悪役令嬢だからって、剣闘士に堕とされるのはおかしくありませんか?
風紀委員の倉田ラン。学校の風紀を守ろうと張り切りすぎた彼女は、とある事故で命を落としてしまう。
そして彼女は、別の世界で公爵令嬢クラーラとして人生をやり直すことに。
「今度はやり過ぎないように……」なるべく大人しく生きていこうと決めたクラーラ。
しかしその決意も、婚約者である王子の悪行を前に限界を迎える。彼に襲われていたメイドを助けるため、王子を蹴り飛ばしてしまったのだ。
逆恨みする王子。そして意地悪な継母と義妹によってクラーラは『他人を蹴落とし父を毒殺しようとする悪女』に仕立て上げられてしまう。
処刑を免れる代わりに奴隷に落とされたクラーラは、物好きな奴隷商人により剣闘士として扱われることに。
しかし彼女はめげない。
「いいですわ。皆様の性根、叩き直してご覧に入れましょう……!」
隠していた苛烈な性格と、とある能力を開花させたクラーラは、奴隷の身分からのし上がっていく!
倉田ランは風紀委員だった。
それも、真面目すぎる風紀委員。
早朝から学校に到着し、校門周辺を竹ぼうきで清掃。登校してくる生徒に挨拶を投げかけ、服装の乱れがあれば注意する。
「風紀の乱れは心を蝕みます。心身共に健康であるために風紀を守るのです」
イジメの兆候を見つけようものならすぐさま介入。自身の手に余りそうならば教師に報告。彼女にとってはそれが当たり前の行いだった。
良いことではあるのだが、敵も多く作ってしまった。例え相手が上級生だろうと、そして時には相手が教師であろうと、公衆の面前で説教を始めてしまう徹底ぶりを疎ましく者も多かったのだ。
――そしてある日。
逆恨みした上級生に、背中を突き飛ばされ階段から転落した。相手は脅かす程度のつもりだったのだが、愚行は最悪の結果を招いた。打ち所が悪く、彼女は命を落としたのだ。
遠のく意識の中で彼女は学んだ。
(私、やり過ぎたんだ。もっと自重するべきだった。もしもやり直すことが出来れば……)
正しい言動で向かい合っても恨まれる。それならば、他人に関わらずひっそりと――
そして。
幸運と言うべきか何と言うべきか。あり得ないはずだった『やり直し』の機会は巡ってきた。
彼女は別の世界で生まれ変わったのだ。前世の記憶を持ったまま、公爵家の長女として生まれ落ちた。赤子からのリスタートである。
(今度は控えめに。大人しく生きていこう)
倉田ラン改め、公爵令嬢クラーラ=ベルモントはひっそりと誓った。
◆
貴族の生活は好ましかった。この世界での礼儀作法を学ぶことは楽しかったし、厳しい家庭教師から施される教育もよい糧になった。
ただ、家庭教師に教わる魔法だけは苦手だった。上手く扱うことができずに結局断念することになったのは悔しいが、こればかりは仕方ないと鬼教師も承知してくれた。
公爵である父からは、貴族のなんたるかを学んだ。幼いクラーラを相手に、
「領民の生活を守ることが我々の義務であり使命であり、何より誇りであるのだ。依るべき矜持を失ったとき、人は人でなくなる。分かるかクラーラ」
と語って聞かせてくれる尊敬できる父だったが、クラーラの実母が亡くなったあと、後妻を娶ってからは人が変わってしまった。
クラーラには継母に当たるゼラは、父を骨抜きにしてしまった。公爵夫人としての立場を利用して放蕩三昧の継母のことを、父はたしなめるどころか甘やかしてばかり。
子を産んで公爵家での地位を盤石にしたゼラは、一層屋敷の風紀を乱した。
クラーラは元風紀委員としての血が滾ったが、
(我慢ですわ。波風を立てるのはもうたくさん……)
前世での反省を胸に、じっと耐えるのだった。
◆
クラーラが十七歳になると縁談が舞い込んできた。父が取り付けたのは、この国の第一王子タリムとの結婚だった。
「わたくしにはまだ早過ぎます」
「何を言っている、お前ももう十七ではないか」
この世界では十分に結婚適齢期。そもそも貴族ともなれば年齢が2桁に届かぬ前から政略結婚に使われることなどザラである。
結局強く抵抗できないまま、王子との縁談は進められていった。
タリム王子は眉目秀麗な二十歳の青年。
そう、見てくれはいいのだが――この男もまた色狂いだった。
あろうことか、公爵家の屋敷で初めて会ったその日のうちにクラーラのことを押し倒そうとしてきたのだ。
「噂に違わぬ美貌、いいじゃないか」
「お、おやめくださいっ」
寝室へと案内させられた時点でおかしいとは思ったが、まさか力尽くで迫られるとは。いくら王子とはいえクラーラだって公爵令嬢だ。こんな仕打ちが許されていいはずがない。
「どうせ僕のものになるんだ、今からたっぷりと教え込んであげるよ」
端正な顔に浮かんだ表情はしかし醜悪で、さすがのクラーラも我慢できなかった。
彼の肩を突き飛ばし、拒絶する。
「チッ。まあいいさ。聞いていたよりは気が強い……そういう娘を手籠めにするのは嫌いじゃないからね」
彼の顔がいくら美しい造形をしていても、クラーラにはとても醜く見えた。
こんな男と結婚なんてしたくない。けれど、王族との婚姻を破談に持ち込むのは今のクラーラには難しい。だから、
