『発見』の科学
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――『発見』
これは気づきの先にある知見を探す科学である。
芸術家が持ち得る観察というものと似ているかもしれないが、しかしながら『発見』とは距離がある。物理的にも心理的にも地平線の向こうに『何があるか考え、それを探して手に入れる行動をし、そして自ら体験して、蓄積する』これらが『発見』における「科学過程」である。
この実体験をもって帰結する――「Art」もまた自らを進化させようとするホモ・サピエンスとしての個体認識する意識であり、正に織田信長は「Art(科学)の体現者」である。
その視点で彼の成してきた事跡を丁寧に見直してゆけば、如何に彼が『Art(科学)』を成してきた「Art(科学)の体現者」であるか理解して頂けるだろう。つまり彼は『何があるか考え、それを探して手に入れる行動をし、そして自ら体験して、蓄積する』を持って、現代的に言えば彼が関わる社会分野をボトムアップとアップデートしたと言える。
そしてそれが同時代のホモ・サピエンス社会(日本社会)にどのように影響を与え、進化させたか。つまり中世から大航海時代というグローバル文明へ参加する『ジパング』を造り得たか、考えていただけるのではないかと思う。
だが、唯、ひとつだけ、随筆家は筆を止めて言いたい。
それは彼の為に不幸を得たものがどれほどいたかという皮肉だ。つまり徳川家、浅井家、荒木家、挙げればその数は枚挙にいとまがないが…。




