アオハルデイズ〜君の手にある未来〜
高校一年の春、ジャグリング同好会を結成した翼たちは、高校を退学した有芽と出逢う。
メンバーとパフォーマンスをするうち、有芽は新体操への気持ちを取り戻していき、彼女を見つめる翼も将来どんな仕事に就きたいかを考え始める。
四年後、有芽は遠ざかっていた試合に臨む。
翼たちは「メダルを持って、戻ってこい」と彼女の背中を押すのだった。
僕らと出会わなくても、きっと君は立ち直っていただろうし、自力でこの場所に帰ってきたはずだ。
でも、今の君はとても不安そうにしているから、僕らが背中を押してやる。
君の手のひらに丸くて平たいものを置く仕草をした。
「有芽、渡したメダルの色がなにかわかるよな? 演技を終えたら、本物と一緒に戻ってこい」
◆
僕は出逢ったころからずっと、ジャグリングに魅せられている。
美しい放物線の落下地点で、難なく受け止めるパフォーマー。
その人は僕が見始めたとき既に五個のボールを操っていたけど、籠に入っていた残りのボールとか果物を投げろと客にアピールしていた。
演技の終わりには、十個くらいの球体を操りながらバナナの皮をむいて食べてみせた。
自由そうで楽しそうだった。帰宅してから情熱のまま母に『将来、大道芸人になりたい』と宣言したら『冗談は休み休みに言え』と怒られた。
『冗、談、で、は、な、く。僕、は、』
休み休み言ったのに、さらに怒られた。
何故だ。
……理解してもらえないならば、別に構わない。
学校と塾のあいま、小遣いを貯めて買ったジャグリングボールで、家の前の道路で習得にはげんだ。
ある日、学校から帰ってきたら宝物は捨てられていた。文句を言おうとしたら、返り討ちに遭った。
『勉強もしないで遊んでるからよ!』
くしゃくしゃに丸めたテスト用紙を目の前に広げられて、説教されたのだ。
以来、父の飲み干したノンアルのサンゴー缶を集めては、高架下や人目につかない場所で練習にいそしんでいる。
『勉強だって頑張ってます』アピールのため、県で一・二を争う偏差値の学校を選んだ。
入学から一週間後。
クラスの奴らとも馴染み始めた、夕暮れ。
公園の広場で僕は、校内SNSで呼びかけて集まってくれたメンバーと、スープ缶や汁粉缶で決起集会をしていた。
調べてあったからわかってるけど、僕らの学校には手芸部も調理部もあるのにジャグリング部はない。
「で、作っちゃった訳だ!」
メンバーは両手に持った二冊の本で別の一冊の本をはさんで、落とさずに操る、シガーボックスそのものの芸をすでにやっているとか。
『手に水晶球や輪っかがくっついて、宙に浮いたように見えるマジックみたいなのをやってみたい』
マニュピレーション系に興味があるとか。
『TVでさー、ボールをバウンドさせるの見た』
よしよし、バウンスボール担当は決まりだな。
『ヲタ芸が好きで、動画も配信してるよ。……PV? 訊かないで』
なら、ディアボロとかいけるんじゃね?とか。
総勢五名というマイノリティ、いやいや少数ながら精鋭の集まりなのだ。
『一発芸って、女子受けするよな?』
……一部、心の声もダダ漏れだったけど、それもまた良し。
『モテるよ、当然だろ?』
耳元でささやいてやったのは、言うまでもない。動機が不純でも、入ってくれればこっちのものだ。
「お待ちかねのショータイムだぜぃ! いっちばーん、同好会会長山田いきまーす!」
僕は声を張り上げると、皆から缶を集めた。
油断すると、中の液体が降りかかる。
用心深く缶をゆすいで何度か振ってから、スマホにスピーカーを繋げた。
「ミュージック、スタートぉ!」
言いながら缶を放り投げる。
曲は大ヒットしたアニメ映画の主題歌だ。スピーディーでドラマチック。
カッコいい曲だから、メンバーが手拍子をしてくれる。
通りがかった人たちがなにごとかと、こちらを見る。
照れくさいけど、パフォーマンスは見られてなんぼだ。
将来の大観衆に緊張しないように、今から慣れておく必要がある。
三本の缶でカスケードをしてみせると、メンバーから歓声があがった。
右手に持った缶を投げて左手でキャッチし、もう片方を左から投げて右手でキャッチして右からもう一缶を投げる技だ。
基本中の基本だけど、見栄えがする。
「ほっ!」
今日は我ながら、キレがいい。
これなら、練習中の難易度の高いキャッチ技も成功するかもしれない。
それとも二缶の上を別の一缶が飛び越える、オーバートップをしてみせるか。
「……いっか! やっちまえ」
気が大きくなっていた僕は、最後の一缶を高く放り投げると体を一回転させ、後ろ手で受け止めようとしたが弾いてしまった。
「あーっ、会長残念!」
「では二番手はワタクシ……」
メンバーの声を背中で訊きながら、缶を追いかける。
傾斜がついてるのか、メンバーがいる場所とは違う方向にいる人物の足元に、缶は転がっていく。
「すみませーん!」
全身、灰色ぽいなと思ってたら、スウエットの上下を着ていた。
被っているフードからボサボサのロン毛がはみ出している。
怒ってはないのかもしれないけど、ノーリアクションなのが怖い。
そろそろと近づいて、少し離れたところから手を伸ばした。
あと数cmで届くというところで、缶は怪しい人物に蹴り上げられた。
「なにすんだっ」
思わず怒鳴った。
僕が拾おうとしてたのは、わかってたはずなのに。
こいつ、構って君か。危なさそうな奴に近づいちゃいかん。
缶は諦めよう。
「そっちが邪魔したんだからな? ちゃんと拾って、缶入れに捨ててくれよな」
言い捨ててメンバーのところに戻ろうとしたら、信じられないことが起こった。
缶は落ちてくると、スウェット男の。あ、被ってたフードが落ちた。……女の子、の。スニーカーの裏に着地した。
どうして、そんなところに足があるんだろう。
「痛た……、ずいぶんなまったなぁー」
いやいや。ほぼ、顔の横まで足が上がってますよ?
