猫少女は爪の先に血飛沫を灯す
ラーダナル・コモギスは、隣家の幼馴染みの美少女チャッダ・サームの世話を焼いている。
幼いチャッダには、父親がおらず、母は、時々帰ってこなかった。
チャッダは、猫系妖魔と人間の母の間に生まれたらしい。猫耳にふわふわの砂色めいた金の髪で、頻繁に、猫に変身もする。そして空腹が過ぎると森に狩りに行ってしまう。
顔中血塗れで生肉を喰らう姿は、なかなか慣れない光景だ。
12歳になった年、ラーダナルは、家人のたっての願いで、道師見習いとしてルルジェの都の廟に住み込むこととなった。チャッダは「一緒に行く、ラーダが居ないと生きていけない」、と言い張る。
だが、廟は女人禁制で、連れて行くわけにはいかない。
チャッダに、小さな猫の姿になって近くの森に潜むから、と押し切られ、共に旅立つことになる。だが、チャッダは、こっそり猫の姿で部屋に住み着こうと、画策しているようだった。
モバルーストの街への使いから戻ってくると、隣家の美少女チャッダ・サームが、大きく手を振りかけた。
そして、走り出したかと思うと、少女は金色の小さな猫になって走り続け、ラーダナル・コモギスに近づくと、パッと元の姿になって飛びついてきた。
抱きつこうとする小さな身体を、途中で捕まえる。
「まてまてまて! お前、また、狩りしたのか?」
血塗れの顔で、頭の上の猫耳を、挙動不振げに動かしながら、長い舌で口回りの血をペロンペロン舐めはじめた。チャッダは微笑し、それから、シュンとした表情になる。
「だって、かぁちゃん、帰ってこないにゃ。空腹だにゃぁ」
綺麗な砂色がかった金髪も血塗れだ。
「仕方ないなぁ」
ラーダナルは四歳年下のチャッダの身体を地面に下ろすと、持っていた布で、血塗れの顔を拭いだす。
まだ濡れたばかりだったらしく、顔は直ぐに綺麗になったが、髪は洗わないと駄目そうだ。
だが、衣服には、全く血の跡がない。チャッダが身につけているのは魔法がかった風変わりな衣装で、猫に変身した時には首飾りに変化するし、汚れない。
「ちょっと待ってろ。食い物を持ってきてやるから」
自宅とチャッダの家の間の小道に、鳥の残骸と羽が大量に散らばっているのを見遣りながら、ラーダナルは食べ物をこっそりと持ち出すために自分の家へと入る。幸い、家人は出かけたまま留守だった。
チャッダの家に一緒に入り、引き込んでいる水場で髪を洗わせた。
ふさふさの可愛い猫耳も髪も、ぐっしょり濡れて、砂色の金髪は、艶やかな蜂蜜のような色合いになっている。
布を頭にかぶって片手で髪を拭きながら、チャッダは、水の入った細めの器を持ってくる。手は人間のものだが、指の先だけは猫が隠せず、三日月状に爪が尖っていた。
「水しか無いがにゃ」
器用に器を置きながらチャッダは申し訳なさそうだ。
「ありがとう」
ラーダナルはチャッダに向けて、笑みを浮かべる。
「ほら、煮込み料理だ。一緒に食べよう」
自宅に用意されていた料理を、ラーダナルは、二つの器に入れて持って来ていた。
チャッダは、棚から二本の匙を取り出し、一本を渡してくれた。
「俺も十二になったしな。親の勧めもあるが道師を目指すことになった。明日にはルルジェの都に向けて旅立つ」
ずっと言い出せずにいたが、もう隠してはおけない。煮込み料理を食べ終わる頃に、ラーダナルは気が重いまま呟いた。
「一緒に行くにゃ! ラーダが居にゃいと、オレは生きていけないにゃ」
チャッダは、即答だ。
かーちゃん、ずっと帰ってきてないにゃ、と、チャッダは泣き声混じりに付け足した。
「住み込みの廟は、女人禁制なんだ。お前は入れないぞ?」
連れていけない最大の理由は女人禁制だ。
「小さにゃ猫の姿で、近くの森にでも潜むから平気にゃ」
ペロンペロンと口の周りを舐めている所を見ると、こっそり猫の姿で部屋に住み着くつもりだな、というのが丸わかりだ。
まぁ、なるようになるさ、と、思おうとしても、どうにかなる気がしない。ラーダナルは溜息をついた。
翌日、早くに、こっそりと旅立とうとすると、目敏く、チャッダは隣を歩いている。目深にかぶれる頭巾のついた外套を纏って、すっかり旅支度だ。
「よう。ラーダ、おいらも一緒に行くぜぇ」
上の方から、甲高いような声がする。屋根の庇にとまった鴉は、夕べの二人の会話を知っているようだった。
「グフェ、お前、縄張りはいいのか?」
チャッダと違い、鴉ならば、付いてきても特に問題にはならないだろうが、一応、事情は確認した。
「縄張りなんぞ、どうとでもなる。それより、なんか、ヤバいぜ」
隣で、チャッダも逆毛立てた雰囲気だ。
「何か、居るにゃ」
獲物の気配に、チャッダは、舌なめずりしている。
