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苦手な方はご注意ください。

BL

ミントキャンディ

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

【春】


 寮で同室になった上河内は、とても美しい男だった。外国の血が混じっているのだろう、ミルクティーのような色のやわらかそうな髪の毛に、ミントキャンディのような涼しげな色の瞳を持っていた。おまけに身長も高い。全体的にシュッとしている。まるで別世界の生き物のようだ。彼と同じ空間にいると、笠原は平凡な自分の容姿をうっかり恥じてしまいそうになる。

 同室とは言うが、寮の部屋は、簡易なキッチン付きの共有スペースと鍵なしの個室がふたつの贅沢な仕様である。共有スペースにはテレビはないが、くたびれた二人掛けのソファとテーブルが備え付けられていた。一応、進学校であるこの高校には、遠方からやってきている生徒も大勢いる。そういう理由もあるのか、寮の設備は想像以上に整っていた。鍵は付いていなくとも、寝室が別々であることに笠原は安堵していた。あんな美しい人間とプライベート空間まで共有しなければならないなんて気が休まらない。

 入学式の日には、示し合わせたわけではないが、寮の食堂で上河内と共に朝食を済ませ、共に学校へと向かった。笠原から話を振るわけでもなく、上河内から話題を提供されることもなく、ふたりはなんとなくいっしょにいて、しかしずっと無言だった。

 生徒用の玄関を入ってすぐの掲示板に貼り出されたクラス表を見て、上河内とはクラスは別々だということを確認した笠原は、

「じゃあね」

 隣に立つ上河内に一言だけ挨拶をし、自分の教室へと向かった。上河内とクラスが離れたことに対してはなんの感情も抱かなかったが、知り合いの全くいないこの学校で、はたして友人ができるのかどうか、そのことだけは不安だった。

 入学式で笠原は驚くことになる。新入生代表の挨拶で、上河内の名前が呼ばれたのだ。上河内って首席で入学したんだ、と笠原は感嘆の吐息をもらした。自分はやっとの思いでこの高校に入学したというのに。顔もよくて頭もいい人間の存在を許すなんて、神様は不公平だ。とりたてて神の存在を信じているわけではないはずなのに、こんな時だけ神に対する恨み言を唱えてしまった自分に、笠原は呆れる。


「笠原も寮生だよな? おれも寮生なんだ」

 入学式が終わり教室へ戻ると、前の席の柿本という生徒が話しかけてきた。

「そういえば寮内で見かけたかも」

 笠原は言う。柿本の顔には、確かに見覚えがあった。

「笠原は、あの上河内と同室なんだろ?」

 あの、というのは新入生代表の挨拶のことを言っているのだろう。

「うん。なんで知ってるの?」

「おまえら、食堂でいっしょにいたじゃん」

 そういえばそうか、と思う。

「上河内ってどんなやつ?」

 柿本の無邪気な問いに、

「まだよく知らない」

 笠原は首を振る。

「まあ、そりゃそっか。まだ会ったばっかだもんな」

 柿本は言い、「おれらも仲良くしようぜー」と軽く言った。その軽さに救われながら、笠原は、「よろしくね」と笑顔で応える。不安の種だった友人問題が、柿本の存在で解消し、笠原は胸を撫で下ろす。


 入学式から数日が経ち、学校にも少しずつ慣れてきた。柿本とも仲良くやれている。朝は柿本が部屋まで迎えに来てくれるので、上河内と三人で登校している。しかし、笠原と柿本ばかりが会話をしている中、上河内はずっと無言だった。

 その日、柿本は美術部に興味があるらしく、部活動の見学で放課後は学校に残るというので、笠原はひとりで生徒用玄関を出た。隣に立つ人影に気付き顔を上げると、上河内だった。

「いっしょに帰ろうか」

 笠原が言うと、

「……うん」

 上河内は躊躇うように、しかしそれでも頷いた。すごく小さな声だ、と笠原は思った。

 帰り道も、朝と同じで上河内はずっと無言だった。

 歩きながら、上河内は小石を蹴飛ばしていた。ころころと前方に転がって行った小石に追いつき、上河内は再びそれを軽く蹴飛ばす。繰り返し行われるその行為に、

「なにやってんの?」

 笠原はとうとう上河内に質問を投げかけた。

「なにって?」

「ずっと小石を蹴ってるじゃん」

「ああ。寮まで蹴って帰ろうと思って」

 小学生か。そう思いながら笠原は、「ふうん」と相槌を打つ。

 結局、寮の玄関前まで小石を蹴り続けていた上河内に、

「その石、どうするの?」

 笠原は尋ねてみる。

「別にどうもしない。ここに集めて置いておくだけだ」

 寮の玄関前の鉢植えの周りには、小石が五つ六つと散らばっている。

「これ、全部蹴って帰ってきたの?」

「うん」

 上河内はどこか得意げに頷いた。

「す」

 笠原は呆れながらも笑顔を作り、「すごいね」と上河内を讃える言葉を口にする。上河内はますます得意げになり、そして満面の笑顔を見せた。初めて見た上河内の笑顔を、笠原はかわいいと思ってしまう。そして、更にこうも思った。上河内って勉強はできるけど、実は結構な馬鹿なんじゃないか。別世界の生き物のように感じていた上河内の存在だが、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。笠原は、静かなよろこびを感じていた。

