翼龍たちは変化している。大きさだけでなく、家畜どころか人も襲うようになった。人間が、自分たちの存在を脅かすと気づいたかのようだ。

 王族たちは対岸の火事とばかりに高くくって、自分たちがその火の粉をかぶるとは思っていない。それは間違いだ。現場で翼龍たちの変化を見ている私たちにはわかることが、彼らにはわからないのだ。

龍退治はスレイヤーズに任せておけばいい、という時代は終わった!スレイヤーズの絶対数は少なく、人間同士が協力しなければ人類は滅びるということが!」

 あっとシュダは思った。

城主が気にしているのは特選品の肉が自分の口に入らなくなったことと、スレイヤーズに権力を奪われてはならない、という二点だけだ。ドラゴンの脅威を実感していないのだ。現場で彼らと戦っているスレイヤーズは、人類の存亡をかけて戦っているのか?

「それは思い過ごしでは?ドラゴンが意識して人を倒そうとしているなど、信じられません。それはヤツラに人間と同等の知恵がある、ということですか?」

 そんなバカな、シュダと思った。大翼龍とは、ただ大きいだけの獣だ。

「同等とは何をもって言うんだ?彼らは道具など作らない。バリスタを作る術はない。だが生きる力は人間以上だ。普通の人間に、彼らは倒せない。隠れて生き延びることはできても、いずれ隠れ家から出ていかなければ生きてはいけない。

それとも穴の中で暮らすことに慣れるか?昼夜を問わず襲ってくる敵に怯えながら食べ物を探す小動物のように、逃げ隠れて暮らすことに慣れるというのか?」

「それが、遊牧民を助けた理由ですか?仲間が必要だから?」

「ともに戦うものが必要だからだ。ここには、ドラゴンに襲われ死んだ親を持つ子供たちが沢山いる。傷を負っても戦い続けた者たちもいる。皆、愛するものを失う悲しみと、ドラゴンに対する憎しみ、そして何もできなかった自分に対する怒りを持っている」

「あとは、、、切り捨てますか?」

 昔のリーダーの親族たちは、種牛や雌牛を守ると称して真っ先に宿営地を離れ、そのまま隠れていたと聞いた。彼らは切り捨てられる?

「切り捨てるとはなんのことだ?」

 フレイヤは鼻で笑った。

「マティアスはリーダーを引き受ける際、自分の方針をはっきり語った。多数決で選ばれたんだ。嫌なら出ていけばいい。」

 出ていくといたって、住み慣れた場所や仕事を捨ててそう簡単に出ていけるものではない。それが若い二人にはわからないのだろうとシュダは思う。

青峰の民にとっては、この宿営地は彼らの故郷であり正統な財産なのだ。いくら多数決だと言ったって、「嫌なら出ていけ」はない。それよりリーダーシップを奪回すればいいと考えるのが、自然の流れだ。

 たしかに城主の言う通り「スレイヤーズは単純、実直」「世の中の高度なからくりを知らない田舎者」なのかもしれない。

沈黙したシュダの様子に、フレイヤは言った。

「幼い子供たちに、武器をとれと言っているわけではない。せめて邪魔にならないように隠れるすべを学ばなければならない、ということだ。農民だったらいざというときのために備蓄しろ。鍛冶屋なら防具や武器を作れ。自分らの生活を守るために、できることをしろと言っているんだ」

 武器を作ること自体が、権力者に加担することだといっていた父とは正反対だ、とシュダは思った。

「そしてリーダーは、人々が守りたい社会を作る」

「人々が守りたい社会?」

「自分がその一部と思える社会、その一部であり続けたいと願う社会だよ。心底守りたいものがあれば、人は戦う。

もっとも逃げ隠れして生きる生物は沢山いる。そういう方法で繁栄しているものも多い。

私には人はこう生きるべきだなどという、だいそれた意見はない。生き延び、子孫を増やすことが生命の目的だと言うなら、最後に残ったものこそが至上の生命体、あるべき姿と言っていい。

 私は慈善家でも宗教家でもない、ただの若い女。私にわかるのは、私がどう生きたいかということだけだ。私は共に助け合える仲間を集め、ドラゴンと戦う」

 彼らは自分たちのために戦っている。人々の救世主と崇めらて舞い上がっているのではない。それをシュダも理解したのだった。

 

 仕事も順調で、宿営地での日々の暮らしが習慣化してきた頃、突然、変化はおきた。

それはガスパルの一報から始まった。

「ドラゴンが三頭、現れた。一頭は負傷して逃げ出し、二頭も違う方向に飛んでいった」

 というのである。しかもフレイヤが一頭を追っている、と。

 驚いたマティアスが、ガスパルと個室で話している。しばらくして出てきた二人は心配そうだが、落ち着いてはいた。

フレイヤは心でドラゴンの行方を探っていると聞いたが、シュダには意味はわからなかった。他の連中だって同じだろう。スレイヤーのすることの半分は、普通の人間にはわからないのだ。

 しばらくしてフレイヤは帰ってきたが、短い準備期間のあと、彼女とガスパルは宿営地を離れた。

ドラゴンの追跡調査というのは、ただのいいわけだとシュダは感じた。

フレイヤは、マティアスの熱い視線に重荷を感じ、自分がいることで青峰の民に対する彼の威厳が損なわれると思って旅立ったのではないか?


 だが、マティアスとモロウだけでは青峰の民の統制は取れないだろうと考えた、シュダの思い込みはあっさり覆された。

彼らには大きな助けがあったのだ。それは大ババ様と呼ばれる老女の存在だった。

 彼女は青峰の民から信頼され敬われていた。彼女の経験によって培われた知恵は、人々の日々の暮らしの支えであり、心の支えでもあった。彼女は、強面の男たちに意見することをものとも思ってなかった。

 シュダが大ババ様と話をするようになったきっかけは、新参者を歓迎するために開かれた宴会の場だった。

大ババ様は酒飲みというわけではなかったが、少量の酒をチビチビ舐めるように飲むのが好きだった。

その宴会ではいつもより多く飲み、口も滑らかになっていた。彼女はシュダを隣に呼び、周りにいる青峰の民からは聞けないような話を聞いてご機嫌になった。

シュダは、彼女がスレイヤーの秘密などを知っているはずはないのだから、単に百歳を超えるという老女の希望に応えただけだった。

だが話を聞かせて彼女の反応を見るにつけ、徐々に彼女自身に興味をもっていった。学校さえ行ったことのない、無学な放牧民の年老いた女ではないとわかったのだ。

シュダ自身も学校には行っていないが、鍛冶の知識はもちろん、経験で養われた常識や知識はある。遠い土地で仕入れた、面白い話もたくさん知っていた。

シュダには彼女の経験が、青峰の民の歴史そのものに思えたのだ。

 二人は茶飲み友だちといったような関係になり、シュダは大ババ様の話に熱心に耳を傾けるようになった。そして大ババ様は、赤の他人という気安さからか、シュダに自分の過去や青峰の民の話などをするようになったのである。


 昔は、吹く風には逆らわぬよう生きてきたと言う大ババ様。自分が長生きできたのはそのおかげ、と笑った。だが、あるときから自分は変わったとも言った。

大ババ様の子供はみな死んでしまったが、それでも青峰の民という親戚縁者の多い仲間の間で働き、時には遠縁の子供の面倒などを見て生きていた。その中に、実の娘とも孫とも思っていた娘がいた。だが、ある時その気丈で親切な娘を、彼女は失ってしまったのだ。

 その当時は、誰も老女のことを大ババ様などとは呼んでいなかった。彼女は、遊牧民の年老いた女の一人にすぎなかった。

彼女が何度も忠告したのに、娘は正直者がバカを見るような生活はもう嫌だ、罪人は罰せられるべきだと言って旅立った。

戻っては来ないだろう、と老女は知っていた。戻ってきたくとも、それは叶わないことだろうと。

そして、彼女が思った通り、娘は帰ってこなかった。

「リーダー一族の一人に懸想されていたにもかかわらず、よそ者の男を愛し結婚したのが、不幸の始まりだったのさ」と大ババ様は嘆いた。

 娘は美しく優しかったが、世の中のことを知らなすぎた。正義感が強すぎた。

正義が力なのであって、力が正義なのではないと信じていた。

「よそ者の男と作った家庭は、単純な正直さの上に築かれた幸福なものだった。あの娘はとても幸せだった。私にはそれが唯一の救いだよ」

 その娘のこととなると、大ババ様の口は重くなった。

「子供が生まれて、彼女の家族は喜びに包まれていた。その幸福を妬む者たちからなにかにつけて嫌がらせを受けても、彼女の家族は互いをいたわり愛し合って暮らしていた。それを見ているだけで、幸せな気持ちになったものだった」

