7. 偽りの婚約内定の理由 殿下目線
「それにしても……願いを叶えるねぇ」
「お、嘉一でも気になるのか?」
「そりゃぁ、僕だって人の子ですから」
「おや? 欲しいものは神の手なんて借りずに自分で掻っ攫いにいくものだと思ってたけど」
「それも間違いではないけどね」
僕の呟いた言葉に、傍にいた吉広と長太郎が、順番に答えていく。
その二人と、自分の視線の先にいるのは、一人の少女。
「本当なら、こんな風に傍に置きたいわけじゃないしね」
◇◇◇◇◇
十歳になったあの年。
父上と母上から「大事な話がある」と呼び出され、二人の元へと行けば、「嘉一の婚約者が決まったのよ」と満面の笑みで二人に告げられた。
婚約者。そんなことを言われても、と思ったのが第一声。
その次に出てきたのは、それが幼馴染みの少女、有澤壱華であって欲しい。
幼心に、そう願った僕の願いは、この直後、いとも簡単に叩き割られた。
「壱華ではダメなのですか」
そう問いかけた僕に、「有澤の家は、代々、護衛としての役割を全うしてくれているからなぁ……」と父上は困惑した様子で答え、母上は「この先、あなたが心の底から本当に好きになった人が、大切にしたい人が出来たなら、その時に考えてみましょう?」と僕の頭を撫で、柔らかな笑みを僕に向けた。
心の底から大切にしたい人、好きな人。
それを言われても、壱華しか思い浮かばない。
けれど、幼い自分では、そのことを上手く伝えることが出来ず。
かと言って、有耶無耶な言葉で父上と母上を悲しませたくもなかった。
こんな事を相談出来るのも、唯一、壱華とともに幼馴染みと言える長太郎と吉広しかおらず、ある日、意を決して二人に話をしてみたところ、あの時、二人にはかなり怒られた。
どこかの馬の骨とも言えるような見知らぬ男に、横から掻っ攫われて目の届かないところに行かせるのであれば、長太郎と吉広とともに、壱華も僕の護衛として傍に置き、時期がきたら僕から壱華に婚約を申し入れるつもりだ。
そう告げた僕に、長太郎と吉広はその場ですぐに同意をしてくれ、僕たち三人の意見は纏まった。
有澤の家が、僕の護衛につくことについては誰も異議を唱える者はおらず、壱華の護衛の件は、驚くほどにすんなりと大人たちの了承は得られた。
いざ、壱華へ護衛の依頼をした時も、彼女は、本当に嬉しそうな表情を浮かべて「私のすべてをかけて、お護りします。殿下」と、まっすぐな瞳を僕に向けながら了承をしてくれた。
そして、その翌年、僕の年齢が十一歳と半年を過ぎた頃。
「この子が貴方の婚約者よ」と紹介されたのは、一度か二度、顔を見たことのあるだけの少女で。
「そう、ですか」
沈みそうになる気持ちを奮い立たせ、にこり、と笑顔を作り少女へと笑いかければ、少女の目がつい、と一瞬細くなったように見えた。
それから、しばらくして。
「田崎嬢。本当にすまないが、僕は君を愛することはないし、これからも一生できないと思う」
「……と、言いますと」
「……心に決めている人がいるんだ」
二人きりになった時、目の前の少女に静かにそう伝えれば、彼女が何度かの瞬きを繰り返したあと、意を決した表情で、口を開いた。
「殿下。一つ提案があります」
その時の田崎嬢の言葉は、思いもかけないもので僕を心底驚かせるものだった。
◇◇◇◇◇
「でも、決めたのは僕だからね」
こんな風に、と言った僕に、気遣うような、痛みを堪えるような表情をした二人に、小さく笑って伝えれば、「……ああ」と吉広が静かに頷く。
「まだ少し、時間はかかるかもしれないが、それこそ猫の手でも、神の手でも借りたい気持ちではあるけれど、それで手に入れても嬉しくはないからね。それに、そんなことをしたと壱華が知ったら、嫌われてしまいそうだ」
「あり得るな」
「そうしたらオレか長太郎のどっちかが壱華を嫁にするから心配すんなって」
笑って伝えた僕に、長太郎は頷きながら短く言い、吉広は冗談なのか本気なのかが分かりにくいことを言って笑う。
そんな吉広の言葉に、彩夏の隣でうたた寝をする壱華を見ながら、口を開く。
「ダメだ。壱華だけは誰にも譲らない」
誰に向けるでもない、静かな決意。
―― 「でしたら、嘉一殿下、わたくしとこのまま偽装婚約をいたしませんか?」
―― 「嘉一殿下は心に決めた別のかたがいらっしゃる。実は、それ、わたくしもなのです。けれど、わたくしにはその方との結婚には超えなくてはならない壁がある。それは、きっと、殿下も同じとお見受けしますわ。ですから、わたくし達が自身の手で、周囲の大人たちを納得させるまでの間。わたくしと、偽りの婚約をいたしませんか?」
何度目かの顔合わせの時に、田崎嬢から提案されたものは、本当に、心底驚くものではあったものの、その提案を聞き、少し前の彼女の表情の意味が分かり、すとん、と肩の荷がおりたような気がした。
そんな話し合いがあり、僕と田崎嬢は、婚約内定を互いに了承し、偽りの婚約者としてお互いを利用する日々が始まった。
「まぁ、とはいえ、壱華相手じゃ、さすがに嘉一も苦労しっぱなしよね」
ふふふ、と笑いながら言う忍の声に、「本当にな」と思わず息をはきながら答える。
「田崎のお嬢様は、谷中くんとちょっとずついい感じになってるように見えるけどねぇ。嘉一はまだまだよねぇ」
「おい、忍。痛いところを突いてやるなよ」
「えぇー、でも長太郎も思ってるでしょー?」
忍の言った言葉も、フォローのつもりで言ったであろう長太郎の言葉もどちらもグサグサと心に刺さる。
「もう止めてあげたら? ヘタレ殿下が死んでしまいそうよ」
くすくす、と笑いを含んだ彩夏の声に、忍と長太郎が「あ」と呟いて言葉を止める。
そんな二人の様子に、「どうせ僕はヘタレだよ」と半ば自棄になりながら言えば、眠っている壱華以外の皆が、ぶっ、と吹き出して笑った。
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