 それ以来、笠原は少しずつだが上河内と会話をするようになる。気候の話から始まって、好きな食べものや嫌いな食べものの話、そして、その日、自分のクラスで起こった他愛のない出来事などを、笠原は上河内に話して聞かせるようになった。上河内も、登校中の笠原と柿本の会話に少しずつ入ってくるようになった。


「青葉会に誘われたんだ」

 ある日、上河内が言った。部屋の共有スペースのソファに並んで座り、ラジオを聴いている時だった。青葉会とは、生徒会執行役員ではないものの、生徒会の雑務を手伝う会である。希望者は誰でも入会できるし、優秀な生徒ならば生徒会執行役員から直々に声をかけられることもある。次の役員は、だいたい青葉会のメンバーの中から選ばれるらしい。

「すごいね」

 笠原は純粋にそう思った。青葉会に誘われたということは、優秀な生徒だと認められたということだ。

「明日、ミーティングがあるらしい」

 そう言った上河内は浮かない表情をしている。

「どうしたの? 行きたくないの?」

 青葉会への誘いは、確か断ってもいいはずだ。そこは生徒の意思が尊重される。

「そういうわけじゃないんだが」

 上河内の返答ははっきりしない。

「笠原、いっしょに来てくれないか」

 唐突に上河内が言う。

「嫌だよ、誘われてもいないのに行くの。それに、生徒会の雑務って、すごく面倒くさそう」

「僕だって、面倒くさい。本当に本当のことを言うとあまり行きたくない。でも、きみといっしょなら行ってもいいかと思うんだ」

 情けなさそうな上河内の表情に、庇護欲を刺激され、

「わかった。最初だけだよ」

 そう言って引き受けたことを、笠原は後悔することになる。最初だけどころか、上河内は青葉会の活動がある時は、放課後必ず笠原の教室に迎えに来て、お願いという形でほとんど無理矢理に引っ張って行くのだ。上河内は、いてくれるだけでいい、なにもしなくていいと言うが、その場にいるからには笠原の気持ちの問題上、なにもしないわけにもいかず、やはりやりたくもないアンケートの集計やデータ入力などの雑務を手伝うことになる。

 笠原にとってこの学校は、かなり無理をして入った高望みの進学校だ。授業についていくのも人一倍がんばらないといけないのに、このままでは本格的に自習をする時間が削られてしまう。上河内を説得して、青葉会への同行をなんとか断ろうとしていたころ、

「笠原くんがいっしょに来てくれるおかげで、上河内くんがやる気を出してくれるから助かってるよ。ありがとう」

 生徒会副会長に礼を言われてしまった。

「いつも手伝ってくれてるんだから、もういっそ笠原くんも青葉会に入らない? 笠原くんの仕事は丁寧でミスも少ないから、そうしてくれたらこちらもうれしいんだけど」

 そう言われて少し心がぐらついたものの、笠原は誘ってもらったことに礼を言いつつも丁重に断った。そして、上河内にも自分の学力事情を話し、ひとまず勉学に励みたいという希望を伝えた。

「悪かった。きみの時間を奪うつもりじゃなかったんだ」

 上河内は言った。じゃあどういうつもりだったのかとも思うが、共有スペースのソファで体育座りをしてしょんぼりしている様子の上河内に、笠原は強く言えなくなってしまった。

「これから、ひとりで行けるよね」

 笠原が言うと、「生徒会室の前までは付いて来てほしい」と上河内は言う。

「扉の前までいっしょに来てくれたら、そこからはひとりで大丈夫だ」

 ミントキャンディのような美しい瞳を潤ませて懇願するように言われると、断れない。

「わかった」

 結局、笠原は生徒会室の前まで上河内を送って行く役割を続けることになる。

 同じころ、上河内には爪を噛む癖があることに笠原は気付いた。今までは慣れない環境で気を張っていたのか、その癖を見かけることすらなかったために気付かなかったのだが、最近では部屋でふたりきりの時には、上河内は頻繁に爪を噛むようになったのだ。

「それ、昔から?」

 今日の授業の復習と明日の予習を終わらせ、ラジオを聴きながらゆっくりしている時に、笠原は何気なく尋ねてみた。言われて初めて気が付いたかのように、噛んでいた右手の親指を口から離し、上河内はただ頷いた。



【夏】


 体育の授業に水泳がなくてよかった、と上河内は言った。

「なんで?」

 スポーツの中では唯一得意である水泳の授業がないことを残念に思っていた笠原の率直な問いに、

「僕は泳げないんだ」

 上河内はあっさりと答えた。

「上河内にもできないことがあるんだ」

 得体の知れない感動を覚えながら笠原は言う。

「僕にもできないことはたくさんある。きみだって知ってるだろう。きみは、僕をなんだと思っているんだ」

 そう問われて、笠原は改めて考えてみる。最初は、別世界の生き物だと思っていた。しかし、小石を蹴ることに真剣になったり、ひとりで生徒会室に行けなかったり、プレッシャーやストレスを感じると爪を噛む癖があったり、上河内のことを知れば知るほど、笠原は上河内の存在を身近に感じていた。なので、その素直な気持ちを口にしてみる。

