妻子を殺され30年間神に復讐を祈り続けた結果両腕に神が宿る
これは復讐の物語。神と人、アーデン・シュナイツによってなされる過酷で凄惨な復讐の物語である。
いつまで祈れば報われる?
途方もない時間、祈り続けた。これからも途方もない時間、祈り続けるだろう。それでも俺の宿願は叶うだろうか。不安がよぎれど、今は両手を結び祈ることしかできない。
かの仇に凄惨なる死を。
*
昔は神に祈ることを何とも思っていなかった。おそらく生活が充実し、神にすがるような状況になかったから。
俺は幸せだった。
馬飼いをしながら同じ村のメリッサと結ばれジムという息子もできた。
20歳。
俺の絶頂はこの時だ。毎日が楽しかった。そういう記憶だけは悲しいくらい覚えている。
*
メリッサは良くできた妻だ。気が利き気立てがよく愛嬌があり可愛らしい。栗色の少し癖のある髪も美しい。素晴らしい女性だ。
そのせいか少しでも離れると、寂しいやら他の男に取られるやら心配したものだ。
その日は遣いで町へと行かねばならなかった。
「あなた、行ってらっしゃい」
「行ってきます、メリッサ。俺がいない間は注意しろよ、例えば……」
「はいはい、わかってますよ」
「はいは一回」
「はいはい」
メリッサは微笑む。俺も笑顔がこぼれた。いつものようにジムを抱くメリッサをその上から抱き締めた。
温かい。とても安心する。
しばらくそのままで過ごしたが、寝ていたジムが泣き出す。俺は腕を離した。メリッサは手慣れた手つきであやす。
ああこの女性は母としても素晴らしい。
そんな時メリッサが呟く。
「そういえばマンハントという怖い人が出るらしいですよ。気をつけてくださいね」
先週の教会で噂好きがそんな話をしていたのを思い出す。
マンハント。
兎や鹿を狩るように矢を何本も突き立て殺す殺人鬼。
俺達の住む侯爵領に出没するという。
「よく覚えてたな。物騒な話は嫌いじゃなかったか」
「怖い話ほど聞き耳を立ててしまうものなのです」
「ハハハ、お前らしい。マンハントに会ったら何を気をつけたらいいんだ」
「それはですね、必死に逃げるですかね」
「それは違いない。お前も気をつけろよ」
「私は出掛けるとしても近所ですし大丈夫ですよ」
「そうだな、ハハハ」
その時は殺人鬼の話にも笑う余裕もあった。
自分達とは関係のないことだと信じていたから。
だが違った。
町への道、俺は三人組の騎手とすれ違う。いつもであればただのすれ違い。だが嫌な胸騒ぎがした。
思い出される教会での下世話な話。
肥えた馬に黒装束で揃えた格好、顔を隠した仮面。そして弓矢。
俺は騎手の方を振り向く。マンハントの特徴そのままだった。
騎手達は俺達の住む村の方へ。しばらく俺は騎手達を見送った。
俺は迷った。
あの者達がマンハントであれば村が危ない。だが追えば仕事を投げ出すことになる。信用を失う。
だがあの騎手達がマンハントであれば、メリッサが、ジムが。
そう悩む間にも騎手達は遠ざかる。これ以上迷えば、相手は馬だ、追いつけない。
結局俺は走った。騎手達の後をつけた。
*
騎手達の足は速かった。あっという間に離された。だが騎手達の進む方向はわかる。確実に村に近づいている。俺の家の近く。嫌な胸騒ぎが強くなる。俺は必死に走った。
そして見通しのよい場所につく。広い草原であった。
そこで騎手達は何かを取り囲み、円を描いて走っていた。奴らはその中心へ矢をつがえる。
そこには人影。いや、一人の女性、いや、赤ん坊を抱く母親がいた。
俺は叫ぶ。
「メリッサ!」
遅かった。
既にメリッサは足に矢を受けていた。動けない。メリッサは覆うようにジムを抱く。
俺の叫び声に騎手達は気づくが、円を描くのをやめない。逃げもしない。矢をつがえるのもやめない。そして放つ。
「きゃあ!」
甲高い悲鳴と共に、メリッサの体に矢が刺さる。
「ああ!」
血飛沫をあげ矢がまた刺さる。
「ああ!」
嬲るように嬲るように何度も矢がメリッサの体を貫く。
やがて、ほんの数秒で、悲鳴も尽きた。
「メリッサ!」
俺は叫び走る。だが間に合わなかった。
メリッサが微動だにしなくなった。ようやく騎手達は俺の方を向く。
俺は本気で人を殺したいと思った。この手で殴り殺したいと切に願った。
だがその拳は届かなかった。俺も矢に貫かれた。
*
俺の叫び声に人が集まるのを恐れたのか、マンハント達は逃げ出した。俺に止めが刺さることはなかった。
俺は無事だった。俺だけが助かった。メリッサとジムは助からなかった。
俺は憔悴した。矢で右腕の腱がいかれた。
でもそんなことはどうでもよかった。二人を救えなかった自分を恨んだ。それ以上に騎手達を憎んだ。