 だが、そのままでは済まなかったのだ。嫌がらせから始まったことが徐々にエスカレートして、やがて娘の子供らの命を奪った。

 お祭りの時、なにか悪いものを食べて衰弱していた二人の息子は、流行病はやりやまいにかかって死んだ。普段はとても健康で元気だった息子たち、そして他の誰もその病気で死ななかったことから、彼女ははじめから疑いを持っていたようだ。

 嘆き悲しむ父と母を、影で嘲笑う人々。罪を犯しても罰されることはないと知った者の奢り。意図して人を傷つけることを、なんとも思わなくなっていく罪人つみびとたち。

大ババ様は、子供たちが死んだ原因を知っているとは言わなかった。

だがシュダは、彼女にはわかっていると感じたのだった。

子供たちだけではなく、やがて夫も唐突に死に、娘は正義の裁きを求めて旅立った。


 もう一人残った息子を置いて旅立ってしまった、老女がこよなく愛した娘。老女はその子供が元気に育つことだけを祈り、そのために全力を尽くした。幸い、彼の世話をすることになった叔父や叔母は、正直でしっかりとした人々だった。

間もなく酷いことを平気でしていたリーダーと彼の親族に、次々と不幸が降りかかった。

「どういうわけか、あの娘の呪いだという噂が広まった。自然の力に翻弄される遊牧民は、迷信深いんじゃ」

 大ババ様は、なんの同情心もなく言った。シュダは、噂の出元は老女なのではないかと疑った。噂に尾ひれがつき、恐怖は呪いとなって人々の心の奥深くに宿るようになった。

「人々の態度の変化は面白いほどだった」

 と大ババ様は少し笑った。

その様子に、シュダも自分の疑問の答えを得たのだった。彼女は自分自身が嫌っている迷信も利用して、人の心をつかむことに没頭したのだと。

老女は、正直一辺倒では何もできないのだと、老いた頭を働かせたのだ。

 その努力の甲斐あって、彼女の望む男がリーダーの座についた。サブリーダーは彼より若い分、昔の有力者一族を露骨に嫌っていた。

大ババ様と呼ばれるようになった老女は、あの死んだ娘の息子、ガスパルを取り立てるサブリーダーに期待し、影で支えた。

「ああ、あの娘に見てもらいたい。立派になったガスパルを目にするたび、そう思ったよ」

 長く生きた甲斐があった、と大ババ様は言った。

しかし、その理想の生活も長くは続かなかったのだ。ドラゴンの攻撃に仲間思いのリーダーは死に、サブリーダーは瀕死の重傷を負った。ガスパルもひどい怪我をした。

「いち早く逃げた古い勢力だけが、無傷だった。こんな理不尽なことがなぜ、横行するのだろうね」

 またあの人を人とも思わぬ臆病者たちがリーダーの座に収まるのかと、心が潰れるほど悲しんだ、と大ババ様。

だが、その沈んだ心に陽の光が差し込んできた。画期的なアイデアが浮かんだのだ。

「だけど、前とは違ってスレイヤーズがいるのに気がついたんじゃ。何の関わりもない私たちを、命をかけて助けてくれたスレイヤーズが!」

 大ババ様は、スレイヤーズの若者たちをリーダーに押したのだ。

幸い、大怪我をしていたサブリーダーは彼女の考えに賛成し、次期リーダーを指名してから死んだ。

「よく生き延びてくれたものだよ。いい男だった。自分の決断の重要さをよく知っていた」

 彼が生き延びたのは大ババ様の薬草だけでなく、スレイヤーズの治療法に負うことも大きいようだった。

「昔のリーダー一族は反対して、投票によって決めるべきだと主張した。だが、青峰の民はまだ呪を恐れていて、スレイヤーズに投票したんじゃ。

サブリーダーになったモロウは、若者に人気のある気のいい男だ」

 だが、大ババ様の心配事は、まだ終わらなかった。

マティアスのフレイヤに対する思いに気づいたのだ。それは争いのもととなるだろう。どうしたものかと考えても、若い情熱を冷やす水はない。

下手に忠告などしたら、一喝され逆に意固地にさせてしまうだろう。

ガスパルのフレイヤに対する敬愛が、深い愛情に変わっていたのを知っていた彼女は心を痛めた。

青峰の民のような小さな遊牧民の社会では、三角関係による愛憎は大きく長い影を落とすのだ。

 だから大ババ様は、フレイヤとガスパルの二人が旅立ったのは、彼ら自身のためには何よりも良いことだと言った。

一方でそれは、青峰の民にとっては大きな損失なのだった。

「だからこそ、この残り少ない命を新しいリーダーを支え、青峰の民の礎となることに使うのだよ」

 と大ババ様は話を結んだ。


 自分自身も苦労し、家業をもり立ててきたシュダだ。引退し気ままな生活を送ってきた矢先、また城主の野望のせいでこんな僻地まで送られて来た。大ババ様には、これからは平穏な余生を送ってもらいたい、と心底、願った。だが同時に、城主と元リーダーの一族の思惑に青峰の民は翻弄されるであろうという危惧を、拭うこともできなかった。

そしてそれは、シュダの予想外の形で現れたのだった。


 近隣の遊牧民族「黄土の民」が、ドラゴンに襲われ全滅した。

生き残ったナディという女の子を、青峰の民の子供たちが見つけて連れてきて、初めてその事実がわかった。

 ナディは物を知らないが素直な可愛い子だ、とシュダは大ババ様に聞かされた。全く知らない土地から来たシュダが彼女の好奇心の的だったように、ナディもまた、彼女の興味を引いたのだ。

だが初めて会った時から、シュダはナディに嫌なものを感じた。近づかない方が良いと、はっきり感じたのだった。

 経験豊富で人を見る目に長けていると自負する大ババ様に、なぜそれがわからないのかと訝しみもした。だが、同時に怪我した少女に情をかけない自分が非情のようにも思え、特に意見するのはやめたのだった。

フレイヤがいないのが残念であった。彼女がいれば即座に、ナディに対するシュダの疑いを払拭してくれたことであろう。

幸いマティアスも、いきなり現れた小娘に心を許していないようであった。だが、それはリーダーとしての立場ゆえの注意深さであり、ナディ自身に疑いを抱いているわけではないように見えた。


 大ババ様は他の女たちに混ざって、ドラゴンに襲われ逃げ惑って怪我したというナディの体を洗ってやり傷の手当もした、とシュダに話した。

 「その時はなんとも思わなかったのだが、そういえば妙な傷があった」

 彼女は眉をひそめた。

「妙な傷?」

 大ババ様は、身体中、傷やアザだらけで腫れたりしているから、気のせいかもしれないとも言った。

「まあ、後でまた見る機会はあるだろうよ」

 大ババ様は、ナディに対する同情心で一杯のようだった。

「あの子は時々、とても暗い暗い表情をする。心配で仕方ない」と言う。

「親を失って、一人になった子供にはありがちであろう」

 シュダは答えた。

「まだ小さいのだから、辛いことから立ち直るには時間はかからないと願っておるよ。シュダ殿も手を貸してやっておくれや」

 シュダは頷きはしたが、女たちと時を過ごすことの多いナディと仕事場で過ごすシュダだ。広間での夕食のときも、シュダはわざと離れたところに座った。彼にとってナディは、関わり合いになりたくない厄介な子供でしかなかったのだ。