「俺は、おまえのことを大切な友だちだと思ってるよ」

 言ってしまってから自分でも驚くほど照れてしまった。

「笠原……顔が赤いぞ」

 そう言った上河内の顔も赤くなっていたので、笠原は照れ隠しにへらへらと笑みを浮かべた。


 もうすぐ夏休みに入る。寮内の話題は自然と帰省のことになる。柿本は美術部の活動があるので七月の間は寮に残ると言っていた。

 上河内に帰省はどうするのか尋ねると、「きみが残るなら、残る」という、なんとも曖昧な答えが返ってきた。

「なにそれ。俺はもう、すぐ帰るよ、すぐ。海行きたいし」

 夏休みへのわくわくを隠し切れずに笠原は言う。

「海……そうか、笠原は泳げるんだな」

 心なしか羨ましそうに上河内は言った。

「俺んち、海の近くなんだよ。小さいころから海で遊んでたから自然と泳げるようになったっていうか」

 事実を話しているのに、なんだか言い訳のように聞こえてしまう。

「上河内だって、練習すればすぐに泳げるようになるよ。運動神経はすごくいいんだからさ」

 事実、五月の体育祭での上河内の活躍は目を見張るものがあった。水泳以外の運動が苦手な笠原にとっては苦痛なだけの体育祭だったが、上河内の雄姿は素直にかっこいいと思いながら見ていた。

「上河内は、あまり泳ぐ機会がなかっただけなんじゃないの?」

「そうだろうか」

 今度の夏休みは、実家に遊びにおいでよ。そう言いかけた笠原だったが、なんとなくやめてしまう。自分は上河内と海へ行ったりして遊びたいが、上河内はそうではないかもしれないと思ってしまったからだ。そもそも、出会って間もないのに実家に遊びに来いなどという誘いは、重いかもしれない。


 夏休み直前、ふたりは初めての喧嘩をすることになる。

 事の発端は、部屋の簡易冷蔵庫に入れておいた袋入りゼリーの最後の一個を上河内が食べてしまったことからだった。

「最後の一個は俺が今日食べるからねって言っておいたじゃん!」

 風呂上がりにからっぽの冷蔵庫を見て激高した笠原は、ソファに座る上河内に怒鳴ってしまった。

「暑くて我慢できなかったんだから、仕方ないだろ」

 なぜそんなに怒るのか、と不思議そうな表情で上河内は言った。

「ごめんの一言くらい言えって」

「僕もお金を出しているんだから、食べる権利があるはずだ」

「そういう問題じゃない!」

 くだらない喧嘩だったが、ふたりとも暑さで頭に血がのぼってしまっている上に、それを冷やすためのゼリーももうない。上河内は、ソファで体育座りをして、イライラしたように爪を噛んでいる。

「爪噛むなって。血が出るだろ」

「うるさい!」

 怒鳴るように言い、上河内は自室に引っ込んでしまった。

 それ以来、上河内とまともに会話をしていない。用事がある時は、交互に柿本に伝言を耳打ちし、お互い伝えてもらっていた。

「もう嫌だ。面倒くさいんだけど」

 会話の仲介をさせられた柿本はそう言ってむくれていたが、伝言は忠実に伝えてくれていた。


「おまえら、いいかげん仲直りしろよ。おれの負担が大きいんだよ」

 数日経ったある日の放課後、ふたりで校内の売店に立ち寄った際にとうとう柿本に言われてしまった。笠原は素直に頷く。

「ごめん。俺もそろそろ仲直りしたいんだけど、きっかけがなくて」

「きっかけなんてなんでもいいんだよ。自分の麦茶をいれるついでに上河内の分もいれてやるとか、そもそもおやつが原因なんだから、なにかお菓子とかあげて、いっしょに食べるとか。その流れでなあなあに仲直りしちゃえよ」

「うーん、お菓子かあ。いらないって言われないかな」

 上河内はあんこが苦手だと言っていたな、などと思い出しながら笠原はお菓子の棚に視線をやる。またゼリーを買うのは避けたい。再び喧嘩になるかもしれない。売店には文房具の他に、ちょっとしたお菓子なども置いてある。文房具に特化したコンビニのような感じなのだ。

「上河内も仲直りしたがってるなら、いらないなんて言わないだろ」

 仲直りしたがっているのだろうか、上河内は。笠原は急に不安になる。しかし、こんなふうに喧嘩したまま長い夏休みを別々に過ごすのは嫌だとも思う。

「見て見て、柿本。この飴、上河内の目ん玉みたいじゃない?」

 目に入ったミントキャンディの袋を手に取って柿本に見せると、「まあ、確かにそんな色だけど、言い方がよくない」と窘められた。

「言い方って?」

「この飴、上河内の瞳みたいできれいだね、とか」

 柿本の言い方は、まるで愛をささやいているようで、

「なにそれ。言ってて恥ずかしくないの? 俺はとてもじゃないけど、そんなこと言えない」

 笠原は照れてしまって憎まれ口をたたいてしまう。

「そう言われると確かにちょっと恥ずかしいかな」

 柿本は我に返ったように耳を赤く染めていた。


「上河内、これあげる」

 部屋に戻った笠原は、共有スペースのソファに座る上河内に、先ほど売店で購入したミントキャンディを差し出す。

「なんだ」

「ミントキャンディだよ」

 無視をされなかったことにほっとしながら、笠原は答えた。上河内はキャンディの袋を素直に受け取り、ばりっと封を開け、包みを剥がすと、それをすぐに口に入れた。

「それ舐めてる間は、爪噛まなくても大丈夫だろ?」

 笠原の言葉に、

「スースーしておいしくない」

 上河内は不服そうに言って、気まずそうな表情を浮かべた。

「この飴、上河内の瞳みたいで、きれいだったから……」

 もそもそとそう言うと、上河内は、「そうか」と言い、うふふ、と照れくさそうに笑った。言ったほうも言われたほうも照れてしまっている。柿本プロデュースの台詞はやはり失敗だったかもしれない。

