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歩き出す改革の影

カブールの夜は、静かで重たい。


 星空は冴え渡り、乾いた風が窓の隙間から吹き込む。屋敷の中には薄く香を焚いた香炉の煙が漂っていた。


 アズィズ・シャー——いや、元・斉藤圭一は蝋燭の明かりの下、地図と書簡の山に囲まれていた。文書の多くはパシュトゥーン語とペルシャ語だったが、彼の頭の中にはこの世界のアズィズの記憶が流れ込んでおり、驚くほど自然に読み進めることができた。


「この国は……思ったよりも脆い」


 彼は呟いた。中央の王権が貧弱で、部族ごとの独立性が強すぎる。徴税すら満足にできず、治安は地域の軍閥任せ。加えて、北にはロシア、南にはイギリスという大国が虎視眈々と影響力を広げている。


 そして、肝心の王——アブドゥッラフマーン・ハーンは即位早々に兄弟との権力闘争で苦しみ、軍も統制がとれていない。


「だが、今なら間に合う」


 彼の中には、近代国家の原理があった。徴兵制、武器の統一、鉄道と通信網、貨幣制度、そして教育。全てを導入するのは時間も労力もかかるが、今この瞬間から始めなければ未来はない。


「今ここで動かなければ、アフガニスタンは『帝国の墳場』として滅びるしかない」


 彼は、決意を胸に立ち上がった。



 翌朝、彼はカブールの城砦近くにある軍営へと足を運んだ。


 着任当初から彼の指揮下にあったのは、主にパシュトゥーン系の歩兵部隊二百。騎兵や砲兵の部門は各地の部族からかき集めた寄せ集めで、軍服すらバラバラ、銃器の型もまちまちだった。


 訓練場に入ると、銃声と怒鳴り声、そして笑い声が飛び交っていた。


 彼は叫んだ。


「全員整列!」


 その声に、兵たちは反射的に動いた。アズィズは部下たちから「寡黙だが抜群に腕の立つ将軍」として知られていたため、その声には自然と緊張感が走る。


「今日から、この部隊は俺の指揮の下で再訓練する。まずは射撃姿勢と銃器整備からだ」


 一部の古参兵たちが目を細めた。


「何を今さら……」


「王命でもないのに、勝手に——」


 だが、アズィズは言った。


「俺の言葉に従えぬ者は、部隊から除名する」


 静けさが広がった。


 この国で除名されるということは、即ち生きる道を失うということだ。王都の兵士は特権的立場にあり、家族にも影響が及ぶ。


「……承知しました、アズィズ将軍」


 最初に頭を下げたのは、下士官の一人、バーシャールだった。彼はかつてアズィズと前線で共に戦った仲で、現場の兵たちからも信頼が厚かった。


 これを皮切りに、全員が従うしかなかった。


 その日から、アズィズの「近代訓練」は始まった。


 まず行ったのは、銃器の清掃と分解講習。日本製の自衛隊マニュアルを思い出しながら、構造と理論をパシュトゥーン語で説明した。


 兵たちは最初戸惑いながらも、次第にその合理性に驚き、目を見開いていった。


「これをやれば、銃は詰まらない。命中精度も上がる」


「命が助かる技術なら、俺はやる!」


 訓練は日に日に厳しさを増したが、兵たちの目は生き生きとしていた。アズィズの中にあった「日本のサラリーマン時代の教育経験」や「学生時代のサバゲーで培った教官気質」が、今まさに本領を発揮し始めていた。



 ある日の夕暮れ、アズィズはふと一人の若者と出会う。


 髪を短く刈り、清潔なシャルワール・カミースを身に纏った青年。彼の瞳には、憂いと知性があった。


「君は?」


「私はアマーヌッラーと申します。王家の傍系にあたりますが……いまはただの学徒です」


 その名に、アズィズの心が震えた。


(アマーヌッラー・ハーン……未来の改革者、アフガニスタン独立を実現する男)


 歴史オタクとして知っている名だった。目の前の若者が、まさにその人物なのか。


「君は、国の未来をどう思う?」


 アズィズがそう問うと、アマーヌッラーは静かに答えた。


「このままでは、国は潰れます。外国の傀儡に堕ちてしまう。私は、学び、変えたいのです。イスラームの教えを持ちつつも、西洋の知恵を拒まぬ新しい国を」


 その言葉に、アズィズは確信した。


(この男となら、やれる。未来を変えられる)


 このときから、二人の協力関係が始まった。


 アズィズはまだ、己が歩む道がどれほどの困難を伴うか知らない。だが、仲間を得た。思想を共有できる者を。


 乾いた風の吹く王都カブールで、近代という種が、密かに芽吹き始めていた。

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