 ナディが大ババ様に、寝る前の飲み物を作って持っていくのが習慣になった。大ババ様はそれを毎夜、楽しみにしていると人から聞いたが、シュダは不思議には思わなかった。

寝物語にと彼女がしてくれる話を、面白いと言っていた大ババ様。

シュダは、孫かひ孫と夜を楽しく過ごす老女の姿を想像した。自分の孫たちとはまだ当分会えないのだと、ナディへの疑いも忘れ羨ましくすら思った。


 ある朝、大ババ様の冷たくなった体を見つけた世話役の女は、静かに彼女の訃報を皆に告げた。誰も驚いた様子はなかった。彼女は元気とはいえ超年寄で、いつ死んでもおかしくなかったのだ。

前夜、飲み物を運んだときは、異常はなかったとナディは言った。

 葬儀は厳かに行われ、人々は大ババ様の死を傷んだ。

シュダも葬儀に出席したが、若いリーダーたちは事の重大さがわかっていないように思われてならなかった。皆の意見をまとめてくれるバックアップを失っただけではないのだ。大ババ様はそのような薄っぺらい存在ではない。それを、わかっているのだろうかと、シュダは自分の立場も忘れて、若いリーダーたちを心配した。

 案の定、マティアスたちが彼女の真価に気づいたのは、しばらくしてからのようだった。

表からは見えない舞台裏で聞き耳を立て、時には人を諌め、時にはあれこれ忠告してくれた頼れる人を失い、マティアスたちは寝耳に水の形で人々の不平不満にさらされ始めた。

浮足立っているような彼らに、シュダですら不安を覚えた。リーダーは、動揺していることを人々に悟られるものではない。


「え?マティアス殿が食中毒?」

 そうのこうのしているうちに、マティアスらが食中毒で倒れたというニュースを聞いた。子供たちが間違って毒きのこを取ってきたらしい。

自分は全く大丈夫だったシュダは、それは食中毒などではないと感じた。

他の人々はすぐ回復したのに、マティアスとモロウの婚約者が幻覚や幻聴に悩まされている。これは、城主の息のかかった者たちの仕業に違いないと確信した。

 武器の達人が、青峰の民の不満分子と組んだのだ。若いリーダーたちに残された時間は少ない。

そろそろ逃げる準備をしたほうが良さそうだ、とシュダは思った。自分も、切り捨てられるのではないかと不安だ。

だが彼の危惧に反して、武器の達人は「お前はちゃんと連れて帰れと殿様から言われている。いつでも出発できるようにしておけ」と忠告された。

 城主はまだ自分には使い道があると考えているのだと知って、ホッとするシュダだった。

武器の達人たちも彼の仕事を観察していたようだが、自分たちには作るのは難しいとわかっているのだろう。

バリスタの使用実験は大成功だったが、ドラゴンの歯をモリの先端に組み込むには特殊な技術が必要だった。スレイヤーズができなかったその技術を持っているシュダは、少なくとも暫くは安泰なのだ。

彼は、マティアスやモロウに少しばかり同情した。

若い分、純粋で懸命に自分の仲間たちを守り、引っ張っていこうとしている者たちを自分は見捨てるのだ。

 悪いが自分の保身だけで精一杯、下手に忠告して殺されてはかなわないとばかりに、シュダは宿営地を離れる準備を始めた。そして達人たちには、できるだけ多くの完成品と龍の歯を集めるよう伝えた。

 不安そうな武器の達人を、シュダは不思議に思った。お供の男のほうがゆったりとしている。故郷に帰れる日が近い、と踏んでいるのだ。

いつもは肝の座った達人とそのお供という雰囲気なのに、最近、何故か達人のほうが浮足立っている。

「感じるんだ。うなじの毛が逆立つ。とんでもない危険が近づいているんだとな」

 流石に百戦錬磨の戦士、危険に敏感なようだ。

マティアスがイライラしているのは多分、病気のせいだけでなく迫りつつある危険を察知しているからだと、シュダには思えた。

「青峰の民の仲間にも言った。ここで権力を取り戻すより城に向かったほうがいいってな。連中は半信半疑だが、あの小娘がドラゴンが攻めてくると言ったものだから一応逃げる支度はしている」

 あの小娘というのはナディのことだ。黄土の民の生き残り。はじめは同情を買うような哀れな話を、人々に聞かせていた娘。

シュダののカンはあたった。

彼女は助けてくれた人々を裏切り、青峰の民の不満分子に加わったのだ。加わった、というのは不適切かもしれない。彼女は目的を果たすための援軍を見つけただけなのだろう。

そう考えると、大ババ様の死にも疑いが湧いてきた。

大ババ様は、ナディにはおかしな傷があると言っていたではないか?


 ナディは、黄土の民の一員ではなかったのだ。彼女は故郷で家族を殺され、奴隷として売られてきた。

その恨みを晴らすため、ドラゴンの手助けをすることに同意したのだ。宿営地のスレイヤー、すなわちマティアスを欲しているドラゴンと取引をしたのだった。

 これには、武器の達人さえ驚いた様子だった。

子供がドラゴンと組んで、スレイヤーを倒そうというのだ。

ただの子供がドラゴンの心話を聞くことができるということに、シュダは大いに驚かされた。そんなことはスレイヤー以外できないと思い込んでいた。人間の能力に関係なく、それはドラゴンの力であるのかもしれないと思い当った。

ただの獣と思っていたドラゴンが、今までより恐ろししいものとなり、本当にドラゴンなどを信頼して良いものなのだろうかと、シュダは浮足立った。

誰の復讐劇に付き合いたくもなかった。争いなどに巻き込まれるのではたまらないと、逃げることだけを考えて過ごした。


 しかしナディとドラゴンの計略は、思い通りに進まなかったようだ。

ナディはドラゴンを怒らせたらしく、ひどく怯えるようになった。ボンヤリすることが多くなり、時々我に返って体を震わせた。

その恐れは、シュダだけではなく、武器の達人や青峰の民の元リーダー一族にも感染していくようだった。

マティアスたちが、対ドラゴンの警備を強化し武器の生産は増えた。その分、見張りが厳しくなった。武器をかすめ取るのがむずかしくなる中、逃げ出す機会がないことにシュダは苛立った


 だが、その時は来た。

ドラゴンがやって来る、逃げるなら今だと武器の達人にの言われ、シュダは準備していた荷物を担いで、一目散に逃げ出した。

あてがわれた馬に乗り全速力で走らせたが、すぐに腰が痛くなりスピードを落とした。

それは大した問題ではなかった。青峰の民の裏切り者たちは、家畜を連れて逃げているのだ。馬で早駆けするように進めるわけではなかった。シュダがドンジリというわけではない。

 物音を聞いたような気がして振り返ると、巨大なドラゴンが宿営地に近づいていくのが見えた。幸いドラゴンの目的はマティアスだ。自分たちを襲うようなことはない、と思った。

もっともマティアスが倒されたら、ものはついでと家畜も襲うかもしれない。この近辺にいては危ないのは確かとばかりに、シュダは腰の痛みは無視して馬を走らせた。


 山を登りきり一息ついた。眼下には、家畜を連れて大急ぎで逃れる者たちがいた。ふと空を見て、シュダは自分の目を疑った。

ドラゴンが人を乗せて飛んでいる。その人影の放つ赤いきらめきに、目を奪われた。

 フレイヤ!シュダは心のなかで叫んだ。

フレイヤが戻ってきたのだ。

 どこにいたのだろう?なぜ戻ってきたのだ?彼女はドラゴンを手なづけたのか?どうやって?マティアスの、、、宿営地の危機を知ったのだろう?疑問ばかりが心に浮かぶ。

だが一つだけ確かなことがあった。

 サイキック、計り知れない力を持つスレイヤーの女が、戦うために戻ってきた!

 戦いを恐れて逃げる自分たちを、賢いと呼ぶのか臆病者と呼ぶのか?

だがこれは自分の戦いではない。自分が青峰の民の裏切り者たちと行動を共にしているという点に置いては嫌な気がしたが、逃げる自分は臆病でもなんでもない。触らぬ神に祟りなし、賢い選択をしただけだ、とシュダは自分に言い聞かせた。

 だがそれでも、戦に挑むフレイヤの力強さに心を惹かれた。彼女自身が美しい剣のようだ。炎でできた剣のようだ。

 ああ、、彼女のために剣を作ることができたら、、!