「俺にも一個ちょうだい」

 笠原は言い、上河内からミントキャンディを受け取り口に入れた。

「本当だ。スースーしておいしくないね」

 そして、照れ隠しにへらへらと笑う。


 楽しい夏休みを実家で過ごし、真っ黒に日焼けして寮に戻った笠原の話を、上河内は聞きたがった。上河内は結局、夏休みをずっと寮で過ごしていたらしい。共有スペースのソファに並んで座り、笠原はスマートフォンで撮影した写真を見せながら、夏休みになにをしたのか、どこへ行ったのか、上河内に説明する。

「これは海へ行った時の写真」

 勉強もしなくてはいけなかったので、毎日は行けなかったが、それでも七月の間は週三くらいで海へ遊びに行っていた。

「この写真、くれないか」

「いいけど、なんで?」

 笠原とその友人たちしか写っていない写真だ。こんな写真をなぜ上河内が欲しがるのかわからない。

「きみが楽しそうに笑っているから、見ていると楽しい気持ちになる」

 上河内が言った。

「そんな理由? まあ、いいけど……」

 写真を上河内のスマートフォンに送るため、笠原と上河内はこの時、初めて連絡先を交換したのだった。

「今度の夏休みは、実家のほうに遊びにおいでよ」

 笠原は言った。夏休み前には言えなかった言葉を、やっと言えた。上河内は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに頷いて、

「うん。笠原の家、行きたい」

 はにかんだような笑顔を見せた。



【秋】


 慌ただしかった文化祭も終わり、なんだか気の抜けたような日々が続いていた。文化祭前後は大忙しだった青葉会も、その反動なのかほとんど活動休止状態だ。そのおかげで、上河内も上河内を生徒会室まで送る役目の笠原も、授業が終わるとすぐに寮に戻ることができる。

 そんなころ、柿本が嬉々として部屋に持ってきたのは、二体の小さなキューピー人形だった。てのひらサイズのそれは、小さなカツラを被せられており、着せられている制服や髪の毛や瞳の色などを見る限り、どうやら笠原と上河内を模してあるようだ。

「どうしたの、それ」

「文化祭の輪投げでゲットした人形を改造したんだ。上河内はともかく、笠原は特徴がないから似せるのに苦労したよ」

「余計なお世話だよ」

「でもほら、ふたりともかわいくできてるだろ。やるよ」

 そう言って、上河内は笠原の手にその二体を押しつけ、ハミングしながら部屋を出て行った。無理矢理のように受け取らされた人形をそっと目の高さに持ち上げると、笠原はまじまじと眺めてみる。二体の人形は、どことなく楽しそうな笑みを浮かべていた。

「悪くないかも」

 そう呟いて人形をテーブルに置き、彼らと同じように笑みを浮かべたその時、上河内が部屋に戻って来た。

「おかえり、上河内」

 笠原はテーブルに置いた人形を見つめたまま言う。

「ただいま」

 そう言った上河内が、テーブルの上にある人形に目をとめた。

「なんだ、それ。キューピーさん?」

「柿本が置いて行った。改造したんだって」

 上河内の「キューピーさん」という呼び方をかわいいなと思いながら、笠原は上河内に二体の人形を手渡す。

「すごい。柿本は器用なんだな」

 上河内は感心したように言う。

「美術部だし、こういう作業が好きなのかも」

「へえ、よくできてる。これはきみで、こっちが僕か」

 思いのほか、上河内は楽しそうに人形をいじくり回している。

「気に入ったの。だったらおまえの人形はあげるよ」

 笠原は言い、上河内の手から自分の人形を取り返そうとした。

「おい、どうしてそっちを取るんだ。そっちが僕のだ」

 そう異議を唱え、笠原を模した人形を大事そうに手の中に包み込んだ上河内に、笠原は不服を申し立てる。

「そっちが俺のだって」

「きみは、僕を持っていたらいい。僕はこっちがいいんだ」

 上河内は真顔で言い、笠原の人形を離そうとしない。その上、

「僕は、きみがほしい」

 真剣な表情でそう言われ、

「おかしなこと言うなよ」

 笠原は驚き、照れ、そして、少しの歓喜を覚えてしまう。

「わかった」

 笠原は、しぶしぶという感じに聞こえるように言った。

「その代わり、大事にしろよ」

 照れ隠しのようにへらへらと笑いながら言ったその言葉に、満足したような表情を浮かべた上河内は、

「うん、大事にするよ」

 笠原の人形の髪の毛を、親指の腹でやさしく撫でる。

「やめろよ。恥ずかしいだろ」

「大事にしろと言ったのはきみだ」

 上河内は微笑み、笠原の人形をポケットにしまった。


 夕食後、共有スペースのソファーに並んで座り、ふたりはラジオを聴いていた。本当は明日の授業の予習をしないといけなかったのだが、どうにも手につかない。テーブルの上に開いた教科書を読もうとするも、目が滑って同じ箇所を何度も読んでしまう。上河内の言った、「僕は、きみがほしい」が頭から離れないのだ。人形のこととはいえどういうつもりなのか、どういうつもりでもないのか、上河内の深層が読み取れない。

