第二話 ぶ厚い硝子の嵌め込まれた眼鏡をかけた第一王子殿下
「……自分の指を切り落とそうなんて思っちゃ駄目だよ」
カフェテラスの店員に刃物を借りようかと思い始めたとき、だれかの大きな手が私の手を包みました。
後ろに立つその方は、私の耳に優しく甘く囁きます。
低くて穏やかな……知っている声です。
「異母兄上!」
「オーガスト様!」
第一王子のオーガスト殿下は隣国からいらした正妃様のお子様です。私や第二王子のアルバート殿下と同い年同じ学年ですが、オーガスト殿下はアルバート殿下より数ヶ月早くお生まれになりました。
国王陛下譲りの黄金の髪は異母弟のアルバート殿下とご一緒ですけれど、瞳の色はわかりません。
いつもぶ厚い硝子の嵌め込まれた眼鏡をかけていらっしゃるからです。
「この指輪は龍王神様から授かったものだから、龍王神様の神力で装着者と深く結びついているんだよ」
「そうなのですか……」
「アルバート。セシリア嬢と婚約を解消したんだってね」
「お耳が早いですね、異母兄上。はい、ついさっき。私は初恋のフェイリュアとの愛を貫きます」
「公爵家からの支援を失ったら王太子の座を退くことになると思うけど、お前はそれでいいのかい? お前の母君がカンカンになるんじゃないかな」
「高位貴族の令嬢でありながら龍神様を見ることも神力をお借りすることも出来ない出来損ないの女をこれまで婚約者にしてやっていたのですよ? 公爵家はこれからも私を支援するに決まっているでしょう。どうしても嫌だというのなら、その女を国外追放の刑に処してやります。素直に婚約解消を受け入れたから言わないでおいてやったが、その女は私の愛しいフェイリュアを苛めた罪人なのです」
「セシリア様は酷い方なんですわ、オーガスト様!」
「……へーえ、そう。まあ、いいや。とにかくこの指輪は龍王神様の神力で装着者と深く結びついているから簡単には外せない。でも、僕になら外せるかもしれない」
正妃様のお子で第一王子でありながら、オーガスト殿下はあまり表舞台にお出になられません。
異母弟である第二王子のアルバート殿下に王太子の座を奪われてしまったからだと噂されていますが、実際は政治よりも神力の研究に興味をお持ちだからでしょう。
学園でも研究室に閉じ籠って、ずっと研究に耽られています。確か私と同じ組に所属していらっしゃるはずなのですけれど、教室でお顔を拝見した記憶がございません。
これまで三年間の学園生活を送って来た中で、学内でオーガスト殿下のお顔を見るのは今回で二度目です。一度目は、花の指輪を貼り付けた栞を拾って届けてくださったときでした。
あれは一年の冬。フェイリュア様の取り巻きに栞を挟んでいた本を裏庭の噴水に投げ込まれた後のことでした。
冷たい水の中を探し回っても見つからなくて、その夜から熱を出して数日寝込んだ私がようやく回復して学園に登校したら、偶然拾ったとおっしゃって渡してくださったのです。
「外していいかい、セシリア嬢」
「は、はい、もちろんです。お願いいたします」
オーガスト殿下の長く骨ばった指に指輪を嵌めた指を撫でられて、私はなんだか心臓の動悸が激しくなりました。
栞を届けてくださったオーガスト殿下に向かって、初恋の相手に贈られたとても大切なものだから見つかって嬉しいと言った私に、良かったと微笑んでくださったときもこんな風になった覚えがあります。
異母兄弟だけあって、オーガスト殿下はアルバート殿下に似ていらっしゃるのです。ぶ厚い硝子の嵌め込まれた眼鏡に隠されて瞳の色はわかりませんけれど、微笑んでくださったときに眼鏡の向こうに見えた煌めきは紫色だったような気がします。