戦えない自分に出来るのは、戦士のための武器を作るとことだ。

 武器を作ること自体が力で権力を得る者たちへの加担、と言っていた父の言葉が、再び脳裏に浮かんだ。

 違う!自分の生活を守るために、自分自身や家族を守るために武器を取らねばならぬときもあるのだ。

力がないから、武器がないからと理由を並べて逃げるだけの自分は、本当に自分の命が危険にさらされたときも、ただ縮こまって隠れるだけなのではないか?逃げ惑って死ぬだけなのではないか?

 戦う能力を持たない自分への口惜しさが、シュダの心臓を掴む。それをよじる。

 、、、だが!これは自分の戦いではない!人の心を掴めなかったマティアスやモロウが悪い!! 子供の遊びとは違う!力ずくで仲間を支配しなかった彼らが悪い!

 フレイヤがリーダーだったら自分は逃げなかったのではないか、などとシュダはあり得ない想像をした。それからその考えを振り切るように馬を走らせ丘を駆け下り、武器の達人たちと合流した。


「もうダメだ。私はこの宿場町でしばらく休養する」

 腰が痛くてどうしようもない。馬に乗るどころか横になっていてもシュダの痛みはおさまらなかった。

「まあ、ここまでくれば大丈夫だろう。城に帰ろうと思えば馬車も手配できるだろう?殿様には、お前はここで養生していると伝える。バリスタの設計図はどこだ?俺が殿様に渡す」

「家族にも伝えてくれるか?」

 わかった、と言って武器の達人は、お供を連れて宿場町をあとにした。

 家畜を連れた青峰の民は今朝、宿場町についたばかりだ。

彼らもかなりのスピードで逃げてきたのだ。家畜たちはへとへとで休ませないと死んでしまう。

武器の達人は、彼らには城から向かいを出すように頼む、と言っていた。城主は自分にも迎えを出してくれるだろうか?シュダにはどちらでも良かった。

ともかく静養が必要だった。

 

 だが、そろそろ出発しようかと思った頃、病気にかかってしまった。体が弱っていたのだろう。家族は来ないし城の迎えも来ない。仕方なく飛脚を家族のもとに送った。

 数日経ってやってきたのは知らない女。中年女で美しいとは言えないが、しっかり者だとシュダは感じた。

彼女はリタという名前で、家族から頼まれて様子を見に来たのだといった。

工房を持っている息子はもちろん、シュダの妻は旅などできない。城下町は青峰の民と家畜の到着で活気づいていて、特別な牧草地を用意して待っていた城主は、新しく到着した「友」をもてなすために宴会を夜毎開いている、ということだった。

リタは、青峰の民の宿営地の噂は聞いていないと言った。

 全滅してしまったのかもしれない。一人も生き残りがいなければ、噂も広まることはないのだ。

 病気の自分に、見舞いもよこさない城主に仕えているのかと思うと情けなくなった。家族も家族だ。特に妻が来ないというのはどういうことなのだろう?

「奥様には長旅は無理です。第一、今は道中が危険です」

 奥様?いつからそんな立派なものになったのだろう?とシュダは考えた。

お湯も充分にない遊牧民族の宿営地で何ヶ月も過ごし、やっと着いた宿場町で病気にかかった自分を、長旅は大変、道中は危険などという理由で見舞いにも来ないとは何事だ、と思うのだ。そんなシュダの憤りを無視して、女は言った。

「道中が危険というのは、恐ろしいことが遠方で起こったからです。王族貴族が恐れていた建築中のスレイヤーズの砦が、ドラゴンの群れに襲われたらしいのです」

「ドラゴンの群れ?」

 そんなモノは見たことも聞いたこともない。ガスパルが三頭のドラゴンが一緒にいるのを見た、というのさえ信じがたいことなのだ。

 青峰の民の宿営地だけでなく、スレイヤーズの砦が襲われたというのか?

まさか、計画的にスレイヤーズを襲ったのか?そんな知恵があの恐ろいケダモノにあるというのか?シュダの頭は混乱した。

「近くの王族が、スレイヤーズを倒す絶好のチャンスと見込んで兵隊を送ったそうです」

 スレイヤーズを倒す?彼らを助けるためでなく、倒すために兵を送った?何を一体考えているのだ?計画的に人を倒そうという知能がドラゴンにあるとしたら、倒さなければならない敵はドラゴンだ。なのに目先の利益にくらんで、ドラゴンとの戦いで弱っているだろうスレイヤーズを倒そうとしているのか、、。なんと酷い、、なんと醜い、、。なんと情けない!シュダは歯噛みした。


 リタは、シュダに必要なものをテキパキと集め、良い医者や薬も探し出してきてくれた。金も十分渡されてきたようだ。

 しばらくして腰も良くなり帰っても良かったのだが、リタは有能で気立てもよく、シュダはあまり家に帰りたいという気持ちにはなれなかった。

妻への怒りは、リタに世話されているうちに溶けた。知らされてはいなかったが、妻は足を怪我してそれが膿んで寝込むほど弱り、回復が遅いというのだった。

 自分に心配をかけまいと、知らせをよこさなかったのだと気が付いた。

彼女の心根が哀れになり早く家に戻らねばとも思ったのだが、帰れば城主のところに顔を出さなければならない。その憂鬱さのほうが勝った。

妻には使用人もいればと息子夫婦もいる。心配はないだろう。

「長男の噂は聞いてないか?」

 シュダはリタに聞いた。工房を任されずに落胆して去っていった長男のことが、ここしばらくやたら気になっていた。

 遠く離れた家族を思うフレイヤの様子に、長男に対して自分は冷たすぎたのではないかと思うようになったのだ。

彼の旅立ちの日にすら、次男と工房のことが心配で、会話らしい会話などしなかった。

「遠方の地で、そのあたりを仕切る貴族の目に止まったそうです。貴族の剣作りを任されるかもしれない、と手紙が届きました。最終選考も有利に動いているようで、奥様もたいそう喜んでおられました」

「そうか、それは良かった」

 彼は剣の芸術家と言ってもいい。

彼の持つ技術自体は、弟のものとそう変わらないように見えた。しかし、彼の作る剣には、魂がこもっているようにも思えたのだ。

だが人に従うとか気に入られようとする努力などはできない気質、シュダは彼に工房を任せるわけにはいかなかった。

 二人の息子を育てるのに差別はしなかったのだ。シュダがお膳立てをしなくとも立派にやっているような長男を誇らしく思い、すまなくも思った。 

リタから息子の住所を聞き出し、行ってみたいという気になった。

「城主様がお待ちかねですが、、」

 と彼女は言った。

 お待ちかね?向かいも出さずにお見舞いの言葉もなく、何がお待ちかねだと、シュダは腹立たしかった。ともかく旅の準備をしなくてはならない。迷いながらも旅支度をした。

そしてそれは起こった。


 リタが恐慌状態で戻ってきた。いつもは理性的で有能な彼女の慌てように、シュダもとんでもないことが起こったのだと察した。

「城が! 城下町が全滅です!!」

 全滅? 何を言っているのだ?シュダは言葉もなく呆気にとられた。

「ドラゴンが!ドラゴンが青峰の民の家畜に惹かれて来たというのです!」

 ドラゴンが青峰の民の家畜を狙って来た?そんなことは、単なる風評、新参者に対する差別ではないか?

だが、それでは何に引き寄せられて城下町に行ったのだろうか?ドラゴンを引き寄せるなにかがあったのは間違いない。シュダには理由はわからなかったが、ともかく龍はやってきたのだ。

「だが、それにしたって武器がある。スレイヤーズの秘密兵器があるだろうが!」

 シュダには信じられなかった。信じなかった。

自分の妻が、家族が城下町にはいるのだ。彼らになにかあったなど、考えられるはずがない。

「城主様は、空を飛ぶと言ってもたかが獣、準備はできている、強力な武器を手に入れた、と言って避難命令は出さなかったそうです。でもその武器はドラゴンを怒らせただけで全く効果なく、火をかけられて城はもちろん城下町も三日間三晩燃え続けたそうです。逃げようとした者たちの殆どもドラゴンの炎に焼かれ、町は壊滅状態だという知らせが、やっとここまで届いたのです!」

「武器が役に立たなかった!? そんなバカな!」

 バリスタがあるはずだ。そしてドラゴンの歯を使ったモリの威力はシュダ自身が目撃したのだ。

クロスボウにドラゴンの歯を使うことも、武器の達人は伝えたはずだ。

 何か見落とした?何を見落とした?