 ラジオからは、リスナーからの遠距離恋愛についての相談メールが読まれた後、それを励ますように遠距離恋愛のことをうたった明るい曲が流れ始めた。悩むことが馬鹿らしくなり、

「この曲好きだな」

 笠原はラジオから流れる曲に合わせて鼻歌をうたう。

「恋や愛なんて罪悪だよ」

 右手の親指の爪を噛みながら、上河内は言った。

「どうしたの、急に。夏目漱石の『こころ』みたいなこと言って」

「父も母もお互いに外に愛人を作って、僕のことは放ったらかしだ。家から遠いこの学校の受験を勧めたのも、僕が邪魔だったからだ」

 笠原は上河内の右手を掴み、そっとその口から離す。

「爪なくなっちゃうよ」

「ミントキャンディがもうないんだ」

「また買ってくるよ」

 上河内の親指の爪はぼろぼろで、唾液に濡れていた。不思議と汚いとは思わず、笠原は上河内の右手を握ったままでいた。

「ミントキャンディがなくても、こうしてたら爪を噛まなくて大丈夫でしょ?」

「僕は、こんなふうに」

 上河内は苦しそうに言葉を吐き出す。

「誰かに手を握ってもらったことなんて……」

 泣きたいのに泣けない。そんな表情をした上河内が、笠原の手を強く握り返した。

「笠原」

 小さな声で名前を呼ばれた。

「うん」

 小さな声で返事をし、笠原は上河内の手を握ったまま、ラジオから流れる曲を聴いていた。



【冬】


 ある晩、ギッと音を立てたベッドが傾き、笠原は現に引き戻された。何者かが自分のベッドに入り込んできた。そう瞬間的に判断し、次に驚きにも似た恐怖を覚え、笠原はおそるおそる上半身を起こす。武器になりそうなもの、たとえば鋏やカッターナイフなど、の保管場所を頭の中で確認しながら視線を左下に向けると、そこに横たわっていたのは、上河内だった。

「上河内!」

 安堵と驚かされた腹立ちで、思わず叫んだ笠原を、ぱちりと瞼を開いた上河内は、無表情に見つめる。

「なにしてんの、上河内。びっくりするじゃん」

 笠原は咎めるような口調で言った。

「今まで自分でも気付いていなかったんだ」

 もぞりと布団の下で大きな身体をまるめるようにして、上河内は戸惑ったように言う。

「なに? なんの話?」

「だけど、きみが現れて、僕はそれを否が応にも気付かされることになった」

「だから、なんの……」

「わかるか、笠原。寂しかったんだ。僕は、ずっと」

 そう言った上河内は、笠原のパジャマの裾をそっと掴んだ。およそ普段の上河内らしからぬ仕草に、笠原は驚愕を覚える。

「僕は、わからなかった。自分が寂しかったことにすら気付かなかった。だって、僕はもうずっとひとりだったから。寂しいなんて感情は、そうだな、知らなかったんだ」

「上河内」

 パジャマを掴む白い手を振り払おうとした笠原だったが、先刻の上河内の言葉がすでに脳裏にこびりついてしまっており、できなかった。できるはずがない。自分にすがり付くようなその手を振り払うことなんて。その代り、ミルクティー色の上河内の髪の毛をそっと撫でるにとどめる。

 寂しかった。上河内は確かにそう言った。そして、寂しかったことにすら気付いていなかったのだと、そう言ったのだ。笠原に、自ら進んで弱い部分をさらしてきたと言ってもいい。そんなことをされてしまえば、強く反論もできない。

「上河内」

 その頭に手を置いたまま、笠原は力なく友人の名前を呼んだ。

「笠原。ああ、その、きみがいてくれて、僕は、そう、とても……」

 一拍置き、

「うれしい」

 たどたどしく言って、笠原のパジャマの裾を離し、上河内は静かに瞼を閉じたのだ。

「そりゃ、どうも」

 そう呟いた笠原は、もう上河内を自分のベッドから追い出すことができなくなっていた。そのまま自分も横になり、無理矢理に瞼を閉じた。今夜は窮屈で眠れないだろうと覚悟していたのだが、上河内の体温は存外に気持ちが良く、笠原はすとんと落ちるように眠ってしまった。

 それから、毎日のように笠原のベッドでいっしょに眠っている。こちらが疲れていようがおかまいなしだ。最近ではぬいぐるみよろしく上河内に抱きかかえられて眠ることも少なくない。窮屈だと文句を言おうと口だけは開くものの、鼻にかかったような甘い声で名前を呼ばれると、なぜだかそれもできなくなってしまう。腐った果実のような、なんともぐずぐずな気分に笠原はこっそり溜め息を吐くのだ。


