表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/26

誤謬を伴う話

(20)



 織田信長 - Wikipedia

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7


 ――織田信長


 この人物が歴史上に成したことを知りたければ、ウィキペデアのURLを貼り付けておくので是非、参考にしてほしい。そちらの方が詳しいし、彼の事跡を語ることは、特にこのサピエンス科学(サイエンス)の上では必要ではないので割愛したい。


 さて、織田信長である。


 …おや?

 ここでおかしいと思ってくれる人物がいれば、それはこのエッセイを注意深く読んでくれている証拠である。そして、こう言うはずだろう。

 随筆家(エッセイスト)は明治以前の日本に「Art(アート)」はなかったと言ってなかっただろうか?なのに何故それ以前の日本人を取り上げるのだろうか?


 …捉え間違えてはいけない。

 それは「芸(藝)(アート)」の事であり、「Art(アート)」とは意味が異なる。


 いや、そうではない。あなたは小さなヨーロッパを源流とする社会以外には存在しなったと言わなかったか?


 …成程、確かにこの時代は大航海時代であり、日本(当時のジパング)は明らかにアジア全体をみても「外輪郭世界(アウトサイダー)」だった。その理論で言えばそうである。


 だが…、である。

 結論を言うようで申し訳ないが「Art(アート)」とは何も小さなヨーロッパ社会だけの独占ではない。ホモ・サピエンスが存在する社会ではいくつも成り立つ意識であり、それが他の文明域の人類と摩擦し、同化され、やがてその結果、ホモ・サピエンスとして進化し得たとする「知恵のある人」としての個体認識なのだ。

 だから「外輪郭世界(アウトサイダー)」における社会でも、その萌芽は当然起こりえるし、ひいてはそれらが対立して、糸の様に纏わりついて、いわば「進化」を伴わせたホモ・サピエンスの全体意識の塊こそが「ボビン」だと、エッセイでは表現していたにすぎない。


 では、良いだろうか。

 話は逸れたが、ここで――織田信長を取りあげる意味は何なのか。

 彼はどのような「Art(科学)の体現者(アーティスト)」なのだろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