考えに考えてふと思い出した。

あとから作ったバリスタのモリ。使ったドラゴンの歯。なにか変だと感じたのだ。だからマティアスに聞いた。

「うん、個体によって違うんだよ。生き物だからそんなものさ」

 といつもの屈託のない調子で、彼は答えた。

 あれは嘘だったのではないだろうか、なにか決定的に違うものがあったのではないのか?

 少年のように純粋なマティアス、、少なくともそういう印象を与える男、、、。その彼に裏をかかれたのか!?

シュダは自分の迂闊さに気づいた。スレイヤーズには、スレイヤーズの目的があると言っていたではないか。

「共に戦う仲間を探す」というのが彼らの目的で、青峰の民を助けたのはその目的を達成するための手段にすぎなかったのだ。

 青峰の民の、裏切り者は逃げた。戦う意志を持つものだけが残った。彼は、命を預けられる仲間を見つけたのだ。

その仲間と共に、マティアスは戦う。

 スレイヤーズの秘密と思ったものは、秘密などではなくただの囮に過ぎなかった。そして本当の秘密すら、暴かれるためにあった。

すなわち、スレイヤーズだけがドラゴンを倒せる。その事実を王族貴族の骨身に染みさせるために、一つの城下町が破壊された。

 いや、それをしたのは城主自身だ。驕り高ぶった彼の行動が、彼の町に住む人々を破滅させたのだ。

 どこまで計算したのだろう?それとも計算などではないのか?シュダの頭を、色々な考えが駆け巡る。

スレイヤーズは直感に従うと言った。正しいと信じる直感に従うのだと。

計算だろうが直感だろうが、結果は出た。

海千山千で悪知恵に長けた城主とその配下にいるものたちが、田舎者のスレイヤーと侮っていた若者にしてやられた。

 これが滑稽でなくて何だというのだろう?笑いが込み上げてきた。

呆気にとられたリタを尻目に、シュダは笑った。

だが、笑いはすぐに涙に変わった。

ドラゴンに襲われる城下町の民衆と、その中にいただろう自分の家族の姿が、急に現実味帯びてきたからだった。

 非戦闘民だけでも避難させていれば、壊滅状態などという人的被害は被らなかっただろう。

人々を襲ったドラゴンを憎み、驕り高ぶった城主を呪い、助けに来なかったスレイヤーズを恨み、彼は気が狂ったように泣き叫び続けた。


 シュダはリタとともに、城下町に急いだ。

道中、城下町からの避難民に遭遇した。

その地の住民のお情けで配られる食べ物に、行列を作っている打ちひしがれた人々。テントとも呼べない布で作った住処で、焼け焦げた品を大切そうに抱え座っている初老の女の姿に、シュダは自分の妻を重ね焦りを感じた。

 避難民の中に知り合いがいないものかと注意深く見回したが、知らない顔ばかりだった。人々の話から、移動の困難な者たちは、焼けた城下町の瓦礫を集めて作った避難所で助けを待っていると聞いた。

ともかく水や食料が必要だ。運べるだけの救助物資を集めた。リタに助言され、それらを守る人も雇った。


 避難所にたどり着きようやく知人を見つけたが、家族の消息は掴めなかった。シュダは自分の家に行こうとしたが、焼けた建物が倒れていて道も失くなり、どこがどこなのだか全くわけがわからない。

 リタに促されて、集会所のそばにある工房に行ことにした。

城への大通りの手前に、集会場はあった。そこには櫓があり、大きな鐘がぶら下がっていた。いくらなんでも、鐘は残っているだろうというのだ。

城は破壊されていたが少なくとも城跡はわかったので、そこから大体の見当をつけて集会場を探した。


 鐘は確かにあった。焼けて崩れた櫓の中に、溶けてひしゃげた大鐘があった。

 これがドラゴンの炎の威力なのか?

なんと自分はモノを知らなかったのだろう?とシュダは思った。自分だけではない。城主や城下町の人々は何も知らなかったのだ。

 家畜を襲うドラゴンが、辺境の地や遊牧民だけの問題ではなくなっていたことに気づかなかった。一般民はともかく、豪族たちも、そして王族も、スレイヤーズが権力を握ることを恐れるばかりで、彼らが必死で戦っているドラゴンに目を向けなかった。

そのツケが、今、回ってきた。


 工房も見つかった。建物は焼けていたが、工房の看板だった大きな槌が見つかった。だが、家族の行方の手がかりになるようなものは、やはりなかった。

シュダは焼け焦げた板に家族の名や落合う場所、そして自分の名を書いて看板に添えた。

それがすむと焼けて倒れた柱に腰掛け、大きなため息をついた。次にできることを、考えつかなかったのだ。

「リタ、お前の家族は?家に帰らなくていいのか?」

「そのようなものは私にはありません。奥様に拾っていただかなかったら、今頃、私は奴隷か夜鷹です」

 彼女は、代々小間物屋を営む男の妻だった。夫が博打に溺れて借金を残して死に、店も家も失ったところをシュダの妻に救われたのだった。そんな身の上も、彼は全く知らなかった。

「これからどうするのだ?」

 自分の身の振り方もわからないシュダは、途方に暮れていた。

「奥様が他の街に家や店を持っておられることを、ご存知ないのですか?そこに行ってみらてはいかがでしょう?」

 そんなことも初耳だった。そういえば妻は、

「私の出身地の町は将来性がある。いい店が売りに出されている」

 などと言っていたような気もする。好きにすればいい、と答えた。シュダは、自分の仕事以外には全く無頓着だったのだ。

 妻はきっとシュダ以上に、気まぐれな城主を警戒していたのだろう。いざとなったら他の町に逃げようとしていたのかもしれない。

働いているときはもちろん、引退してからも勝手気ままなことをして、妻が自分や家族をどう支えていてくれたか気にもとめなかった。ねぎらいの言葉をかけることさえしなかった。

すまなく思った。罪悪感にかられてリタを見上げ、

「わかった。案内してくれるか?」と小さく言った。


 妻の故郷の町には、ドラゴンの攻撃の影響はなかった。

リタの言う店や家を見て回ったが、そこでも家族の消息は掴めなかった。店子たちも城下町が壊滅したのを知っていたが、家賃や店賃はまだきちんと納めていた。

あわよくば、と思ったものもいただろうが、ともかくリタの手際よい対応で、金については心配しなくて良いところまでこぎつけた。

 家族の無事を確認できず絶望したシュダにも、まだ一つの希望が残っていた。

「私は長男を探しに行く。お前はこの町に住んで、財産の管理をして貰えるか?家族の誰かが来るかもしれない。そうしたら面倒を見てやってくれ。他に計画があるなら別だが」

 リタは計画はない、と言って仕事を引き受けた。

妻に拾ってもらったというリタは未だに彼女に感謝しているようで、シュダの妻や家族の手がかりを探し続ける、とも言った。

「そうしてもらえれば助かる」

 シュダは、長男を探すために出発した。


 旅の途中、スレイヤーズについての色々な噂を聞いた。

中にはスレイヤーズの本拠地、三角山が爆発した、などというものもあった。蛇口をひねればお湯が出ると言っていたフレイヤの話を思い出して、ついに休火山が爆発したのだと哀しく思った。

だが、スレイヤーズの砦は無事だったという話を聞いて、急に心が晴れた。

王族貴族が、ドラゴンの大群に襲われた砦に兵を送ったが返り討ちにされたというのだ。

スレイヤーズには地龍や水龍の助けがあったとも聞いて、一体どういう魔法で龍共を操るのかとシュダは驚愕した。

 スレイヤー族の二人と数ヶ月をともにして、彼らには常人にはない力があるとわかっていたのだが、それにしても彼らの底力を知ることはなかったのだ。彼らが隠していたのか、シュダが特に探ろうとしなかったためかはわからない。