二人の死体は小さな棺に入れられた。神父が見ない方が良いと言ったが、俺は二人を見つめ抱き締めた。美しかった、可愛らしかった、そんな面影のない穴だらけの死体。
そして、それらはとてもとても冷たかった。
マンハントの捜査はすぐに始まった。俺は証言した。
馬飼いの俺だからわかる。犯人の馬はよく調教された名馬。この侯爵領でそんな馬は数少ない。馬から探ればすぐにわかる、と。
目星はあった。
侯爵が溺愛する嫡男。サルマン・トゥーバッサ。
侯爵領でマンハントが野放しになっていたのもそのためだときく。
だがサルマンには届かなかった。
それどころか侯爵自ら俺に見舞金を持って現れた。
俺にはそれは示談の金に思えた。
俺は受け取りを拒んだ。
*
復讐。
俺は駆られた。俺は闇社会から証拠集めを始め、証拠はすぐに揃った。
事件当時、サルマンと悪友二人の所在がわからないのだ。しかも馬をつれて。更に酒の席でサルマンがマンハントであることを匂わしていたという証言も得た。
それがわかった時、俺は全てを失っていた。全財産をつぎ込んだためだ。だが同時に何でもできる人となっていた。
いや、違う。
右腕を振るえず、復讐の剣すら持てない。怒りだけが体を蝕んでいた。
しかしそんな俺を気遣う人もいた。神父だ。神父は俺に温かい食事を与え説教をする。俺の頑なな怒りが少しだけ溶かされていく。
神は言う。
人ならば赦しなさい。
また神は言う。
復讐は神のもの。
ここに来て、俺は悩んだ。
神が、神父が、教会が、俺を見捨てていなかったからだ。復讐に身をやつす俺を押し留めた。だがそれならば俺はどうすればいい。
「神に祈るのです」
それからは俺は祈り続けた。
神が俺に代わり復讐してくれることを。
サルマン・トゥーバッサ
アングロ・グレゴリオ
サウザー・タッカー
奴らに凄惨な死を。
*
教会から去ったのはそのすぐ後だった。教会だけでなく村からも俺は出た。侯爵領にいれば侯爵の施しを受けることになるのが許せなかった。
俺は侯爵領近くの町の教会に身を置いた。ここでなら仇の凶報がすぐに耳に入る。何より神に祈りを捧げることができる。
俺は食事と睡眠、教会の仕事の時間を除き、常に祈り続けた。途方もない時間、両の手を結び祈りを捧げた。ただ神が仇に陰惨な死を与えることを願い続けた。
だがいつまでたとうとその報が俺に届くことはなかった。
だがそれでも祈り続けた。
神が罰を下すのだと信じ。
信じ。
こうして30年間の月日が流れた。
*
その日は雨だった。
この日も朝からどうにか両手を結び祈りを捧げた。
右腕の矢傷が疼く。だがこの痛みが憎しみを今なお鮮明にさせた。
神が奴らに凄惨な死を与えることを願った。だが願いはまだ届かない。
俺はふと気づく。
あれから30年経った。ただただ祈り続けた30年。
怒りに身を任せ、サルマンを襲おうと考えたことは数えきれない。それでも祈りを捧げ心を鎮めた。
ふとこの30年間は無駄ではないかという思いがよぎる。
30年で体も衰えた。目も悪くなった。右腕は麻痺してもう殆ど動かない。
サルマンは数年前に父の引退と共に侯爵領を継いだと聞く。
そこで思う。無駄どころか、間違いだったのでは。
俺は何も考えず、神を盲信し、盲信し祈ることで、救われようとしていたのではないか。行き場のない怒りを考えないことで忘れて、忘れることを祈りと称していたのではないか。
違う。
俺は強い意志で否定する。
俺は神を信じ、復讐を信じ、祈りを捧げてきた。これからも祈りを捧げ、俺か仇が死ぬまで続ける。
俺は覚悟を新たにした。
より強い祈りを捧げる。自然と握る手も強くなる。
そんな時だった。右腕の矢傷がすっと軽くなる。それどころか痛みも麻痺も感じない。驚き目を開く。
すると目の前で結んだ両手が光ったような気がした。
「なに……」
俺は戸惑う。そこで気づく。ろくに動かなかった右腕が羽毛が如く軽々と動く。
ふと、近くに立つ女神像の首に手を伸ばす。石の女神像。力を入れなければなんともない。だが少し力を入れると、首は呆気なく砕け、女神の顔は音を立て床に落ちた。
「この力は……?」
俺は驚く。
まるでこれは万力ではないか。神が持つという万力。つまりは神の力。つまり。
「祈りが通じた……のか?」
いや、祈りが通じたのだ。神の力がこの両腕に宿ったのだ。
俺は喜びに一瞬我を忘れた。だがそれも一瞬だけ。俺は気づく。
復讐は神のもの。
そして、神は今、俺の手にある。
「つまりは……」
この手で復讐を遂げよ、と。
──これは復讐の物語。神と人、アーデン・シュナイツによってなされる過酷で凄惨な復讐の物語である。





