奇跡のドッペルゲンガー
――私の体が奪われた。
南里見は生まれた時から病に侵され、臓器交換を行うため『ドッペルゲンガー手術』を二十年繰り返して延命していた。しかしある日その素体であるドッペルゲンガーが南里見に成り代わって病院から抜け出した。
自分ばかり甘やかされていると嫌っている妹の京華に、事実を話しても受け入れてくれない。
その間に逃げ出したドッペルゲンガーは追ってである研究者たちを次々と殺害する事件を起こし、里見は連続殺人犯として追われることに。
そしてドッペルゲンガーの魔の手が京華に迫る。
――私の妹と体を返せ。
世界には同じ顔の人が三人いるという。私の場合一人は妹だ。
一卵性双生児として同じ日に生まれ落ちたが、私の方が早く産道から出てきたためお姉ちゃんという地位を手にした。そして数分後には同じ顔と体を持った京華が妹として生まれ落ちた。
さすがに二十年も経てばどんな人間でも多少の差異が出てくるはずだけど、一卵性双生児の宿命か妹は鏡ように身長から体重そしてバストヒップも奇跡的なまでに同じように育ってしまった。
そんな奇跡を人間と科学は同じ人間を創れてしまうのだから奇跡の喜びが薄れてしまう。
「すみませんがどちらが南里美様でしょうか」
病院の受付にいた白衣の妙齢の看護師が、老眼鏡を持ち上げてパソコンと私たち二人を見比べる。何度も聞かれてきたやり取りに「私です」機械的に手を上げて返した。
「……ああ、はい。すみませんこの年になると自分の頭がボケてきたかと疑ってしまう性質で」
「いえ、どっちがどっちかわからないと自分でもよくわからない時がありますから」
「同じ体の人が並んでいるコワイ施設にいればそうなるよね」
軽い冗談とフォローをしたはずが、妹の京華がぶち壊した。
「コラそんなこと言わないの」
「事実でしょ」
ふんとそっぽを向いて事前にこの病院のことを聞かされていた京華の視線は、家で半分絶縁中である冷ややかなものと違い、軽蔑しているものだ。
看護師に案内されて病室に入るとメロンなど高級な果物が入った果物籠に愛用の化粧水など病院が用意してくれたであろうものが机の上に並べられていた。
「南里見さんこの間入れ替えた臓器の調子はどうだい?」
「特にないです」
「そうかそうか。ドッペルゲンガー手術第一号の君が何ともないのは素晴らしい」
ほっほと今年で六十になる主治医の先生の頬が上がる。だが笑い皺などの頬の弛み一切なく非常に若々しい。先生がパッドを操作すると奥から半透明の円筒ケース病室に入ってくる。
そしてケースの蓋が開かれると中には私が寝ていた。
これが一人の私であるドッペルゲンガー。もっとも生きていなく、中身がない肉人形だ。
正式名称自己相互補完システムという人工培養された自分の肉体を入れ替えて延命できる最新の医療技術で。ドナー登録が低い日本では他人の臓器提供を待つより、臓器の一部だけをクローン培養するという方式を長らく採っていた。だがそれでも足りなくなったある時、この病院の偉い先生が行った実験で人間のクローンには魂がなく動かないことを発見したことで、クローンを使って臓器をそっくり入れ替えるというマッドサイエンティストな発想から誕生した代物だ。主治医の先生の肌の若さも、ドッペルゲンガー手術による肌の移植によるものだ。
経緯からしてとても恐ろしいが、これのおかげで私は二十年も生きれたのだから、人工の奇跡に感謝するほかない。
入院する間の私の着替えとか入った荷物を置くと、初めてもう一人の私をまじかで見た妹がじっとケース内をのぞいていた。
「ちゃんと髪の毛も切っているんだね」
「中身は入っていないけど、肉体は成長するらしいから」
「脳も心臓も動いているのに、魂がないのはよくわからないわ」
それは私も常々思っていた。昔羊のクローンを製造していて普通の羊と変わりなく生きていた話を聞いたことがある。だけど人間のクローンは動きもしない。その違いはなんだろうかという違和感を主治医の先生は「魂は全体にあるということでしょうな」と言ってのけた。