卑怯者の王族貴族に立ち向かったスレイヤーズ。自分も裏切り者の一人だと罵られても仕方のない立場にいたが、それでも彼らを誇らしく思った。

 人々はスレイヤーズはドラゴンをも手なづけた、と噂している。

本当なのだろうとシュダは思う。彼自身が、ドラゴンにまたがったフレイヤを見ているのだ。

スレイヤーズは攻めてきた兵を殺さず、人質にとって身代金を要求した。それを拒絶されると城に攻め入り、そこを乗っ取ったという。第二の砦を築こうとしているのだ。

 ドラゴンの大群に襲われて、ますます力をつけたようなスレイヤーズのしぶとさに、シュダは驚き呆れた。まさに破竹の勢いだ。

 自分自身も高揚して、シュダは長男のいる町についた。


 長男はいなかった。死んでいた。殺されていた。

物取りに殺されたと聞いたが、状況が分かってくると、そうではないかもしれないという疑惑が湧いた。

 長男は人通りのない小路で殺され、目撃者はいなかった。通りかかりの人が彼の遺体を見つけ役人に届けただけで、なぜ殺されたか、何かを盗まれたのかもわからなかったのだ。別の殺人事件で役人に追われ、川で死んだ流れ者が犯人とされた。

 シュダは、長男が死んだ状況を詳しく調べ始めた。

まず、長男が住んでいたという町外れの小屋を訪れた。

そこは、シュダ自身がいた村の小屋とさして変わらず、不自由なく育った長男が、このようなところで暮らしていたのかと思うと胸が傷んだ。

小屋の前には、武器のテストをするためなのだろう、竹の棒が並び、土器がぶら下がった木や楔帷子をつけた丸太もあった。

 小屋の中に入ったが、そこは荒らされ大したものは何もなかった。

長男の死後、誰かが道具を持ち去ったようで、鍛冶の道具どころか所帯道具も見当たらなかった。

床に落ちていた龍の文様を彫った鋼のかけらを見つけ、シュダはそれを丁寧に紙に包み懐に入れた。


 その地域は比較的治安が良く、殺人はもちろん刃傷沙汰が発生することは少なかったとことも知った。

なのに、長男が殺された後、すぐに刀鍛冶とその一家の惨殺事件があった。

人々はいろいろな噂を立てて、役人たちは事件の解決を焦っていたようだ。役人が追いつめ川で溺死した男は、その殺人事件の容疑者だったのだ。

よそから来たならず者の仕業と都合よく解釈され、犯人が死んで決着がついた。

 シュダは事件の結末に納得できなかった。更に調べ、家族ともども殺された刀鍛冶が、貴族の寵愛を受けていた男であることを突き止めた。つまり、長男のライバルだ。

シュダは、事件の謎を解いたと思った。

 長男は、ライバル刀鍛冶の嫉妬を受けて、彼に雇われたならず者に殺されたのだ。頭角を現した長男の才能を妬み、貴族の寵愛を失うのを恐れた刀鍛冶の差し金だ。

その後、ならず者と雇い主の刀鍛冶との間で、なにか揉め事があったと想像できた。どうせ、代金の支払いを渋ったとか、安く引き受けすぎたとか言う争いだろう。刀鍛冶の家族は、とばっちりを受けたのだ。

 しかし、それは全てシュダの憶測。精々、推測というのが関の山で、証拠などはなかった。


 誇り高かった長男。人にへつらうことを知らなかった。人とうまくやっていこうなどと言う頭さえなかった。だから社会的地位など手に入らなくとも、それは仕方がない。だが、なぜ殺されなければならなかったのだ?

自分の技術を高め、夢を追って殺されていった。

こんな理不尽なことがあるのだろうか?人の嫉妬を買うほどの才能があるというだけで殺されたのか?

 それとも、、、これはスレイヤーズの呪いか?スレイヤーズの信頼を裏切った自分への呪い、我が子を失うとい最悪の処罰が下されたのか?

 いや、それはないとシュダは自分を諌めた。

呪いなどというものは、後ろめたき者の恐怖、弱き者の願望、、。

 長男は運が悪かったのだ。自分の高みを目指し、彼より劣る者の嫉妬を受けて、、、殺された!


 シュダは、無情の世に涙した。

 工房を任せると決めてからは、次男ばかりに目をかけたのではないか?

長男が工房を離れるときも、落胆の表情で送り出したのではないか?

支えになるような言葉もかけずに、旅立たせてしまったのだ。

 ああ、せめて妻は、彼にいたわりの言葉をかけてやったのだろうか?彼を愛し、彼の才能を信じて応援していると告げただろうか。全世界が彼を無視しても、自分だけは彼のために心を砕き、運が向くよういつも祈っていると、そう伝えて旅立たせただろうか?

 、、、多分、妻はそうしただろう。自分よりずっと周りのことが見えていた彼女は、きっとそうしてくれたに違いない。

 シュダはその思いにすがって、のたうち回る自分の心をなだめた。


 長男の最後に生きていた土地、そう思ってその町をさまよっていたシュダは、古道具屋で見事な刀を見つけた。それを作ったのは、自分の長男だと思った。

鞘と柄に入っている龍の文様に、見覚えがあったのだ。長男の小屋で見つけた、鋼のかけらに彫られた龍だ。

 店の主人は、その刀を安値で売ってくれた。早く手放したかったようだ。

金を払ってから、その刀は呪われている、貴方になにかあると後味が悪いからと言って、曰くを語った。

 ここは平和な町なのに、しばらく前に刀鍛冶とその家族が殺されるという事件が起こった。その後、見かけぬ男が剣を持ってやって来た。

その剣の見事さに驚き、ウチでは扱えないと断った。だが、いくらでもいいから買ってくれと言われ、自分の為に欲しくなった彼は理由を聞いた。すると、頼まれて剣を手に入れたのに、金を出すはずの男が約束を破ったのだと聞かされた。

 翌日、刀鍛冶一家殺人の容疑者が、役人に追われ川で溺死した。犯人が流れ者と聞き、剣を持ってきた男と同一人物だと感じた店の主人は想像をめぐらせた。

 平和な町に起きた刀鍛冶一家、惨殺事件。頼まれて剣を手に入れたのに、古道具屋にそれを売りに来た男。以前に殺されたのも刀鍛冶だったらしいと聞き、地元の貴族が新しい剣を欲していて、優れた刀鍛冶を探していたのを思い出した。

 考えた末に店の主人が出した答えは、シュダの憶測と一致していた。

彼は、良からぬ噂を恐れたが貴族が、詳細をもみ消したのだろうとも言った。

 何人もの血を吸ったらしいその剣が恐ろしくなり、祈祷してもらったが、家族に病人が出てしまった。だから貴方は、その剣を寺院にでも奉納したほうがいいなどと、店の主人は忠告した。

シュダは、自分の推測の裏付けが取れたと思った。

 店をあとにし、歩きながらもシュダの目からは止めどもなく涙が溢れた。その才能を認められるだろうという矢先に殺された長男が、哀れでならなかった。


 なんと美しい剣なのだろうか?

宿に帰って月明かりの下、シュダは剣に見惚れた。

自分が作りたかった理想の剣、真の王者にふさわしい。

 刃に浮かぶ波紋は力強く、柄も鞘も芸術品であった。龍の眼に入れられた赤い貴石が燃えるように輝き、不思議な力を感じさせる。

魂がこもっている。

自分の技術を惜しみもなく注いだ名刀なのだと、シュダは理解した。

 ふと思いついて長男の小屋に行き、庭に設置された竹や丸太を相手に剣を使ってみた。

しっくりと手に馴染む柄は、丸太にぶつかっても手がずれることはなかった。バランスは良く、鎖帷子を切りつけても刃こぼれなどしなかった。土器を突き、竹を薙ぎ払い、その後、縄を切っても、切れ味になんの問題もない。