「上河内。おまえはそろそろ、ひとりで眠る訓練をするべきだよ」

 意を決した笠原が、その口調と内容共にまるで子どもに言い聞かせるようにベッドで隣に寄り添う上河内に言ったのは、その夜のことだ。

「なぜ」

 訝しげに眉根を寄せ、上河内は言う。

「俺だって、いつまでもおまえといっしょにいられるわけじゃないんだし」

 こういうことが癖になってしまっては困るのはおまえだぞ。それともおまえは俺がいなければ他の誰かともこんなふうに添い寝をするのか。そう言葉を続けようとしたのだが、

「なぜだ」

 上河内が口を開くほうが少しだけ早かった。

「いつまでもいっしょにいればいい」

 冗談ではなく、上河内は心の底からそう思っているように笠原には見えた。

「そういうわけにもいかないだろ。たとえば、卒業して進学先が違えば離ればなれになるかもしれない。その後は就職もあるし。そうしたら転勤とかあるかも。それに、どちらかが結婚したり……」

 笠原は別離の例えとして、なるべく前向きな言葉を慎重に選んでいたつもりだったが、

「結婚? 結婚するのか?」

 上河内の声には険が混じる。上河内が勢いよく身体を起こしたのを機に、自分も半身を起こし、枕をクッション代わりに背中を預けた。

「いつかはね。もっとずっと先のことだよ」

 焦ってしまったことを悟られないように、笠原は軽い口調で言い、表情を整えて見せた。

「でも、もしそうなったら、いっしょに暮らしたり、いっしょに眠ったりなんてできないだろ?」

 上河内は気付いていないようだが、そもそもその前に、二年生になったら部屋替えもある。

「なぜ」

「なぜって」

「同じ大学に進学していっしょに暮らせばいい。就職しても同じだ。いっしょに暮らそう。結婚もしなきゃいい。あるいは、結婚しても僕といっしょに暮らせばいい」

 上河内は迷いのない声で言うのだ。笠原は絶句する。そんな笠原を上目遣いに鋭く見つめ、

「きみはつまり、僕にひとりになる訓練をしろと言っているわけだ」

 上河内は皮肉混じりな口調で言い、

「せっかく、きみという友人ができたというのに、僕はまたひとりにならなきゃいけない。そういうことなんだろう」

 右手の親指の爪をがじがじと噛みながら、俯いた。

「ちがう、上河内。そうじゃない。爪を噛むのはやめろって」

 笠原は強く言う。

「いつか離ればなれになる。そう言ったのはきみだろう」

「上河内」

「きみは、いつか僕を捨てるんだ。恋人や結婚相手を見つけて、いらなくなった僕を捨てる。僕の両親と同じだ」

「上河内、ちがう。俺は……」

 矢継ぎ早に放たれる言葉に口を挟むこともできず、最悪なことに、どうやら取り乱しているらしい上河内をなだめられるような上手い言葉も見つからない。笠原は途方に暮れて上河内をただ見つめていた。

「……わかった。もとに戻るだけだ。簡単だ。もともと僕は……ひとりだったんだから」

 上河内はそっけなく言い、ベッドから下りると笠原に背を向け、そのまま寝室を出て行った。この時、彼の名前を呼び、無理矢理にでも引き留めておくべきだったと笠原が気付くのは、翌朝になってからだった。


 制服に着替えて自室を出る。

「おはよう、上河内」

 キッチンに立つパジャマの後ろ姿に声をかけたが、返事はない。まだ臍を曲げているらしい。そう思った笠原は、

「なあ、上河内」

 香りからして、コーヒーをいれている様子のルームメイトの背中になおも話しかける。

「おまえ、なにか誤解してるよ。昨日、俺が言いたかったのは……」

 そこまで言って、笠原は言葉を飲み込んでしまった。振り向いた上河内の表情を見て、なにかがおかしいと思ったのだ。上河内の視線は確かに自分に向いている。しかし、その目は笠原のことを見てはいなかった。笠原を通り越して、笠原の後ろの椅子に注がれている。

「上河内?」

 やはり、返事はない。上河内はするりと笠原の横をすり抜けて、椅子に座りコーヒーを飲んだ。しばらくじっと空を見つめる彼の顔を見つめながら、笠原は再び彼に話しかけるべきかどうか悩んでいた。その時、上河内のスマートフォンが電子音を発し、内容を素早くチェックした上河内は、自室に戻って制服に着替え、出てきたかと思えばコートをばさっと乱暴に羽織った。そして、マフラーを乱暴に掴むと足早に部屋を出て行ってしまう。青葉会の用事でもあったのかもしれないと思うが、追いかけて行くべきなのかどうか一瞬悩んでしまった。そもそも青葉会に顔を出さなくなって久しいのだから行っても邪魔になるだけだ、と思い直す。今日の上河内はまるで、自分のことが見えていないようだ、と笠原は思う。昨晩、上河内が言った言葉を思い出す。

 もとに戻るだけだ。

 上河内は、もとに戻ろうとしている。笠原はそう悟った。ひとりだったころに、戻ろうとしている。笠原と出会う前の自分に、戻ろうとしている。だから笠原がいないように振る舞うのだ。