(仕方がありませんわ……これが貴族のしきたり、規則ですもの)
そう自分に言い聞かせるので精一杯だった。
◆
そんなある日、事件が起きる。
婚姻が間近に迫ったその時期に、公爵家の庭園でパーティーが開かれた。
タリム王子からの厭らしい視線に辟易していたクラーラが用を足しに席を離れ、また庭園へと戻るその途中のことだった。
「や、いやっ!」
少女の悲鳴が聞こえた。
声のしたほうへ向かって見ると、色狂いのタリムが、クラーラ付きのメイドを襲っているではないか。
「おいおい、僕に相手をしてもらえるんだから光栄に思うんだね」
第一王子と雇われメイド。身分の上では比べるべくもなく、このようなことは日常茶飯事なのかもしれない。
けれど。
「……っ!」
両腕を掴まれ襲われているメイドの気持ちになってみると、クラーラは全身が沸騰するような怒りに襲われた。
今彼女は、あの醜悪な顔のタリムに迫られて怯えているのだ。そう思うと、『控えめに』なんて自制の枷は一瞬で外れてしまった。
駆け出し、王子の腰を横合いから思い切り蹴飛ばした。
「――たぁあっ!」
「ぇふッ!?」
もんどり打って庭園の生け垣に突っ込む王子。目を白黒させるメイド。クラーラは、足をピクピクさせる王子の下半身に向かって言い放った。
「この屋敷の風紀を乱すことは、わたくしクラーラ=ベルモントが許しません!」
◆
(やってしまいましたわ……)
せっかく平穏にやってきたのに、最悪の形で暴発してしまった。いくら相手に非があるとはいえ許されることではない。
王子は「婚約者の貴族令嬢に足蹴にされた」なんて醜態を知られたくなかったのか、事を公にしていない。あのパーティーの後も、側近たちに守られてコソコソと隠れるようにして屋敷を後にしていったものだった。
それからしばらく音沙汰もなく、それがクラーラの不安を余計にかき立てていった。
(ああ、なんてことを)
婚姻の話が破談になることはともかくとしても、自分や公爵家にも厳しい罰が下されるに違いない。
案の定。
王子の側から、婚約破棄の旨が伝えられた。しかしその理由は、クラーラが予想していないものだった。
「キミがそんな性悪だとは知らなかったよ。なんでも、前妻の子で公爵の寵愛を受けているのをいいことに、義理の妹たちをイジメていたなんて」
「……は?」
事実無根である。義妹たちとは仲が良いとは言えないが。
「誰がそんなことを」
「キミの母君さ。しかも彼女の言うことには、君は夜な夜なお忍びで屋敷を抜け出し、怪しげな夜会に参加しているとか。酒と薬と催眠魔法に溺れて……まさか、もはや乙女じゃなかったなんてね。失望したよ」
反論する気も失せる荒唐無稽な話だった。
「さらには僕の妻の座を射止めるために、他にも色々と汚い手を使ってライバルたちを蹴落としたそうじゃないか。そして僕と結婚した暁には、用済みになった父君を毒殺する計画もあるとか」
「で、デタラメです!」
「証拠も挙がっている。王宮は今その話で持ちきりさ」
ニタニタ笑うタリムの顔を見て、ようやくクラーラは察した。
「……まさか」
「まさか、なんだい? 下手なことは口にすべきじゃないよ?」
楽しみを邪魔されプライドを傷つけられた仕返しに王子は、クラーラを悪女に仕立て上げることにしたのだ。
「僕はとても傷ついた。けれど新しいパートナーがその傷を癒やしてくれたのさ」
声に従い一人の少女がしずしずと歩み出てきて、タリムに並んだ。
「貴女……」
現れたのはゼラの娘、つまりクラーラにとっては義妹にあたるベアトリスだった。
「僕は彼女と結婚することにしたよ。君とは違って、とても清らかで心根の優しい女性だ。このベアトリスに免じて公爵家のことは不問にしてあげる」
「お優しいタリム様。愛しておりますわ」
ベアトリスは猫なで声でタリムにすり寄り、それからクラーラに向かって、
「お姉さま。貴女の卑劣なやり方も愚かな行いも、全て許してくださるのですって。寛大なタリム様に感謝なさって?」
例の庭園での一件以降、急接近したにしてはあまりにも仲睦まじい様子だ。
タリムは、新たな婚約者の頬を指先で撫でて、
「君と初めて会った日にも、随分な失礼を働かれたよね? その時にも彼女が慰めてくれたのさ。母君も、その頃から色々と相談に乗ってくれていてね」
タリムとベアトリスの許されざる蜜月。そして継母ゼラの奸計が、クラーラのあずかり知らぬところで進行していたのだ。
「なんだその反抗的な目は? 僕がその気になれば君の家やその領民だって好きにしてしまえるんだよ」
「まあ怖いですわタリム様」
「あはは。冗談だよベアトリス。ただ、君の姉君は無罪放免とはいかない。――奴隷商人のザラムという男を知っているかい? 奴隷を卸すだけでなく、自分でも買って育てる物好きさ」
「存じておりますわ。何でも奴隷を『剣闘士』として育て、戦わせるのが趣味とか……あらタリム様、もしかして」
「そうさ」
演技がかった調子のベアトリスにタリムは頷くと、昏い笑みを浮かべて言った。
「ねぇクラーラ。血みどろの戦いに興味はあるかい?」