このような剣は、自分のような引退した鍛冶屋には猫に小判、豚に真珠。名ばかりの権力者にも宝の持ち腐れ。

だが、その剣にふさわしい戦士を、シュダは知っていた。


 疲れた身体に鞭打って、シュダはスレイヤーズの新しい砦に向かった。

遠くからでも城が修復、改築されている様子がわかった。

これは強固な砦になる、と感じた。

大翼龍が飛び回り、大きな岩を動かしている。人が乗っているものも乗っていないものもいた。龍たちは何をしているかわかっているのだ。

 フレイヤの言葉を、シュダは思い出した。

「何をもって賢いというのか?」

強く、生きる知恵を持った大翼龍たちが、なぜ人間に加担するのだろう?それだけは不思議であった。


 近づくと城は工事現場の様相で、土煙がたって音もうるさかった。門を警備する者はいない。

もっとも飛び交う龍を見れば、誰もこの城をを攻撃しようとなどとは思わないであろう。

 通りかかった男に、城主にお会いしたい、取り次いでもらえないかと聞いた。男はぶっきらぼうに用件を聞き、剣を献上したいと答えたシュダを胡散臭そうに見た。そしてシュダの差し出した剣を持って、その場を立ち去ろとした。

シュダは慌てた。剣だけ持っていかれてはかなわない。フレイヤに渡してほしいのだ。シュダは城主が誰か知らない。スレイヤーズの一人だと見当をつけてやってきただけだ。

 手紙を添えさせてくれと剣を取り返したシュダを、男はますます面倒くさそうに見た。

 「何をモメてる?」

 誰かが、空から降るように下りてきた。

「バイロン、この男が剣を献上したいと言っている。だが、条件がありそうだぜ」

 と顔をしかめた。バイロンと呼ばれた男を見て、シュダはあっと思った。フレイヤに似ている。顔かたちではないが、雰囲気が似ているのだ。

「フレイヤ様のお身内の方ですか?」

 シュダは聞いた。

「二番目の兄、バイロンだ」

 シュダははホッとした。これでこの剣は間違いなくフレイヤに渡される、、、彼女が生きていればの話だが。

「フレイヤを知っているのか? もう少し静かなところで話を聞こう」

 男は片手で荒っぽくシュダの腰に手を回した。そして、いつの間にかそばにいた大翼龍に引っ張り上げられ、そのまま城の上層部に連れて行かれた。

 ドラゴンに乗って飛んでいるのか?食われるのではないか?とシュダは凍りつき、気がつくと石造りの大きな部屋に立っていた。部屋と言っても未完成で、天井は布を貼っただけの吹きさらしだ。

「貴殿の名前は?フレイヤとはどこで会った?」

 シュダは勧めらるままに椅子に座った。彼は飲み物も出してくれたが、それは暖かくも冷たくもなかった。だがいい香りのお茶だ。

 このような建設中の城では、熱い冷たいなどと文句をいうのは贅沢なことなのだ。言い訳するでもない彼の無頓着な様子が、それは当たり前と思っていることを示している。

彼もまた、常に最前線にいる戦士なのだとわかった。

「シュダと申します。フレイヤ様には、、、宿場町の試験会場でお会いしました」

 用意しておいた言い訳で返答した。

「ああ、、そういえば人を雇うために試験をしたと言っていたな。というかあれはマティアスの案だ」

「お二人は、、ご健在なのですか?」

 それすら知らなかった。女のドラゴン乗りの話は噂話にも聞くことができず、シュダは彼女も、もしかしたら戦死してしまったのではないかと心配していた。だが、最後に見た彼女の姿に、フレイヤはそんなあっさり死ぬような人間ではない、と望みを繋いでいたのだ。

「う~ん、なんというかな?」

「フレイヤ様になにか?」

「いや、彼女は元気。遊牧民とは思えないような勇敢な男に見初められて結婚した。あの、剣を振り回すことばかりに熱中していた妹を手なづけられる男がいたとはビックリだ。美しい女の姿をしているだけで、中身は男だと思っていた。いやあ、女はわからんものだ」

 とバイロンは目を白黒させた。

「父の死後、剣に触れることもなかった母が、先の戦いでは武装し女戦士たちを指揮したとも聞かされた。これにも驚いた。

残念ながら俺は他の戦いで砦を離れていて、見逃してしまったのだ。残念至極だ。 おまけにフレイヤは妊娠した。おめでたが続いて、母は泣いたり笑ったりだ」

「はあ?」

「いや、末の弟は先の戦いで戦死したんだ」

 バイロンはこともなげに言った。

「シャロンと言うんだが、、だが婚約者だったミランダが彼の子供を産んだ。それで、、まあ、母は色々落ち着かないのさ。加えてマティアスの母親は、彼女にとっては義理の妹。慰めるべきなのか喜ぶべきなのか、、なにかと複雑だ」

 としばらく考えていた。シュダにはマティアスの身に何かが起こった、ということだけはわかったが、それがなんだかは想像もつかなかった。

「サイキックではない貴殿に、何と言ってもわからないのではないかと思うのだが、マティアスは肉体を失ったが大翼龍に守られて、幽体として存在し時を旅している」

「はあ?」

 ほら、わからんだろう、とバイロン。

「俺だって、はっきりはわからないのさ。幽体という概念自体が、俺たちにも新しいんだ。精神エネルギーの塊を幽体と言うんだ。肉体が死ぬと、普通は幽体も死ぬんだと。だが、マティアスは大翼龍に守られて、そいつの肉体の中に存在するんだ」

 シュダにはわけがわからない。

マティアスは幽霊ではないが、肉体を失い幽霊のような存在になったと解釈した。だが、フレイヤは無事なのだ。それどころか結婚して子供も生まれる。勇敢な男という相手は、もしかしたらガスパルではないかと想像した。

ともかく劇的な変化が、フレイヤの身にも起きたのだと知った。

城下町だけでなく、三角山やスレイヤーズの砦で、文字通り大地を揺るがす戦いが起きたのだから、その渦中にいたフレイヤに劇的変化が現れるのは当然なのだろう。

巨大な炎をあげて自らを燃やす太陽を、シュダは思い浮かべたのである。

 この剣は、とシュダは剣を差し出した。

「私めの息子が作ったものでございます。彼の遺作となりました。フレイヤ様に献上したいのです」

「遺作?」

「人の嫉妬を受けて、無惨にも殺されました。この剣は古道具屋に売り払われ、呪われていると噂されました。でもそれは、息子を知らない者たちの下卑た憶測でございます!フレイヤ様にならきっと、わかってもらえると信じております!そのような噂は、太陽のように燃え盛るフレイヤ様のオーラの前には、無力だと信じております!」

 貴殿は本当にフレイヤを知っているようだな、と言ってバイロンは剣を受け取った。鞘から抜き、じっと見つめ、それから何度か剣を振った。

「俺の好みより細いし軽いな。だが手によく馴染む、バランスの取れた逸品だ。切れ味も良さそうだ。何よりも、、、魂を感じる。」

 バイロンは、目を閉じ満足そうに微笑んだ。心の目で、剣の魂を確認しているようでもあった。

「だが、俺たちは貴族や王族とは違う。この剣の真価は実際に使ってみなければわからない。テストさせてもらう。いいな?」

「もちろん、承知の上でございます」


 豚の死体が吊るされた木や鉄板の置かれた空き地に、人や龍が集まって来た。

シュダは緊張した。手も膝も震え、吐き気すらする。

このように緊張したことなど、今までなかった。

長男が命を失った剣の真の価値が、人前にさらされるのだ。シュダ自身が刀鍛冶で、長男の剣に自信はあった。それでももしや、という疑いは拭い切ることができなかったのだ。

 切る、突くといったテストが行われ、龍の鱗の鎧で武装したバイロンは剣をに見入っている。

「使い勝手に問題はない。刀身は曲がっていないし、刃こぼれもない。次のテストだ」

 まだ、テストがあるのかと、一息ついていたシュダは再び緊張した。

剣と龍の鱗の盾を持った男が、バイロンの前に立った。バイロンが武装している理由が、シュダにもようやくわかった。

二人の男は剣を交えた。

男たちは真剣で、実戦さながらの気迫をシュダも感じた。

彼らには、なんの遠慮も気後れもなかった。

剣と剣がぶつかり、火花を散らす。剣が盾に当たると、シャーンという聞いたこともない音が響いた。

剣が火花や音を上げるたび、シュダの心臓は跳び上がった。このようなことを繰り返されたら、どんな剣でも粉々になって吹き飛んでしまうのではないかと思った。そうなるのは、ただ時間の問題だ。


 シュダがホッとしたことに、バイロンは剣が破壊される前にテストをやめた。そして、前のテストの後と同じように、剣をじっくり見つめた。

「俺は満足だ」

 とバイロンは周りに集まった人々を、意見を求めるように見回した。 誰も何も言わないが、同意するように頷いている者もあった。

彼はシュダを見て言った。

「芯の強さと美しさ、フレイヤも気にいることだろう。シャロンの剣はガスパルに渡され、フレイヤはちょっと不服そうだったから丁度いい。

、、、この剣は俺から渡してもいいが、貴殿が自分で渡したらどうだ?妹はもう一つの砦にいる。母もミランダも、シャロンの守った砦で暮らしたいと言ってそこにいる、、まあ俺の女家族は皆、壱の砦にいるわけだ」

 大方の場所は知っていたが、それには山を越えなければならない。

 第一、フレイヤは会ってはくれないのではないか?

