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逃げたやつより、逃げなかったやつが負けるやつ

作者: 望月叶奏

「やればできるのに、やらずに逃げてそれでいいと思ってんの?」


 中学三年生の夏、私は第一志望校を変えようとしていた。正しく言えば、すり替えようとしていた。そんな時に、担任の松田先生からかけられた言葉が今でも私の心の中で響き続けている。

 私は、第一志望校を変えた。元々は、日比谷高校に合格したかったけど、西高校に変えて無事合格した。それはそれは、楽しい高校生活だった。制服じゃなくて、私服で登校できたし、部活動も盛んな高校でとても充実してた。都内で、一位、二位を争う高校だけあって、生徒のレベルもかなり高い。変人、と言われる人は多かったけど、私は少なくともそこまで変人ではなかったから、変人と言われないように頑張っていた。

 高校三年間なんてあっという間で、私はもう大学生になった。文学部だった私は、フランス文学を専攻して、大学二年生の頃はフランスに留学に行ったりした。大学一年生の頃に、バイトでコツコツ貯めたお金で行った留学は、とても悲惨なものだった。部屋は狭いし、水道はよく止まるし、電気がつかない部屋が普通にあるしで、何から何まで日本より劣っていた。その癖して、フランス人は赤と白と青の旗を自分たちの胸に掲げては、自由、平等、博愛だとかなんとか叫んでいる。そして、しまいには日本のアニメを小馬鹿にしたり、アメリカのトランプを揶揄した人形劇を上映したりと、何かと自分達の行動がとち狂っていることに気づいていなさそうだった。

 だけど、フランスには偉大な文学作品がたくさんあったし、大抵の思想はフランスの哲学者によるものだったりした。その事実は変えられない、と私は思う。私は、哲学とか宗教とか難しいことを考えるのはあまり好きじゃない。けど、文学は好きだった。だから、フランス人の小説はありったけ読んだし、フランス語もフランス人並みに話せるくらいにまで勉強した。

 私には、四つ上の姉と、二つ上の姉がいた。四つ上の姉は、もうエリート商社マンと結婚して子どもも産まれていた。二つ上の姉は、なんと言ってもキャバクラのバイトをしている、ことしか特徴がないというか、男癖が悪いというか、その、あんまり自慢のできる姉ではないことは確かだった。

 当の私はというと、あまり男という生物が好きではなく、彼氏は一度もできたことがなかった。今まで、告白されたり、付き纏われたりしたことはあったけど、自分から誰かを好きになることはなかった。人を好きになるって一体何なんだろう、と考えてしまって眠れない夜が私を襲うこともあった。

 その癖、フランス文学を専攻した、せい、というかおかげというべきか分からないけど、恋愛に関する小説ばかり読まされて、というか読んで、研究することが多く、より恋愛って何がいいんだろうと思うことが増えてしまった。自分の頭の中では、実際の恋愛と小説の中の恋愛というのは、きっと乖離があると思うけど、それでも無理してでもしたいものではなかったからずっと彼氏はいない。周りからは、「あんたは理想が高いんだよ。」とか、「恋愛向いてないね、センスを感じないもん。」とか言われ放題で、余計に話したくなくなった。だから、もう恋愛について誰かに話すのはやめた。聞くだけにした。別に、聞いても楽しくはないけれど。

 フランスは、日本よりも街並みが綺麗だ。綺麗に整列したレトロな建物が、一つの道を挟むように建て並んでいる。その道を歩くのが楽しかった。左右から、同じ建物が迫ってくる感じがなんとも私にはたまらなくて、やみつきになった。エッフェル塔とか、凱旋門とかは観光客向けだなと感じる。私は少なくとも、そのあたりにある平凡な建物が、フランスの一つの魅力であると思った。何が魅力だろうが、別に私の勝手だし、みんなの勝手だけど、私には好きなものがある。その確固たる信念を、貫き通したかった。私は、フランスの文学が好きだ。







「やればできるのに、やらずに逃げてそれでいいと思ってんの?」


 高校三年生の冬、大学入試センター試験が迫る中、担任の嶋田先生に言われた言葉だった、と記憶している。僕は、東京医科歯科大学を目指していた。だけど、センター試験プレで、初めて九割を切ってしまったことにショックを受け、立ち直れずにいた。医科歯科は九割切ると、危ない。毎回のように、Twitterに模試の成績を載せていたけど、今回は載せるのが怖かった。

 載せてみると、案外自分が思ってたほどのアンチコメントは来なくて、心中穏やかではあった。けど、Twitterの民に意見を求めるより、自分の中の評価の方が大事だったからこの一ヶ月は死ぬ思いで勉強しようと思った。

 三月の合格発表。僕は、無事東京医科歯科大学に合格した。これで夢だった医者への道が開かれた、気がした。合格発表が終わってからは、今まで行きたくても行けなかった県外への旅行や、友達とオールでカラオケ、サウナとかを全部やった。完全に、勝ち組な人生を歩んでいたと思う。

 淡々とした人生だなぁ、なんて思う時もある。けど、地道な努力を要する人生ってコツコツ努力するのが得意な自分にとっては、最高な気がした。 

 僕は、大学一年生の頃、着々と医学の勉強をしていた。成績も悪くなかったし、このままいけば国家試験も難なくこなせると思っていた。だけど、現実は違った。

 大学二年、大学三年、と学年が上がるにつれて、勉強ができて何ができる?医師に本当になりたいの?このままでいいのか?と、自問自答することが増えていった。迷える子羊のような、けど、目的地までは確実に着くレールに足を滑らせながら、平凡な毎日を送っていた。  

 そして迎えた医師国家試験。ギリギリで合格、ようやく自分の長年の夢である医師になる資格を得た。これで、僕も人の命を救える医師になれる。そう確信した。きっと、油断していた。

 医者は、医者になってからが厳しかった。これまで、勉強漬けだった日々から抜け出せたと思ったのに、今度は命の重さが僕にのしかかってきた。まだ、患者の治療はできない。なんでだろう。自分がなりたかったのは医者なのに、いざ、救わないといけない命が目の前にあると何もできない。思い描いていた「医者」という職業が、少しズレた「医者」に転向した。 






 私は、翻訳家になった。 

 僕は医師になった。






 私たち、僕たちはきっと間違ってない。正しい道を進んでいるはず。だけど、なぜか拭えないこの敗北感が僕を蝕んでいく。私は、毎日締め切りに追われているけど、自分が好きなフランスの小説の翻訳をできていることを考えると幸せだなと感じる。

 私の父は、二年前に自殺した。なぜだかは、わからない。父にもいろいろあるのだろう。私は、拠点のパリを離れ、久々に日本に帰国する。中国で、新種のウイルスが発見されたらしい。どうせ大したことはないけど、なにか大袈裟に叫んでいる飛行機のニュースを聞きながら今日もゆったりと目を瞑る。

 今回の小説は、今まで書いてきた小説の中で一番深い傷を残した気がします。そのまま読めば、面白くありません。自分に重ねて読んでみてください。そうすれば、この小説に込められた意味は肥大化していくと思います。

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