 ひとりになる訓練。

 昨晩、上河内が口にした単語を、笠原は胸の内で反芻した。なんて悲しい訓練だ。

「おはよう、笠原、上河内」

 いつものように柿本が声と共にドアをノックする。もう学校へ向かわなければいけない時間だ。ぼんやりしていて朝食を食べ損ねてしまった。

「上河内はどうしたの? 青葉会?」

 姿の見えない上河内のことを先に登校したと判断した柿本が言う。

「うん。というか、今日の上河内には、俺が見えてないみたい。あいつ、俺がいないみたいに振る舞うんだ」

 透明人間にでもなった気分だよ、と冗談めかして言うと、

「えー、また喧嘩? おれはもうおまえらの会話の仲介をするのはごめんだからな。早く仲直りしろよ」

 まるで母親がそうするかのように叱られ、笠原は小さく項垂れる。

 喧嘩。喧嘩なのか、これは。笠原は思う。喧嘩なら今までにも何度かした。お互いに意地を張って口をきかないことだってあった。些細な罵り合いをすることだって。しかし、存在を消されたことは初めてだ。さすがに、これはこたえる。

 咽喉の奥が鈍く痛み、居ても立ってもいられなくなった笠原は、上河内を追いかけようと表へ出てみたものの、すでに時間は経過している。上河内がどこにいるかわからずとも、校内にはいるだろうと仕方なく諦めて、笠原は追いかけてきた柿本と共に学校へ向かう。しかし、クラスが違うこともあり、学校で上河内に会うこともなく放課後になってしまった。

 遅くに部屋に戻ってきた上河内は、相変わらず笠原の存在を消していた。上河内の演技は徹底しており、本当に演技なのかわからなくなる。実際に自分が消えてしまったような気になり、笠原は不安に襲われた。友人にその存在を認識してもらえない自分は、友人とふたりきりのこの空間において、果たして本当に存在していると言えるのだろうか。笠原の存在は、上河内が認識して初めてそこに実態を持つ。リビングにふたりでいても、上河内は今、確かにひとりきりだった。

「上河内」

 小さく呼ぶ声は、届いたのかどうかすらわからない。


 その晩、上河内は自分の寝室にこもってしまい、笠原のベッドにもぐりこんでくるようなことはなかった。

 久々にのびのびと眠ることができるぞ。そう強がったのも束の間、このベッドってばこんなに広かったっけ、と笠原は寝返りをうちながら、ううん、と小さく唸ってしまう。そして、シーツはこんなにも冷たかっただろうか。

 隣にあった体温がなくなると、こんなにも空虚な気持ちになるものなのか。笠原はまた寝返りをうち、暗い天井を見上げる。この空虚な気持ちを、一般的に「寂しい」と呼ぶことを、笠原は知っている。だとすると、上河内は、もうずっと長い間、この空虚な気持ちを抱えていたということになる。自分が、寂しいのだということにも気付かずに。笠原の胸のあたりが、きゅうっと締め付けられるように痺れた。自分のパジャマを、すがるように掴んだ上河内の白く美しい手を思い出す。寂しかったということを自覚した彼が、どんな思いで自分にすがり付いたのか。どんな気持ちで弱さをさらけ出したのか。想像すると、目の奥がじんわりと熱くなる。

 ごめん。ごめんよ、上河内。

 心の中で、謝罪をし、笠原は枕に顔を埋めた。


 上河内の「ひとりになる訓練」は続いていた。透明人間になった笠原は、ただそこにいた。話しかけても答えてもらえない。その瞳に映してももらえない。そっと肩に触れてみても、その温度をないもののように扱われて、笠原の精神はくたくたに疲れてしまった。存在を消されてしまった笠原は、ぺしゃんこになった心をたったひとりで持て余す。

 笠原の精神状態は限界だった。俺はここにいるんだぞ! そう叫んでしまいそうになる。実際に、何度か叫んだ。しかし、隣の部屋から苦情が来ただけで、上河内の耳には笠原の声は届かない。

 その晩、笠原は上河内の個室の扉をノックした。このノックは、上河内には聞こえない。そういう設定なのだろうからノックしたって扉をあけてもらえるはずもない。だから、勝手に扉を開く。もともと鍵なんて付いていないのだ。

「上河内」

 ベッドの淵に腰掛けてぼんやりと空を見つめていた上河内は、驚いたように笠原を見て、立ち上がった。やったぞ! と笠原は思う。上河内が、とうとう笠原の存在を認識したのだ。まさか、寝室にまで押し入られるとは思っていなかったらしい。上河内の体調が思わしくない時くらいにしか寝室には足を踏み入れたことのなかった品行方正な自分は、もういないのだ。俺を見くびるなよ、と笠原は渇いた唇を舐める。

「上河内。ひとりになる訓練は、もうやめろ」

 笠原は言う。

「当分はいっしょにいられるんだし、それに、もし離ればなれになったって、なにも変わらない」

 無表情に笠原を見つめる上河内に、笠原は噛んで含めるように話しかける。

「ここ数日、おまえに存在を消されて、俺はとても寂しかった」

「寂しかった?」

 その言葉が理解できないとでもいうように、上河内の声は訝しげだ。笠原が自分のせいで寂しい思いをしているなんて想像もしていなかったに違いない。

「そう。寂しかったんだ。寂しいのは嫌だ。誰だって。そうだろ?」

 頷きはしないものの、上河内は黙って笠原の言葉を聞いている。

「いい、上河内。当分は俺たちはいっしょにいられるんだし、それに、もし俺たちが離ればなれになったって、なにも変わらない」

 先刻、言ったばかりの言葉を笠原は繰り返す。

「変わらないなんて嘘だ」

 上河内が小さく言った。

「どうしてそう思うの?」

「きみがいなくなる」

「いなくならない。俺はいるよ。生きてる限りはね」

 我ながら頭の悪そうな言い回しだ。上河内の部屋の中をさり気なく見渡すと、勉強机の上に笠原を模した人形が置いてある。食べかけのミントキャンディの袋と、スマートフォンからプリントアウトしたらしい笠原の海での写真が机の前の壁に貼られているのも目に入る。笠原は苦笑し、続ける。