「老いた身には山越えはこたえます。長男の消息を尋ねて家を長く留守にしております。お差し支えなければ、バイロン様にお願いしたいのです」

 わかった、とバイロンは言って剣を収めた。

大したもてなしはできないが泊まって言ったらどうだ、とも言われたがそれは断った。建設中の砦で落ち着かないだけではなく、龍に囲まれているというのも気味が悪かった。

寝ている間に、食われてしまうのではと恐ろしかったのだ。


 シュダの後ろ姿を見送るバイロンの横で、バイロンの龍ユピテルがため息を付いた。

_いつ、お呼びがかかるかと思っていたのに、待ちくたびれた。

と、心話で不満を伝えてきた。

「わるいな。彼の前で、俺たちの秘密を明かすわけにはいかないんだよ」

_アヤツが裏切り者だから?

「彼を裏切り者と呼んだら、人間の大半は裏切り者だ」

_違うのか?

お前は相変わらず辛辣だな、とバイロンは笑った。

「彼のことはフレイヤから聞いている。お偉いさんの言いつけに背けず、 

嫌々仕事を引き受けたのさ」

_嫌なことは命を賭して避けるものだ。

「家族を人質に取られても?」

_自分の身を守れない子孫など、残す価値はない。

ふ~ん、とバイロン。

「それが人間と龍の違うところだな」

_それが、人間のヤワいところだ。

「ま、ともかく大翼龍と戦う剣には、地龍たちの祝福が必要だ。それが済ん

だら、思う存分お前らの火をかけさせてやるよ」

 ユピテルはポッとドーナツ型の小さな煙を吐いた。バイロンがそれを剣で切り裂くと、巨大な龍は心底面白そうに笑った。


 帰路についたシュダの心は、落ち着きを取り戻していた。

長男はきっと、あの剣を貴族に届ける途中で襲われたのだ。彼が命をかけたその剣が、フレイヤの手に渡る。彼女のそばで、彼女とその仲間を守るために使われる。

貴族の宝物庫で眠るかわりに、あの剣にふさわしい主の下で、作られた役割を果たすのだ。

それが誇らしかった。

 私は、自分の夢を見るのに忙しすぎた、とシュダは思う。

十分な金と人々の尊敬、社会的地位。そんなものが大切だった。そんなもののために、働き続けた。そして、それらは全て灰となり消えた。だが、長男の剣は、そんなにあっさり消えたりはしない。

 彼の剣は、いずれはフレイヤの剣として彼女の子や孫に手渡される。シュリンクやエダーの剣と同じように大切にされ、スレイヤーズの物語と共に生き続ける。

 自分のように、長男も満足してくれるだろう。そう思った。


 長い旅路を、時には馬に乗り時には歩き、シュダはリタのいる町へと急いだ。その間もいろいろな噂をいた。

 スレイヤーズは、壱の砦を良質の草が茂る草原への入口として、格安の通行料で遊牧民を誘致しているのだそうだ。

その管理を任されたのは、青峰の民の生き残り。スレイヤーズを頼って僅かな数の優良品種の牛たちと到着し、そのまま砦の近くに住居を構えることを許されたらしい。

彼らのリーダーの名はモロウ。

実直そうな彼の顔を、シュダは思い出した。最後までマティアスと共に戦ったに違いない。そうでなければ、スレイヤーズが遊牧民を自分の領地に住まわせるはずがない。

メリッサという名の彼の妻は、遊牧民なのにスレイヤーの能力を持っているとも聞いた。幻聴や幻覚に悩まされていた彼女を知っているシュダは、あれがサイキック能力の徴候だったのかと想像を巡らせた。

 青峰の民はスレイヤーズの仲間として、特別な牧草地で特別な牛たちを育てるのだろうか。あの旨い肉を、スレイヤーズは独り占めにするのだろうか。それとも商売と割り切って、王族たちに高く売りつけるのであろうか?

いずれにしても、スレイヤーズは武力だけではなく、経済力にも目を向けだしたという事がわかった。


 ようやく町に戻った。住み慣れた家というわけでもないのに、家につくとホッとした。

リタは上手に店や貸家を仕切っていた。

なんと頼れる女なのだろうと、シュダは感心した。

「奥様の消息がわかりました」

 リタは言いにくそうに切り出した。

シュダの妻は死んでいた。彼女の遺体は炎にさらされ焼かれていた。

背格好と怪我した足、そしてシュダが彼女のために作った指輪で身元を確認したとリタは言った。

 若い頃にシュダが初めて妻にやった、残り物の鋼で作った指輪。そんな古いものを、貴金属と一緒に妻はまだ身につけていたのだった。貴金属の指輪や腕輪は奪われたが、それは奪われずに妻の指に残っていたのだ。

彼女が抱いていた小さな子供は、シュダの孫だったのかもしれないが、それを確認することはできなかった、とも聞かされた。

二人を一緒に葬ったというリタの話に、シュダは深く頷いたのである。


 その後も、シュダは家族を探し続けた。だが次男もその妻も孫たちも、遺体さえ見つけることはできなかった。

 ある日、使用人だった者が仕事をくれないかと、新しい家に現れた。

多少の食料と金を与えたが、工房もない今のシュダには誰を雇うこともできなかった。

だが、盗賊さえ見限った荒れ果てた城下町で、なんの希望もなく生き延びている人々の話を聞き、なんとか復興の役に立ちたいと思った。

人生の大半を過ごした懐かしい町。いいことも嫌なこともたくさんあった。欲しいものを手に入れたが、結局全てを失った町。

 絶望し、悔恨だけを友に生きていきたくはない。そんな思いがシュダの体全体を満たした。

 どういう巡り合わせかはわからないが、スレイヤーズと出会ったのだ。

龍と戦うことをものともしない、勇猛果敢な戦士たち。短い時間を自分自身に火をつけて、燃えるように生きるつわものどもが教えてくれた。

ヒトの命は儚い。精一杯生きろ、と。

 縁側に座り考え込んでいたシュダに、リタがお茶を運んできてくれた。

「リタ。私は工具を作る」

 そこから始めよう、とシュダは思った。

また人が先を争って手に入れたくなるような良い品を作ろう。そうすれば人を雇い、彼らに安定した生活を与えられるようになるだろう。

住みやすい町を作るリーダーも、いずれは現れることだろう。

 そうしたら、工具だけではなく、、、シュダは先走る自分の考えを止めた。

それは、あとの事なのだ。

「あの町の、復旧の役に立ちたい。鍛冶屋の私にできるのは工具を作ることだ。雇用人が一心に働き、もり立てていきたいと思える工房を作ることだ」

 シュダの言葉に、リタは微笑んだ。

「奥様も喜ばれることでしょう。資金を集められるかどうか、私にもお手伝いさせてください」

 そういう彼女をシュダは頼もしく思い、感謝を込めて頭を深く下げたのであった。




                        完


 この物語は、「龍の血族」でマティアスやフレイヤに、武器作り職人として雇われ、青峰の民の宿営地に加わったシュダを中心として書かれています。

 サイキック能力を手に入れる過程を描いた、最初のドラゴンスレイヤーの物語「龍の生き血」、そして、変化していく大翼龍の謎を解こうと、自らも変わっていくドラゴンスレイヤーズを描いた連載「龍の血族」

 この機会に是非、両編も合わせてお読みください。


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