フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ、略してゴッホ
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――フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ、略してゴッホ。
言わずと知れた「向日葵」の画家であるが、随筆家にとって彼は正規の美術教育訓練を受けず独学で主流から外れ「伝統的芸術」絵画から近現代人の精神的内面を解放させた画家という理解である。
――精神的内面、それはいかなる意味であろうか。
ゴッホについて理解がある方がいれば、彼の人生、とりわけ彼自身の精神病との関わりに知っている方も多いだろう。だが大方は彼自身の美術史に残した功績を鑑みて、その事を黙り、面前で伏せてしまう人も多くはないだろうか。
そういう方々にとって絵画とは崇高なるものと同一だとして意識してしまう作用が働くかも知れないが、それは残念ながらゴッホ自身が生きていた産業革命後の近現代人のこれからの芸術感覚からすれば絵画に対する迷妄なる無知と捉らえかねられない。
ゴッホは現代における外輪郭世界芸術(アール・ブリュット)を孵化させた「Artの体現者」である。
彼自身はもしかすると人生歴として牧師であったことやミレーを敬慕していたところからも神の存在という宗教的感覚の有る絵画を作り出そうとしたかもしれないが、彼自身の感覚はおおむね自身に潜む精神的病との融合による絵画を結果として生み出し、やがてそれを生前にキャンバスに描く。それは生前評価されず、近現代になって花開く。
何故、近現代で花開いたのだろうか。
それはそれまでの「伝統的芸術」絵画の根底にある不変律から解放された近現代を生きるホモ・サピエンスが観る「精神的歪みのある視野」を捉えたからだと随筆家自身は考えている。
ゴッホの描いた絵画世界には神は無く、そこには産業資本で生きる現実世界があり、その現実はホモ・サピエンスが受ける強度性精神的圧迫によって見えており、そこから見える世界は正しく前時代であるルネサンス・ヒューマニズムと背中合わせの「伝統的芸術」と離別した近現代人であるホモ・サピエンスが抱える精神的内面の歪みから見た精神的事象を描いている。
話を戻すが現代における代における正当な外輪郭世界芸術(アール・ブリュット)を日本では精神病院内におけるアートセラピー(芸術療法、クリエイティヴ・セラピーの一種)などで描いた絵画と思われることが多いようだが、実際には正規の美術教育訓練を受けず独学で主流から外れているという意味である。
随筆家はゴッホをあくまでも後者の意味のおける立場で深く止めており、精神病の発作等で彼が外輪郭世界芸術を作り得たと捉えていないと理解していただきたいし、精神病を伴うことが外輪郭世界芸術(アール・ブリュット)の根本的創造力ではないと言いたい。
「外輪郭世界芸術は「Art」における「外輪郭世界」を作っていることを書きたくてゴッホを引用した。
ゴッホは確実に「伝統的芸術」と離別させた「我は否定する、故に我在り」という「Art」を体現した。
つまり「Artの体現者」である。
ゴッホについてはこれで終る。
次はデュシャンについて書く。




