誤謬を伴う話
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織田信長 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7
――織田信長
この人物が歴史上に成したことを知りたければ、ウィキペデアのURLを貼り付けておくので是非、参考にしてほしい。そちらの方が詳しいし、彼の事跡を語ることは、特にこのサピエンス科学の上では必要ではないので割愛したい。
さて、織田信長である。
…おや?
ここでおかしいと思ってくれる人物がいれば、それはこのエッセイを注意深く読んでくれている証拠である。そして、こう言うはずだろう。
随筆家は明治以前の日本に「Art」はなかったと言ってなかっただろうか?なのに何故それ以前の日本人を取り上げるのだろうか?
…捉え間違えてはいけない。
それは「芸(藝)術」の事であり、「Art」とは意味が異なる。
いや、そうではない。あなたは小さなヨーロッパを源流とする社会以外には存在しなったと言わなかったか?
…成程、確かにこの時代は大航海時代であり、日本(当時のジパング)は明らかにアジア全体をみても「外輪郭世界」だった。その理論で言えばそうである。
だが…、である。
結論を言うようで申し訳ないが「Art」とは何も小さなヨーロッパ社会だけの独占ではない。ホモ・サピエンスが存在する社会ではいくつも成り立つ意識であり、それが他の文明域の人類と摩擦し、同化され、やがてその結果、ホモ・サピエンスとして進化し得たとする「知恵のある人」としての個体認識なのだ。
だから「外輪郭世界」における社会でも、その萌芽は当然起こりえるし、ひいてはそれらが対立して、糸の様に纏わりついて、いわば「進化」を伴わせたホモ・サピエンスの全体意識の塊こそが「ボビン」だと、エッセイでは表現していたにすぎない。
では、良いだろうか。
話は逸れたが、ここで――織田信長を取りあげる意味は何なのか。
彼はどのような「Art(科学)の体現者」なのだろうか。