「とりあえず、返してくんない」
僕が一本足で立っている女の子に声をかけると、にやりと悪い笑顔を浮かべる。
「やだ」
「返せよ!」
ムッとした僕が一歩を踏み出す前に、女の子はもう一度缶を蹴り上げて、なんと逆立ちをした。
「あー、ぐらぐらする。思ったより、腕の筋力も落ちてる……」
たしかに揺れてるけど、僕は支えなしではこんなにキープ出来ない。
太い……違った、重そう。それも失礼、ぽっちゃりしてるくせに、この子なに者?
女の子はまたスニーカーの底で缶をキャッチすると、もう片方の足を地面に下ろした。軽く曲げて足首にスナップを効かせると、缶がぽとりと彼女の手の中に落ちてくる。
僕は多分、あんぐりと口を開けたままだったろう。
片手で缶を受けとめて普通に立っている姿からは、さっきの特撮みたいなシーンが連想できない。僕が見た夢だったのかと思えてくる。
「いやいや、ちょっと待て。今、なにがあったんだ? 足、一八〇度近く開いてたよな?」
だいたい、人間ってあんなに軟体でいいものなのか?
頭の中で一生懸命、今の出来事を分析していると女の子がボソッとつぶやいた。
「なってない」
「え?」
「君、右ききでしょ。右からの投げは強すぎるし、左からの投げが適当すぎる。あと、軽すぎる。専門の手具で練習したほうがいいんじゃない?」
もしかしたら経験者? 呆然としてたら、メンバーが駆け寄ってきた。彼らも僕らのやりとりを見守っていたらしい。
「うわ、女の子だ!」
「カーチャン以外の女の人、久しぶりに見た!」
「彼女すごいねー、ダンスでもしてる人?」
「翼、知り合い?」
女の子を見てメンバーは興奮していた。
気持ちはわかる。
というのも、僕らが入った県立鳴浪高校は、別名『野郎高校』と呼ばれている。
工業科はともかく、普通科どころか家政科ですら、生徒の九割以上が女子以外の生命体というのは、日本全国でもこの学校だけだろう。
今年の新一年生、つまり僕らもほぼ男子だけ。
入学式の日、校門から校舎に続くアプローチを埋め尽くす、野郎いやいや男の大群――あとで聞いたら、校門で先輩が新入生を出迎えてくれるのが伝統らしい――にどんびいた瞬間は、生涯忘れられない。
『わかってたつもりだったが、わかってなかった。これが押忍しか返事が許されない、雄の世界……!』
誰かが呻いてたっけ。
女の子は缶を掴むと、僕に返そうとしてためらった。うん、土足で触ったものを人に渡すのはよくないな。僕がうなずくと、女の子はゴミ箱に歩いていく。
そのまま立ち去ろうとするので、僕は思わず怒鳴っていた。
「なあ、俺らジャグリング同好会を立ち上げたんだ! おまえも参加しろよ!」
学校のクラブ活動に部外者を呼んでいいのか、とか。だったら、この子をコーチで呼べばいいんじゃね? ……どうみても、ひきこもりっぽい、しかも女の子を? とか。
じゃあ、この公園で練習すれば解決じゃん? ……学校の許可は下りるのか? とか。
色々考えてたんだけど、なぜか『この子を捕まえておかないと!』と強く思った。
断じて、『久しぶりの女の子成分だー!』とか思っていた訳ではない。多分、おそらく。
「……じゃない」
「あぁ? 聞こえないー」
「『おまえ』じゃない、有芽!」
「有芽っ、明日も来いよなー!」
女の子は……有芽はひらひらと手を振ると、そのまま遠ざかっていった。
こうして、僕らは出会ったのだった。