「上河内。もし離ればなれになったって、俺たちの関係は変わらない。俺はおまえのことが好きで、おまえは俺のことが好きだ。お互いを大事に思ってる。そうだろ?」

 ミントキャンディのように涼しげな色の目が笠原を見つめる。

「なあ、上河内。それだけは変わらないんだ。捨てるとか捨てないとか、そういう次元の問題じゃない。そんな二択は、存在すらしないんだよ」

 もう一度言い、笠原は上河内の答えを待つ。そうだと言ってくれ。

「僕がきみを好きだって?」

 上河内は皮肉な口調で言った。その言葉を聞いた瞬間、笠原の胃がずっしりと重くなった。上河内も、自分と同じ気持ちだと思っていたのだ。「たぶん」という曖昧な表現や「きっと」という希望的観測ではなく、「絶対」そうだと、そうに決まっている、と笠原は思っていた。それが、自惚れだったのかもしれない。そう思ってしまった瞬間に、急に身体が重くなった。自惚れだとしたら、自分はとんでもない爆弾発言をしてしまったことになる。だから、

「こんなことを言いたくはないが」

 上河内が再びその口を開いた時、どんな言葉を投げられるのかと笠原は唾を飲み込んだ。覚悟をしなければ。なにを言われても耐えられるような強い心を準備しておかなくてはならない。しかし、

「僕はきみを愛している」

 上河内が発した言葉は、笠原の想像を超えるものだった。

「だから、きみが僕以外の人を愛しても、その人のことも、きっと愛せる。きみが大切だから、きみが大切にしているものも大切にできる。きみと、きみの周りの環境、全部を僕は大切にする。きみを愛すると言うことは、そういうことなんだ」

 たぶんね、と付け加えた上河内は、そして、口角をきゅっと持ち上げて笑みを作って見せた。

「愛情というものはそういうものなんだろう。それでいいんだろう? 僕たちは、なにも変わらない。きみがそう言うんだ。信じるよ」

「……上河内」

 珍しく優しい言葉をかけられてうっかり感動してしまい、笠原は両手を広げて上河内との距離を一歩縮める。ハグをしようと思ったのだ。

「恋や愛なんて信じていなかった」

 吐き捨てるように上河内は言い、笠原の瞳をじっと見つめる。ミントキャンディのような涼やかで美しいその瞳を、笠原はハグを待つ体勢のままたっぷりの愛情をもって見つめ返す。

「だけど、僕はきみを……」

 言いかけて、上河内は口を噤んだ。笠原はその言葉の先を待ったが、上河内は唇を引き結んだままだ。そして、諦めたように長い溜め息を吐き、「笠原」と穏やかな声で笠原を呼んだ。そんなふうに呼ばれたのは久しぶりで、笠原の目頭は熱くなる。

 上河内は、やわらかい動作ですっぽりと笠原を抱き込み、

「笠原。きみは、コンパクトでふかふかしていて、抱くのにちょうどいいんだ」

 少し屈んだ上河内に耳もとで拗ねたように言われたその瞬間、笠原は、自分がこの友人のことを確かに、愛しい、と思っていることを改めて自覚した。

「コンパクトは余計だ」

 そう言って笑い、笠原は甘えてくる子どもみたいな彼の背中に手を回し、あたたかなその体温にすがり付いたのだ。

「好きだよ、上河内。俺だって、おまえを愛してる」

 そう言葉にした瞬間、笠原を抱く上河内の腕に力が入る。腰が折れるのではないかというほどの圧力を感じ、

「痛いって。身体が真っ二つになっちゃうだろ」

 笠原は慌てて身を捩る。

「きみは、いつもおかしなことを言う」

「お互いさまだって」

 抱き合ったまま顔を見合わせて笑う。

「上河内は忘れてるみたいだけど、二年生になる時には部屋替えがあるよ。おまえ、大丈夫なの?」

 笠原が懸念を口にすると、上河内の表情が途端に絶望感を帯びた。やはり、部屋替えのことにまで思い至っていなかったらしい。

「ひとりになる訓練はしなくてもいいけどさ、ひとりで眠る訓練だけは続けようよ」

「うん。わかった」

 上河内は真面目な表情で頷く。

「寂しいからって、俺以外のやつのベッドにもぐりこまれても嫌だし」

 そう言ってしまってから、照れくさくなった笠原は、それを隠すようにへらへらとした笑みを浮かべる。

「そんなことは、絶対しない」

 そう言った上河内も、妙に照れくさそうにもじもじしていた。

「きみがそうやって笑う時は、照れている時だ」

 言われてしまい、

「なんだ、ばれてたの?」

 笠原は、さらにへらへらと笑ってしまうのだ。



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