「お前、凄い悪い顔してるぞ」
ラーダナルは、澄ましていれば極上に美少女のチャッダの顔を見て呟く。悪巧みしている時のチャッダは、可愛い顔に、猫の表情が混ざる。にんまり、と、笑っている。
「人間だったら、やり過ぎて殺すなよ?」
「わかってるにゃ。でも、魔物の気配にゃ」
「二体だ。それなり大きいぞ」
グフェが小声で騒ぎ、鴉の警戒音でも鳴き騒いで、仲間を呼んでいる。
「チャッダ、片方はオレとグフェで誘い出すから、順番に頼む」
「了解にゃ!」
応えると同時に、チャッダは大型の猫の姿になって、一体の魔物に向かって走り出している。その姿は、少女の姿よりずっと大きいし、どう見ても、豹に似た猛獣だ。
魔物を倒したことがあるとは言っていたが、そこまで大きくなれるとは知らなかった。
チャッダは、時々、巨大なイノシシのような動物を狩ってきていたが、どうやって狩ったのか謎は解けた。
ねじれた角と、昆虫に似た甲冑のような体躯の魔物には、鋭い牙と、長く凶悪な爪がある。
俊足の靴を履いているラーダナルは、猛烈な速度で、チャッダの狙いとは別の魔物に向かって走って行き、注意を惹きつけようとした。近くで速度を落とし、魔物がこちらの姿を認めて的にされたと気付く。爪の攻撃が届く前に速度を上げて走り、魔物をチャッダから引き離すように、速度を変えつつ冷や汗混じりで走る。
丁度、沢山の仲間を引き寄せたグフェが、一斉攻撃の声を出した。
「今だ! 眼を狙え! 長居せずに直ぐに舞え!」
大量の鴉が、大騒ぎしながら、次々に魔物に向かって突撃し、少し突いては上空へと逃れた。魔物は鴉の猛攻に身を捩り、鋭い爪のある腕を振り回す。そして、ラーダナルの誘導のままに、チャッダから離れて行く。
後は、グフェと連動して時間稼ぎしている間に、チャッダが魔物を仕留めるのを待つしかない。
早く一人前の道師になって、戦闘に加わりたい。
が、今は、一見しただけなら、か弱そうな美少女の戦闘能力に賭けるしかない身だ。
「覚悟するにゃ!」
時間稼ぎするラーダナルの視野で、猛獣と化したチャッダは、普通の少女の声音で叫び、魔物の首に長く鋭い牙で齧りついた。
そして、魔物の腕を爪で引き裂きつつ、爪の長い両足でも、何度も蹴りつけている。
鮮血が吹き出し、魔物は、人間の言葉とは違う何か別の言葉を叫び、咆吼を発していた。
チャッダは魔物の首筋を噛みきって、俊敏な仕草で一旦離れ、次は、容赦なく、魔物の頭部を狙い、大きな手と爪とで横殴りにする。爪の威力に、魔物の頭が半分、吹っ飛んだ。
魔物は傷つけると人間のように赤い液体を吹き出すが、完全に仕留めた時には、燃えるように炎を上げて消えてしまう。似たような炎の目眩ましを発動して遁走する場合もあるので、見極めが難しいこともある。
チャッダは、最初の魔物を仕留め、燃え始めたのを見ると、直ぐにラーダナルたちが誘い出していた方の魔物へと、物凄い速度で突進してきた。
猛獣が突進してくるのは、チャッダだと分かっていても、迫力がありすぎる。
チャッダは、瞬く間に牙で魔物の肩に噛みつき、今度は長く鋭い爪で首を掻っ切った。
二体目の魔物も、燃えるように炎を上げている。
「鮮やかだな! チャッダ」
ラーダナルは思い切り感嘆した声をあげた。
「美事に仕留めたな! 両方とも、ちゃんと燃えたぜ。遁走はしていない」
グフェも、天晴れ、とチャッダを讃える。
「にゃあ!」
猛獣の姿のまま伸び上がり、上機嫌なチャッダの声が高らかにあがった。変身はすぐに解かれ、美少女の姿に戻ったが、血塗れだ。
綺麗な金の瞳に浮かぶのは、連れていくことにしてよかったろう? という色合いだった。
「早く、ちゃんとした道師になって、闘いに加わりたいよ」
嘆息してラーダナルは呟く。俊足の靴は所持しているが、攪乱することと、逃げること以外に今は為す術がなく、歯痒くてならない。
「グフェ達も、ご苦労だったな」
ラーダナルの言葉に、グフェは一声、高く鳴いた。
「何、猫の嬢ちゃんには、みんな世話になってたからな。礼代わりさ」
鴉たちは、鳴き合いながら、徐々に数を減らしている。
ラーダナルが首を傾げていると、
「獲物は山分けだにゃ」
チャッダが血飛沫まみれの口元を舐めながら呟いた。
食べ残しの肉を、鴉に振る舞っていたのか、と、ラーダナルは今更のように感心する。
グフェがラーダナルの肩に居ると、チャッダは、爪をキュと前に出たりするし、眼が爛々として、飛びつきかねない気配なのに、仲良くしていたらしいことは意外だった。
「じゃあ、その髪を洗ったら、出掛けようか」
血塗れの髪のチャッダを、近くの小川に促しながら、ラーダナルは連れて行くことを決心したように呟いた。





