6. サブレを片手に、殿下は休憩延長を希望します。
「ってめぇ、何しやがる」
突然あらわれて自分を思い切り押した長太郎に、驚きと怒りを顕にしながら吉広は文句を言うものの、「お前は壱華との距離をもう少し考えろ」と長太郎が呆れた様子で答える。
「はあ? 意味分かんねぇし」
「お前たちがそんな距離で話していると、殿下と田崎様の会話が進まん」
「え、そうだったのですか? それは……申し訳ありません」
長太郎の思わぬ言葉に、咄嗟に謝れば、「壱華は……色々、気をつけないと」と長太郎が私の頭を撫でながら何だかはっきりしない様子で答える。
「はい?」
何を気をつけるのだろうか。
よく分からずに、じい、と長太郎を見ながら首を傾げれば、何故だが長太郎が視線をそらす。
何なのだ。
そう問い詰めようとした時、「壱華、ちょっと手伝ってくれる?」と忍の声が聞こえた。
忍に呼ばれたこの部屋は、殿下と田崎様が話している部屋の隣で、小さな簡易キッチンを備え付けている。
とはいえ、私たちがするのは湯を沸かしてお茶を入れる、とか、迎花たちが用意してくれている茶菓子の準備をする、とかそれくらいなのだけれども。
棚に入れてある少し前に殿下が気に入ったと言っていた洋菓子の缶を取り出し、貼ってあったラベルを剥がし、カポ、と蓋を外す。
「何だったのでしょうか」
「なにが?」
「さっき長太郎に、色々気をつけないと、と言われまして……」
「ああ、さっきの?」
「はい」
私の呟きに、傍にいた忍が答えてくれる。
「気をつけろ、と長太郎は言いますが、私、一般の男子生徒には体術では負けない自信はあります」
ぐっ、と拳を握り、力強く言えば、忍が「そうねぇ」とこちらにお皿を渡しながら言う。
「ま、壱華は力でダメなら技、だもんね」
「はい」
トングを取り出し、缶の中の洋菓子をお皿へと並べていく。
ふんわりとバターの良い香りが鼻先をくすぐる。
バターだけの味のもの、紅茶、珈琲を混ぜたものに、チーズと黒胡椒を混ぜたもの。
甘いものが好きな私が好んで食べていたこれを、甘いものが苦手な殿下もいつの間にか気に入ったらしく、最近良くこのサブレを囓っているのを目にしている。
いくつかを並べ終えたあと、ふと、さきほどの吉広の言葉を思い出し、「忍」とすぐ近くにいる彼の名前を呼ぶ。
「なあに?」
「さっき吉広に、私から甘い匂いがする、と言われたのですが、心当たりがないのです。何か匂いますか?」
自身の制服の袖の匂いを嗅いでみても、特に甘い匂いなどしていない。
不思議に思い首を傾げつつも、忍に制服の袖のあたりを寄せながら聞くものの、匂いを嗅いだ忍は「いつもと同じじゃない?」とあっさりと答えた。
「ああ、そうですわ、殿下」
「なんだ?」
忍とお茶の用意をして部屋に戻ると、田崎様はソファから立ち上がっていて、谷中さんもまた出入り口の近くにまで下がっている。
「あちらの件は、もう少しだけ時間をを頂けますか?」
「なんだ、即断即決の君がそんなことを言うなんて珍しいな」
「そうかしら? ただ安定した人材の確保にまだ少し手間取っているだけですわ。お声掛けにのってはくださっても、色よいお返事をいただけないことも多くって」
「まあ、世間の目はいまだそっちの分野には厳しいからな」
「大人は頭の固い層ばかりで困るのよね、本当に」
「はは、君は本当に辛口だな」
「あら、わたくし、こう見えて天使と称されることもありましてよ?」
「自分で言う人はあまり居ないけれどね」
「ふふふ。冗談はこれくらいにして、わたしは失礼させていただきますわ」
「やっと帰りか」
複数回の田崎様とのやりとりの最後に、はぁ、と殿下が大きくため息をつく。
「でわ、殿下、また明日」
「ああ、また明日」
入り口に立ち、田崎様の背を見送った殿下と、なぜだか視線が重なる。
「?」
「いや、何でもないよ」
扉を開けたまま、にこり、と微笑んだ殿下に、うん? と首を傾げれば殿下が私をみて、また笑った。
「さて、と。長太郎、このままもう少しだけ休憩しないかい?」
「今のいままで休んでいたのに? 今日、承認の必要な書類が、これほどにあるんだけど?」
タスタス、と机に山積みにされた書類の束を叩きながら眉間に皺を刻んだ長太郎が、殿下に睨みをきかせる。
「壱華と忍がお菓子を持ってきてくれたのだから、休まない理由はないだろう?」
そんな長太郎の態度を全くもって気にしていない殿下は、私と忍を見てにこり、と満面の笑みを浮かべて口を開く。
「……甘いものが得意でない殿下に言われてもなんの説得力もないけども」
「壱華が持ってきたやつは別だよ。壱華、そのサブレは黒胡椒味もあるだろう?」
「目敏いですね、殿下」
「気に入ったものにはね。それに長太郎の好きな珈琲味もあるんじゃないか?」
