鋼鉄の目覚め
夜の工房に、金属を打つ音が響く。カブール郊外、アズィズ・ハーンが設けた秘密の軍工廠では、今まさに新たな力が胎動しつつあった。
「装甲の厚さは四ミリ、最大でも六ミリまでが限界か……車体の重量が増せば、エンジンが耐えられん」
図面を前に、アズィズは眉間に皺を寄せた。これはまだ“戦車”ではない。砲を載せた装甲台車——つまり自走砲だ。けれど、それは彼にとって“未来の象徴”だった。
「この地で使えるのは石炭よりも、軽質な粗製ナフサやガソリンです。インドからの密輸で手配は可能。高回転型の単気筒内燃機関なら、理論上、可動可能です」
そう報告したのはハキーム・ワフド。アズィズが街中の市場で偶然出会った青年で、かつてはイギリス人技師に従って、電気灯やエンジンの整備を見様見真似で学んでいた。
「排気冷却とギア比が課題だが、これは試作を重ねればなんとかなる」
工房の片隅には、イギリス製トラクターを分解して組み直した原始的な駆動装置が据えられていた。それは、回転式クランクとチェーン駆動により、台車をゆっくりとだが動かすことができた。
「その車体に、山砲を載せる。旋回は限定されても、射角を調整すれば効果は十分だ」
アズィズは頷いた。敵陣を正面から叩くための火力。なにより、兵士にとって“鉄の車が戦場を走る”という概念が、圧倒的な心理的優位をもたらすことを彼は知っていた。
「砲の選定と車体の鋼材供給が必要です。北部の鉱山から鋼鉄を溶かすには、炉の火力も新たにしなければならない」
「それも手を打ってある」
アズィズはアマーヌッラー・ハーンからの書簡を差し出した。インド国境の密輸商を経由し、イギリス製の工具と部品が運び込まれる手はずになっていた。
「数ヶ月後には、原型を動かせる段階まで持っていく。ハキーム、お前にかかっている」
「……はい。必ず形にしてみせます」
若き技術者の瞳には、希望と覚悟が宿っていた。
*
一方その頃、カブールのアルグ宮殿では、国王アブドゥッラフマーン・ハーンが重臣たちを集め、密やかな会議を開いていた。
「アズィズ・ザミーン・シャー……あの若造が我が軍を“自分の軍”に作り変えようとしている」
重々しい声に、宰相ナイームが低く答えた。
「報告によれば、彼は近隣部族に対しても影響力を強めています。軍制改革だけでなく、農政、学校制度、道路建設にまで手を伸ばしているようです」
「まるで王のようだな……」
アブドゥッラフマーンの声には、怒りと焦りが混じっていた。
「奴は外の知識を持ち込んでいる。だが、それは民の心も変える。王政の正統は、伝統の中にあるのだ。鉄屑でそれが奪えると思っているのか!」
その怒りは、かつて彼が幾度となく平定してきた反乱を思い出させる。だが、今回は違った。アズィズは部族ではなく“制度”を使って民を動かしていた。
「……私の命で奴を討てば、かえって兵の心が離れましょう」と、宰相が慎重に言葉を選ぶ。
「ではどうする? いずれ王位を奪われる日を待つのか!」
「いいえ、陛下。こちらも“中から揺さぶる者”を使うのです。奴の側近の誰か、あるいは改革に不満を持つ軍内の者に接触を」
アブドゥッラフマーンは瞳を細めた。
「良いだろう。動け。奴が新兵器を作る前に、内からその鉄を錆びさせよ」
*
数日後、カブールのアズィズ邸に、若い将校が訪ねてきた。名をサイード・バシャ。ガズニ地方出身の出自を持ち、かつてアズィズが現地で兵士訓練を行った際に、卓越した指揮能力を示した男である。
「アズィズ閣下、噂は耳にしています。貴方が造っている“動く砲”というもの——それに私も関わらせていただけないか」
「なぜ?」
「今の軍では、王の顔色ばかり見ていて未来がありません。私は、貴方とアマーヌッラー殿下のもとで、“真に戦える軍”を造りたいのです」
アズィズは短く頷いた。
「ならば、お前に北部の兵站部隊を任せる。物資と燃料の確保に当たれ」
「はっ!」
若き将校はその場で立ち上がり、アズィズに忠誠を誓った。彼が後に、共和国軍の中核を担う将軍の一人となることは、まだこの時、誰も知らない。
*
空は青く、カブールの山脈が遠く霞んでいた。
新たな兵器、鋼鉄の装甲。アズィズが描く未来は、今、鉄と火薬の音の中で静かに形を現しつつあった。
それはアフガニスタンの歴史において、誰も見たことのない“もうひとつの道”の始まりだった。