「生物が生まれてくること自体奇跡とも言われますが、人間というのは普通の生物よりも構造が複雑で。単純に臓器が機能すれば生きるのではなく、魂というものが全体に宿って初めて機能するのでしょうな。まあ魂がなくても、やはり患者様と同じ体ですから丁寧に扱わないといけませんから」
「そこまでしているのに、結局はお姉ちゃんの予備パーツ扱いなんだね」
妹が放った言葉が一瞬で病室の空気が冷却した。
「京華!」
「はいはい出て行きますよ。どうせ私は親の代わりに来ただけですから」
私の叱責から逃げるように妹は謝ることもせず、そのまま病室を出て行ってしまった。
「すみませんうちの妹が失礼を」
「いえ、この病院で働いていると市民団体がクローンに人権をなんて抗議活動とかよくありますから、妹さんもそう考えているのでしょうに」
主治医の先生は気にしてないように振舞ったけど、でも妹はクローンに人権をだとかの高尚な思想を持っていない。なにせ人権団体の宣伝CMもウザイとすぐにチャンネルを変えるほどなのだから。あの悪態は私に向けてのものだ。
最初に生まれてすぐ余命宣告されるほど死の淵に瀕していた私の体を延命させようと奔走していた。 幸い私の家は医療機関にコネがあったおかげで、当時国会で色々と揉めていたドッペルゲンガー手術の最初の被験者となることができた。
そして二十年も長生きできているという実績と成功を皮切りに、ドッペルゲンガー手術を使う人が増えたおかげもあり、この病院の治療費は秘密裏にタダでもてなしてくれている。親も病院も私が生きていることに感謝している。けど妹からすれば周りから過保護なほど大事にされて、面白くないのだろう。
否定はできない。私は周りからの与えられる甘えに甘んじている。この二十年の間に自分の意思で手術を途中で拒否する機会もあったけど、病気を体に残したまま大量の薬と病に苦しんでまで妹との関係を改善して生活するなんて耐えられなかった。
「では改めて今回の入院についてだけど。筋肉の一部を入れ替えと、去年入れ替えた臓器の検査とだけだからね」
「ということは、今回で終わりですか?」
「そういうこと。長いことお疲れだったね」
「あのクローンはどうなるのですか」
「使える部分はできる限り臓器提供することになっているよ。その後のことは……いいよね」
にこりと微笑む主治医の先生の張り付いた顔に背筋が凍った。
やはり処分……火葬になるのだろうか。いやそもそも魂が入ってないのだから葬式をする事態怪しい。自分そっくりの体が涙もなく処分という機械的なことで終わらせるのは、今更ながら自分のことのように思えて身が震える。
ベッドに横になると隣で同じように寝ているドッペルゲンガーの私が見えた。
もしも全体に魂が宿るというなら私の魂の一部を渡して動き出たらなんて妄想を思ってしまう。二人いるとややこしくなって大変というのはよくあるSFの発想だけど、私なら二人で協力して妹と仲直りできないものかと時折妄想してしまう。
そんなことありっこないけど。
麻酔吸入器のカップが顔に被さると「それでは麻酔を吸入します」と機械が動く音がする。
しばらくして麻酔が流れ込んできたのか頭がぼんやりとしてくる。
眠りに落ちる前にもう一度ドッペルゲンガーを見たその時、
あれ目が――
***
眠りから覚めて寝台から降りると足がおぼつかず、ベッドから足を崩してしまう。
長い時間寝ていたから平衡感覚がうまく機能していないのだろう。
「南さん松葉杖とかお持ちしましょうか」
「ああ、大丈夫。少し自分で歩いてみて、様子を見るよ」
ふらふら状態の私を案じてくれた若い看護師、その一方後ろでは「ドッペルゲンガーの経過は?」「異常ありません」と医師たちが計器を見比べながらケースに眠っているもう一人の私を観察していた。同じ体を前にしてこの温度差、改めてあそこに自分がいたと思うとゾッとする。
ペタリペタリと裸足で冷たく固いリノリウムの床の感触を踏みしめると、胸の奥からほんのり温かいものが湧いてくる。
「気持ちいいな。裸足で歩くというのは」
これから自分がしないといけないことを頭に思い浮かべながら、外への扉に手をかける寸前に後ろを見ると、もう一人の私が入ったケースが奥に消えていく。
そして私は微笑み、呟いた。
「じゃあね里見お姉ちゃん」