「あら、さすが嘉一。ね、壱華」
「ええ、驚きです」
「だろう?」
ふふん、と胸を張りながら笑った殿下に、ふふ、と小さく笑えば、長太郎が諦めたように大きなため息をついた。
「あ、ねぇねぇ、そういえばさーあ? ボク、ちょっとした噂を聞いたんだけど」
「あん?」
パリポリ、サクサク。
パラパラ、カチャカチャ。
漬け物を食べる音に、サブレを食べる音。
紙を捲る音に、なぜだか知恵の輪に挑んでいる音。
なにがなんだかよく分からない室内の音に、忍の声と、吉広の声が追加される。
「学院内のとある池で、水浴びをする女子生徒のお化けに願い事をすると、願いが叶うらしいよ」
「ええと……願いを叶えてくれるお化け……ということですか?」
「そう。何かこの数週間の間に願いが叶った子もいるって聞いたんだー」
忍の口から出てきた言葉に、思わず驚き彼に問いかければ、忍は頷きながら答えてくれる。
「お化けねぇ」
「そんな話、初めて聞いたが」
「あ、やっぱりデマカセだった?」
「……多分。長太郎、何か聞いてるか?」
「いえ、特には」
殿下の問いかけに、パラ、と自身の手帳を捲りながら長太郎が短く答える。
「そっかぁ。良かったぁ。ボク、願いを叶えてくれるって言ったってさ、お化けに遭遇しちゃったらどうやって回避しよう、って本当に悩んじゃったよ。お化けとか本当に無理だもん」
ああ、一安心、と言いながら深く息を吐いた忍に、殿下が「無理だもん、ってお前ね」と苦笑いを浮かべる。
「えー、だって嘉一だって無理でしょー?」
「お化けじゃ物理的な攻撃はきかないでしょうし……」
「まぁ、でも壱華の前に現れたら僕が退治するからね」
忍の問いかけに、思わず呟いた私を見て、殿下がにこりと笑う。
心強いといえば、心強いけれど、お化けなど、どうやって退治するつもりなのだろう、と疑問に思っていれば、「あら、ちょうど良かった」と涼やかな声が室内に響く。
「あ、彩夏お帰りなさい」
「ふふ、ただいま、壱華」
私たちよりも、より多くの講義を受けていた彩夏が、笑顔を浮かべながら一人遅れて部屋へと戻ってくる。
「ちょうどいいってどういう事だ?」
「そのままの意味ですわ」
殿下の問いかけに答えながら室内に入った彩夏が、開けたままでいた扉を静かに閉める。
「ところで殿下、今年の新入生にすっごい面白い子がいるのは聞いてます?」
「面白い……ああ、黒魔術がなんとか言ってる子か?」
「ええと、まぁ、その子も充分に面白いのだけど、そちらではなくて、もう一人のほうの」
「二人もいるのか?」
「ええ。まぁ早い話、わたしの推測から言うと、水場のお化けはその新入生ですわ」
「新入生が、お化け……?実体の無い入学生、ということなのでしょうか」
そう呟いた私に、吉広に長太郎、忍は目を開いたまま固まり、殿下はというと、数回まばたきを繰り返したあと、「ぶはっ」と盛大に笑い声を零す。
「ああ、だから、こんな意味不明の書類が回ってきていたのか」
一通り、殿下が笑ったあと、ふと、長太郎がなにかを思い出し殿下の執務机の書類の束から一枚の紙を取り出す。
「なんだ? それ」
「生徒会からの通達なんだけどね。『殿下は面倒事に巻き込まれると困るので、旧北門付近には、くれぐれも近づかないでください』だってさ」
「旧北門……ああ、あそこの池のことか」
「なぁ、なんで今の話で水場のお化けと旧北門が結びつくんだ?」
長太郎と殿下のやり取りに、吉広が首を傾げながら問いかける。
「他の水場は、今は生徒にしても先生がたにしても、人が集まる休憩場所として人気だろ。けど、旧北門は、今やほとんど忘れられていると言っても過言じゃないだろ」
長太郎の説明に、なるほど、と吉広は呟きながら頷く。
「けれど……困ったね」
「何がです?」
カチャ、とティーカップをテーブルに置きながら言った殿下に、問いかける。
「あの辺りは、僕がたまに昼寝をしている場所なんだよ」
「……どうりで見つからないと思いました」
「探してくれていたのかい?」
さらりと言った殿下の言葉に、ほんの少しため息をつきながら言ったはずなのに、殿下は妙に嬉しそうな表情を浮かべながら私を見やる。
「殿下の護衛なんですから、探すのは当たり前でしょう?」
「……護衛……」
なんで嬉しそうにしているのだ、という意図をこめながら殿下へ言えば、今度は悲しそうな表情をして、殿下がぽそりと呟く。
そんな殿下の様子に、「どんまい」と吉広は殿下の肩を軽く叩き、彩夏は「ま、壱華相手ですからね」と殿下とは逆に楽しそうな顔をして、私の肩を引き寄せた。
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